第19話 死霊の盆帰り 1/4
お盆。それは蒸し暑い夏のさなかに行われる。
正式には
そのお盆の晩、少々寂れた商店街の一角にある間田木食堂の引き戸を、巫女服の少女がガラリと引き開けたところから今回のお話は始まった。
「悪霊は、この中にいます……って、ぎゃぁぁぁああああ!?」
「へい、らっしゃ……ってトウカじゃねえか。なんでえ、藪から棒に」
「何でも何も、お店じゅう悪霊だらけじゃないですか!」
トウカの視界は店に集まった悪霊の群れで埋め尽くされていた。
旧日本陸軍の軍服姿の男、戦国武将を思わせる鎧武者、濡れそぼる着物を身にまとう痩せた女、首に縄を巻き付けてギョロギョロと辺りを見渡す女……などなど、ありとあらゆるバリエーションの悪霊が揃っていたのである。
「まあ、そりゃお盆だからなあ。そういうこともあるだろうよ」
焦るトウカとは対照的に、リョウコは平気な様子で包丁を振るっている。
「いや、いくらお盆だからってこれはおかしいですよ! 早くお祓いしないとたいへんなことになります!」
「それがもう大変なことになっててよう、仕事がおっつかねえんだ。トウカ、ちっと洗いもんでも手伝ってくれねえか?」
「だからそんな場合じゃないって!?」
「そうかあ、カワハギのいいやつが釣れたんだがよう。こいつァあっしの晩酌の肴になっちまうようだ」
リョウコが視線を送った先には、水槽を泳ぐ顔の長い魚がいた。
これはウマヅラハギ。しこしこと歯ごたえの良いタンパクな身が特徴の魚だ。正確にはカワハギとは別種だが味は近い。
長らくカワハギよりも劣るとされていたが、近年ではその評価も覆りつつあり、新鮮なものであれば高値で競り落とされる立派な高級魚である。
「こいつの肝をよう、包丁でととととーんと叩いてな、醤油に溶いて刺身をつけて食うってぇと、あっさりした身に肝のコクがまとわりついて、こりゃあもう絶品なんだがなあ。あっし一人で片付けちまうなんて罪だぜ、罪。けどまあ、一緒に食うやつがいねえんじゃあしょうがねえ」
「手伝います! 私、肝醤油ってはじめてです!」
ウマヅラハギにつられたトウカは、よだれを垂らしつつリョウコの隣で洗い物をはじめた。
そうして皿を数枚洗ったところで、ふと我に返って懐から抜き出した
「……じゃなくて! リョウコさん、いいんですか!? お店の中が悪霊でいっぱいなんですよ!?」
「ああ、ちゃんとわかってるよ。あっしだってねえ、近ごろの流行りくれぇはちゃんとわかってンだ」
「えっ、流行りですか?」
「おう、これはハローイーンってやつだろう? コスプレってやつをして出歩く舶来の祭だな。若者の間で流行ってんだってなあ」
「はぁ!?」
店内には、首がちぎれかかっているもの、頭の半分が吹き飛んでいるもの、片手、片足のもの――など、どう考えてもコスプレでは片付けられないもので溢れかえっている。
しかしリョウコはそんなものなどどこ吹く風と、いつもどおりの手際の良さで次々に料理を作り出しているのだった。
『湯漬けを持てい!』
「あいよっ! お茶漬けだな。ちょいと待っててくんな」
どこからツッコむべきかとトウカが悩んでいると、悪霊の一体から注文が入った。
白装束に身を包み、ちょんまげの下には口ひげを蓄えた精悍な顔がある。その眼光は死霊と化してもなお鋭く燃え、生前の苛烈な生き様を容易に想像させた。
「絶対有名な戦国武将とかですよね、あれ!?」
「歴史にゃ詳しくねえんだよなあ。大河ドラマくらいは見ときゃよかったか。誰のコスプレなんだろうなあ。おう、お茶漬けできたぞ。配膳頼むわ」
トウカはぎくしゃくと関節を動かしながら、リョウコから渡されたお盆を戦国武将の前に出した。
お盆の上には白飯が盛られた丼がひとつ、漬物の小皿がひとつ、それと土瓶が並んでいる。
戦国武将が土瓶の中身をとぷとぷと白飯にかけ、白い湯気がもわっと立ち上る。
その香ばしさにトウカの鼻がぴくぴく反応した。
戦国武将はそれにかまわず、たくわん漬けを一切れかじってからお茶漬けをざぶざぶとかき込む。一瞬、箸が止まり、意思の強そうな太い眉がくわっと釣り上がる。しかし、またすぐに漬物とお茶漬けの往復に戻ると、あっという間に平らげてしまった。
『飯の代わりを持てい。茶碗では面倒じゃ。丼でよい。山盛りでな』
「しょ、承知しました!」
戦国武将の迫力に当てられたトウカは、言いなりのまま丼に白飯をよそって戻る。
戦国武将はまたそれをざぶざぶとかき込み終えると、空になった土瓶の蓋を開けて箸先で何かをつまみ上げた。
『ほう、こういう趣向であったか。ただの茶漬けにしては味が深いと思ったぞ』
「へへへ、お客さんもなかなかお目が高いっすね。よくお気づきなすった」
注文が一旦落ち着いたのか、リョウコが前掛けで手を拭きながらやってくる。
「三枚におろしたアジの中骨をよーく炙ったもんでしてね。昆布と鰹の出汁でほうじ茶を沸かして、仕上げにこいつを入れたら出来上がりってェ寸法で」
『で、あるか。ただの湯漬けに随分凝るものだ』
「うちはメシ屋ですからねえ。なんでもねえ料理に凝るのが仕事なもんで」
『ふふっ、面白い女だ。気に入ったぞ。褒美を取らす』
戦国武将は不敵に笑うと、懐から茶碗をひとつ取り出した。
青紫の深い色味にきらきらと銀の輪が散りばめられた、まるで星空を思わせる見事な品である。
『人間わずか五十年などと気取っておったが、かように旨い湯漬けがあるとは知らなんだな。次があるなら、もう少し長く生きてみたいものじゃ……』
戦国武将は白い光の柱に包まれると、ゆっくりと消えていった。
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