第16話 村長の家-1

 未舗装の道を歩きながら、周囲を見渡す。 

 辺りは野山に囲まれており、呼吸をする度に草と土の匂いがした。

 

 近くの畑には、すでに農作業を始めている村人の姿も見える。

 雲がいくつか浮かんでいるものの、空は青く澄んで綺麗だった。

 

 昨夜は暗くてよくわからなかったが……。

 ラース村は長閑な雰囲気で、自然豊かな場所のようだ。




「この辺りで一旦休憩としましょうか」


 エリザはそう言って、金属製の筒を俺に手渡した。


「これは……?」


「水ですよ。村の方からいただいたものですが……」


 金属製の筒は水筒だった。

 俺は切り株に座って、水筒の中身を飲み始める。

 

「朝食も持ってきたんだけど、今食べる?」


「朝食?」


 ユズキが茶色の植物の皮に包まれた物を手渡してくる。

 朝食というからには、中身は食べ物なのだろう。

 

「これはアンナの手作りだって。ケイトのために作ってくれたんだよ」


「それはありがたいな。ちょうどお腹も減ってるし、今食べるよ」

 

 俺はさっそく、包装を剥がしてみる。

 中から現れたのは、肉や野菜が平たいパンに挟み込まれたサンドイッチのような食べ物だった。

 

「いただきます……」

 

 まずは一口。

 パンは硬めだが、口に含んだ瞬間に鼻を通り抜ける香ばしい風味が、なんとも食欲をそそる。

 

 肉は保存のために塩漬けされているのか、少々塩辛かった。

 しかし口の中でパンや野菜と混ざり合うので、サンドイッチ全体の味はちょうど良く感じられた。

 

 俺はあっという間にサンドイッチを平らげ、朝食を終える。







 そしてまたしばらく歩くこと約10分。

 俺たちは民家の密集した村の中心部に辿り着いた。

 ちなみに昨日お世話になったアンナの家も、村の中心部にあるようだ。

 

「村長の家はこっちね」


「もしかして、あれか?」


 俺は前方に大きな家があるのを発見する。

 その家は他の家と比べて頑丈そうな外観で、屋根も赤茶色の瓦で作られていた。


「うん、あれが村長の家だよ」


「……いきなり俺が行っても大丈夫だよな?」


「大丈夫だよ。でも、ちょっとその前に……」


 と言って、何やら恥ずかしそうに俯くユズキ。

 数秒の沈黙の後、ユズキは上目遣いでこちらを見て、

 

「わ、私は、お花を摘みに行ってくるね……?」


「…………あ、ああ……?」


 一瞬、言葉をそのまま受け取ってしまったが、すぐにユズキがトイレへ行くつもりなのだと理解する。

 

「私もお供を――」


「だ、大丈夫だって、エリザ! それともエリザも……」


「いえ、私はそういうわけではありません。ただ、この村も決して安全とはいえない以上、単独行動は避けるべきかと……」


「エリザは私に対して過保護すぎだって。安心して、すぐ戻ってくるから」


 ユズキはそう言うと、俺とエリザを残して村長の家とは逆方向へと歩いていった。




 俺はエリザと二人で、ユズキがトイレから戻ってくるのを待つことにする。

 特に会話をすることもなく、辺りの風景を眺めていたその時。

 

「………………お?」

 

 こちらへ向かって歩いて来る、猫の姿が目に入った。

 猫は三毛猫だった。その三色の毛は綺麗で艶があり、健康状態は良さそうだった。

 

 野良ではなく、村人の飼い猫だろうか?

 

「……猫ですね」


「ああ、そうだな」


 エリザは迫り来る猫を前にしても、変わらず平静さを保っていた。

 クールで落ち着いていて、よほどのことが起きない限りは、その表情を崩すことはないのだろう。


「こちらへ来ているようですね」


「みたいだな」

 

 猫がエリザの足元に到着する。

 そのまま猫は、エリザの足にまとわりついてきた。

 自分の匂いを擦りつけているのだろうか?

 

 エリザはというと、抵抗することなく猫にされるがままだった。

 その表情に変化はなく、足元の猫を見下ろしたまま動かない。

 

「もしかして、その猫に会うのは初めてじゃないのか? 随分と懐かれてるみたいだけど……」


「いえ、これが初対面です。それより……」


「うん?」


「私はどうすればいいのでしょうか……?」


 エリザはわずかに困惑した面持ちで、助けを求めるように言った。

 まさか、さっきまで無表情で動じていないように見えたのも、内心は違っていたのか?

 

「どうすればって言われてもな……。別に、そのままでいいんじゃないか?」


「いえ、このままでは困ります。この猫はきっと、私に何かを求めているのです」


「……とりあえず、撫でてあげたらどうだ? 甘えたいのかもしれないし」


「私が、撫でる……?」


 エリザは猫と自分の手を交互に見比べながら、少し考え込んでいた。

 

 しばらくして決心がついたのか、

 

「……では、ケイトさんの助言通り、撫でてみたいと思います」


「お、おう……」


 そんな、猫を撫でるくらいで大げさな……。

 

 エリザは屈み込んで、恐る恐る猫に手で触れる。

 そしてそのまま、エリザは猫の頭を優しく撫で始めた。

 猫は気持ち良さそうに目を閉じて、にゃあと可愛い鳴き声を上げる。

 

「……猫、可愛いです。トサカヤモリほどではありませんが」


「トサカ……なんだって?」


「トサカヤモリです。あの可愛らしさは、きっとケイトさんも気に入るはずです」


「そ、そうか……」


 名前だけを聞く限り、あまり可愛い生物だとは思えない。

 

「……猫語はわからないけど、反応を見る限り、やっぱりエリザに撫でて欲しかったみたいだな」


「これは、喜んでくれているのでしょうか……?」


「ああ、喜んでいるって。もし嫌だったのなら、すぐに逃げてるよ」


「そうですか。喜んでもらえたようで、良かったです」

 

 そう言って、エリザは優しく微笑んだ。


「…………………………」


 その笑顔は、普段のクールなエリザの表情と随分ギャップがあり、俺は思わずドキリとしてしまった。

 

 ……俺は昨晩から今まで、ずっと勘違いをしていたのかもしれない。

 エリザは感情表現があまり得意じゃないだけで、当然ながら俺と同じように怒ったり悲しんだりもする人間なんだ。

 

 だから時には、猫を撫でて笑顔を見せたりもする。

 

「あっ……」

 

 しばらくエリザに撫でられて満足したのか、猫はどこかへ去っていった。

 そして猫と入れ違うように、ユズキがこちらへ戻ってきた。


「お待たせ。じゃあ、行こっか」







 村長の家に着き、ユズキが入り口のドアを叩く。

 

「すみません、ユズキです。昨日森で発見した彼も連れてきました」


 ユズキがそう言うと、

 

「……やあ、おはようみんな。彼は初めましてになるのかな」


 ドアを開けて姿を現したのは、金髪で眼鏡をかけた、30代手前辺りと思しき男性だった。

 

 身長は俺よりも少し高いくらいで、緑を基調とした衣服を着ている。

 見た感じ、柔和で落ち着いた雰囲気の、温厚そうな大人といった印象だ。


 しかしそんな印象を抱かせる彼は、腰に巻きつけたベルトの両脇に2本の刀剣を差し込んでいた。

 

 まさか、剣を装備したこの人物が村長なのか?

 とてもそうは見えないが……。

 

「えっと……」


「おっと、先に名乗るべきだったね。僕はリシュル。君は、確か……」


「ケイトです。は、初めまして」


 人見知りを発動した俺は、ぎこちなく挨拶を交わす。

 リシュル……。この眼鏡の男性は、リシュルという名前なのか。

 

「リシュルさん、おはようございます。村長は……」


「もちろん中にいるよ。さあ、入って」

 

 ユズキとエリザは、すでにリシュルと面識があるようだった。

 そして予想通り、彼は村長ではないらしい。




「失礼します……」


 俺たちは村長の家に上がる。

 リシュルの後をついていき、広い部屋に入る。

 部屋の中には大きな長机があり、机の上には書類が乱雑に置かれていた。

 

「おお、よく来たね。ユズキさんにエリザさん、そして、ケイトくんだったかな」


 そう声をかけてきたのは、丸顔で小太りな初老の男性だった。

 口元には立派な髭を生やしており、頭髪には少し白髪が混じっている。


「ケイト。この方がラース村の村長、オルソンさんだよ」


「あっ、初めまして……! 俺は、その……」


「ああ、昨夜にアルラから話は聞いているよ。記憶を失っているんだってね」

 

 どうやらこの村長――オルソンさんは、俺が記憶喪失であることをすでにアルラから聞いているらしい。


「はい……」


「まあ、その辺りの話も含めて、これから魔境蜂討伐の作戦会議をしよう。せっかくクリスさんも来てくれたんだ」


「えっ…………?」


 俺は視線を巡らせ、部屋の隅に赤い髪の女性が立っているのを見つける。

 見間違えるわけがない。彼女は昨日森で出会ったクリスさんだ。

 

 しかし、クリスさんの様子はどこか変だった。

 

 室内が暑いわけでもないのに、額に汗をかいている。

 頭を低くして首を縮こませており、落ち着きなく手を動かしている。

 呼吸も荒く、その表情は苦痛にでも耐えているかのように見えた。

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