第21話 死霊の盆帰り 3/4

「エビフライを食うのに資格も何もねえと思うがよ。なんか事情がありそうだな。話くらいなら聞いてやるぜ?」

『ありがとう、ございます』


 それきり黙り込んだ軍服の青年に、リョウコはそれ以上口をきかなかった。

 黙ってグラスに氷を入れ、焼酎をそそぎ、青年の横に置く。

 それを見たトウカは「私にも一杯!」とジェスチャーを送るが、リョウコは無視をした。


 店の壁にかけられたアナログ時計の秒針が、何回時を刻んだあたりだろう。

 青年がグラスの焼酎をぐびりと煽り、重い口を開く。


『自分は、約束が守れなかったのであります』

「約束っつうのは何だ?」

『自分には両親がなく、弟妹がいたのです。出征して、お国のために働いて、金を稼いで帰ってくると約束したのです』

「おお、立派な志じゃあねえか。最近じゃあ出世したくねえって若者わかもんも多いんだろう?」


 リョウコは、出征と出世を聞き間違えていた。


『出征して帰ってきたら、銀座の百貨店デパァトで、いつかラヂヲで聞いた、エビフライやカツレツ、ビーフシチゥを腹いっぱい食べさせてやると約束をしたのです。しかし、自分はついにその約束を果たせず……』

「いい話じゃねえか……」


 リョウコは三白眼から大量の涙を流していた。

 カウンター越しに青年の肩をガシッとつかみ、熱を込めて語りはじめる。


「いいかい、兄さんよ。兄さんの事情はわかった。大見得を切って故郷を出てきたのに、思うように芽が出なくってうじうじしてやがんだ。どうせアレだろう? 実家はこのへんで、今年こそは弟や妹に顔を見せようとして、でも踏ん切りがつかなくってついこんなところで酒を飲んで時間を潰しちまってるんだ。あってるかい?」

『おっしゃるとおりです……』


 トウカは、「いや、酒を飲ませたのはリョウコさんでしょ」というツッコミをかろうじて飲み込んだ。


「でもなあ、故郷に錦を飾りたいって気持ちはわかるぜ。そんな心意気があるだけそれこそいきってもんじゃあねえかよ。だいたいアレだ、そんな格好ができるくらいなんだからよ、兄さんだって立派に出世したんじゃねえのかい?」

『はっ! 自分は、伍長に任命されました。上官がいなくなったための特例ですが……』

「かーっ! ゴチョウなんてすげえじゃねえか。課長、部長の親戚みてぇなもんだろう? あっしなんかは一生かけてもここの店長止まりなんだから、見上げるだけで首が痛くなるってぇもんよ」


 トウカは、「いや、伍長ってそういう意味じゃないです」というツッコミをかろうじて飲み込んだ。


「ともあれアレだ。その弟、妹に恥ずかしくねえ土産を持って、胸を張って帰ってやりゃあいいんだよ。いまからあっしが銀座のデパ地下にも負けねえもんを作ってやっからよ。そいつを持って帰りやがれ」

『し、しかし自分の俸給ではそんなご馳走を買うことは……』

「へへっ、しゃらくせえ。それこそ出世払いでえ。それに今日はあれだ、ハローイーンだぜ。コスプレしてる人にゃご馳走しなきゃいけねえお祭りなんでえ」

『ハローイーン?』

「なんでえ、知らねえのかい。若く見えて遅れてやがんな。ああ、するってえとアレかい。その格好もせいぜい友だちにお仕着せにされたってところだな。……へっ、いい友達がいるじゃあねえか。素面しらふじゃ帰れねえんだろうって気ィ使ってくれたんだろうな。こいつぁますます腕が鳴るぜ!」

『はっ! 自分は戦友には恵まれたと思っております!』


 トウカは、「いや、ハロウィンってそういうイベントじゃないし、そもそも今日はハロウィンじゃないですし、この人はコスプレじゃないです」と心のうちから押し寄せるツッコミをまたしても飲み込んだ。


「まあ、任してくんねえ。弟さん、妹さんがびっくりするようなもんを作ってやるからよ」

『ありがとう、ございます……』

「作る前からそうかしこまるんじゃあねえよ。まァ、まずはそのエビフライを食っててくんな。せっかく作ったんだ。そのまんま冷めちゃあつまらねえぜ」

『はっ! これは失礼しました! 頂戴します!』


 調理をはじめるリョウコを尻目に、青年の悪霊はエビフライにかじりついた。

 サクサクと衣が噛み砕かれる音が鳴り、青年の手が一瞬止まる。何度も何度もじっくり噛むうちに、その青白かった頬にわずかに赤みが差し、生気が宿る。


「そのままでもおいしいですけど、このタルタルソースをつけてもおいしいですよ」

『はっ! ありがとうございます!』


 青年の夢中な様子に、トウカが思わず声をかけてしまう。

 霊的存在が食事をすること自体が本来は異常事態なのだが、間田木食堂に通ううちにトウカの感覚はすっかり一般的な除霊師から外れていた。


 たっぷりのゆで卵に、刻んだ玉ねぎのピクルスを混ぜ込んだタルタルソースをエビフライの先端にのせ、青年がまた一口食べ進める。衣のサクリとした食感、ぷりっとしたエビの身、そして濃厚な旨味。それらすべてをタルタルソースの淡い酸味としゃきしゃきした歯ごたえが包み込み、青年の口の中を幸福が満たしていく。


「辛子をつけてもおいしいですよ。リョウコさんのエビフライはおっきいから、味変しながら食べられるんです」

『味変……!』


 青年は、さまざまな調味料を試しながらエビフライを堪能した。

 ソースやマスタードだけでなく、以前に競馬ウマのじいさん向けに作った塩も含まれる。トウカがキッチンから勝手に持ち出したのだ。間田木食堂はもはや勝手知ったる我家の庭。どの食材がどこに置いてあるのか熟知しているのだった。


「ふいー、ちょうど食ってる隙に間に合ったな。じっくり味わってくれて助かったぜ。間田木食堂特製『錦を飾る黄金こがね弁当』、お待ちどお!」


 青年の前に、プラスチック製の真四角な持ち帰り用弁当箱がどんと置かれた。

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