第48話
ご飯を食べ終えれば、父は帰りの準備を始めた。
と、言ってもほとんど手ぶらのようなもので、準備することなどなかった。
「大丈夫だよ。何か問題があったらすぐに連絡するって、わかってる。」
そこは玄関。扉は既に開けられている。だけど、まるで惜しむように会話が続いていた。
「体調にも気をつけるんだよ。こんな場所に住んでるんだから、少しでも異変を感じたら学校を休んででも安静にしてて。そして連絡して。」
「心配性だよ。小学生の頃から風邪一つ引いた事ないこと知ってるでしょ?」
「だからこそだよ。初めは免疫がなくてとてつもなく辛いんだよ。」
「……わかった。すぐに連絡する。」
そこで父の表情が微妙に変わった。瀬名は一段落ついたような雰囲気を感じた。だから口を開いた。
「夜道は少し危険だからね、町まで送るよ。」
そう言いながら足を靴へと延ばす。だが父は頭を軽く横に振りながら言った。
「そこまでしなくていい。」
「わかったよ。」
父の言葉に、瀬名はゆっくりと足を元の位置に戻した。
そうして安堵の息をそっと吐く。正直、行きたくなかった。汗をかきたくなかった。助かる。そんなことを考えながら言葉を続ける。
「スマホの充電大丈夫?」
「スマホ?」
父のその返事に、遠くの空を見上げながら言う。
「月明かりがあるけど、暗い時があるから。充電少ないなら懐中電灯持って行って。」
そう言いながら、浴衣の裾から懐中電灯を取り出し差し出す。これが出来るのが和服の良いところ。
今日は雲が厚い。景色としては素晴らしくはあるが、田舎道初心者的には何度か転びかける危険性がある。それほどまでにこの周辺は真っ暗だ。
「わかった。」
父は懐中電灯を受け取った。それを確認した瀬名は足を再び延ばし、靴を履く。そして前へと進んだ。その道すがら、振り向き父と向かい合いながら言う。
「出張は慣れた?」
それに父が追いつく。片手には灯った懐中電灯を持ち、足元を照らしながら。
瀬名は歩幅を元に戻した。
「場所が変わるだけでやる事は大して変わらないから。」
瀬名はまるで先導する様に、先へ先へと下り道を進んで行く。
この道は既に覚えていた。光がなくとも、道を踏み外すことは無い。
偶には父の方を振り返りながら言う。
「出張期間がどれぐらいかわかったりした?」
「わからない。最低でも半年はかかりそうかな。」
「頑張ってね。」
何やら会社の威信をかけた新規プロジェクトがなんたらと聞いた記憶がある。実に大変そうだ。
「父さんの方こそ、何かあったら連絡してよね。」
「大丈夫だよ。これでも大人だからね。」
「寂しくなったら電話してきてもいいんだよ?」
「……そうだね。週末ぐらいはしようかな。」
やっべ、余計な事言った…ま、いっ……電話きて反応できなかったら心配かけてしまうんじゃないか?まずいな。そういえばスマホもまだないな。まずいね。でも来週ってことならポポロロイが来るので大丈夫か。とりあえず、保険をかけておこうか。
「電話来ても取れなかったら折り返し連絡しようか?」
「…別にいいよ。その気になったらいつでも連絡して。」
「はーい。」
月1ぐらいにはした方が良いのかな。その方が今回みたいに突然現れたりはしなさそうだな。よし。
「それじゃ気を付けてね。」
野に降り立つ。すぐ側には自分で作った小屋があった。暗い。ちょっと電線引いて、小屋の天井に豆電球でも組み込んだ方が良いのかね?暇だったらやるか。
「それじゃあ。」
それだけ言って、父は歩き出す。瀬名はその背に手を振った。
今だけは、出張が終わってからの生活は考えないようにします。出張が終わればどうなるかなんて、考えたくない。少なくとも前のアパートは既に解約していて、ここから父が通勤するには遠すぎるのは確定だ。……考えたくねぇ…ええぃ、なる様になってしまえ。
想像通り辺りは暗い。だけど足元を照らす明かりが父の姿を映し出していた。
結局、父が振り返る事はなった。ま、この暗さでは振り返った所でまともに見える物もないだろうけど。
なんだが疲れた。だが温泉の余韻はまだ残っている。温泉最高。
瀬名はまずはと思い、PCの元へと向かった。そして返信を開始した。
驚いたことに底辺組からの連絡は落ち着いていた。
だがその落ち着き、いや静けさはほぼ毎日底辺通いをしていた小学生時代の頃の話であり、今ではありえない静けさだ。つまり、これは想定外の静けさだ。
ああ、そうだな。いやーな予感を感じる。
だが嫌な予感は感じないので放置だ。てかどうしようもない。
個人的に関係性を持っている野郎から最低限、例の女がどうなったかの報告すらないので、間違いなく何かしらの事が起こっているのだろうが、今は嫌な予感がしないので放置だ。
さてさて、関係者は誰となるだろうか?先の一件の延長戦か、それ以上の悪巧みをしているのか…悪巧み?あれは悪巧みなのか?……ふむ?
少なくとも、突然例の女がキングナイト!会いに来た!なんて現れる事はないだろう。
それはそうとロイさんからさっそく連絡があった。なんて辺りさわりのない挨拶だ。ちょっと敬語とか何とかを検索してみてから、文章を考え込み打ち込み、返信した。
そうしていると思い出した。示談金の紙どうにもしないまま帰ってしまっていたと。
とりあえず洗濯機に向かった。
想像通り、ポケットでぐちゃぐちゃになっているのを確認したので、そのままタオルの上に安置しておく。それ以外はカゴに移し、干しに行きそのまま家事へと進む。
そうすればやるべきことが終わる。
時間的余裕もあり、眠くはない。
なので倉庫へと向かった。
届けてもらった段ボールの中身を再度確認し、適切な位置に置く。そうして一つの作品を組み立てるようにゆっくりと丁寧に装飾していく。
これはオタク友達との会合で使う予定の物。だが期日までには余裕はある。だがそれは慢心していい理由にはならない。俺はエリートオタクでも限界オタクでもないので、素早く予定を消化していくのだ。
己の背丈以上のそれをじっくりと確実に装飾していく。
いつしか、疲労を感じ眠気を感じ始めた頃、後片付けを始め、寝る準備も始めて行った。
学校が始まる。
月曜日だというのに憂鬱感はなく、むしろ水曜日のような安定した雰囲気を感じていた。
そう感じるのは周囲の雰囲気も関係もありそうだ。
週も明ければ、新入生達は新入生という感じはなく、随分と学校は学校らしく染まっていた。
これは適応能力がすごいというのか、順応力というのか。一番最初に見かけた集団とは、また違った顔ぶれの集団を確認できる。
前世の記憶では1、2週間ぐらい、クラスの皆は黙って席に座っていた記憶があるのだが、それは高校の頃の記憶だっただろうか。少なくとも、自分はずっと読書をしていた記憶しかない。
……なんだか手持ちぶさただ。本が読みたい。うん、そうだな。本が読みたい。さすがに暇すぎる。もしも、を気にして暇を弄べるほど俺は大らかなではない。普通に持て余している。
本一冊程度の被害は目を瞑ろう。せいぜい千円だ。
時間は有限、そして良い本の借り場所も知っている。有効活用しなくては損。明日からは持って来よう。
時間が来ると、クラスの皆は席に座り、静かに先生を待っていた。
時計をしっかりと確認し、朝の会開始時間に合わせ、先生が来るまでには席に座っている。
どうやらしっかりと緊張感を持っていたようだ。
果たしてこれはこいつらが優等生だからやっているのだろうか、それとも先生が怖めな感じだからやっているのだろうか。聞こえてくる会話から予測すれば何となく前者だと思えるが、……半年後も過ぎればわかるだろう。こいつらが良い子ちゃんなのか、先生の威厳なのか、自分を良く見せているのか。
いつものように朝の会が始まる。
舌を上あごに押し付け欠伸を我慢する。俺は朝に弱かった。ついでに寒いのにも弱い。今が最も弱体化される時期。
欠伸という物は不思議だ。自然と出る。最低限口元を覆う癖は出来ているが、欠伸を我慢する癖がなかなかできない。ああ、今欠伸したら殺されるなと思った場合のみ、意識を保ち我慢ことができるが、それ以外は無理だ。
だが今回ばかりは、我慢する必要はなくなった。
なぜならば眠気が全て吹き飛んだからだ。
「保健室の先生の推薦があったので、瀬名を保健委員とする。そういう訳だ、すまないな。」
「えぇーーー」
衝撃の言葉が聞こえてきた。それとは別に誰かの落胆声が聞こえてくる。残念ながら前後の会話を聞いていないので流れは分からない。ただ前世でも見聞きしたことのない言葉が現れた。
「委員会に推薦なんて制度があるのですか?」
「私も初めての経験だ。」
それは制度自体はあるけど、初使用なのか、そんなこと全く関係なくては初めての経験なのか。よくわからない。後者だと思われるが。
いや、それがまかり通って良いのか?
そう思う瀬名の脳裏には、保健室での出来後を思い出していた。
改めて疑問を浮かべるが、それ以上言及されることは無く、その日の学校は終わった。
そう、学校が終わった。何とも呆気ない。
それはそうと衝撃的な言葉だった。まるで何かの前触れのよう。いや、絶対何かしらありそうだ。推薦する理由ってなんだよ。学校推薦じゃないんだよ。
そう思うが、買い物は順調に済んでいく。
これは食糧の買い出し。普段に比べれば一段と消費が少なかったので購入する量も少ない。全部、この学校指定のリュックの中に入る。
学校帰りに買い出しをすると、わざわざ買い物をしに出かけなくてよくなる。最高だ。この事実を発見した中学生は古今東西ここにしかいない……といいきれないのが現代の闇。なんか悲しくなってきた。この話は辞めよう。
一件すると、このリュックは見るからに重そうな感じに見える偏り具合と影を作る。まさしく優等生のカバンのように見える。未だに白シャツ一枚でいる状況も、相乗効果で優越感も出てきちゃったりする。
将来的に俺は制服を着崩したりするのだろうか?見た感じ、学校的には結構な人数が着崩しているように見える。新入生たる1年生ですら着崩しを確認できる。
ま、精々シャッツインアウトぐらいだろう。それ以外は知らない。
今日も学校が終わった。幸せである。俺は勉強する為に生きているのではない。ルンルン気分で歩いていく。なんだかカバンも軽く感じる。だけどもスキップが出来ない程度には重みを主張してくる。
そうしていると見つけた。クソガキだ。
だが過剰に反応することはない。
ひっそりと、壁に隠れる。チラリと一瞬だけ姿を再確認した後、進行方向を予測し素早く移動する。そうして一定の距離を保ちつつ、尾行する。
おのれクソガキ、見つけたぞ。
今の心境はそれだった。リュックの重みなんぞなんの障害にもならない。バケツ水をぶっかけられて十数日、この恨みを忘れたことは無いぞ。
瀬名は確かにクソガキを監視していく。小学校時代より鍛えた技術だ。都会に染まった騒がしいクソガキ如きに見つかる訳がない。うっひゃっひゃと気持ち悪い笑みも出かけるが、我慢する。
ガキ共が道路を駆け巡り行うその所業を確認していく。想像通り悪ガキだった。前回経験したバケツ水に比べればマシだが、ちょいイライラ程度のいたずらと分類することが出来る出来事が9つ、被害者が15者、被害者に一貫性はない。3学校分の制服、サラリーマン、老人だってお茶の子さいさい。反応的に常習犯。
最終的に、クソガキの住居を特定したのを最終備考として尾行は終わった。
さすがに今、事を起こす勇気はなかった。俺には、守るべき荷物がある。
瀬名はそっと背中に背負うリュックを見る。
その大半が果物であり、生ものだ。雑に扱う事も、そこら辺に放置する勇気はなかった。
ま、行動範囲も分かったし、今日はここまでとしておこう。
結局、夜になっていた。無駄に元気いっぱいである。おのれクソガキめ。
リュックの中からリンゴを取り出し齧る。
目に物みせてやる。
そう思うが、明確な処罰が思いつかなかった。一夜の恨みはたかが一夜の恨みでありながら、されども一夜の恨み。やらずに忘れるという選択肢はない。
だけども相手は一般人、いくらクソガキであれど一般人である。匙加減が難しい。
ハンムラビ法典に則るのならばバケツ水×2だが、バケツを準備するのも、水を用意するのも、持ち運ぶのもすっごく大変そうだ。
さてさてどうしたものか、そう思いながらリンゴを齧り取る。
そうして帰っていく。さすがに腹が減った。お昼ご飯なしというのは想像以上に大変だな……リンゴを昼ごはんに持っていけばよいのではないか?
リンゴ一個、お値段200以上300未満。
半分にカットしてタッパーに詰めれば実質お値段半額、しかも芯というか種も取り除けてお得。一食150円と仮定。ああ、素晴らしい。一食150円、7日で1050円と四捨五入で1000円である。
でもタッパーを毎日毎日洗うのめんどくさい…夕食終わりに一緒に洗って、新しいタッパーに詰めて冷蔵庫で放置で解決か。
そうだ、ラップがある。これでめんどくささ半減いや80%off。
正しく準備めんどくさい問題と、お値段問題を同時に解決しつつ、最低限腹を満たせる。
結論じゃね?勝った。
嬉嬉として明日実践してみようと、思いをはせる。そのままスキップしていたが、数分もすれば疲れていた。大人しく普通に走って帰った。
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