第2話
顔合わせの日、知的な雰囲気をまとった美青年の姿に心をときめかせたのも否定しない。だが、二人きりになった時、ヴィルジールはにべもなく言い放ったのだ。
『商売をするうえで大事なのは信用だ。アルブレヒト伯爵家の名前があれば仕事がしやすくなる』
ブリザードのような言い草に、私の心に咲きかけた花はたちまち萎れた。
『あなたは……自分のために私たちの家を利用するのですか?』
『俺が声をかけなければ一家全員路頭に迷っていたんだ。もっと感謝してほしいな、ミネットちゃん』
馬鹿にするような呼び方に、怒りで顔が熱くなった。
「両親や使用人の方たちのためですもの。今更結婚を拒んだりしませんわ! でも、あなたとは家族にはなれない。形だけの結婚ということにしてください」
十三歳の少女がぷんすかと頬を膨らませる様子は、さぞかし幼く映ったのだろう。ヴィルジールはしばらく笑いを押し殺して後ろを向いて肩を震わせていた。その様子がますます腹立たしい。
やがて気が済んだのか、彼がくるりとこちらに向き直る。
『わかった。俺だって子供に手を出すほど女に飢えてないからな』
貴族らしくない軽口に、私は軽蔑の念を込めて眉をひそめた。
『だが、商売の邪魔はしてほしくない。外では仲のいい夫婦を装うこと。家庭円満をアピールした方が相手も心を開きやすいからな』
『どうぞお好きなようになさって。でも家では話しかけないでください。寝室も別で』
『仕事の時間が不規則だから、その方がいいだろう。じゃあこれからよろしく、俺のかわいい奥さん』
ただ単に由緒あるアルブレヒト伯爵家の名が欲しかっただけ――
一目惚れ、とか運命だとか、少しでも恋物語を期待した私のばか!
彼を無視し続けることが自分なりの抵抗手段。
両親がいればなんとかやっていける、そう思っていたのに、二人は事故で還らぬ人となってしまった。
一年間の喪が明けても悲しみに沈む私を、ヴィルジールは強引に夜会に連れ出した。はじめはひどい人だと思っていた。一人にしてほしかった。
だが外に出れば、嫌でも仲のいい夫婦の仮面をかぶらなければならない。何度か出席するうちに意地になって、円満な夫婦を完璧に演じてやろうという気になった。もともとお芝居は好きだったから。
食事にも気を遣い、湯浴みの時には念入りに肌を磨いた。ピンクブロンドは艶が出るまでしっかりとブラッシングした。
偽りの笑顔、嘘の温もり、他人をも欺く甘い言葉――うっかり胸がきゅんとなってしまいそうになるほど、ヴィルジールもなかなかの演技派だ。
私だって、媚びない程度のぎりぎりのラインを責め、初心でいじらしくかわいらしい妻を目指してきた。最初は恥ずかしかったけれど、それが自然と行動にうつせるようになってきた。
演技力が向上したとか、慣れという話ではない。
いつしか夫と過ごす時間が、心から純粋に楽しいと思えるようになっていたのだ。たとえ本心でなくても大切に扱われるのが嬉しかった。胸の奥が温かくなってくすぐったい気持ちになる。彼のことが好きだと自覚するまで少しもかからなかった。
だが、自分から形だけの夫婦と突き放しておきながら、好きになったからやっぱり仲良くなりましょうと言うのは都合がよすぎるでしょう?
今更、本当の夫婦になれるはずがない。
愛のない結婚だと思っていたのに――
「明日はティアム侯爵閣下の夜会に呼ばれているから、早く休むんだぞ」
「わかっています」
馬車の中、急に現実に引き戻され、ぼそりと気のない声を絞り出す。
社交の季節になると、貴族たちは王都にあるタウンハウスで過ごすことが多い。
やがて、なだらかな丘の上にあるアルブレヒト伯爵家のタウンハウスに到着し、会話もここまでだ。
その線引きをしたのは私自身なのだから、早々に部屋に引き上げる彼を呼び止める権利はない。
翌日、レースとフリルがたっぷりあしらわれたシャンパンブルーのドレスを着て、ティアム侯爵の屋敷を訪問した。
二人での挨拶が済むと、たいていヴィルジールは他の招待客のもとに商談を交えた世間話をするために離れていく。仕方なく私は他の招待客と一緒に、あまり興味のない流行服の話に相槌を打っていた。
侯爵家には大勢の客がホールに詰めかけ、廊下にも人が溢れているような状況だった。
「少し外の空気を吸ってきますね」
そう告げて世間話の輪からはずれると、解放された中庭に向かう。他人の家を勝手に歩き回るのは常識的ではないと思いながらも、一人になれる場所を求めていつの間にか奥の方まで来てしまっていた。
「……夫婦をやめたいんです」
ふいに生け垣の陰から密やかな声が聞こえてきた。どきりとしたのはそれがヴィルジールの声だったからだ。
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