ep12/いつもの朝
くるる……くるる……くるるるる。
それを合図にするように――
小高い丘の上にあるこの場からは、
そしてリゼータの眼下には、一月前に起きた
獣災は
それでも油断から全滅しかけ、リゼータに
ともかくリゼータとしては、決して納得のいく結果では無かった。
(俺はもっと強くならなきゃいけない。確実にみんなを護れるくらいに。そして俺が傷付くことで、誰かを悲しませる事が無いように)
そんな想いを
この老朽化した屋敷――仲間内ではアジトと呼ばれている――は、空猫ノ絆が
成功した今ならば、もっと立派な拠点に移り住む事も出来たが、愛着があるのか転居を望む者は誰一人いなかった。
まだ寝ているだろう仲間たちの寝顔を想像し、リゼータの口元が優しげに緩んだが、すぐにその表情は獲物を定めた狩人のように引き
(さて……今日も
リゼータが上着を脱ぎ捨てると、鍛え抜かれた傷だらけの肉体が姿を現した。
一見すると細身に見えるが、その身体は鋼のような筋肉で
それはまるで――刀匠が心血を注いで打った
リゼータは、
そして静かに呼吸を整えると、習慣となっている型稽古を始めた。
「せいっ! はあっ! ふうっ!」
ひょうと鋭い風切り音が
驚いた虫や小動物たちが逃げ出していく。風雷のような素振りは延々と繰り返され、リゼータの
その鋭くも力強い動きは、古に名を
現在の極斬流の継承者はゲルト・ドライガーだが、リゼータとて兄弟子でもあるゲルトには及ばないものの、流派を名乗るに恥じない程には剣技を
二百。五百。七百。一挙一動に神経を張り巡らせて一心不乱に振り続ける。
極斬流に入門して依頼、一日たりとも剣を手放した事はない。リゼータにとって『剣』とは、戦う手段以上の価値があった。
今は亡き師、ガラン・ドライガーから、剣を通して様々な教えを受けた。それは単なる戦術に
リゼータが罪紋者でもあるにも関わらず、ガランは――まるで本当の父親のように――親身になって接してくれた。ついには、ドライガーの姓を名乗ることも許してくれた。
人間扱いされてこなかったリゼータにとって、それがどれほど嬉しい事だったか。
その恩に
リゼータにとっての『剣』とは。自分が生きる手段であり、仲間を守る武器であり、何よりも亡き師や好敵手たちとの――心の絆なのだ。
「……ふうっ」
最後の一振りを終えて、大きく息を
もう千は振っただろうか、気付けば息は上がり、全身は汗まみれだ。懐中時計を見やると一時間以上が経過しており、リゼータは稽古の仕上げを行うことにした。
リゼータは雑草を
(ゲルトがあの時に放った
歪蝕竜に放った極斬流霊剣術の奥義。全てを断ち斬る無双の剣。
それは一子相伝の秘技である為に、リゼータはもちろん師から教えを受けてはいない。
しかし独学での探求は禁じられたわけではないので、リゼータは
「はああああああッッッ――――!!」
強く、速く、鋭く、重く。全身全霊を込めて黒杭に斬りかかるリゼータ。
しかし『ガチイィィィン!!』と無情な響きを上げて、双剣が弾き飛ばされた。
(今日もダメだったか。何だ……いったい俺には何が足りないんだ? 力も速さもタイミングも悪くはないはず。技術的な問題なのか? それにしても、まるで斬れる気配が無いのはどういうことだ……?)
世界最硬の金属である霊黒鋼を両断することが、森羅万象斬を修めた証であり――かつてリゼータは、その
己もその領域に立つべく、リゼータも日々努力しているのだが、
ひょっとして才能が無いのかもしれない。どんなに頑張っても無理なのかもしれない。師匠やゲルトのような、並外れた剣才があって成せる技なのかもしれない。
(……そうだ。可能か不可能かなんて関係無い。俺は死ぬまで剣の道を
稽古を終え、木造のボロ屋敷に戻ったリゼータは、リビングのクローゼットを開けた。
クローゼットの中には
手の平サイズの精霊たちは競い合うように整列すると、メイド長の号令と供に可愛らしくお辞儀をしてみせた。
「おはようお前たち。今日もよろしく頼むぞ」
リゼータの挨拶に応えて、家事精霊たちは『みゅ~~!』と元気一杯に声を上げた。
その光景に心を
霊素結晶は仕事の報酬となるもので、それを目的に精霊たちは従っているのだ。やがてメイド長が指示を出すと、家事精霊たちが一斉に動き出した。
まずはリゼータは、風呂精霊が
娯楽精霊が奏でる
料理はリゼータの趣味でもあるので、こればかりは家事精霊にも任せるつもりはない。改良を繰り返した
「さてと……やるか」
愛用のエプロンと、バンダナを身につけて――料理開始。
まず
「リゼ兄ぃ……おはよ……」
「おはようラピア」
ラピアの栗色の髪はボサボサ。乱れたパジャマからはへそが
慌てて身なりを整える家事精霊のされるがままになりながら、怪しい足取りでテーブルまでやってくると、ラピアはどさりと倒れ込むように座った。
「カフェオレはいるか?」
「……うにゅ……おねがい……」
「角砂糖は三個でいいな?」
「……うん。うんとあまくしてね」
リゼータが
そんなカフェオレを、
そんなラピアを微笑ましく見守りながら、リゼータが葉野菜を小気味よく刻んでいると、今度はジルミードが姿を表した。
「おはようジル。今日はいい天気だぞ。後で散歩でもしてきたらどうだ?」
「おはようございます、リゼータ。ええ、気が向いたら」
しっかり者のジルミードらしく、
しかし、目元にはうっすらと
「
「……ええ。でも、そろそろ終わりが見えて来たので」
霊式考古学の
しかし先日の獣災の後始末のせいで、制作が大幅に遅れてしまい、連日の徹夜作業を強いられていたのだった。
リゼータが
そんな彼女に、リゼータはまるで父親のような口振りで語りかける。
「あまり根を詰めるなよ。手伝える事があったら言うんだぞ」
「大丈夫です。リゼータは心配しすぎなんですよ」
「お前は放っておくと無理ばかりするからな。俺は心配なんだよ」
「……ふふ。その
そう言って席を立つと、ジルミードは機嫌良さげに食器を並べていく。
ついでに
流石にジルは気が利くなと、リゼータは感心するのだった。
それからリゼータは、本腰を入れて料理に取りかかる。
キュウリの浅漬けを切って小皿に盛り。豆腐とワカメを刻んでボウルに入れておく。煮干しの浸る小鍋を煮出しながらアクを取る。それらと平行して、だし巻き卵をほんのり焦げ目がつく加減で焼いていく。
ダイニングキッチンに香ばしい匂いが漂い、お腹を空かせたラピアが目を覚まして落ち着きを失い始めた頃――
「うっぷ……おはよう、リゼ君……お水ちょうだ~~い」
「おはようアローゼ。また飲んだのか……そのうち身体を壊すぞ?」
アローゼも
アローゼは手渡された水を一気飲みすると、エメラルドグリーンの美髪を
「うううっ……頭痛い……。でもね、聞いてよリゼ君。客の中に社交界で顔の利く奴がいてね、おかげで良い情報が手に入ったの……ふふふふふっ……!」
一見すると無邪気に笑っているアローゼだが、その瞳には暗い情念が
それにアローゼは「はぁい……わかりましたぁ~」と答えると、
だし巻き卵が焼けると同時に味噌汁も完成し、ラピアとジルミードが料理を並べるのを手伝っていると、玄関から立て付けの悪いドアが
すると小走りの足音が近づいてきて、タキシード姿のゲルトが姿を現した。
「おはようみんな! よかった……朝食には間に合ったようだね」
「お帰りゲルト。朝飯の前に何か飲むか?」
「いいね。熱い緑茶を
「了解だ。それで、大富豪のパーティはどうだった?」
昨晩、世界一の大富豪と称えられる大商人――ボルザール・ベヒードラムの帝都の屋敷で
ずずりと緑茶を
「いやあ……とんでもないパーティだったよ。とんでもなくデカい屋敷に、目が
未だ
「お疲れさん。ゲルトが俺たちを代表して参加してくれて助かる。それにそうやって顔を売っておけば、空猫ノ絆の地位も
「ああ。今回
野望に燃えるゲルトだが、その
食卓に着く女性陣を素早く見やるが、まだ気が付いていない様子。密かに耳打ちして教えてやると、ゲルトは飛び跳ねるように首元を隠した。
「……ははは。何たって帝都を救った英雄だからね。モテモテで困っちゃうのさ」
ゲルトは小声で
それを見送ったリゼータは、やれやれと肩を
ゲルトが戻ると、五人は『いただきます』を合図に、朝食へと
テーブルの上には
今朝は米や海産物を主体としたオウカ風の朝食だったが、バゲットや
盛り付けや食器の色合いにも気が配られており、リゼータが作る料理はプロ顔負けで、いつも仲間たちを飽きさせる事が無かった。
とても
一足先に食事を終えたリゼータは、家事精霊が
それから邪魔にならないように、少し椅子を引いて新聞を広げる。リゼータが通読している
『ベヒードラム財団会長、ボルザーク氏の経営哲学とは』
『霊術研究の第一人者であるキガン博士、新たな霊素機関を開発中』
『正体不明の盗賊団、またしても非道を行う。死傷者多数』
『
『バラーガル大陸西部一帯を大嵐が襲う。沿岸部の街々に被害』
良いこともあれば悪いこともある。楽しいこともあれば悲しいことも。
様々な記事を流し見していたリゼータの瞳が、とある見出しでピタリと止まった。
『
それは、空猫ノ絆について組まれた特集だった。
特集には――先月の獣災の事や、
(ふむ、どれどれ……?)
空猫ノ絆は全員が
しかし今回は、最初から美談を語るのが目的のようで、少し行き過ぎではと思うほど褒め称えられており、リゼータは読んでいて苦笑を
(よし……俺の事については、ほとんど触れられてないな)
ただリゼータに関しては、ほとんど言及されてはいなかった。
本来ならば憤慨すべき事なのだろうが、世間から厄介者扱いされている罪紋者なので、取り扱いには非常に神経を使うのであろう事は想像できた。
(ゲルトも言っていたが……もうすぐだ。もうすぐ俺たちの夢が叶う)
『いつか必ず神還騎士団に入ってみせる』
幼い頃の空猫ノ絆が、廃棄域を出る前に誓い合った夢。
その積年の願いが、ついに叶おうとしている――そのはずなのだが。
(しかし……この胸騒ぎは何だ? まるで嵐が来る前の静けさのような……)
正体不明の不安にリゼータが顔を曇らせていると「何か気になる事でもあったのかい?」と、
しかしリゼータとしては――そもそも何が原因かも分かっていないのに――不要に不安にさせたくもないので、努めて明るい声を上げた。
「……いや、何でもないさ。それよりも、だし巻き卵がまだ余っているぞ。
「あっ、リゼ兄ぃ
リゼータは微笑みを浮かべながら、仲間たちに料理を配っていくのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〈作者コメント〉
どうも。クレボシと申します。
料理の描写は難しいですね。
応援・感想・評価などをつけて頂けると嬉しいです。
誤字脱字の報告もしていただけると助かります。
※タイトル(ABYSS×BLAZER)はアビスブレイザーと読みます。ブレザーじゃないですよ。
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