第22話 死霊の盆帰り 4/4
「細工は流々。あとは仕上げを
リョウコが弁当の蓋を開けて中身を見せる。
するとそこには、黄金色の揚げ物が所狭しと隊列を組んでいた。最前面にはすらっと長いエビフライ、真ん中には分厚いとんかつが並び、最後尾には俵型のコロッケが列をなしている。
「むっふー! おいしそう!」
「こらっ! 弁当に箸をつけるな!」
脊髄反射で箸を伸ばそうとするトウカの手をリョウコがすかさず止めた。
「どうせ味見したいって言い出すだろうからよう。別に作っておいたからこっちを食ってくんな」
エビフライは先ほど食べていたから、まずはとんかつからだ。
しかし、エビフライを食べていないトウカからの視線を敏感に感じ取ったリョウコは、揚げ損なったエビフライをとんかつの横に添えてやる。少し曲がってしまったから記念の弁当にはふさわしくないと弾いたものだが、味に変わりはない。
「むふむふ、やっぱりリョウコさんのエビフライは最高ですねえ」
トウカは、リョウコがまばたきをする間もなくあっという間にエビフライを平らげていた。先ほど「いろいろな味変を楽しむんだ」と講釈を垂れていたのは何だったのか。そんなものは彼女自身の記憶にはすでに残っていないのである。
「さあ、お次はとんかつですね! でも、こんなに厚くて大丈夫なんですか? 大して時間もなかったのに……」
『豚肉はよく火を通さなければならないと上官から散々言われましたが……』
二人の前に置いてあるとんかつは、どう見ても指2本分以上の厚みがあった。
青年がエビフライを食べていたのはせいぜいが10分。この短時間で充分に火が通せる厚みだとは到底信じられなかったのだ。
「まあまあ、大丈夫だからとりあえず食ってみねえ。もし腹を壊すようなことがあったら、あっしが腹ァかっさばいてお詫びしてやらあ」
「そ、そこまで言うなら……」
トウカは恐る恐るとんかつに箸を伸ばし、前歯で思い切って肉を噛みちぎる。
香ばしい衣の先に待ち受けていたのは、肉汁をふんだんに含んだ柔らかい豚肉だった。生っぽさはない。しかし、よく火を通したもののようなぷちぷちした繊維感もない。まるで上等なローストビーフの芯だけを食べているかのような食感に、トウカは思わず目を丸くする。
「なんですか、これ!? こんなお肉食べたことないです!」
『豚肉とは、こんなにしっとりと柔らかいものでありましたでしょうか?』
「ふっふっふっ、秘密はこれよ」
リョウコは、自身の二の腕ほどの太さもある金属棒をカウンターの下から取り出してみせた。棒の端にはデジタル温度計らしき液晶がついており、その脇から電源ケーブルが伸びている。
「低温調理器ってやつだな。店でも上手いこと使えねえか色々試してたんだが、さっそく今日役立ってくれたぜ」
「低温調理器ってなんです?」
耳慣れない言葉に、トウカが質問をする。
「早い話が、湯を一定の温度に保ってくれる機械よ。今回で言うと、このロース肉を昼間っからずうっと63℃で保温してたんだ。そんなかにジップロックに入れた豚肉を突っ込んでおいてな、あらかじめ加熱しておいたってぇわけだ」
「えっ、63℃って、そんな低温で大丈夫なんですか?」
「おう、肉の中心が63℃で30分以上。これで安心して食えるってのがお国の示した基準だ。実際、あっしも何度もやってみたがよ、具合の悪りぃことは何にもなかったぜ。ただし、脂身はこの温度じゃあブヨっとして旨くねえ。だから、このやり方をするときは、ロースでも脂の薄いのを選ぶか、ヒレにした方がいいだろうな」
リョウコの講釈を聞きながら、青年がとんかつをひとくち食べてはため息をついている。
『こんな旨いもの、食べたのは生まれてはじめてであります。きっとこれほどのものは銀座のリストランテでも食べられなかったのであります!』
「へへっ、そう言ってもらえるとうれしいが、うちより旨めぇ店はいくらもあるよ。ンなことよりアレだ、もうひとつあるからそいつも食ってくんな」
『はっ! 頂戴します!』
リョウコが差し出した俵型のコロッケのようなものを、青年が一口で頬張る。負けてならじとトウカも続いてコロッケを頬張った。
「おいおい、そんな慌てて食うと……」
「あふっ、おふっ、はふっ、あづっ、あうううう!?」
「ほら、言わんこっちゃねえ。お冷でも飲みな」
受け取った水を飲み、トウカはようやく一息ついた。
噛んだ瞬間にどろりとした灼熱が溢れ出し、トウカの口内を焼いていたのだ。
「おいしかった……おいしかった気がするんですけど……正直味がわかりません……」
「あー、もう、意地汚く食うからだ。あっし用に取っておいた分があるからな、こっちを食いな」
「わー! リョウコさんありがとうございます!」
「今度は箸で切って、冷ましながらゆっくり食うんだぞ」
トウカは今度はそろりと箸を伸ばし、コロッケをふたつに割る。
すると中から赤茶色の液体がとろりと流れ出してきた。
トウカはそれを箸先につけ、ぺろっと舐めてみる。
「むふー、この味は、ビーフシチュー!」
「おう、大正解だ。ビーフシチューに小麦粉を足してとろみを増してな、それからライスペーパー……ま、平たく言えば春巻の皮みたいなやつだ。そいつで包んで、クリームコロッケに仕立てたって寸法よ。店で出すならライスペーパーは要らねえんだが、時間が経つとどうしても水分が滲み出しちまう。弁当用の工夫だな」
『クロケットの中からシチゥが出てくるなんて……不思議であります』
「つっても、冷めると固まっちまうからよ。熱いうちにとっとと持って帰ってやんな。おらっ、駆け足だ!」
『はっ! このご恩、一生忘れません!』
青年は弁当箱を持つと、光の柱に包まれて消えていった。
その様子を見ながら、リョウコが涙ぐんでぐすっと鼻をすすっている。
「へっ、
「えっと、いや、リョウコさん、そういうのじゃないです。あっ、ダメだ。また話を聞かないやつだ」
こうして間田木食堂のお盆は、その狂騒を終えるのであった。
* * *
「そういえば、あんな大盤振る舞いして大丈夫だったんですか? 大赤字でしょ」
「んー、それがそうでもなかったんだよな。たいてい骨董品かなんかを代わりに残してくれててよう。あっしにゃ価値なんてわかんねえから、
「えっ、あのおじいさん、そんなことできたんですか?」
「商店街に骨董屋があんだろ? あそこの隠居があのジジイよ。あのジイさんの見立てじゃあ、どれもそこそこの価値があるものなんだとよ。ま、売る気はねえがな」
「そういえば、あの戦国武将の人のお茶碗はどうだったんです? なんかすっごい雰囲気ありましたし、それこそ国宝級の価値があったとか!」
「ンなわけねえだろうが。あれはトーヘンボク茶碗とかいうよくわかんねえものだったらしいぜ」
「トーヘンボク……? ああ、唐変木。それはいかにも安そうですね」
「じいさんは、これは本能が変になって? この世にあるわけがない? とか、なんかそんなことを言ってたな」
「うーん、立派なお侍さんに見えましたけど、悪霊になるくらいだからやっぱり頭のおかしなひとだったんですかねえ……。あっ、でもせっかくですし、あのお茶碗でお茶漬け食べたいです!」
「器がいいとメシも旨くなるからな。あいよっ、お茶漬け一丁!」
――
それは世界に3点しか現存しないとされる伝説的な茶器である。中国は南宋時代に作られたと伝わるが、資料が少なくその実態はじゅうぶんに明らかにされているとはいえない。
一説によれば、かの織田信長もこの茶碗を愛し、肌身離さず持ち歩いていたという。そのため、本能寺の変によりともに焼失してしまったとする主張もあるが、これを肯定する研究者は少ない。
ただ間違いないのは、巫女服の少女が満天の星空を封じ込めたような茶碗で、ずぞぞぞとお茶漬けを啜っている光景が目の前にある、という点だけである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます