第5話 守護者-1

「……ここは一体、どこなんだ?」


 森の中で目を覚ました俺は、ふと空を見上げてみる。

 枝葉の隙間から見える空は、夕焼けで赤く染まっていた。

 

「時刻は夕方か……?」


 気温は暑くも寒くもない。ちょうど過ごしやすいと感じる気温だ。

 空腹感も、喉の渇きも感じない。体調面の問題はなさそうに思える。

 空気を大きく吸い込んでみると、濃密な草木の香りがした。


 現在の俺の服装は、学校の制服だ。

 半袖のシャツに、黒色のズボン。ネクタイは外してある。

 靴は動きやすいスニーカーで、状態は新品同然に綺麗だった。

 

「ポケットの中は……」


 ズボンのポケットの中を漁ってみる。

 何か使えそうなものがあるか、期待していたのだが。

 

「……ゴミすらも入ってないか」


 俺は状況を整理しながら、とりあえず少し歩いてみることにした。

 

 

 

 まずはあの少女――リディアのことだ。

 

 恐らく、リディアは記憶を失う前の俺と知り合いだったのだろう。

 リディアは俺に、守護者だの破滅螺旋を阻止しろだの色々と言っていたが、正直わけがわからなかった。

 

 とはいえ、あれだけ真剣な様子でお願いをされた以上、無視をするわけにもいかない。

 

「明日の満月の夜、か……」

 

 だが今の俺には、何をするにしても情報が足りなすぎる。

 情報収集をするためにも、まずはこの森から抜け出す必要がありそうだ。

 

 

 

 次に、俺の記憶のことだ。

 

 どうやら俺は記憶喪失になっているようで、おかげでこれまでの経緯がさっぱり思い出せなくなっている。

 思い出そうとしても頭の中に靄がかかって、何も考えられなくなってしまうのだ。

 

 自分に関連する情報でハッキリと思い出せるのは、せいぜい名前と年齢くらい。

 

 家族構成はどうだったのか?

 友達はいたのか? 

 恋人はいたのか?

 住んでいた場所は?

 好きな食べ物は?

 好きな音楽は?

 

 ……これらの問いにすら、答えることができないのが現状だ。

 不幸中の幸いなのは、知識についての欠落があまりなさそうなところか。

 

 そしてその知識から判断するに、水も食料も何の道具も持っていないこの状況は、かなり不味い。

 

 サバイバル経験は――あったのかどうか思い出せないが。

 もうじき日が暮れる森の中で水や食料を探すのは、困難に違いない。

 やはり、森から抜け出すことが最優先事項になりそうだった。

 

 

 

「しかし、どの方角へ行けばいいんだ?」


 森を抜け出せたとしても、そこに人がいなければ情報収集はできない。

 なので、人が住んでいる場所に辿り着けるのが理想的なのだが――。

 

「ん……?」


 どこからか、虫の飛ぶ音が聞こえてくる。

 しかし、虫の飛ぶ音にしてはやけに大きい音のような……。

 

 つい気になって、辺りを見渡してみると――

 

「えっ……!?」

 

 ――必死な様子でこちらへ向かって走ってくる女性の姿が目に入った。

 

 女性の髪色は赤く、手には弓を持っている。

 早くも人に出会えたのは幸運だが、そのあまりにも必死な様子を前にし、思わず気後れしてしまう。

 

「たっ、助け……! 蜂がっ、蜂に殺されっ……!」


「蜂……? 何があったんですか?」


「こっ、殺されるっ……! 死にたくな――」


「ちょっ……!?」


 赤髪の女性は、目の前で崩れるように倒れ込んでしまう。

 俺はしゃがみ込んで、女性の安否を確認する。

 

「あの……。大丈夫ですか?」


「いっ、嫌……! 来る……。あいつらが来る……!!」


 頭を抱え込み、体を大きく震わせ、女性はその場でうずくまってしまった。

 ……尋常ではない怯えっぷりだ。これではまともに意思疎通できないだろう。

 

 それでもこれまでの女性の言葉から、わかることはある。

 女性が我を忘れるほど恐怖する何かが、ここへ迫りつつあるのだ。

 

 一体何が迫っている?

 この女性は蜂に殺されると言っていたが……。

 もしかして、先ほど聞こえた大きな羽音は、蜂の羽音なのか?

 

「……………………っ!?」


 再び辺りを見渡したその時だった。

 深緑色の大きな何かが木の幹に止まっているのを、視界に捉えたのだ。

 

 それはよく見ると、スズメバチの姿をしていた。

 

 しかし俺の知っているスズメバチとは、あまりにも大きさが違いすぎる。

 カラスよりも大きなスズメバチなんて、俺の知識にはない……!

 こんな巨大蜂に襲われたら、たとえ毒を持っていなかったとしても、ただごとでは済まないだろう。

 

 俺の脳裏に、死の一文字が浮かび上がる。


「羽音が……、羽音が聞こえる……! 殺されるっ! みんな殺されるわ!」


「羽音……!?」


 巨大蜂は木の幹に止まっている1匹だけではなかった。

 

 後ろにも、前にも、右にも、左にも。

 気づけば俺と赤髪の女性を取り囲むように、数匹の巨大蜂が飛び回っていたのだ。


 ただ飛び回っているだけならいい。せいぜい羽音がうるさいくらいだ。

 だが、どうもそういうわけではないらしい。


 巨大蜂が俺のすぐ横を通り過ぎる。

 暴力的な羽音が耳に吹き込まれ、全身の毛が逆立つ。

 

 巨大蜂は明らかにこちらを認識し、俺の様子を見ながら飛行していた。

 それはまるで、品定めでもしているかのようで――

 

「……っ……!!」

 

 ――ついに1匹の巨大蜂が、俺へと目掛けてまっすぐに飛んで来た。

 

 どうする? どうすればいい……!?

 俺には武器も何もない。この巨大蜂に対抗する手段なんて――



『腕を振るんだ、ケイト!』



 と、青年の声が脳内に響き渡った。

 俺は唐突な命令に対し、一秒も迷うことなく従った。

 反射的に、俺は利き腕である右腕を振るったのだ。

 

 ……もう一度言うが、俺には武器も何もない。

 俺の手には、何も握られていないのだ。

 それで腕を振るったところで、巨大蜂を倒せるわけがない。

 

 その、はずなのに――。

 

「――――っ!?」


 飛来してきた巨大蜂が、真っ二つに切断される。

 

 気づけば俺の右手には、黒い剣が握られていた。

 その剣は黒い炎をまとっていて、両刃の刀身は長く、重量感のありそうな見た目をしている。

 

 しかし不思議と、この剣には見た目ほどの重さを感じなかった。

 

「こっ、これは……?」


 突如として右手に現れた黒い剣。

 一体これは何なのかと疑問に思っていると、

 

「えっ……!?」

 

 握っていた剣は、黒煙を発生させながら跡形もなく消え去ってしまったのだ。

 再び俺の手は、何の武器もない状態となる。

 

「これは、一体……?」


 突然仲間が殺されたことで、巨大蜂は警戒して動きを止めていた。

 

 この隙に逃走を図るべきなのだろうが、俺はそれどころではなくなっていた。

 理解不能な現象を前にし、俺は戸惑い立ち尽くしていたのだ。

 

 そして、更に理解不能な出来事が目の前で起こった。

 

『僕が見えるかい、ケイト』


「なっ――――――」


 黒い鎧を着用した、整った顔立ちの青年が、突如として目の前に現れたのだ。

 

 銀色の短髪に、宝石のように輝く金色の瞳。

 しかしどこか、その輪郭はぼやけているように見える。

 まるで、この青年だけ焦点が合っていないかのような……。

 

「お前は、一体……? いやそれよりも、何で俺の名前を知って……!」


『どうやら驚かせてしまったようだね』


 銀髪の青年の声が、脳内に直接響き渡る。

 俺は耳ではなく、頭の中で青年の声を聞いていた。

 

 青年は、まっすぐと俺の目を見て言った。


『僕の名前はセイク。守護者の一人であり、君にすべてを捧げる者だ』

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