第7話 ダイエットアイドル 4/4

「むはー! 濃厚、濃厚! これは罪の味です!」

「こってり塩辛いのに箸が止まらねえ!」

「この歳の胃袋には堪えるはずなのに!」

「くぅぅ、こいつぁ医者に叱られたって止められねえぜ!」


 トウカと常連たちが、野菜を、麺を、煮豚をわしわしとかき込んでいく。

 荒々しい食感の極太麺にこってりとしたスープが絡み、一口すするとジャンクを通り越してもはや暴力的な旨味と塩味が襲いかかってくるが、よく噛むうちに小麦の香りが立ち上がる。口の中がくどくなったら野菜で中和し、煮豚をかじる。芯まで味は染みておらず、外から内に向かって味の濃淡がある。口の中の様子と相談しながら、次はどこをかじろうかと考えるのが楽しい。


「インスタントの豚骨スープが出てきたときはびっくりしましたけど、こんなに美味しくなるんですね!」

「おうよ、即席だって馬鹿にしていいもんじゃねえ。大食品メーカー様が威信をかけて開発してンだからな。マズイわけがねえんだ。麺だってスーパーで買ってきた出来合いのもんだぜ」

「それならどうしてラーメン屋さんは自前でスープを作るんですか?」

「店によって理由は違うだろうが、あっしは『微調整』ができるかどうかなんじゃないかと思うねえ。あっしにとってラーメンは定食屋の1メニューだが、ラーメン屋はその一品で勝負してるんだ。こだわって当然よ」

「むむむ、ラーメン屋さんも奥が深いんですね……」

「ったりめえよ! あっしの作ったラーメンなんざ、本物に比べたらままごともいいところ。けどよ、咄嗟に作ったにしちゃあなかなかの出来だろう?」

「はいっ! めちゃくちゃおいしいです! おかわりっ!」

「げっ、もう食いやがったのか!?」


 リョウコが次の麺を茹ではじめようとするが、その前に丼の前でふるふると震えている悪霊の姿が目に入った。山脈級の爆盛りラーメンに白飯と昆布の煮物が並んだ様子は、完全にラーメンライスセットである。


「なあ、悪霊の嬢ちゃんよ。そのままにしてっと麺が伸びちまうぜ?」

『ウアア……ダメ……ダメ……食ベチャ……ダメ……』

「食っちゃあダメなんてこと、あるわけねえだろうが。人間食わなきゃ死んじまうんだ。人間はうまいもんを食ってなんぼの生きもんなんだよ!」

『食ベ……食ベチャ……食ベチャイタイぃぃぃいいい!!』


 悪霊は割り箸を二膳つかむと、それを前歯でパキパキっと割って左右の手に構えた。

 そしてそれを丼鉢の底に差し込み、さっと持ち上げ野菜と麺の位置を反転させる。


「す、すげえ。こんな鮮やかな天地返しははじめて見たぜ!」

「天地返し? なんです、それ?」

「爆盛り系ラーメン玄人の技よ! 麺をスープから引き上げることで伸びるのを防ぎ、野菜にはスープを吸わせるテクニックだ!」

「は、はあ」

「おいおい、見ろよ! さらには二丁食いだぜ! あの伝説の秘技が生で見られるたァ……定食屋稼業をやっててよかったと芯から思えるぜ……」

「二丁食い?」


 悪霊を見れば、左右の割り箸を器用に操りラーメンを食べている。

 片方で持ち上げている間に料理を冷まし、もう片方で食べる。これを繰り返すことにより止まることなく食べ進められるという、超一流の食闘士フードファイターのみが持つ秘技であった。


「おう、お客さん。おかわりはいるかい?」


 悪霊は、返事の代わりにお冷をほんの一口飲んでこくりとうなずく。

 無駄に多量の水を飲まない。これも食闘士フードファイターの基本である。


「はっはー! こいつぁたまらないね! おい、嬢ちゃん、ちょいとお使いを頼まれてくんな! このままじゃあ食材が足りなくなりそうだ」

「ええー、私のおかわりは!?」

「帰ってきたらおごってやるからよ。このレベルの食闘士フードファイターに出会えることなんて一生メシ屋をやってたってそうそうねえんだ! 頼まれてくれよ!」

「わ、わかりました……」


 その日、いつの間にやら間田木食堂には大観衆が集まっていた。

 次々と爆盛りラーメンを平らげる悪霊に見惚れた人々が、一人また一人と観戦に加わったためである。非公認ではあるが、その日の食記録フードレコードは世界記録を抜いていたとも言われる。


 悪霊は、最後の一杯をスープまで飲み干すと、丁寧に箸を置いて昇天していった。


 * * *


 それから数日後、ランチのピークを過ぎた間田木食堂で、リョウコはぼんやりとテレビを眺めていた。ワイドショーで流れるニュースのひとつにふと目が止まる。


「へー、大森田イスキってなぁ、引退するのか」

「ええ、なんでもフードファイターに転身するらしいですよ」

「あの食いっぷりだからなあ。きっと大成するだろうよ」

「途中から洗い物が追いつかなくなるレベルでしたからねえ」


 手が足りなくなったリョウコをトウカは成り行きで手伝うことになり、洗い場でずっと食器を洗っていた。あの謎の熱狂は何だったのか……思い出すと、トウカ自身にもわけがわからなかった。


「それはともかく、おごりの約束がまだですよ! 爆盛りラーメン! 爆盛りラーメン!」

「うげっ、まだおぼえてやがったか。ラーメンなあ、あンときはつい調子に乗って作っちまったが、めちゃくちゃ原価が高ぇんだよ……。しかも結局あの悪霊からはお代がもらえなかったしよぉ」

「あっ、逃げる気ですか!?」

「そ、そんなこたァねえよ。そうだ、商店街の端に爆盛り系の元祖があるんだよ! そこでおごってやるってことで手打ちにしねえかい?」

「それなら大歓迎です!」


 自分で作るよりも他の店でおごったほうが安くつくと判断したリョウコは、食堂の暖簾のれんを下げるとトウカを連れて商店街を歩き出した。

 なお、トウカのおかわり攻勢によりリョウコの財布がすっかり薄くなったことは言うまでもない。

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