第35話 生馬麺 2/2
「だいたいよう、あんたはサンマが嫌いなのかい?」
『イヤ、スキデス。オイシイデス……』
黒い靄が、カウンターに座って焼きたてのサンマをつついている。
どうやって座っているのか、どうやって箸を使っているのか、食べたものはどこに消えるのか、トウカにはどれもわからなかったが悪霊はとにかくサンマの塩焼きを味わっていた。
「わかんねえと言えばよう、ラーメンだ。なんでサンマの塩焼きとラーメンを一緒に食べたかったんでえ?」
『イヤ、チガウンデス。ソウジャナクテ、モット、ベツノモノガ食ベタカッタハズナンデスケド……』
「むうー、この悪霊さんはどうも生前の未練がはっきりしないようですね。そのせいで、姿もはっきりしないのでしょう」
三人で顔を突き合わせながら――悪霊の顔はわからないが――相談をはじめる。
「あんた、ラーメンマニアだったりするかい? サンマを鰹節みたいにしたサンマ節ってもんがある。かなり珍しいもんだが、それで出汁を取ったラーメンを食ったとか?」
『イエ、ラーメンハスキデシタケド、マニアトイウホドデハ……』
「そんじゃあ具材にサンマを使っているとかか? そんなのはちょっと聞いたことがねえが……」
リョウコの脳裏に浮かんだのは京都のニシン蕎麦である。
甘く煮付けたニシンをかけ蕎麦の上にドンと載せたものだが、それをサンマとラーメンに入れ替えたような料理があるのではないかと予想したのだ。
『イエ、具材ハ、モヤシヤ、オ肉ダッタトオモイマス……』
「もやしに肉……あっ、なるほど! それで、スープにとろみはあったかい?」
『ハイ、トロリトシテ、アツアツデシタ……』
「おうおう、そんなことだったかあ。ちょいと待っててくんな。いま作ってやっからよ」
「えっ、リョウコさんいまのでわかったんですか!?」
「こちとらメシ屋のプロだぜ? こんだけヒントをもらってわかんねえことがあるかよ」
そう言うと、リョウコは出汁を小鍋に取り、それに醤油、酒、普通の酢と黒酢、鶏ガラスープのもとを加えて火にかける。ふつふつとしてきたら一旦火を止めた。そこに水溶き片栗粉を流し入れ、全体をぐるぐるとかき混ぜる。
「片栗粉は沸騰してるところに入れるとあっという間に固まってダマになるからな。火を止めて、沸騰がおさまったところで入れるのがコツだぜ」
続いて小さなボウルに玉子を割り、菜箸でよくかき混ぜる。
それから再び鍋に火をかけ、沸騰してきたらお玉でかき回しながら玉子を細く垂らしていく。注がれた玉子がゆらゆらとスープを泳ぎながら糸のように固まっていき、全体にふわっと広がっていった。そして仕上げにラー油を一回し垂らす。
「お待ちどお。まずはこいつから食ってみてくんねえ」
リョウコは出来上がったスープを椀によそり、レンゲをつけて二人に差し出す。
巫女服の少女と悪霊は、並んでそれを一口啜った。
「むふー、酸っぱ辛くて不思議な味です!」
『タマゴ、フワフワ……デモ、コレジャナイ……』
「えっ、違うんですか!?」
「ははは、すまねえな。これはひっかけ問題よ。これは
「むうう、それがどうしたんですか?」
「まあ、答え合わせはちょっと待ってくれや」
と言うと、リョウコは再び調理にかかる。
今度は酢も玉子も入れず、出汁に鶏ガラスープの素を加えて煮立たせる。そして丼に特製のかえし(醤油をベースとしたタレ)を入れ、中華麺を茹ではじめた。
そして中華鍋を火にかけると、もやしと刻んだ野菜を入れて一気に炒める。野菜に油が回ったら、一度火を止め、作りかけのスープと水溶き片栗粉を加えて混ぜながら、全体にとろみが付くまでひと煮立ちさせた。
それはひとまず置いておき、次に残ったスープを丼に入れ、タレを溶かす。
ピピピ、ピピピとタイマーが鳴る。
流れるような動きで平ざるを操り中華麺を湯から引き上げ、ぱっぱと湯切りしていく。本職のラーメン屋も真っ青な見事な手さばきだ。それを2つに分けて丼のスープの中に優しく沈めていく。
仕上げに先ほど作った野菜炒めの餡をとろりとかけたら出来上がりだ。
「お待ちどお。間田木食堂特製『サンマーメン』だ」
「えっ、サンマなんてどこにも使ってないのに?」
「いいからいいから、御託は後回しにして、熱いうちに食ってくんねえ」
トウカは疑問に思いつつも、目の前で湯気を立てるラーメンの魅力には抗えずに箸を伸ばす。
麺をつまむと、とろりとした餡が絡みついてつやつやと光った。それを口に運ぶと、なめらかな触感が舌を撫でる。和風出汁ベースの醤油スープが優しい味わいだ。
次は野菜だ。
とろとろの餡に包まれた、シャキシャキに炒められた野菜の爽やかな歯ごたえ。もやし、キャベツ、きくらげ、薄く切られたニンジンに、豚バラ肉。餡だけでも一品料理としてじゅうぶん通用する味わいである。
「むふー、とろりとした餡とさっぱりしたお醤油のスープの組み合わせがたまりません!」
「おう、食べごたえもバッチリで、身体も温まるだろう?」
『コレ……コレ……これです!』
サンマーメンを一口啜った悪霊から黒い靄が霧散し、中から人の姿が現れた。
しかし、一口ごとにその姿は変化する。はじめは若い勤め人風の女だったものが、老女になり、老人になり、はたまた若い男の学生へと移り変わっていく。
『サンマの麺とか、サンラー麺とか、なんだか混ざっちゃって、よくわからなくってもやもやしてたんですよ』
「おう、サンマーメンとサンラータンメンは間違いやすいよな。サンラータンメンはサンラーメンとかスーラーメン、スーラータンメンって呼ばれることもあるから余計にややこしい。あっしも横浜で何箇所か食ってきたが、たまにサンラータンメンにあんかけを載せる店もあったからごっちゃになりそうだったぜ」
それを聞いたトウカが、
「サンマーメンって横浜の名物なんですか?」
「おう、もともとは中華料理屋のまかないだった……なんて言われているが、本当のところはわかんねえ。特別思いつくのがむずかしい料理じゃねえしよ、元祖を見つけんのは無理なんじゃねえか? 漢字の当て方もいろいろで、『生馬麺』『生堪麺』『三噂麺』なんてのがある。これを言ったら怒られるかもしれねえが、横浜以外でも五目タンメンなんて名前で似たようなもんがあるよなあ」
『なるほど、横浜名物だったんですね。出張で/旅行中に/観光で/受験のときに/../../../食べたのは、サンマーメンだったのか!』
悪霊がモンタージュ写真のごとく老若男女の姿に切り替わる。
そして白い光の柱に包まれて、昇天していった。
「よし、無事除霊完了ですね!」
「またあっしがメシ作っただけな気がするけどなあ。まあいいや、ところでありゃなんだったんだ?」
「うーん、おそらくはサンマーメンが思い出せなくてもやもやとした気持ち、人々のその思念が凝り固まって生じた悪霊でしょう」
「はあ? ンなことでも化けて出てくんのか?」
「霊の世界は複雑怪奇なのです!」
「なーんかアホらしいなあ」
リョウコはため息をつき、間田木食堂はいつもの営業に戻った。
旬のものだけあって、サンマの注文は引き続き好調だ。
何十匹も焼き上げたが、それからはもう残す客はいなかったそうである。
* * *
「あ、ところでサンマーメンじゃないサンマのラーメン、すっごい気になるんですけど!」
「げっ、余計なことを言っちまったか。サンマ節なんてレア物仕入れてねえぞ……。いや待て、インスタントなら前に買ったやつが残ってたか?」
「それでもいいから食べたいです!」
「メシ屋に来てインスタント麺を食いたいなんつったら、よそじゃぶっ飛ばされるぞ。まあいいや、探してくるからちょいと待ってな」
「わーい! リョウコさん、ありがとうございます!」
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