第36話 ヒダル神 1/3

 天高く馬肥ゆる秋。

 晴天の青空に、ポンポンと軽やかな音を響かせて、花火が白い煙を上げる。

 今日は商店街最寄りの小学校で運動会があるのだ。その商店街の一角、間田木食堂では弁当作りに勤しむ女主人、間田木リョウコの姿があった。


「あれー、今日はランチ営業はやらないんですか?」

「おっ、トウカか。いいところに来たな。今日は運動会向けの弁当作りで手一杯だからよ、昼営業はお休みだ。ほら、好きな弁当やるからちょっと手伝ってくれ」


 そこへやってきたのは巫女服姿の少女、稲荷屋トウカである。

 なんやかんやと理由をつけて、間田木食堂にしょっちゅう顔を出している新米の除霊師だ。


「なんか私、ほとんどバイト扱いになってないです……?」

「まあまあ、いいじゃねえか。この『デラックス特製のり弁』なんかイチオシだぜ。白身フライの真ん中にチーズソースを挟んでてな、冷めてもとろりとしてるんだ。海苔の下には明太子と昆布の煮物、それとおかかを三色に敷いてある。他のおかずも豪華だぞ。磯辺揚げに、唐揚げに、ひとくちヒレカツ、厚焼き玉子に――」

「むっふー、そんなこと言われたら断れないじゃないですか!」


 トウカはよだれを垂らしながらキッチンに入っていく。

 リョウコの指示に従って、出来上がった惣菜を弁当箱へ詰め込んでいった。


「昼前までに仕上げたら、小学校まで配達だ」

「へえ、宅配までしてるんですね」

「おう、予約もあるからな。んで、残りは現地で場所を借りて売っちまおうって算段よ」

「よく学校が許可してくれましたねえ」

「あっしは卒業生だからなあ。それに、最近は共働きの家ばっかりで弁当を作る暇もないってんで、営業に行ったら喜んで許可してくれたぜ」


 山ほどの弁当ができたところで、それをプラスチックコンテナにしまってワゴン車に積んでいく。

 いつかトウカを連れて釣りに行ったときと同じ車だ。後部座席が取り払われており、収納スペースがたっぷり取れるよう改造されている。リョウコはこれを、配達や仕入れにも使っていた。


「売り子も手伝ってくれたら、こっちの『カルビたっぷり焼肉ビビンバ弁当』もつけていいんだがなあ。コチュジャンとヤンニムでピリ辛に仕上げてあってな。ナムルはもちろん自家製。キムチは商店街の焼肉屋から分けてもらった手作りで、酸っぱさと辛さのバランスがたまんねえんだよなあ」

「はいはい、ここまで来たら乗りかかった船ですよ。手伝いますって。でも、お弁当は3つもらいますからね!」

「抜け目がねえなあ。ま、好きなのを選んでくれや」

 

 こうして、トウカとリョウコは間田木食堂を出発した。


 * * *


「どうなってるんですか、これ……?」

「あっという間に売れちまったなあ」


 小学校に着くと、大勢の子供たちとその父兄に囲まれて、息をつく間もなくすべての弁当が売り切れてしまったのだ。トウカがもらうはずだった弁当すら残っていない。

 リョウコたちが弁当売場を片付けていると、ひとりの中年女性がやってきた。


「リョウコちゃん、まだお弁当の残りない?」

「おっ、山田先生じゃねえか。ひさしぶりっすねえ。悪りぃけど、ぜんぶ売り切れちまったよ」

「嘘……嘘でしょ……? そんなこと言って、隠してるんじゃない?」

「商売でやってんだ。隠すわけがねえでしょうが」

「そう、そうよね。私、なに変なこと言ってるのかしら……」


 この女は小学校時代の担任だった。

 ふくよかな体型をしているのだが、頬はげっそりとこけ、目は落ち込んでいる。その場で2歩、3歩とたたらを踏むと、膝から崩れ落ちてしまった。


「うう……ひもじい……ひもじい……」

「おいおい、先生。大丈夫かい!?」


 リョウコは慌てて肩を貸すが、その身体には力が入っておらず、目にも生気がない。


「大丈夫か? 救急車呼ぶか?」

「それより……ご飯を……」

「おいおい、そんなに腹が減ってんのかよ。ちゃんと朝飯は食ったのかい?」

「朝も、お昼も食べたのに……いくら食べても……お腹が空いて……」

「リョウコさん、これは悪霊の仕業です!」


 トウカは懐から大幣おおぬさを抜くと、女教師の頭上でバッサバッサと振るった。

 すると、女の顔にわずかに血の気が戻り、かろうじて自分の足で立てるようになった。


「また悪霊かよ。今度は一体何だってんだい?」

「まだわかりませんが……事態は予断を許さなそうですよ」


 トウカが大幣で校庭を示す。

 するとそこには、あちこちでぐったりと倒れている児童や大人たちの姿があった。


「ま、まさかアレじゃねえだろうな……」


 その様子を見たリョウコが、顔を真っ青にして震えている。

 これまでリョウコは、悪霊どころか真祖吸血鬼や神霊、宇宙人に会ってもまるで動揺しなかった。こんな風にうろたえる姿を一度も見せたことがないのだ。

 まさか、何かとんでもない大悪霊なのかと、トウカは恐る恐るリョウコに尋ねる。


「リョウコさん、この悪霊に何か心あたりがあるんじゃないですか……?」


 リョウコは、ごくりと生唾を飲み込んで、かすれる声で言った。


「しゅ、集団食中毒じゃねえのか……? も、もしうちの弁当が原因だったら、営業停止からの廃業コースまっしぐらじゃねえか!」

「そっち!? 悪霊って言ってるじゃないですか!」

「O-157とかサルモネラ菌の悪霊だっているかもしれねえじゃねえか!」

「そんなのはいませんって! ……あれ、いないですよね?」


 リョウコと知り合ってから、トウカは己の想像を超える存在に何度も出会っている。

 精神を持たない細菌の霊など存在するはずがない……と思っていたが、ひょっとしたらひょっとするかもと疑ってしまう自分がいた。

 トウカはそんな疑念を頭を振って追い出し、祝詞とともに大幣おおぬさを振るう。


「祓い給え清め給え、悪霊よ、その姿を現せ! 破ァ!」


 校庭を、一陣の風が吹き抜ける。

 するとぐったりした人々の身体から黒い靄が発生し、それがひとところに固まって何かを形作っていく。


 それは、灰一色の着物を着ていた。

 それは、薄汚れた灰色の手ぬぐいを被っていた。

 手ぬぐいで頬かむりをしたその顔は真っ暗で、顔を見通すことは出来ない。

 ただ、ただ、暗い穴がそこにあるかのように見えた。


「これは……ヒダル神ですね!」


 トウカは、大幣おおぬさを構えて悪霊に対峙した。


「おっ、なんかわかんねえが食中毒菌の悪霊じゃねえのか!」


 リョウコは拳を握ってガッツポーズを決めた。

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