小話×3
①妄想はほどほどに(詩織視点)
「最近、少し太ったみたいなんだ」
真っ白な二の腕をつまみながら、思い出したように紗良が言った。
「全然よ。もう少し太ってもいいくらい」
「えー、なんかプニプニしてる気がするんだけど。ほらぁ」
触ってみて、と二の腕を近づけられ、言われるがままにその細い二の腕をそっとつまんでみるも、やっぱり全然だ。というか、私よりお肉は少ない。
「やっぱり全然……」
あれ? そういえば、二の腕の柔らかさって胸の柔らかさと同じって言うわよね? あれって本当なのかしら。
ぷにっ。改めてつまんだ二の腕に大した肉づきはないが、焼く前のパン生地みたいなフニフニとした柔らかさはある。
この柔らかさがあの膨らみと同じだなんてこと……どうなんだろう。紗良の胸にはあまりボリュームがないから、もしかしたら本当に? いや、まさか。あんなの都市伝説だ。
「ねえ、詩織さん。ちょっと揉みすぎ」
「え? あっ、ご、ごめんなさい!」
気づけば無心に、しかも真顔で二の腕をプニプニし続けていたらしく、さすがの紗良も少々ご立腹だ。慌てて手を離すも、もう遅い。プニられた右腕の二の腕をさする彼女の拗ねた口元は、ツンと尖っていた。
「やっぱり太ったんだ……」
「え、そんなことないわよ!?」
「今日からダイエットするから!」
慰めは結構とばかりに、私の言葉をスルーしてダイエット宣言をする紗良。いや、本当に必要ないと思うんだけど。このスレンダーボディで太ったなんて言われたら、世の女性の大半は肥満だらけだ。
しかし、まさか二の腕から胸の柔らかさを連想していたなんて言えるわけもなく、紗良の決意も固かった。
ごめんね、紗良。私の中の思春期男子がスケベ心を出したばっかりに。
こうしてダイエットを始めた紗良の二の腕は、適度に引き締まり、ネットで二の腕と胸の柔らかさの関係について検索した私は、「そんなわけないだろwww」という結果に夢を打ち砕かれたのだった。
②偉大な猫先輩(詩織視点)
紗良は、寝る時は必ず抱き枕をお供にして寝ているらしい。そう、私が泊まりに来た時は席を外していた、例の長い猫の抱き枕だ。
あの時のことは精神衛生上の問題で記憶から消したい思い出になっているのだけど、いつも寝室にいるはずのその抱き枕が、今日は珍しくリビングのソファで寝そべっていた。
「あ、ごめん。出しっぱなしだった」
「別にいいけど、ここに置いてるの珍しいわね」
「うん、今朝洗ったとこなの。さっき詩織さんが来る前に乾いたのを取り込んだとこだから、フカフカのホカホカだよー」
そう言って、天使の笑顔で抱き枕をぎゅーっと抱きしめる紗良が可愛すぎるし、猫が羨ましすぎて吐血しそう。いや、私があんな顔で抱きしめられたら、多分寿命が縮むか意識が飛ぶかの二択だけどね。
猫先輩、いつもお疲れ様です。
「そういうぬいぐるみタイプの抱き枕って、どう洗ってるの?」
「お風呂で手洗いだよー。今朝、一緒に入ったの」
なんだって? 猫先輩、もしやベッドだけでなく、紗良と一緒にお風呂まで……?
愛らしい猫の顔をじっと見つめると、どことなく得意げなドヤ顔に見えてきた。くっ、羨ましくなんか……あるけど!
いいなぁ! 私、転生先を間違えたかもしれない!
「この抱き枕、小学生の時からずーっと一緒で、もうヨレヨレなんだ。でも、寝る時はこの子がいないと落ち着かないから、一人暮らしでも連れてきちゃったの」
「……そう」
「あ、ヨレヨレだけど手触りはすごくいいんだよ。ほら!」
差し出された猫先輩を抱いてみると、柔軟剤とお日さまの優しい匂いにまじって、ふんわりと紗良の匂いがする。
そっか。この抱き枕がずっと、紗良の涙も辛い夜も支えてくれてたのね。もしもこの猫に心があったなら、きっと随分と心配していただろう。今は安心してくれているといいけれど。
そう思い、もう一度猫先輩の顔を見てみると、さっきは得意げに見えた表情も、なんだか人の良いばあやみたいに見えてくるから不思議だ。
「大事にしてあげなきゃね」
抱き枕を返すと、当然のようにぎゅっと抱きしめ、「うん!」と無邪気な笑顔が返ってくる。紗良がこの猫とお別れするのは、まだまだ先の話になりそうだ。
「あ、さっきこの子がいないと眠れないって言ったけど、詩織さんが泊まりにきた時はすぐ眠れたんだ」
「え、そうなの?」
「うん、すぐにスヤァって」
そうなんだ。あの時は私が先に寝ちゃったから知らなかった。
「詩織さん、私の抱き枕になる?」
「……っ、ならないわよ!」
不意打ちのお誘いに、平静を装い損ねてしまった私に、紗良が「そうだよねー」とおかしそうに笑う。てっきり天然が炸裂したのかと思ったが、案外わかってやっているのかもしれない。
それにしたって、抱き枕になる? はないだろう。
ねえ、紗良。今はそんな信用しきった顔で冗談言ってるけど、貴女が寝床に誘ったのが大人しい抱き枕なんかじゃなくて、実は安眠を妨害したくて仕方のないオオカミだって知った日には、一体どんな顔をするのかしらね。
いつか訪れるかもしれないその日までは──紗良の夜のお相手をよろしく、猫先輩。
③私はいいやつだから(友田先輩視点)52話の後
「それじゃあ、また新学期ね」
「はい、友田先輩も良い夏休みをお過ごし下さい」
ペコリと一礼して、紗良ちゃんは少し離れた場所で待っていた詩織さんのもとへと駆けていった。駆け寄った紗良ちゃんと何か話した詩織さんが、こっちを向いてヒラヒラと手を振ると、それを真似るように紗良ちゃんも小さく手を振る。
手を振り返すとふわりと微笑んで、そのまま背を向けて帰っていく2人の姿がやけに眩しい。目を細めてじっと眺めていると、突然グイッと肩に腕が回された。
「なーに黄昏ちゃってるの?」
「失恋の後くらい、少しは浸らせてよ」
「オッケー、40秒で復活してね」
短すぎるだろうとツッコミを入れかけたが、この悪友は昔からこういうやつだった。口を開けばろくな事を言わないし、ヘラヘラした顔は神経を逆撫でしてくるけれど、40秒が40日になっても文句を言いつつ付き合ってくれる……はずだ。多分。
「詩織さんにも来てもらったのはさ、ちょっと失敗だったかも」
「あ、だよねー。私も想像以上でびっくり」
「陽子もかぁ。ほんと、なんであの二人付き合ってないの? あんな出来上がってるのに!」
フラれた上に見せつけられた私の心のダメージの大きさよ! 今日は最初からフラれるつもりで来てたけど、予定よりもダメージ大きくて回復が追いつかない!
しかも、アレ天然でやってるんでしょ? なに? いつもナチュラルにあんな感じなの? あんな桃色の空気ばら撒いてるの?
あの空気、モテない人間にとっては毒ガスじゃない!?
「完敗すぎて清々しいわー」
「そりゃ良かった。あ、そういえば詩織とは何話したの?」
「さっさと告白して、フラれたら失恋同盟組もうってお誘いしといた」
「あはっ、友田もいい性格してるなぁ。詩織に、友田はいいやつって言っちゃったのに」
「どこからどう見ても、最高にいいやつでしょ」
本当に、私ほどいいやつはいない。これだけ見せつけられたっていうのに、ヘタレてる背中の後押しまでしてあげたんだから。
ま、これは詩織さんのためじゃなくて紗良ちゃんのためだから。フラれちゃっても、好きな子にはやっぱり幸せになってほしいし。強がりも入っているけど、そう思える自分のことはいいやつだって思えるし、結構好きだよ。
「あの二人、どうなると思う?」
「そのうち付き合うでしょ。紗良ちゃんが自覚して、詩織さんが腹をくくれば」
というか、そうならないと今日の自分が馬鹿みたいだ。あの様子だと、少し時間がかかりそうな気がするけど、これ以上のお節介をするつもりはない。何といっても、私はフラれた側なのだから。
「詩織さん、もし紗良ちゃんのこと泣かせたら、今度こそ私が掻っ攫ってやる」
それいいね、と陽子がケタケタ笑うけど、半分以上は本気だ。これでもかってくらい大事にして、世界一幸せにしてもらわないと認めない。
実らなかったけれど、彼女を好きになったことを後悔することはないだろう。完膚なきまでにフラれたのに、それでもあの子が愛おしい。他人が見れば、未練がましいと笑うかもしれないけど、この想いはきっと一生胸の奥にとっておく。
そんな本気の恋だった。
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