夢の波打ち際
泣きながらフジシチを殴りに行ったフクジは、本当に何も知らないらしいフジシチにこう諭された。「俺は昨日宇宙に出ていた。同じ艇に乗ってたやつもいる。証明できる奴がいる。……キツネだ。おまえ、キツネに騙されたんだ」
フクジはとうとう泣き崩れた。ついてきた二人の息子は、驚いたように父親を見つめていた。
「すまねえ、すまねえみんな、すまねえ、俺が……俺がダメなばっかりに」
「そんなこともあらあ、問題なのは、俺たちがいま生きているってことだ」
フジシチはフクジの肩を揺さぶった。
「お前には明日がある。お前には、守らなきゃならねえものがある」
「ああ、ああ……」
「早まるな。俺らはお前を見捨てねえ」
フクジは二人の息子を掻き抱いて、脳裏には守れなかった妻と娘の姿を思い描いた。そして、フクジから大事なものを奪い去っていったすべてを憎んだ。
そのためだろうか。その晩、避難所で体を縮めながら、フクジは夢を見た。
打ち寄せる水の際に、フクジは両足を浸していた。大きな水の塊に映り込むのは夜明け前の静けさだ。おとぎ話で聞いた古代の「地球」を思わせた。となれば、この水の塊は「海」であろう。フクジはあたりをよくと見渡した。海上には深く霧がたちこめ、薄明の空を灰色に覆いつくしている。
「ここは……」
ふと視線をさまよわせると、その薄い膜のような霧の中から、二つの影がこちらに歩いてくる。海上をすべるように歩くその姿は、男と女のつがいのように思われた。
フクジが声も出せずにそれを見ていると、不意に女が呼んだ。
「フクジさん?」
それは、……その懐かしい声は。
「アケビ!ああ、アケビ!」
フクジは海に分け入っていく。愛する妻の元へ走ろうともがく。しかし海は強い力でフクジを押し戻してしまう。宇宙のように簡単にはいかない。
「アケビ!いま、いまいく、」
「フクジさん、来てはいけない」
妻ははっきりと拒絶の意志を示した。フクジは愕然と、妻を見た。
「なぜ……」
「もう、すべてが遅いの」
そして彼女は、背後からやってきた精悍な男に腕を巻き付けた。
「……あなたのことは、嫌いじゃなかったわ。でも、好きあっていた人がいたの。ずっと前から。ずっとずうっと前から。……死んだ後に、一緒になれたの」
「っ!」
さあっと、フクジの身体から血の気が引いて行った。
「だから、ごめんなさい。あなたはあなたの世界を、わたしにとらわれず、別の人と」
「――子供のことは何とも思わないのか!」
妻の顔を見ることもできず、打ち寄せる波の合間を凝視しながら、フクジは叫んだ。
「ヨウイチのことも、カンジのことも、なんとも思わないのか! お前と一緒に死んだリンゴのこともなんとも思わないのか! アケビ!」
今度は妻が言葉を詰まらせた。フクジはようやく顔をあげた。
涙で曇る視界がひとたび晴れると、妻が体を曲げて涙をこぼしていた。
「うう、うう……」
「……アケビ」
男が妻を庇うように引き寄せる。そして二人は再び、遠い海の果てへと滑っていった。フクジは波を割ってそれを追いかけようとしたが、はたと、思い出した。
『問題なのは、俺たちが生きているってことだ』
昼間聞いたフジシチの何気ない一言が、フクジを止めた。死んだ者同士のことに、今更フクジが首を突っ込んでどうする。……死んだ者のあいだに、どうして入って行けようか。
フクジはそこで目を覚ました。
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