第20話 死霊の盆帰り 2/4

 戦国武将ひとりが昇天したところで、店内の混雑はまだまだ終わらない。

 リョウコは包丁を閃かせ、フライパンを煽り、中華鍋を振るって次々に料理を生み出していく。トウカは巫女服の袖をまくり上げて配膳に走り回り、食べ終わった食器を下げ、隙を見ては洗い物を片付けていく。


『……8枚、9枚。……1枚、足りない……』

「なんでえ、姐さん。チャーシュー麺のチャーシューを先に全部食っちまったのかい? へへっ、いい食いっぷりだねえ。しかたねえ、もう1枚サービスしてやるよ!」

『……じゅ、10枚……。おいしい……』


 濡れそぼった着物を着た女の悪霊が、光に包まれて昇天する。


『おいてけ……おいてけ……魚……おいてけ……』

「あいよっ! 刺身の盛り合わせな。ところでよう、兄さん。ウマヅラハギの活きがあるんだが、こいつァどうだい? ちぃとばっかし値は張るがよ」

『……うまい……うまい……』


 目も鼻もないのっぺらぼうが、毛むくじゃらの正体を現して退散する。


『ぽぽぽ……ぽ、ぽぽぽぽ……』

「おお、姐さんは背ェが高いねえ。あっしも高いほうだがそれ以上だ。ちっくら足の長さでも分けてくんねえかい?」

『この子ね、背が高すぎて頭まで血が回んないのよ。何か元気の出るもの作ってちょうだい』

「おや、メリーさんじゃねえか。最近一緒に仕事してるっつう八尺様ちゃんってなァ、そのお人かい? まあともかく、そんならスタミナ炒めだな。モツとレバーをたっぷりのニラとにんにくでピリ辛に炒めた気合いの入る一品よ」

『ぽぽぽぽ、ぽ』


 メリーさんと八尺様が、スタミナ炒めをつまみに瓶ビールを数本開けたところで帰っていく。


 そんなこんなで、嵐のような時間が過ぎ去った。

 トウカはもはやへとへとで、カウンターに突っ伏してぐったりとしている。


「おいこら、トウカ。まだお客さんが残ってんじゃねえか」

「ええー、まだお仕事ですかー」


 トウカが渋々顔をあげると、そこには旧日本陸軍の姿をした青年がカウンターに座っていた。

 どこからどう見てもこの世に未練を残した浮遊霊のたぐいなのだが、疲れてどうでもよくなっていたトウカは注文を聞きに行く。


「ご注文はお決まりですか?」

『よ、洋食を。お願いするであります』

「洋食? 洋食って言ってもたくさんありますけど……」

『すみません、自分、田舎者で、こういう立派なリストランテに来たのははじめてなのであります』


 青年は軍帽を脱ぎ、背筋を伸ばしたまま腰を曲げ、機械のようにびしりと一礼する。

 すると、左のこめかみの上に黒い穴がぽっかりと開いているのが見えた。銃創であろう。どこかの戦場で亡くなった兵士が、いまだ成仏できずにこの世をさまよっているのだ。


「へへへ、立派なレストランだなんてな、兄さんよ。そんな見え透いたお世辞を言ったってあっしにゃあ通じませんぜ」

「あっ、完全にデレてる」


 トウカが思わず口にしたように、リョウコの表情は完全に緩んでいた。

 常連客から貧乏定食屋だのなんだのと散々揶揄されてばかりなので、料理の腕はともかく、店そのものを褒められることにまったく慣れていないのである。


「ま、トウカの言う通り、洋食っつっても色んなものがあらァな。メニューにねえものも作れるからよ、食いたいものをなんでも言ってくんな」

『いえ、そんなわがままは! では、このエビフライ定食をお願いします!』

「あいよっ! エビフライ定食を一丁な!」


 注文を受けたリョウコは、冷蔵庫から木箱を取り出した。

 中に詰まったおがくずを丁寧に払うと、見事な縞模様のでっぷり太った縞模様のエビが姿を表す。


「あれ、リョウコさん、これって前に食べたブラックタイガーとは違いますよね?」

「おう、よくわかったな。こいつぁクルマエビだ。活きのいいやつがたまたま安かったんでな。思い切って仕入れちまったわけよ」


 リョウコは軽く拝むように片手で手刀を切ると、いまだピチピチと跳ねるクルマエビの殻を次々に剥いていく。頭と尻尾の殻を残したクルマエビが3匹、透き通った白い裸身をまな板の上に晒した。裸身の腹に、刺身包丁が斜めに切れ目を入れていく。

 その様子に見入っていたトウカが、思わず疑問を口にした。


「そういえば、どうしてエビのお腹に包丁を入れるんですか? お肉と違って硬いスジもないのに」

「まっすぐ揚げるためよ。エビは火を通すとどうしても背中を丸めっちまうからなあ。見た目の問題ってのもあるが、火の通りを均一にしたり、食うときに食べやすいってのもあるな。こんなでかいエビが丸まってたら食いづれぇだろう?」

「おおー、なるほど、たしかに」


 話しながらもリョウコの手は止まらない。

 まっすぐに伸びたクルマエビに薄力粉をまぶすとすっと卵液にくぐらせ、パン粉をたっぷりつけてフライヤーにしずめる。しゅわあと炭酸の弾けるような、驟雨しゅううが通り過ぎるような音とともに、黄金色の魚雷のような姿が浮き上がってくる。


「はい、お待ちどお。エビフライ定食だ。好みでレモンを絞って、ソースやタルタルソースをつけて召し上がってくんな。下味はつけてるからそのままでも旨いぜ」


 揚げ上がったまっすぐなエビフライが、付け合せの千切りキャベツに身を横たえている。

 重力に負けず、びしりと伸びたそのエビフライには、まるで一本背骨が通っているかのようだ。


 目の前に置かれたエビフライ定食を前に、軍服の青年は両の拳を握りしめてぶるぶると震えはじめた。そして、その両眼からぼろぼろと涙を流しはじめたのである。


『自分には、これを食べる資格があるのでしょうか……』

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