第3話 特製松定食 3/3
赤髪の女は「あいよっ!」と応じてなめらかに先ほどの調理を再現する。
悪霊がまじまじとその手先を眺めているが、邪気が高まる様子はない。むしろそれは徐々に穏やかに静まっていってるのではないかと少女は感じていた。
「松定食、お待ちどお!」
ほかほかと湯気を上げる定食が、盆に載せて差し出される。
少女は巫女服の袖をめくり、白くたおやかな手で悪霊の前にそれを滑らせた。
「これがあなたの心残りだったのでしょう。たんとお召し上がりなさい」
悪霊は、盆の上に身体を覆いかぶせ、目から、口からどろどろと黒い粘液を垂らしている。
「ちっ、相変わらず食い方が意地汚えな。ほら、じいさん用に用意したもんだからな。こいつも使ってくんな」
赤い髪の女が悪霊の前に小壺を三つ置く。
それぞれに竹を薄く削って作った耳かきが刺さっている。
「お姉さん、これは?」
「右からヒマラヤ岩塩を荒く挽いたやつ。隣は藻塩と抹茶粉を混ぜたやつ。最後は藻塩を軽く燻製したやつだ。このジジイはソースが重たくなってきたっつうんでな。特製の塩を用意してたってわけよ」
悪霊は、『お゛お゛お゛、お゛お゛お゛』と唸りながらそれに見入っている。
「それが食う前に死んじまうなんてよお。なっさけねえ。おら、折角用意してやったんだ。冥土の土産に食ってけよ!」
『お゛お゛お゛、お゛お゛お゛』
悪霊が割り箸を手にし、それをパキリと割ってフライをかじっていく。
一口食べ進めるたびに、しなびた身体が生気を取り戻していくように見えた。
「刺身を塩で食うのもたまには乙だぜ。この中だと燻製塩がおすすめだな。端にちょこんとつけるんだ。おっと、わさびは要らねえぜ。燻製の匂いが吹き飛んじまうからな」
『お゛お゛お゛、お゛お゛お゛』
悪霊が、燻製塩をつけた刺身を頬張り、ぶるりと震える。
続いて白飯に手を出したところで、赤髪の女が止める。
「うちのメシは硬く炊いってからな。ジジイにゃ食いにくいだろう。味噌汁をぶっかけて猫まんまにしてくれたって、あっしはかまわねえぜ?」
『お゛お゛お゛、お゛お゛お゛』
女の言葉に従ったのか、悪霊が丼飯に味噌汁をかける。
それをざぶざぶとかき込むと、悪霊の纏う邪気が一層薄くなった。
「なんでこれを私のときには出してくれなかったんですか……?」
「ああン? テメェは若いだろうが。刺身だのフライだのを塩で食うなんてのはな、枯れたジジイどもの道楽みてェなもんよ。刺身は醤油、フライはソースで食うのが一番うめぇ!」
「でっ、でも気になります!」
「塩だけなら出してやってもかまわねえがよお。肝心の料理がもうねえじゃねえか」
少女の前にある盆には、もはや一滴の味噌汁も、一粒の米すらも残っていなかった。
「それなら、松定食をもうワンセットおかわりで!」
「あいよっ!」
そして、悪霊と並んで定食を食べる巫女という風変わりな光景が現出した。さくさく、むはむは、ほふほふと、山盛りの白飯が減っていく。
「ふぅー、ごちそうさまでした!」
『お゛お゛……ごちそう、ざま……』
いつの間にやら、悪霊は悪霊でなくなっていた。
その身を包む黒い靄が消え失せ、白い光に包まれて、天に昇っていたのである。
「えっ、あれ!? これで除霊完了!? は、
うろたえるのは巫女服の少女であった。
いまさならがら
「おお、
「こんな除霊見たことない……」
「それはそれとして、メシのおかわりも含めてぴったり5千円な! まいどありっ!」
「ごちそうさまでした……」
少女は腑に落ちない表情で、財布から1枚お札を抜いてカウンターに置いた――そのときだった。
ガラリ、と引き戸が開け放されて、競馬新聞を片手に掴み、耳に赤鉛筆を挟んだ老人が店に入ってきたのは。
「いやあ、急にここのメシが食いたくなっちまってなあ。まだやってるかい?」
「ちょっとおじいちゃん! ずっと寝たきりだったのに、急に起きたと思ったらいきなり外食なんて何考えてるのよ!?」
「うるせえ! メシくらい好きに食わせろやい。おう、三代目。松定食頼むぜ!」
老人のうしろからは、エプロンをした中年の女性がついてきている。
どうやら老人の身内の女性らしかった。
「んん? なんでぇ、鳩が豆鉄砲を食ったようなツラぁしやがって。おいらが松定食を頼むのがそんなにおかしいってのか!」
「ああ、いやあ、そうじゃなくてな……。おう、わかったぜジジイ。今日はおもしれえ趣向もあるからな。覚悟して待ってやがれ!」
「けっ、こっちはあの貧乏くせえもやし炒めじゃなきゃあ何だってかまわしねえよ」
「貧乏くせえもんを頼んでンのはジジイだろうが。ほら、それにお連れさんにも松定食はいらねえのかい?」
「わ、私は別に……」
「ケチくせぇこたぁ言わねえよ。こちとら万馬券を当てたんだ! 松定食2人前、オプションもアリアリでな!」
「へい! 毎度っ!」
奥の二人席に座った老人たちを尻目に、女と少女は小声で会話をする。
(なあ、さっきの悪霊、かんっぺきにあのジイさんだよな?)
(え、ええ)
(なんで生きてんの?)
(おそらく、生霊だったのかと……)
(はぁ!? するってぇと、あっしのメシが食いたくて、三途の川から帰ってきたとでも言うのかい?)
(そういうことになるかと……)
(かーっ! 食い意地の張ったジジイはどうしようもねえな……)
赤い髪の女は、ぶつくさと文句を言いながら再び松定食を作りはじめる。
口の悪さとは裏腹に、その表情はやる気に満ち満ちたものであった。
この事件こそが、のちのち数え切れないほどの騒動を引き起こす間田木リョウコと、新米除霊師
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