第38話 ヒダル神 3/3

「それで、大豆はどうするんです?」

「こいつはな、こうするんだ」


 リョウコは何キロもある大豆を、フライヤーの中に沈めていく。

 パチパチと油が弾ける音が、給食室に一斉に響き渡った。


「低温で10分ぐらい揚げると、カリカリのスナック菓子みたいになるんだよ。今回のカレーは肉も具材もねえからな、これで食感にアクセントを加えようって寸法よ」

「あ、そういえばお肉使ってないですね。どうしてです?」

「おう、これよこれ」


 トウカはリョウコが差し出してきた紙束を見る。

 そこには生徒の名前とともに、様々な食材が書かれたリストが掲載されていた。


「これはアレルギーの一覧表?」

「おうよ、生徒さんが持ってるアレルギーをまとめたもんだな。肉のアレルギー持ちがいたから、肉は一切使ってねえ。小麦粉のアレルギーもいたから市販のカレールーも避けたってわけだ」

「食材をぜんぶペーストにしたのは?」

「そっちは単純に好き嫌いへの対策だな。ニンジンが嫌いだの、じゃがいもが苦手だのって言って器用に残す子どもは結構いるだろ? ぜんぶ形をなくして煮込んじまえば、そんな心配もなくなるってえわけだ」

「なるほど、いろいろ考えてるんですねえ」

「メシ屋が料理のことを考えねえでどうするってんでえ。お、よし、いい揚がり具合だな」


 濃いきつね色に揚がった大豆を、フライヤーから引き上げる。

 油を切ったら塩コショウを軽く振って味をつけた。


「むふー、香ばしい匂いがしますねえ」

「はいはい、せっかくだから揚げたてを味見してくんな」

「やったー!」


 リョウコは小皿に大豆の素揚げを少し取り分け、トウカに差し出した。

 トウカは大喜びでポリポリとそれをかじる。


「歯ごたえがとってもいいですねえ」

『酒の肴にもよさそうじゃなあ』


 ヒダル神もしれっと大豆に手を伸ばし、ポリポリとかじっている。


「カレーの仕上げもバッチリだな。よしっ、こいつを校庭で配るぞ!」

「はーい」


 * * *


「わあ、食べやすくておいしー」

「優しい口当たりのカレーねえ。こういうのひさしぶりに食べたわ」

「カリカリのお豆がお菓子みたい!」

「大豆の素揚げかな? 懐かしいなあ、カレーにも合うんだねえ」

『ふむ、カレーというのははじめて食べたが、なかなか美味いものじゃのう』


 リョウコたちは、学校から長机を借りてそこでカレーを配っていた。

 児童もその父兄も、誰一人残らずカレーに舌鼓を打っている。ヒダル神もしれっとそこに混じってカレーを味わっていた。


「辛味が足りねえって人は一味唐辛子を振ってくれなー」

「ガラムマサラとかじゃないんです?」

「単純に辛味を足すだけなら一味が一番よ。っつーか、配合にもよるがガラムマサラは案外辛くないやつが多いんだぜ?」

「へえ、そうなんですね。じゃあ私は一味をたっぷりかけていただきます!」

「オメェ、意外と辛いもん好きだよなあ」


 トウカはカレーにバサバサと一味を振り、ぽたぽたと汗をかきながらカレーを貪っている。


「むふー、甘口のカレーに一味、複雑な味になっておいしいですねえ」

「で、ヒダル神さんの方もこれで成仏できそうかい?」

『儂、一応神様じゃから成仏とかそういうのではないんじゃが……。せっかく下界に来たんじゃから、もっと色んなものを食べてみたいのう』

「ほー、そうか。それならよ、こういうのはどうだい?」


 リョウコは悪い笑顔を浮かべると、ヒダル神にそっと耳打ちをした。


 * * *


 その晩の間田木食堂には大勢の客が詰めかけていた。


「この店の前に来たらなんか急にお腹が空いちゃったんだよなあ」

「駅前でラーメン食べたばっかりなんだけど、なんか無性に腹が減って」

「今日はよく働いたからなあ。いつもの弁当じゃ足りなかったかな?」


 客たちは、口々にそんなことを言いながら大盛りばかりを注文している。

 客入りもよく、客単価も高い。夜営業の売上だけで、通し営業のとき並の売上が立っていた。

 リョウコは忙しく包丁を振るいつつも、積み上がる売上に笑いが止まらない。


「ひひひ、忙しいぜ。トウカに手伝ってもらって正解だったな」

「むうー、でもこういうのっていいんですかねえ」

「まあまあ、バイト代はしっかり弾むからよ。トッピング全載せの超豪華辛口カレーなんてどうよ? エビフライに、とんかつに、唐揚げに、ハンバーグに、野菜の素揚げをつけても旨いよなあ」

「むむむむ、し、仕方がありませんね。そ、そもそもヒダル神さんを山に返すための除霊行為の一貫ですから! カレーにつられたわけじゃないですよ!」


 大幣を振り振り、トウカは誰ともなしに言い訳をした。

 しかし、その口の端からはよだれが垂れており、説得力はまったくなかった。


『次はこの、スタミナ炒めというのが食べてみたいのう』

「あいよっ! スタミナ炒め一丁!」


 カウンター席の一番奥で、あれこれと食べているのはヒダル神だ。

 ヒダル神の妖力が漏れ出ているせいで、間田木食堂に近づいたものは空腹に襲われてしまうという仕掛けだったのである。


『あれー、なんかお腹が空くなあって思ったらヒダル神先輩じゃーん』

『ぽ、ぽぽぽ』

『メリーさんちゃんと八尺様ちゃんか。ひさしぶりじゃのう。ほれ、こっちで一緒に一杯やらんか。今日は店主さんが奢ってくれるそうでのう』

『あー、やけに混んでると思ったらそういうことね。店長もなかなか悪知恵が回るじゃない』

「へへへ、まあ、昼間大仕事をしたんでね。これぐらいの役得もあっていいんじゃねえかと」

『転んでもただでは起きないというやつじゃのう』


 間田木食堂。そこは悪霊のみならず、妖怪や都市伝説も集う定食屋。

 常連客もすでに異常事態に慣れきっており、怪異がカウンターの端で飲んでいること程度のことなど、もはや気にする者もいない不可解な店である。

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