結婚５年目の仮面夫婦はそろそろ限界です!?

第1話

　春――それは華やかな社交の季節の始まり。

　私――ミネット・エル・アルブレヒトは、古くから王家に仕える由緒あるアルブレヒト伯爵家の娘として、惜しみない愛情と教育を受けて育ってきた。社交デビューをしたら素敵な男性と出会って恋仲に……なんて淡い夢を抱いたこともある。

「では今夜はこの辺りで失礼させていただこうか、ミネット」

　耳に心地いい低音の柔らかい声が、私のピンクブロンドにふわりと落ちる。そちらを仰ぎ見れば夫であるヴィルジールの完璧な微笑があった。

「ええ……ご招待いただき、ありがとうございました」

　にっこりと口角を上げ、夜会の主催者である公爵夫妻に向き直った瞬間、夫にぎゅっと肩を抱き寄せられた。

　オフショルダーのすみれ色のドレスは今夜の為に仕立て上げられた特注品で、わずかに彼の指先が肌に触れ、その体温にどきりとする。

「ふふ。いつもながら仲がよろしくて羨ましいですわ」

「またお会いできる日を楽しみにしております」

　挨拶を交わす間、私たちの顔から笑みが消えることはない。

「アルブレヒト夫妻は、結婚して五年も経つのにまだまだお熱いわねえ」

「あれだけ見目麗しく聡明な方に愛を囁かれたら断る理由なんてありませんもの」

「今日のドレスも遠い異国で織られた特製の生地で仕立てられた物なんですって。わざわざそこまで手をかけて下さるなんて奥様が羨ましいわ」

　周囲から噂好きな貴婦人たちの会話が耳に飛び込んでくる。

　全部聞こえているわよ。

　心の中でため息をつきつつ彼女たちに笑顔で軽く会釈しながら、ヴィルジールと共に公爵邸を後にする。

　馬車に乗り込み、ゆっくりと車輪が動き出すと、ふっと私は顔から笑みを消した。

「そのドレス、好評だったようだな。買いつけの話はついているから来月には王都の店にも並ぶだろう」

　はす向かいの座席に腰かけた夫は、私の方を見て満足そうな笑みを浮かべる。美の女神さえひれ伏してしまいそうな均整の取れた面立ちは、どれだけお金を積んでも手に入れられない至宝だ。

「それはよかったですねー」

　棒読みで返答し、肩をすくめた私は美の化身から顔を背ける。

　貴婦人たちの噂話には尾ひれがつくものだが、ヴィルジールの容姿に対する評価には同意せざるを得なかった。

色気をまとった艶のある真っ直ぐな黒髪に、蠱惑的な二重瞼の青い瞳、鼻筋は高く通っていて、引き結んだ唇は薄く理知的。

　すらりと伸びた背はミネットの頭一つ分を余裕で越える。どんな衣装もきっちりと着こなし、優雅な物腰で、紡がれる声は甘いテノール。夜会に赴けば誰もが振り向く麗姿だ。

　対するわたしは特に自慢できるようなものは持っていない。顔立ちは平凡で中肉中背、胸も成長期から止まってしまったのではないかと心配になるほど小さい。

　そんなわたしがヴィルジールに選ばれたのには理由がある、今から五年前のことだ。

　かつてこのエーシオン国は戦争が絶えなかったが、近年は穏やかな時代が続いている。交易も盛んになり、裕福な商人も増えた。多額の税を王家に納めて爵位を得る者も出てきた。伝統を汲む上流貴族たちからは成り上がり貴族と呼ばれ、卑しき者として煙たがられていた。

　ヴィルジールもその一人だった。巧みな話術と恵まれた容姿、次に流行すべき商品を見つけ出す――いわゆる先見の明をもっていて、他国との貿易や多種の店の経営を担い、若くして子爵の位を国王から戴いていた。

　そんな折、私は父から信じがたい言葉を聞くことになる。

『ミネット。お前の結婚相手が決まった』

　冗談を言っているのかと思った。だが父の顔は真剣そのもの、というより苦渋に満ちた表情をしていた。

　聞けば、近年の商売ブームに乗じて起業したい者に金を貸したはいいが、踏み倒されて夜逃げされたり、父自身も投資に失敗したりして、借金とその利息が膨れ上がっているのだという。

『それと、私の結婚がどういう……』

『悩んでいたところに、ヴィルジール・シリングスという若者に声をかけられてな。二十二歳という若さで子爵の位を自ら得た者だ』

　聞いたことのない名前だったが、なんとなく父の言いたいことが感じ取れた。

『子爵といっても、今のアルブレヒト家よりも資産を持っている、しかも一代でそれを築いたというのだから間違いのない才覚をもっている男だ。彼が我が家を援助してもいいと言ってきたのだ。ただし条件が一つあって――』

『私と結婚する、というのね？』

『ああ、そうだ。すまない、ミネット。ヴィルジール卿にはアルブレヒト家を継いでもらうことになるだろう。だからお前は家を出る必要はない。それだけは安心してくれ。何かあれば私やお母さんもついている』

　私に兄弟はいない。いずれ自分が爵位を継ぐか、他家に嫁ぐことになればこの家は親戚が継ぐことになるだろうと思っていた。

　それが突然の婿入りの話だ。慣れ親しんだ家から離れることなく、両親や気の知れた使用人とも一緒にいられる。夫となる男は援助を申し出るくらいだから親切な人間なのだろう。

　ヴィルジールは九つも年下の私のどこに惹かれたのかしら？

　まさか一目惚れ、とか？

　素敵な人だといいなあ。