第8話 真祖吸血鬼 1/4

「うへへへ、見てくださいよリョウコさん」

「へい、らっしゃ……って、まったオメエかよ」

「オメエじゃないです。天才除霊師稲荷屋トウカです!」

「名前で呼んで欲しけりゃ注文しな。お客以外に売る愛想は持ってねえんでな」

「もうー、ケチだなあ」


 昼下がりの商店街の一角。

 よく言えば風格のある、率直に言えば少々オンボロな定食屋、間田木食堂にやってきたのはまたしても巫女服の少女であった。食堂の女主人、間田木リョウコは入ってきたのがトウカであることがわかると、再び競馬新聞に目を落とした。


「ちょっとちょっと、今日はおすすめとかないんですか? 店長なんだからちゃんと接客してくださいよ」

「っても今日は昼営業が混んでたからな。夕方の追加仕入れが来るまであの有り様よ」


 リョウコが指差す先には、ホワイトボードに書かれたメニューがある。

 しかしその大半に赤いペンでバツがされ、売り切れであることがわかった。


「ええー、ほとんど売り切れじゃないですか! どうしちゃったんです?」

「ここんところ変なことが続いて客入りが悪かったろ。そンで仕入れを絞ったら急に客が増えてな……。あっしとしたことがしくじったぜ」

「へえ、客商売は水物ですもんね。そしたらナポリタンください!」

「素人がわかったような口を利くんじゃねえよ。あいよ、ナポリタン一丁な」


 リョウコは中華鍋にトマトソースとケチャップを入れて軽く煮詰め、そこに薄切りのベーコンとウィンナー、野菜を加えてさっと炒める。そこに冷蔵庫から取り出した茹でおきのパスタを加えてざざっとかき混ぜ、平皿に移して端にパセリを添えた。


「はい、お待ちどお。ナポリタンだ。好みでタバスコと粉チーズを振ってくんな」

「わっ、早い! ひょっとして、私が相手だからって手抜きしてませんか?」

「バカヤロウ。あっしの料理に手抜きはねえよ。ナポリタンってのはこれ以上手間を掛けても旨くならねえ。それにトマトソースはうちの自家製だ。見えねえところで手間ァかけてんだよ」

「へえ、そういうものなんですねえ。除霊師が道具をあらかじめ清めておくのと同じですね」

「ンなこたぁ知るかよ。ほら、くっちゃべってねえで冷めないうちに食いやがれ」

「いただきまーす!」


 もとより腹ペコだったトウカは、まずは何もかけずにそのままのナポリタンをフォークに絡めて頬張った。甘く、かすかに酸味のあるソース。モチモチと歯ごたえのある太麺。ベーコンとウィンナーの塩味。シンプルだが、時にはこういうのもいい。


「次は粉チーズをかけてっと」


 三分の一ほど食べたところで粉チーズを振る。赤いナポリタンの上に、白い雪が散った。よく混ぜてから口に入れると、先ほどよりもぐっとコクが増している。セットのコンソメスープで口の中を洗いながら食べるとちょうどよい。


「最後はタバスコをびゃーっと!」


 さらに三分の一を食べたところでトウカは親の敵のようにタバスコを振る。赤を通り越して真紅に染まったそれを食べると、口の中がまるで煮えたぎる火口のようだ。さきほどは優しく感じたコンソメスープでさえ、いまは口内を焼くマグマに思える。


 トウカは汗だくになりながら、ナポリタンを完食した。


「ぷはー! ごちそうさまでした!」

「ったく、食いっぷりだけは一丁前だな。おら、口の周りがソースでべちゃべちゃだぞ。拭いてやっからツラァ貸せ」


 トウカはリョウコに襟首を掴まれてぐいっと引き寄せられた。細身に見えるリョウコだが、想像以上に力が強い。抵抗できず、リョウコの顔が間近になる。

 乱暴な印象に上書きされて気がついていなかったが、よくよく見ればかなりの美形だ。凶悪な三白眼は切れ長な凛々しい目元とも言えるし、薄い唇は涼やかでさえある。尖った顎と細い首に無駄な肉はついておらず、燃えるように赤い髪には人間離れした妖しさがあった。


 そのリョウコの指が、おしぼり越しにトウカの小さな唇を拭く。

 トウカは自分でできると突き放そうとするが、襟をつかんだリョウコの手はまるで動かない。まるで繊細な食材でも扱うかのように、丁寧に、念入りに口の周りを拭き清められ、やっと開放されたときにはトウカの心臓は爆発しそうなくらいに脈打っていた。

 

「おう、なんでぇ、顔まで真っ赤にしやがって。タバスコの入れ過ぎじゃねえのかい?」

「ちちち、違います! 辛いのが好きなんです! あああ、汗は自分で拭けますから! おおお、おしぼりください!」

「あいよ、ほら、新品だ」


 トウカは手渡されたおしぼりを顔に当て、鼓動が収まるのを待つ。

 一体何に狼狽していたのか、もはや自分でもわかっていなかった。


「ンで、今日は何の用事で来たんでえ。また悪霊じゃねえだろうな?」

「そっ、そうそう本題はこれです。見てください! 全国除霊師ランキング新人部門の9位になったんですよ!」


 トウカが雑誌を差し出し、その1ページを指で示す。

 そこには名刺ほどの面積に、稲荷屋トウカの名前と写真が掲載されていた。


「先日のOECオーイーシーの除霊が評価されてですね、圏外から一気にトップ10入りです!」

「んー、そうか。そりゃあよかったなあ」

「反応薄っ!?」

「いや、だってよう、それがどうすごいのかもわかんねえし。この前だってあっしが料理を出したら勝手に成仏してたような」

「それは言っちゃダメです!」


 トウカがリョウコの口を塞ごうとした、そのときだった。

 どこかから、腹の底から冷え冷えとさせる声が響き渡ったのは。


 ――くくく、そんなところだと思っていたぞ、稲荷屋トウカ。他人の手柄を奪うその振る舞い、我が君に挑む者としてふさわしくない。我が闇の牙の前に滅せよ!


 そして声が止むとともに、食堂の戸が引き開けられ、数え切れぬほどのコウモリが店の中に飛び込んできたのだ。


「ぎゃぁぁぁああああああ!!」


 店内を所狭しと飛び回るコウモリの群れに、リョウコはたまらず悲鳴を上げた。

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