ep5/双罪紋のリゼータ(後編)


「……何だ。随分ずいぶんと浮かない顔をしているな」


 リゼータの溜息ためいきで目を覚ましたのか、薄掛布団コンフォーターで裸身を隠した妙齢の女が、ベッドに身を起こしながらリゼータを見詰めていた。

 気怠けだるげな笑みを浮かべるその顔は、縦長の傷で右眼がふさがっており。左手は肘から下が無く、その先端は赤い羊布フェルトで覆われている。その剣呑けんのん風貌ふうぼうと鋭利なたたずまいから、堅気かたぎの住人では無い事は一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


「起きたのか……メギル」


 リゼータに名を呼ばれた女――メギルは、引き締まった裸身をさらして立ち上がる。それからうれい顔でソファに腰掛けるリゼータに近付くと、そのほほを優しく撫でた。


「世間のくだらん風評など気にするな。罪紋者ざいもんしゃがどうした。ちゃんと見る目のある者は、お前の実力を高く評価しているし、必要としているさ……むろん私だってそうだ」


 二人は五年以上にも及ぶ、深く濃密のうみつな親交がある。

 ゆえに聞かずとも、メギルはリゼータの苦悩が分かっていた。


「お前が誰よりも努力していることを私は知っている。お前が空猫ノ絆スカイキャッツにどれほど貢献こうけんしてきたかも知っている。だから現在のお前の評価は間違いなく正当なものなんだ。それをおとしめる者は絶対に許さん。お前は本当に良くやっている。良くやっているさ……」


 リゼータの頭を、いつくしむように腹部に抱き込むメギル。

 されるがままに、温かい柔肌やわはだもれていたリゼータだったが、やがて少しは気力が回復したのか、面映おもはゆそうに感謝の言葉を述べた。


「……ありがとう。帝都最大ギルドのボスにそう言って貰えると救われるよ」

「ふふふ、そうだろう。偉い私が言うんだ。自信を持っていいぞ」


 冗談口調じょうだんくちょうおどけながら、ポンとリゼータの頭を叩いて身を離すメギル。

 そんな彼女は三十前半の若輩じゃくはいの身でありながら、帝都の探獄者ダイバーズギルドの長である。その年齢でギルド長の地位に収まることは、長いギルドの歴史の中でも異例の事だった。


 白麻しろあさのローブを羽織はおったメギルは、棚からウイスキーボトルとグラスを二つ持ち出すと、それぞれのグラスに酒をそそぎ、その片方をリゼータへと渡す。それから丸机をはさんで、リゼータと反対側のソファに腰掛けると、琥珀色こはくいろのウイスキーをめるように味わい始めた。


 外から見ると今にもち果てそうな宿屋だが、この部屋だけは厳重に補修がされていて、部屋内のコーディネートも凝ったものとなっている。高級な寝具しんぐをはじめ、こだわり抜かれた家具や調度品の数々が置かれ、机の上には真っ赤な薔薇まで飾ってある始末だ。


 こうなった理由は、つぶれかけていた宿屋にメギルが援助を申し出て、その条件として、一室を個人的に占有できる権利を得たからだ。

 手に入れた秘密の部屋に愛着がいたのか、メギルはひまがあれば部屋を飾り立て、快適かつ見栄えの良いものへと作り上げていった。


 こうして月に幾度か、二人は情報交換も兼ねて、密かな逢瀬おうせを重ねていた。

 隠すのは探獄者ダイバーズギルドにおいて、雇う側であるメギルと雇われる側であるリゼータが、親密な関係を持っていることが世間に知られるのは――不平等に肩入れしているとの誤解を招くために――体裁ていさいが悪いからだ。


 特にリゼータは社会的に攻撃されやすい罪紋者ざいもんしゃである為、失点となりそうな要素は出来るだけ少ない方が良い。

 ゆえに二人は日頃から出来る限り接触を避け、その親密な関係を知るのは宿屋の主しかおらず、まず他者に知られる事は考えがたかった。


 しかし二人は時折こうして情交を重ねるものの、ギルト長と探獄者というビジネスパートナーでもあり、年の離れた親友のようなものでもあり、互いに仕事が第一ということもあって――それ以上の関係に踏み込む事は望んでいなかった。



「……そう言えば、監督官かんとくかんから聞いたぞ。今回の挑戦でも大活躍だったそうだな。お前がいち早く敵の接近に気付いていなければ、全滅も有り得たそうじゃないか」


 まだ酒量は少ないはずだが、場の雰囲気に酔ったのかメギルは饒舌じょうぜつだ。雷乱禁域サンダーガーデンでのリゼータの活躍を、我が事のように誇らしげに語り出す。

 そんな上機嫌のメギルを眺めながら、リゼータは静かにグラスをあおりつつ、悪癖あくへきじみた謙遜けんそんを繰り返すのだった。


「たまたまだ。少し立てば誰かが気付いたさ」

「たまたまなものか。それに、お前がやり遂げた事はそれだけじゃない。最奥にいたのは千年級の巨人タイタンだったんだろ? それを皆の怪我が回復するまで、一人で十分近く耐えたらしいじゃないか」

「まぁ、一撃の威力はヤバかったが、トロいヤツだったからな。それに敵からのヘイトを集めて足止めするのは、普段からやってることだ」

「おいおい、それを出来るのは金竜級にもほとんどいないんだぞ! リゼータ、お前はもう少し調子に乗ってもいいんだ! お前は常人に出来ないことをやったんだからな」

「過信は嫌いなんでね。皆の力があって乗り越えられた冒険だよ」

「相変わらず無駄に謙虚けんきょな奴だ! まぁ……そこがお前の可愛いところなんだがな」


 メギルはテーブル越しに手を伸ばすと、リゼータの頭をよしよしと子供をあやすように撫でる。

 居心地が悪そうに受け入れるリゼータだったが、どうにか抵抗をこころみる。


「なぁ、メギル。その酔うと撫でるくせ、どうにかならないか?」

「ハハハハハッ、照れるな照れるな。そういう部分は昔と全然変わらんくせに、図体の方はデカくなりおって。探獄者ダイバーとしても立派になった。初めて帝都に来た頃は、あんなに世間知らずのチビなガキだったというのに……まったく全部がなつかしいよ」


 カラカラと笑いながら身を離し、ドサリとソファの背にもたれ掛かるメギル。

 それから愉快ゆかいそうに、リゼータと出会った頃の事を語り始める。リゼータもソファに深く腰を掛け直し、苦労まみれの昔話に付き合うことにした。


「あの頃は、メギルも監督官かんとくかんだったよな。感謝してるよ。評判の悪いスラム出身のガキ共を信じて、教育係に名乗りを上げてくれたことにさ」

「ふふふ……人を見る目には少しばかり自信があってな。こいつらはきっとデカくなると思ったよ。お前たち空猫ノ絆スカイキャッツは、無知で向こう見ずな他の初心者ビギナーとは、明らかに目の色が違っていたからな」

「とにかく必死だったからな。俺たちは後戻りが出来ない。もしも探獄者ダイバーとして失敗したなら、スラムに戻ってマフィアになるくらいしか生きる道がなかった」

「必死なのは伝わっていたが……いつもヒヤヒヤさせられたもんだよ。すきあらば危険なクエストばかりに挑戦しおって。おまえたちが死にかける度に、どれだけ私が尻拭いをさせられたか……」

「だからそれは何度も謝ってるだろう。あの頃は少しでも金と実績が欲しかったんだ。他の探獄者にもナメられたくなくてな。ただでさえ俺たちはスラム出身の嫌われ者で、吹けば飛びそうな小さなガキだったから」

「そういえば、思い出した。お前たちの冒険に同行して、スケルトンの大軍に取り囲まれた事があったな。あの時はもう終わりかと思ったぞ。あの時は確か……他の連中と離れ離れになって、お前と一晩過ごす事になったんだよな」

「ああ。あの時は大変だったな。やけに冷える晩だった。毛布に二人で包まりながら寝たっけ。ちょっと十代半ばのガキには刺激が強かったよ」

「ふふふふっ……初心うぶなお前をからかうのは楽しかったぞ。今は当たり前のように私の身体をもてあそびおって。あの頃の純情だった少年はどこに行った?」

「そんなに純情だったわけでもないさ。とっくにスラムで童貞も食われてたしな。もしもあんたが監督官かんとくかんじゃなければ、あの時に手を出してたかもしれない。今も昔も、あんたはそれぐらい魅力的だ」

「ははははは。片眼片腕かためかたうでの独身女に嬉しい事を言ってくれる。だがもしも、あの時に手を出されてたら、キツいお仕置きをしてたと思うぞ。しかし……お前等と一緒に、汗だくで深淵魔獄アビスロックを駆け回ってたあの頃が一番楽しかったかもしれん。毎日が手探りで刺激的で。何度も死ぬかと思ったが」

「……そうだな。確かに楽しかったよ」

「しかし、問題児だった空猫ノ絆が立派に力をつけて、ひたすらに功績を積み続け――そのおかげでお前たちの監督官だった私が、上司や同期を出し抜いてギルド長に就任出来たわけだから、人生とは何があるのか分からんものだな」


 感慨深かんがいぶかそうに思い出を語りながら、残り少ない酒を一気に飲み干すメギル。

 大分酔いが回って来たようで、酒をぎ足すその指先は怪しい。危ぶんだリゼータが代わりにいでやると、近付いた耳元につやめいたハスキーボイスでメギルがささやいた。


「それにしてもまさか……あの頃は、一回り近く年の離れた無愛想ぶあいそうなガキと、こういった色っぽい関係になるとは思ってなかったよ」

「……俺もだよ。ここまで親密になれるとは思いもしなかった。あんたはお堅い監督官で、特に探獄者ダイバーとは馴れ合う事を避けてたからな」

「全く……お前が悪いんだぞ。酔った弾みで一回やっただけなのに、もう他の男じゃ満足出来ない肉体からだとされてしまった。仕事一筋だったこの私が……この女殺しめ。ひょっとして、お前の祖先は淫魔インキュバスか何かじゃないのか?」

「スラムじゃ男娼もやっていたからな。まぁ喜んでくれて何よりだよ」

「絶対にそのテクニックを悪用するなよ。いつか刺されるぞ」

わきまえてるよ……もう経験済みだからな」


 リゼータが神妙な顔で横腹にある古傷を指差すと、メギルは呆れたように杯をあおった。



「ところで……くだん推薦すいせんの話だがな」


 唐突にメギルの口から始まったニュースに、リゼータは思わず立ち上がった。

 それはリゼータにとって待ちわびた情報だった。恐る恐る「進展があったのか?」と問えば、メギルはニヤリと得意気とくいげな笑みを浮かべた。


「協会の反応は悪くない。むしろ非常に協力的だ。特に今回の雷乱禁域サンダーガーデンでの功績が効いているようだな。公式に母神教会に申請する流れになっている……これは特例だぞ」

「本当か。じゃあ、ついに俺たちが……」

「ああ。現実味が出てきたぞ。ついに空猫ノ絆スカイキャッツ神還騎士団アルムセイバーズに入団する日が来そうだ」


 神還騎士団アルムセイバーズについて語る前に、まずは探獄者ダイバーとは何かを説明する必要がある。

 一般的な探獄者――探獄者協会に所属する探獄者は、十六の階級に分けられる。

 第十六位・粘獣級から始まり、第十五位・卑霊級、第十四位・小鬼級、第十三位・霊骨級。ここまでが初心者。第十二位・豚鬼級から始まり、第十一位・呪像級、第十位・牛鬼級、第九位・呪鳥級。ここまでが中級者。第八位・戦鬼級から始まり、第七位・冥僧級、第六位・鬼将級、第五位・飛竜級。ここまでが上級者である。

 中級までいけば、稼ぎは一般市民を大きく超える。上級者ともなれば、仕事の依頼は引く手数多となり、引退しても裕福に暮らせるようになる。


 だが――更に上位の探獄者ダイバーが存在する。

 第四位・銅竜級、第三位・鉄竜級、第二位・銀竜級。そして十六階級の頂点となる、第一位・金竜級。金竜級ともなれば英雄視され、世界的に賞賛を受ける存在となる。そして現時点で空猫ノ絆スカイキャッツは金竜級にランクされている。

 通常ならば、ここから王侯貴族がこぞって囲い込みに動き出し、ついに冒険者の頂点である神還騎士団セイバーズへと勧誘される者も現れる。


 神還騎士団ともなれば、王侯貴族のごとき権力を有することとなる。

 更に深淵魔獄アビスロックの自由探索権が与えられ、最深層へと挑戦することさえ許される。

 そしてその神還騎士団セイバーズに入団する事こそが、空猫ノ絆スカイキャッツの結成当時からの悲願だったのだ。


「ありがとうメギル。あんたのおかげだ……本当にありがとう」


 しばらく呆然ぼうぜんと立ち尽くしていたリゼータだったが、我に返ってメギルに向き直ると、そのてのひらを力強く握り締め、感謝の気持ちを告げる。メギルは力強く口角を上げてこたえ、リゼータの肩を優しく叩きながら「おめでとう。まだ確定ではないがな」と祝福の言葉を贈った。


 「あんたに礼がしたい。何か欲しいものはないのか?」とリゼータが尋ねる。すると急にメギルの様子が変わった。妖艶な笑みを浮かべながら、リゼータの胸にしなだれかかり――その唇をむさぼるように奪った。

 メギルの口付けは、激しさを増していく。やがてそれにリゼータも応じ、しばらく二人は呼吸も忘れて、飢えた獣のようにキスに夢中になった。


「はぁ、はぁ、はぁ…………私の今の願いはたった一つだ。気が狂うほど抱いてくれ。戻れなくなるくらい滅茶苦茶めちゃくちゃに壊してくれ。お前が雷乱禁域サンダーガーデンの準備で大変だったのは分かるが、前に会ったのは三ヶ月前だぞ。なぁ、リゼータ……その間、どれだけ私がお前を想いながら自分をなぐさめたか分かるか?」


 互いの鼻と鼻が触れ合う距離。うるんだ瞳でリゼータをにらみ付け、切なげに息を切らしながらメギルは心の恥部をさらけ出す。そしてその燃えたぎる情欲に当てられて、リゼータの本能にも火が点き、理性のおりに閉じ込められていたケダモノが目を覚ました。


「……分かった、今日は容赦ようしゃしない。殺す気で抱くから覚悟しろ」

「ひっ!」


 リゼータが見せたき出しの獣欲じゅうよくに、小さな悲鳴を上げてメギルは後ずさる。

 しかし、この後に吹き荒れる快楽の嵐を妄想もうそうしたのだろう。恐怖を期待が塗りつぶし、メギルは興奮のあまり息を弾ませ、汗に輝く全身は赤々と火照ほてり、そのかおみだらにけ出した。

 かといって、過剰かじょうすぎる快感は激痛に似ており――それに怯えたメギルの弱々しい懇願こんがんが、しっとりとれた唇かられ出した。


「リ、リゼータ……頼む。最初は……優しくしてくれ」

「ダメだ。俺を本気にさせたお前が悪い。覚悟しろメギル」 

「ううっ……この女殺し。地獄に落ちろぉ…………あんっ!」


 メギルがベッドに押し倒され――耳に、ほほに、首筋に。愛撫あいぶの雨が降る。

 その淫靡いんびな雨音を皮切りに、狂宴きょうえんの幕が上がる――その時だった。



「……むっ?」


 リゼータがかすかな違和感を感じ取り、その動きを停止する。

 それは死線を幾度もくぐり抜けてきた戦士の直感だった。そしてその違和感は秒を追うごとに育っていき、やがてぬぐいようのない危機感へと姿を変える。


 寸前でおあずけを食らったメギルは、非常に不満そうな顔をしていたが――やがて異変に気付いたのか、はだけた胸元を隠しながら五感を研ぎ澄ませた。


 リゼータの対応は速やかだった。

 情事を即座に切り上げ、窓を開放して襲い来る異変の正体を探る。

 いつものよどんだ帝都の空気に、どこからかおぞましい風が流れ込んでいる。その吐き気をもよお瘴気しょうきを――腐った肉血と発酵した汚物のような臭い、金鉱物や動植物が焼けるような臭い、絶望と憎悪が渦巻く邪悪な思念――リゼータはよく知っていた。そしてそれを認めるのは、大きい勇気が必要だったが。

 リゼータは瘴気の根源を確かめるべく北天の彼方を睨み――やがて回答を得た。


「……メギル、落ち着いて聞け」

「ど、どうした? 何なんだ一体……?」


 不安げに尋ねるメギルには、いつもの毅然きぜんとした姿は無く、まるで寝惚ねぼけた幼子のようだった。

 だが、本当は彼女も勘付いている。しかし理性が現実を認める事をこばんでいるのだろう。それも仕方の無い事だろう。間違いなくこれから、数え切れない人間が無残なしかばねと化すのだから。

 それでもリゼータは――混乱するメギルの肩に、力強くてのひらを置きながら――はっきりと真実を告げた。


「もう間もなく魔獄獣災スタンピードが来る。愚図愚図してる暇はないぞ」


 目を見開いて息をむメギルだったが、肩にえられたリゼータの手をすがるように取ると、しばらく瞑目めいもくし――大きく息を吐いてから居住まいを正した。

 そして開かれた瞳には、強い意志が宿っていた。

 もはや狼狽ろうばいしていた面影は無く、そこにはギルド長として尊敬と畏怖を集める、威風堂々とした女傑じょけつの姿があった。


「すまん、無様な姿をさらしたな。それで、これからどうするかだが……リゼータ、お前の考えを聞かせてほしい」





 それから一時間後――はたして地獄の門が開いた。

 帝都中に警報がひびき渡り、城壁を破壊した黒き異形のモンスターたちは、手当たり次第に破壊と殺戮さつりくを繰り返し、止めなく被害を拡大し続けている。

 もはや人々は凱旋パレードの事など忘れ、いたる所で絶望の悲鳴を上げていた。


 そんな阿鼻叫喚あびきょうかん最中さなか、吹き荒れる雷雨の下を、疾風のように駆け抜けるリゼータの姿があった。

 メギルに空猫ノ絆スカイキャッツへの伝言をたくし、現在はひときわ瘴気しょうきい市街地方面へと向かっている。

 その目的は、速やかに歪蝕獣ツイスター首魁しゅかいを打ち倒す事にあった。


 一見は無秩序に暴れる歪蝕獣ツイスターの軍団ではあるが、その行動にはいくつかの法則があった。

 その一つが、歪蝕獣は首魁が討伐されると、進軍を止めて退却するというものだ。

 しかし言うはやすし、行うはかたし。大規模な獣災スタンピードの首魁ともなれば、金竜級の探獄者ダイバーが束になっても撃退することは難しい。

 大嵐をか弱き人間が打ち消そうとするようなものだ。全く現実的な手段ではない。


 ゆえに常人であれば、首魁を討伐しようなどと作戦を立てるものはいない。

 しかし――あえてリゼータはその選択をした。その理由は、もちろん被害を迅速じんそくかつ最小限で食い止めるため。

 だが、彼の真意は他にあった。


(今、帝都でまともに動けるのは空猫ノ絆おれたちだけ……つまり)


 不運な事に、現在の帝都の戦力は手薄となっており、最も頼りになるはずの神還騎士団セイバーズは、市民を救済する義務を放棄し、皇帝と有力者たちを護るべく黄金宮殿で籠城ろうじょうしている。


 次いで期待の出来る戦力としては、上級の探獄団だが、金竜級は空猫ノ絆スカイキャッツ以外は帝都から出払っている。絶体絶命の状況だが――大きく見方を変えれば、絶好機とも言えた。


(この獣災を収めれば、空猫ノ絆は確実に神還騎士になれるだろう)


 空猫ノ絆スカイキャッツだけで獣災スタンピードの首魁を単独撃破する。

 そんな圧倒的功績を得ることが、リゼータの真の目的だったのだ。

 むろんそれを聞かされたメギルは、声を荒げて大反対したが、成功時の結果を否定することは出来なかった。


 雷乱禁域サンダーガーデンを踏破し、大衆はおろか探獄者協会をも味方につけた空猫ノ絆だが、最後の最後に――皇帝や大司教の機嫌一つで――全てを台無しにされてしまう可能性があった。

 さらに言えば、リゼータはやはり罪紋者ざいもんしゃである自分が、最後まで足を引っ張るのではないかという不安がぬぐえずにいたのだ。


(入団を確実なものにする為に。ここで絶対的な功績を上げる……!)



 こうしてリゼータは、死地へと辿り着いた。

 より一層、勢いを増した風雨に曝されながら、半壊した時計塔の上から見下ろせば、瓦礫がれきに覆われた市街地跡に、いびつな翼を持つ醜悪な巨竜が咆吼いていた。


「なるほど千年級の歪蝕竜ツイストドラゴンときたか……全く……最悪で最高の獲物だな」


 それは協会が指定する脅威度の、最高値を超える怪物だった。

 もはや生きる天災とも言えるだろう。幾多の強敵を屠ってきたリゼータではあったが、今回ばかりは分が悪いと暗澹あんたんたる気持ちになるが、それでも仲間たちの夢を叶えたいという想いが、恐怖に凍り付いた身体に熱を起こした。


 リゼータは大きく深呼吸して精神統一すると、これから繰り広げられる戦闘について、頭の中でいくつもの展開を想定し、素早く戦術を組み上げていった。


「そろそろ、空猫ノ絆あいつらが来るはずだが……むっ?」


 後は仲間の集結を待つのみとなったリゼータだったが、眼下で異様な事態が起こっている事に気が付いた。

 あかい鎧をまとった女戦士が――勝ち目など全く無いにも関わらず――たった一人で歪蝕竜に立ち向かっていた。そしてすぐに、その理由に気付く。女はどうにかして、背後にいる子供たちをまもろうとしているのだ。


「……馬鹿な。あいつ死ぬぞ」


 か弱い子供を護りたい――その気持ちは分かった。理解もできる。

 だがこのままいけば、女も子供も間違いなく死ぬだろう。全滅は必至ひっしだ。

 女のたたずまいから察するに、その腕前は中々のように思えた。もし全力で逃走を計るならば、逃げ切れる可能性もあるはずだ。このままでは無駄死にではないか。

 だが女戦士は、断固として歪蝕竜の前に立ち、子供たちを護るつもりのようだった。


 リゼータの喉から、思わず「ふっ」と笑いが込み上げる。

 それは愚かとあなどるものではない。嬉しかったのだ。人間も捨てたもんじゃないと。

 その女戦士は――暗い絶望の世界で輝く、気高き魂をもっていた。


 本来であれば、仲間全員がそろってから、戦闘に突入すべきだった。

 だが、リゼータはその計画を破棄し、単独で戦う事に決めた。あの勇敢ゆうかんで情の深い女戦士を、このまま死なせるのは惜しいと思ってしまったのだ。


(……なに、あいつらが来るまでなら、一人でもどうにか持ちこたえられるさ)


 不敵な笑み浮かべると、リゼータは双剣をかかげ――天空から歪蝕竜ツイスタードラゴンに斬りかかるのだった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〈作者コメント〉

どうも。クレボシと申します。

少し長くなってしまいました。ラブシーンのせいだな。

応援・感想・評価などをつけて頂けると嬉しいです。

誤字脱字の報告もしていただけると助かります。

※タイトル(ABYSS×BLAZER)はアビスブレイザーと読みます。ブレザーじゃないですよ。

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