第18話 メリーさん 2/2

『だーかーらーさー、最近の子はわたしのことネタ芸人か何かだと思ってんのよ!』

「へえ、お客さんは女優さんか何かで?」

『ほらー、お姉さんもわたしのこと知らないじゃん』

「申し訳ないっすねえ。こんな商売してるもんで、テレビなんかにゃてっきり疎くなっちまうもんで」

『むうう、そういうことなら許してあげるわ。焼酎ハイボールおかわり!』

「あいよっ! レモンは絞りますかい?」

『たっぷりお願い』


 カウンターに座った西洋人形――メリーさんが、ジョッキを片手に延々と愚痴っている。つまみは漬物の盛り合わせと筑前煮、それに突き出しのもやしの和え物だ。

 もやしと言っても手抜きではなく、食感のしっかりした豆もやしに、ごま油と豆板醤、鶏ガラスープの素を加えてナムル風にした食べごたえのある一品である。小鉢ひとつで200円のそれを、メリーさんは何度もおかわりしていた。


『最近の子はさー、有名人ならなんでもおもちゃにしていいって思ってるのよ』

「そういうところがあるんですかねえ。うちにゃあ若い子なんてあまり来ないんで、さっぱりわかんねえんすよねえ」

『ダメダメ! 客商売がそんなんじゃダメよ! トレンドを吸収していかないとすぐに時代に置いてかれっちゃうんだから』


 メリーさんの首がギギギギと音を立てて横に向き、トウカに青い瞳を向ける。


『あんたなんかは若いでしょ? 店長さんに色々教えてあげなさいよ』

「ええ、まあ、若いですけど……。一応二十歳はたちは過ぎてます」

『はぁー、二十歳でおばさん気取りねえ。最近の若い子はさー、こうやって無邪気に人の心を傷つけるんですよ。わかる? 世渡りには気遣いが大事なのよ、き・づ・か・い』

「ええっと、メリーさんはその、かなりお若く見えますけれども、本当は――」

『ほらー、そういうこと言っちゃう! 気遣いが足りないってそういうところよ!』


 メリーさんは焼酎ハイボールをがばっと飲み干すと、おかわりを2杯要求した。濃いめで。


「な、なんで2杯も?」

『そりゃあんたに奢ってあげるためらっれしょうよ。二十歳過ぎてんでしょ? それともわたいの酒なんか飲めないってわけぇ? あーあ、これだから最近の若い子は――』

「あ、いや、ありがたくいただきます」

『そういえば、店長もいけるクチ? わたりがおごっちゃられるから一緒に飲もうよー』

「それじゃ、あっしも同じものをありがたく」

『へへへ、やっぱり店長れんちょうしゃんはわかってるねえ。ひとりで飲むしゃけなんて面白くもなんちょもないんっちゃれら!』


 メリーさんは完全に呂律が回らなくなっている。

 トウカは、呂律が回らない悪霊を生まれてはじめて目にしていた。


『八尺様ちゃんにさぁ、カンカンダラちゃん。みんなみんな人気りゃよねえ。みんなさぁ、新しいものに夢中なわけよ。わたりなんてもうオワコン。オワコンってわかりゅ? 終わったコンテンツなんりゃって? 古いものにはもう価値なんてない時代なりょさあ……』


 トウカがちびちびと焼酎ハイボールを飲んでいると、隣ではメリーさんがカウンターに突っ伏して『ううっ、ううう』と泣いている。

 トウカは正直、すごくめんどくさいなと思っていた。


「どうなんすかねえ。あっしは古いものも好きですがね。時代劇の再放送なんかよく観てますぜ」

『わりゃりはしょこまで古くにゃいっ!』

「えへへ、こいつァ失礼を。失礼代わりにサービスだ。本当ならお客にゃ出さねえもんなんですがね、酒のアテにはぴったりなもんで」


 そう言うと、リョウコは冷蔵庫から黄土色の何かが詰まったタッパーを出し、その中に手を突っ込んで何かを取り出す。それを水で洗うと、萎びたきゅうりやナス、大根やカブの葉っぱなどが姿を現した。


「なんですか、それ?」


 興味を惹かれたトウカが、カウンターに身を乗り出して尋ねる。


「ぬか漬けよ、ぬか漬け。最近のお客さんはあんまり深く漬けたのが好きじゃねえみたいだからよ、二晩も売れ残ったらぬか床の底に寝かせて、そのまま漬け込んちまうんだ。ぬかの味も深まるしよ」

「へえ、それがぬかを育てるってやつですか?」

「おう、よく知ってるじゃねえか。こいつがなかなか乙なもんでなあ。これで2ヶ月くらいだったっけな?」


 リョウコはトントンと包丁を使い、取り出した古漬けをみじん切りにしていく。

 それを小鉢に盛り付けて、二人の前に置いた。


「はい、お待ちどお。とりあえずそのまま食ってみてくんねえ。塩っ辛いからちょっとずつな」


 トウカとメリーさんは、差し出された古漬けに割り箸を伸ばす。

 それを口に入れた途端、二人の唇がきゅうっとすぼんだ。


「んわー! しょっぱいです!」

『おまけに酸っぱいにょおー! なんりゃ、古いものなんれ食えてもんりゃないって、嫌がりゃせにゃの?』

「そう早とちりしないでくだせえよ。じっくり噛んでると、だんだん味が変わってきやすから」


 トウカは顔をしかめながら、言われたとおり漬物をシャキシャキとかみ続ける。

 するとどうだろう、強烈な塩味と酸味が和らいでいくにつれ、深みのある甘みがじわじわと滲み出してくる。

 噛めば噛むほど味わいが増し、いまや飲み込むのが惜しくなるほどだ。


「その頃合いでな、酒をきゅーっと流し込むんだよ。いくらでも酒が進むぜい?」

「むっふー! 焼酎ハイボールで口の中がさっぱりして、また次が食べたくなっちゃいます!」

『ぬか漬けに焼酎なんていういかにも古臭い組み合わせが、こんなにもおいしいなんて――』


 古漬けと焼酎ハイボールの往復をはじめた二人を見て満足気にうなずいたリョウコは、次の一品の用意をはじめる。

 そうは言っても実に簡単なものだ。絹ごし豆腐に刻んだ古漬けを載せ、鰹節を振りかけただけのものである。


 トウカはそれを割り箸でひとくちに切り、几帳面に古漬けの刻みと鰹節を上に載せたら、醤油を数滴垂らして口に運ぶ。

 メリーさんもそれにならい、同じように一口つまんだ。


「むっはー! お豆腐のなめらかな舌触りと、シャキシャキな古漬けの刻みの歯ざわりのコントラストが楽しいですね!」

『鰹節がかかるだけでぐっと味の奥行きが増している気がするわ。これは、どういうことなの……?』

「ああ、ぬか漬けのグルタミン酸と鰹節のイノシン酸の相乗効果だな。こういうと難しいかもしんねえが、要するに植物の旨味と動物の旨味ってぇことよ。これが混ざると、お互いに助け合って旨味が深まるって寸法で」


 話しながら、リョウコはタライに入った豆腐をカウンターに置く。

 透き通った水の底で、真っ白な豆腐がゆらゆらと揺れていた。


「その塩味も酸味も旨味もがっつり濃くなった古漬けをがしっと受け止めるのがこの作りたての豆腐って寸法よ。絹ごしだが、舌にねっとり絡んで大豆の味がするだろう? こんぐらいの代物ンじゃあねえとなかなかこの強烈な味は支えきれねえ」


 リョウコの口上を聞きながら、メリーさんは一口一口、確認するように豆腐と古漬けを味わっていた。やがてコクリとうなずくと、カウンターに1万円札を置く。


『見向きもされなくなって客に出せない古漬けと、新鮮作りたての豆腐の組み合わせ……。店長、あなたの言いたいことはわかったわ。古いだなんだ、最近の若者はあーだこーだと文句を言わず、常に新しい工夫をしなければならないってことね』

「いえ、別にそんな大層なことを言いたかったわけじゃあごぜえやせんが」

『うふふ、謙虚なのね。でも、わたしも新人都市伝説だったころの気持ちを思い出したわ。ありがとう、お釣りは要らないから取っておいて』


 メリーさんは、フリルの付いたスカートを颯爽と翻すと間田木食堂を出て夜の闇に消えていった。


 それから数カ月後、八尺様やカンカンダラの肩に小さな西洋人形が乗った新しい都市伝説が広まるのだが、それはまた別のお話である。


 * * *


「なあ、トウカちゃんよ。メリーさんだの八尺様だの、カンカンダラってのは結局なんだったんだい?」

「ええっと、どれも有名な都市伝説ですね。メリーさんは電話をかけてきて、『いま、あなたのうしろにいるの』って背後に現れるのがオチで、八尺様は2メートルを越える長身の女性妖怪。カンカンダラは蛇と混じったような女性型の怪異です。どれも恐ろしい存在ですよ」

「ふうん、女同士のつながりがあるってこったな。うちもぼちぼち女子会向けのコースでも用意してみっかあ」

「そんな話はしてないんですけど!?」

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