第2話 特製松定食 2/3
「むっはー! おいしい! おいしい! おいしい以外の言葉が出てこない!」
「へへへっ、そう喜んでくださるとあっしも作りがいがありますねえ」
少女はウスターソースでべちゃべちゃにしたコロッケを丼飯に載せ、タルタルソースをたっぷりつけたエビフライをさくさくとかじる。アジフライには中濃ソースを細く垂らし、小骨も気にせずばりばりと咀嚼した。
口の中が油でギトギトになったら味噌汁でそれを洗い流し、柔らかくみずみずしいマグロの刺身にわさびをたっぷりつけてぱくり。続けて即席コロッケ丼をわしわしとかき込んで、また味噌汁を一口すする。
「ううーん、最高すぎます! お姉さん、ごはんおかわり!」
「あいよっ、大盛りにしとくぜ! ……あれ、お客さん? うしろのそいつぁ、一体何だい?」
「うしろ?」
女が怪訝な顔で目をこすりつつ、少女の背後を指さす。
少女が振り向くと、そこには禍々しい気配を放つ、人型にわだかまった黒い
慌てた少女は襟の中から
「これは悪霊ッ! この悪霊の邪気でお客さんが寄り付かなくなってるんです!
一瞬、店内に清浄な風が巻き起こる。
黒い靄が吹き散らかされ、みすぼらしい老人の姿が明らかになった。老人は片手に赤く塗られた細い棒を持ち、もう片手に紙束を握りしめて震えている。目も、鼻も、口も、黒くポッカリとした穴のようで、とても人間の
「くっ、先ほどまでとは邪気が桁違いに……。一体このわずかな時間で何が!?」
じりじりとにじり寄る老人の霊に、少女が立ちふさがる。
「と、とても危険な状態です。お姉さんは逃げてください」
「あ、悪霊ってマジでいたのかよ……」
「わかったなら早く逃げて!」
「ああン!? 待ちやがれ、この店はあっしの城だ! 城から逃げ出す大将がどこにいるってんだ! これでも喰らいやがれっ!」
「ちょっ、何を!?」
女はカウンターの小壺に手を伸ばすと、中身を悪霊に向けてぶちまけた。
桃色の砂状のものが悪霊に降りかかる。
「何してるんですか!?」
「塩だよ塩! 悪霊退治っていえば清めの塩だろうが!」
「そんなもの効くわけが……あれ?」
悪霊を怒らせるだけだ、と思った少女の目が丸くなる。
わずかではあるが、悪霊の邪気が弱まっていたのだ。にじり寄る足を止め、その場で『お゛お゛お゛お゛』とうめき声を上げている。
「う、嘘でしょ? お清めの塩は祝詞を捧げた海塩じゃないといけないのに……」
「へっへっへっ、霊験あらたかなヒマラヤ産ピンク岩塩よ。高ぇ金払って仕入れた甲斐があったってもんだぜ」
そんなわけはない。
少女には、先ほどの塩から一片の霊力も感じ取れなかった。どれだけ希少な塩だろうが、それだけで除霊の力が宿ることなどはありえないのだ。
となれば、この岩塩と悪霊の間には何か関係があることになる。現世に残した悔いや恨みにまつわるものに、悪霊は反応するのだ。
「お姉さん、何かこの悪霊におぼえはありませんか!? お客さんと喧嘩になって、岩塩の塊で殴り殺して魚の餌にしちゃったとか!」
「ンな物騒なことするかいバカヤロウ! あっしを何だと思ってやがるんだ!」
「す、すみません。ちょっとやりかねないなと思って」
「ちっ、失敬な野郎だ。悪ぃが他人様に恨まれるおぼえなんてひとつもねえよ。しかし――」
赤髪の女が目を細めて悪霊をじっと見る。
確かにその目つきは凶悪で、少女が殺人の嫌疑をかけたのも無理はない。
「なんか見覚えがあるんだよなあ……この悪霊のツラ」
「ちょ、ちょっと! あまり近づくと危ないですよ!」
女はカウンターに身を乗り出して、悪霊の顔をまじまじと観察する。
女の顔に恐怖はない。あくまでも何かを思い出そうとする様子だ。普通の人間であれば、悪霊に出会った瞬間に震えて腰が抜けてしまうものなのだが、やはりどこかネジが外れた人間なのではないかと少女は思った。
「ひょっとして、
悪霊が、ぶるりと震えた。
真っ暗な眼下から、タールのような粘液がだらりと垂れる。
「心当たりがあるんですか!?」
「ああ、常連のじいさんでな。競馬狂いで、いつも負けが込んでてもやし炒めしか注文しねえんだが、たまーに勝つと豪快に注文してくれてな」
女が悪霊の前に競馬新聞を放ると、悪霊はそれを丹念に眺めながら赤い棒でなぞるような仕草をはじめる。
「あの棒って、もしかして赤鉛筆?」
「そうそう、いつもちびた赤鉛筆を持ち歩いててな。土日ってなると角の席でしこしこ競馬新聞とにらめっこよ。200円のもやし炒めで粘られっからこっちも往生してたぜ」
「そ、その方はどうなられたんですか?」
「先週万馬券を当ててなあ。その場でひっくり返っちまった。救急車ぁ呼んだが、間に合わなかったか……。南無三。アーメンソーメン味噌ラーメン。迷わず成仏してくれよ」
女が片手で手刀を切る。
そのあまりにいい加減な仕草を少女は思わず咎めようとするが、女の面持ちは至って真剣であった。目の端に涙をためて、泣き出すのを我慢しているように見えた。
「あの、確認なんですが……」
「ああン、なんだよ?」
「その方って、競馬で勝ったときはどんなものを注文してたんですか?」
「そりゃおめえ、決まってんだろ。うちで一番高ぇメニューは松定食さ」
「なるほど、それです!」
少女は大きくうなずき、叫んだ。
「お姉さん、松定食、もうひとつ追加で!」
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