第37話

平均台と同等か、それよりも狭い塀の上を走る。偶にある障害物をハードル走のように軽々と跳び越えながら、完璧なまでにある安定感で進む。最後に道路を一つ飛び越え、向かいの塀へと飛び乗る。そして左へ進み、例の女の視界から外れる。


すぐさま右へ、家と家の隙間にある塀へと進む。更に左に右と、家と家の隙間を通り、逃げる。出来るだけ曲がりくねるように、出来るだけ遠くに逃げるようにと。


これからの問題点はたった一つ。

誰かに家の場所がバレることだ。


それが例の女にしろ、底辺組の誰かにしろ、それらでもない第三者だとしても。


俺の家があるのは山奥の中の山奥。周辺には何もない。そして家を守る唯一の盾は扉の鍵のみ。


もはや何をしてもバレない無法地帯だ。

家に帰ったら色々と細工しておこう。最低でも中に入ってきた相手が不幸になれるようにホームアローン式トラップは設置しておこう。


現状、もっともバレやすくて、バレても問題ないのは底辺組の誰かだ。


喜ばしいことに、相手も忍者オタクと同等の技術が無ければ、俺を追いかけて来ることは不可能だと断言できる。

そして俺の知っている限り、それと同等以上の技術も持つ者は9人もいる。


その内4人はどんなに頑張って撒こうとしても撒けるどころか、俺が気が付くことなく尾行できちゃうタイプの化け物だ。勝ち目はない。


だけども、底辺組の奴らのことだ。どうせ暇つぶしにピンポンダッシュしに来たり、面倒ごとに巻き込んだりする程度……普通にだるいな。玄関にフライパンを常備しとくか。


結局は、何とかなるのが底辺組だ。だから問題ないと判断できよう。

問題は例の女だろうか。


…いや、そこまで問題ではないのではないだろうか?

相手の目的は力自慢的な何か。先ほどの様子からも一方的に虐めてやりたいとは違うと思う。


ということは家の場所がバレても、家焼かれたり、空き巣されたりはしないだろう。せいぜい不法侵入ぐらいだ。


その場合は、にっこにこで「よー!また会ったな!!」的な喧嘩が自宅で始まるということか。


さすがにそこまで執念持たれると逃げることが意味を成さない。どこに逃げようとも地獄の底まで追いかけて来るタイプの人間だ。大人しくボコられよう。


徹底的に負け続けたら、勝手に向こうが失意してくれるはずだ。

あんな住みずらい山奥、不満だろうがなんだろうか数日もすれば帰りたくなるだろ。というか数週間もすれば、例の女を心配する周囲の人々が動き出すよな。


逆に、例の女が納得するまでお望み通りにするってのもありか。

数週間もすれば例の女を心配する奴らが動き出すのだ。それまでの奴隷生活……美少女の尻に敷かれる生活……わがままお姫様の召使…、悪くない。資金面さえ考えなければなかなか良い経験になりそうだ。


どんな生活になるかは知らないが、恐らく問題ないだろう。それ数日で終わるならばいざ知らず、数十日単位、つまり日常と同化し習慣となれば、それは苦にならない。


別に、底辺組が強制的に住み込み、共同生活になるだけだ。毎日が底辺組エブリデェイになるだけだ。

人間は3日で環境に適応するとも聞いた事がある。寝首を掻かれたりしない限り問題ないだろう。あと食事と睡眠と仕事を妨害されなければ問題ないな。


それにあそこは山奥だ。どんなに騒音を出し、一日中叫び散らかそうとも問題ない。……逆に問題だろ。近所迷惑という免罪符が使えない。


思ってる以上に問題がないな。唯一と言って良い問題は、相手がどこまでを考えているのかだろう。


でもそこら辺は本人かおやっさんに聞くしかない。

前者は無理。上記の通り、好き勝手にしろ。時間が解決してくれるだろう。後者は帰宅後鬼電すればいい。


そうなると問題は、例の女以外の面倒ごとを考えている奴らか。不確定要素だらけでありもするかわからない第三者。


相手の目的がキングナイトの確保など直接的な場合は考えなくていいだろう。それはどうとでもなる。


だが目的がキングナイトの自宅の位置を把握する場合は結構考えなくてはならない。

上記の通り、焼き畑、空き巣、闇討ち、何でもありな大問題だ。


そして何より問題なのは、相手がどこの誰かなのかがわからないこと。

底辺組なら責任取れと突撃すればいい。だが全く関係ない野郎にやられてしまったら責任取れとブチ切れることが出来ない。


なんとも卑怯な話だ。



キングナイトは道路を6つほど跳び越えた所で歩を緩め、歩く。そして静かに立ち止まった。そのままその場にしゃがみ込み、耳を澄ます。


追い掛けてくる音は聞こえてこなかった。聞こえてくるのは近くの建物からの発狂と煽情とパーティーゲームのSEが聞こえてくる…うるさいな。


キングナイトは立ち上がり、また走り出す。息は整った。


町中に関しては、ただ例の女に追いかけられないことだけを考えていればいい。

簡単な話だ。部外者が街中でやれることなんて何もない。


現在、底辺組は外出自粛している。そんな中、外でこそこそ動く怪しい影を見逃す訳がない。……その場合は底辺組がその怪しい第三者では?


ちょうどそこら辺に底辺組が住む家が町中にたっぷりとあるな。俺に気が付かれずに監視できるよな。


まぁとにかく、町中では例の女以外考えなくていいという事だ。そして町外も考える必要もなくなった。


その理由も簡単。町中には底辺組がたっぷりといる。つまりこの町は、俺にとって一番安全な町だ。この町中であれば何であっても情報は底辺組経由で耳に入ってくる。


逆にそれらが入ってこない状況で、キングナイトを尾行する方法となれば、俺は一つだけ思いつく。

町の外、森へ続く道。それらを監視できる場所に等間隔で人を置き、何処の方向へ行くのかを知り、追いかけること。


だけどもそれすらも問題ない。

現在の俺は、自宅がある方向とは真反対の方向へ逃げている。例の女が現れたその時から、安全面を鑑みて遠回りすることを決めていた。


遠回りをする、だけども早く帰りたい。双方の意見を取り入れると、帰路が過酷ルートになるのは必然。既に脳内では山を4つ通ることが確定している。


最初に言った通りに、俺に気づかれることなく、尾行するにはそれ相応の能力が必要だ。それは町中のパルクールほどの技術は必要ではないが、森の中だ。普通に生きているだけでは獲得できない技術が必要だ。


これで9割9分脱落させれる。


それでも気づかれることなく追いかけてくる残りの1分は諦めろ。どうやっても防げないタイプだ。フライパンを構えて立ち向かえ。


生憎とこの町の交通機関は都会的とは言えない。田舎的だ。逃げる手段はあまりない。


底辺組のお友達の所に行って車出せと脅しに行くのも手段かもしれない。だけども車は便利でありながらも不便だ。

物理的に人が目の前に現れれば、例えば例の女が立ちはだかって来ようものならば、止まらざるを得ず、車から逃げ出るラグで捕まってしまう。そうなってしまえば、もう一度撒いてから逃げるという二度手間になってしまう。


泊めろと言うのもありかもしれないが、明日も学校という問題がある。

まだ寝るには早い時間だ。目覚まし時計を早めにかけてもらい、叩き起こしてもらうのも手段かもしれない。


だが、お泊り会で底辺組が寝かせてくれる訳がない。次々と「お泊り会と聞いて遊びに来ました」と増援が来て、物理的に寝そべるスペースがなくなるに決まってる。

まだ帰った方が早く眠れる可能性がある。だから家に帰る。


さて、考えることは無くなってしまった。逃げようか。


そうだ、ベッドの側とお手洗い場と階段上と玄関に戦闘用にフライパンを常備するのを忘れないようにしないと。100均のフライパンで充分仕事してくれるだろう。




相変わらず塀の上を走りながら帰っていると突然声が聞こえてきた。


「ナイト~~!」


声がする方を見てみると、そこには見知った顔がある。逆に見知らない方が珍しいのだが。


それはとあるアパートの2階。右から2つめ、202号室。窓を開きこちらに手を振る黒髪の姿がそこにはあった。


呼ばれてしまったからにはしょうがない。ちょっと休憩しようか。


「匿って?」


こちらに手を振る存在にぎりぎり聞こえる程度の声量で言う。


「大丈夫、知ってる。」


知ってる?……まぁいいか。


疑問が残る言葉が聞こえてきたが、こいつらは嘘を吐かないタイプの信頼できる奴らだ。後で聞こう。


塀の上で立ち止まり、靴を脱いだ。その靴をその窓の中へ放り投げ、そこに全力で跳び込む。


ぎりぎりで窓の縁を掴むことができ、なんとか中に入り込むことができた。

掴むことを失敗していたら惨めに落下していただろう。そしてわざわざ玄関の方へ回らなければならなかった。本当に良かった。


窓から部屋の中に入って、最初にすることは窓を閉めることだった。続けてカーテンも閉める。そしてそのまま床に寝転がり一息つく。


「ナイスキャッチ。」


そう言うキングナイトの視界には、先ほど適当に投げたはずの靴を抱えた黒髪の少年が居た。

俺の後輩であり、現役小学6年生の山芽だった。


「いえーーい。」


山芽は片手でピースしながら嬉しそうにそう言った。相変わらずもう片方の腕で靴を抱えたままだった。……靴は汚いから置いた方が良いよ。


「ほい。」


体を起き上がらせながら手を黒髪の少年の方へ伸ばす。指先を上に向け微妙にピースしながら黒髪の少年の方へ伸ばす。


「いぇーーい!」


山芽は更に嬉しそうな声を出しながら、キングナイトが伸ばしたその手にピースした自分の人差し指と中指を重ねた。かわいいかよ。…いや、そうじゃない。


「いや、靴。靴頂戴。」


「そう?はい、これ。」


山芽から靴を受け取る。伸ばした人差し指と中指で踵を掴み持ち上げる。そして靴底を天上に向けて窓の側の床に置いておく。多分帰る時も窓から出るだろう。


「やっぱ、服汚れてるじゃん。」


山芽の方を見ると、やはりと言うべきか。砂のような明るい茶色で服が少しだけ装飾されていた。


「あ、ほんとだ。着替えてくる。」


そう言って当たり前のようにタンスから着替えを取り出していた。…今度、袋単位で飴ちゃんを渡そう。


そう離れていく山芽とは入れ替わりで灰色の髪をした少年がコップを持ってきていた。


「お水。」


「お、ありがと。」


受け取りながら感謝の言葉を述べた。それに対し、灰色の少年は静かにうん、っと頷いた。


やさしい。気づかい完璧だ。きっと将来モテるだろう。


一息で水を飲み干し、ふぅーと息を吐き出す。更に一息ついたところで口を開いた。


「学校で事件とか起こっていないか?大丈夫か?」


彼もまた、国光小学校の一員。キングナイトは気になっていたことを聞いた。ちなみにこちらも小学6年生の後輩君、真葵だ。


小学校の親しい先生から助けてナイト君コールされていないので、よっぽどの問題児はいないと思うし、低学年に濃い奴がいた記憶が無いので大丈夫だとは思うが聞いておく。


もし、親しい人が虐められているならば、俺は突撃しなければならない。一定ラインを越えたクソガキがいるならば、親しい友に飛び火させないように、教育しなければならない。


「うーーん……昼休憩にやーくんが2階から飛び降りて先生と追いかけっこしたぐらいかな。」


そのやーくんとやらが誰かは知らないが、なかなかやるではないか。最近起こった問題がその程度ならば、問題ないだろう。


「あ、そうだ。」


突然、山芽が声を上げた。なんだ?と二人してそちらに視線を送ると、まだタンスを漁っていた。相変わらず漁りながらこちらを見て、少し甘えたような声で喋りだした。


「ナイト~~ご飯作ってくれない?」


「突然だな。」


「今日はまだ晩御飯食べてないんだ。真葵もナイトが作ったご飯食べたいよね?」


「うん、食べたい。」


その返事は少し、食い気味に答えられた。そんなに食べたいのか。


チラっと時計の方を見てみると、その針は9時を少し超えた位置にあった。

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