86・【番外編】紗良視点⑮
詩織さんが来る前日、私はひたすら少女漫画を読み漁っていた。自分が持っているものや先日アキホちゃんから借りたもの、人気の作品を電子書籍でも何冊か買って一日中読んだ結果、ショボショボの目と引き換えに至った結論は『漫画の告白はあまり役に立たない』だ。
読んだ漫画が悪かったのか、男女の恋愛だからそう思ったのか、少なくとも私が詩織さんにする告白の参考にはならない。
そもそも告白のシチュエーションも関係性も違うのだから、当然といえば当然なんだけど、一日かけて出した結論がそれだと徒労感が酷い。なぜもっと早く気づけなかったのか。
「漫画ってファンタジーなんだなぁ」
現実なら笑ってしまうような台詞も、本の中ならロマンチックでカッコよく見えてしまう。少女漫画好きのアキホちゃんが、前に「壁ドンされたい」とか「後ろから抱きしめられたい」とか言ってたけど、付き合ってもない人からそれをされるって結構怖いよ。
壁ドン・顎クイして「俺の女になれよ(キラーン)」って、何様!? 寝てる人にキスとか……したくなるのわかるけど! 私も唇触っちゃったけど!!
ああ、でも今はそれどころじゃない。私が詩織さんに、どう告白するかが問題だ。
詩織さんはどんな言葉やシチュエーションにキュンとしてくれる? 一度くらい、そんな話をしておけば良かった!
一瞬、壁ドン・顎クイして「私の彼女になりなよ(キラーン)」って言ってる自分を想像したけれど、あまりのダサさにげんなりして頭から振り払う。うん、ない……これだけは絶対ない。
「告白って難しい~!」
どうしよう、全然プランが決まらない。こんな調子で、上手く気持ちを伝えられるのだろうか。
告白前夜。自分の恋愛スキルの低さに絶望し、素敵な告白シチュエーションなんてまったく思いつかないまま、夜は更けていった。
※ ※ ※ ※
翌日、告白するんだと意気込む私の気も知らず、詩織さんは来た。いつも通りの眩しい笑顔で、「今日も暑いわね」なんて言ってアイスをお土産に。
あー、この人、なんでこんなに素敵なんだろう。微笑みかけられるだけで、もう告白したくなっちゃう。キュウっと甘く鳴る胸が先走りそうになるけど、さすがにまだ早い。せめて椅子に座ってからだろうと、中に入ってもらってお茶を淹れて、いつものように勉強を始めた。
……しまった。
流れるようにいつも通り勉強を始めてしまったし、なんなら集中してたけど、今日はそういうつもりじゃなかったのに。早めに話を切り出して、自分の気持ちをちゃんと伝えて、恋人同士になれたなら今日くらいは勉強は置いといて、恋人っぽい時間を過ごせたらいいな、なんて思っていたはずが、初っ端から思いっきり計画が狂ってしまった。
ここは一度、流れを断ち切らないといけない。どうしたら告白の流れになるだろう。詩織さんは詩織さんで自分の勉強を真面目にやってるし、邪魔はしたくない。
どうしたものかと手を止めて悩んでいると、「紗良は優秀だから、最近は教えることがほとんどないわね」と、詩織さんが話しかけてきてくれた。
詩織さん、ナイスタイミング! これはチャンスだ!
「詩織さんの教え方がわかりやすいおかげで、なんとかついていけてるだけ。一人だったら、とっくに脱落してたよ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、予想ではもっとつきっきりになると思ってたのに」
「あはは、先生が優秀だったからね」
「お褒めに預かり光栄。あんまり質問が少なくても寂しいから、何かあれば遠慮なく聞いてね」
聞きたいことあります! 私のこと好き!?
……いやいや、これじゃ陽子さんと一緒だよ。却下。
「あ、じゃあ、後輩の女の子に告白されたって本当?」
詩織さんの笑顔がカチンと固まり、口角が不自然にキュッと上がった。よっぽど動揺したのか、大きな瞳がゆらゆらと泳いでいる。
詩織さんって、普段はにっこりと笑顔を浮かべていてあまり感情を出さないけど、どうやら不意打ちに弱いタイプらしく、そんな時はこうしてわかりやすく顔に出してくれる。そういうとこもすごく可愛い。
「本当だけど……」
頭が痛いといった様子で、詩織さんが言った。
そういえば、私が島本さんに会ったことや、協力を断った話はしないままになっている。した方がいいのかとも思うけど、これだけ島本さんへの苦手意識が漏れ出ている詩織さんに伝えるのはなんだか申し訳ないので、もう少し黙ってようかな。
詳しく話を聞くと、島本さんはかなり積極的で打たれ強いタイプらしい。好きな人がいると言っても引かなかったらしいし、一筋縄ではいかなさそうだ。
「私、本とか映画とかで振られても諦めずに想い続けるキャラクターって結構好きだったんだけど、あれって実際にはすごく迷惑で怖いものなんだって、今回のことでよくわかったわ」
詩織さんのため息まじりの言葉に、散々読んだ少女漫画を思い出した。振られても、相手に恋人がいても諦めない強メンタルの登場人物達……漫画とはいえ普通に怖い。背景のスクリーントーン、あんなキラキラしたのじゃなくて、もっと不気味で不穏なやつを使うべきかもしれない。
「あとさ、少女漫画でよくある壁ドンとか顎クイとか、恐怖でしかないよね。男女だと体格差も力の差もあるんだから。寝てる人にキスするとかも、強制わいせつ罪で捕まればいいのに」
これについては、私も言える立場ではないけど。でも、未遂だからセーフってことにしてほしい。あ、でも触っちゃったし、やっぱりアウトかもしれない。
私の言い分に詩織さんが笑って同意してくれるも、その後に聞き捨てならないことを言った。
「元々の好感度が高ければ、ときめくのかもしれないけどね、壁ドン」
えっ、詩織さんもまさかの壁ドン肯定派!?
じゃあ、私がしたらときめいてくれるのかな。昨日の妄想の「私の彼女になりなよ(キラーン)」が一気に現実味を帯びてきた。……いや、さすがにこれはしないけど。
ちなみに、島本さんからされたらどうかと聞いたら、突き飛ばしてダッシュで逃げると即答していたから、島本さんのことは恋敵としてあまり警戒しなくて良さそうかな。
それよりも今は私の告白のことだ。せっかくそういう話題になったんだから、今こそチャンスなのに、どうにも攻めあぐねてしまう。愚痴とか聞くから、なんて友達の顔して言ってる場合じゃないのに!
「ありがとう。一緒にランチしてる後輩からは、断りたいなら恋人作れって言われたけど、そんな簡単に作れるものじゃないしね……」
はいっ、私! 私の恋人になれば良いと思います!
なんて、言えるわけないよー! そんなノリで立候補するような形の告白なんて……!
「紗良、私の恋人になってみる?」
「あ、なるほど。いいよー!」
……あ、あれ? 立候補する前にお誘いされた?
嬉しいし、つい二つ返事でオッケーしてしまったけど、思ってたのと違う……っていうか、多分冗談のつもりで言ったよね、詩織さん。
でも、これはチャンスだ。
ここでちゃんと告白して、私が恋人になりたいって言えばいい。
よし、言うぞ! と、気合を入れて詩織さんに向き直る。──と同時に、そんな気合いは音をたてて萎んでしまった。
だって、詩織さんの青ざめた顔に「そんなつもりじゃなかった」って書いてるんだもん。これが少しくらい恥じらいや期待を感じる顔なら、私だって勢いで好きだって言えたと思う。
でも、こんなギョッとした顔されたら私だって言いにくい。陽子さんはああ言ってたけど、本当に私のこと好きなのかな。こんな詩織さんを見てしまうと、今更そんな疑問が湧き上がってしまって、もう告白は無理そうだ。
だから、逃げ道を作った。お互いのために。
「偽装彼女ってことでしょ? まかせて! 詩織さんのためなら一肌脱ぐよ!」
頑張って笑って、そう言ってみせると、強張っていた詩織さんの表情が「あ、そういうことか」っていう納得のものに変わり、明らかにホッとしたようなものになった。あ、ダメ。これ辛い。
「ありがとう。でもね、大丈夫。まずは自分で頑張ってみるから」
まあ、そう言うよね。
今日は告白するんだって決意してたけど、今ので心がポッキリ折れてしまった気がする。完全に流れが途切れてしまった。
詩織さんは、私が島本さんに恨まれて何かされたら嫌だからって言うけど、そんなの気にしなくて良いのに。女の子に嫌われるのは慣れている。そりゃ出来れば恨まれたくないけど、詩織さんと──好きな人と恋人になれるのなら、それでも良かったのに。
「あーあ、振られちゃったー」
「ふふっ、私も可愛い彼女が出来損ねて残念だわー」
残念なんて言うくらいなら、本当に私と付き合ってよ。あんな悪趣味な冗談、言わないでよ。
まだちゃんと告白して振られたわけじゃないけど、胸が痛い。無理にでも笑って軽口をたたいてないと、ボロボロに泣いちゃいそうだ。
今朝まではあんなに胸を躍らせていたのに、どうしてこうなっちゃったんだろう。
「つい雑談しちゃったけど、そろそろ勉強に戻ろっか」
そう言って、参考書に目を落とすふりをして顔を隠した。
仕方ない、今日はそういうタイミングじゃなかったんだ。チャンスはこれからいくらでもあるんだから。これくらいで落ち込んでちゃダメだ。
自分を慰める言葉を必死に思い浮かべるけど、沈んだ気分は浮上してきてくれない。むしろ、ますます重くなっていって、その後の時間も頑張って笑顔を貼り付けていた。演技の苦手な私が、詩織さんに気づかれなかったのは奇跡だろう。
詩織さんが早く帰れば良いのにと願ったのは、初めてのことだった。
※ ※ ※ ※
「今日もありがとう。気をつけて帰ってね」
気の重い時間がようやく過ぎ去り、玄関で詩織さんを見送る頃には、少しは沈んだ気持ちも落ち着いていた。
ダメだな、私。島本さんの強さをほんのひと匙でも分けてもらいたいくらいだ。こんな打たれ弱い私で、あの子に勝てるだろうか。告白のチャンスはまた来るかもしれないけど、その時には詩織さんの心に島本さんや他の誰かがいるかもしれないのに。
「あ……、詩織さん!」
じゃあね、と背中を向ける詩織さんを呼び止め、まだ帰すまいと反射的に伸びた手が金属の扉につく。
あ、これ壁ドンだと気づいて、こんな時なのにちょっと笑ってしまった。だって、まさか本当に自分がやることになるとは思ってなかったし。
驚いたみたいに固まっていた詩織さんが、ゆっくりと振り向く。直接触れてはいなくても体温を感じるほどの近さに、心臓が早鐘を打った。
「へへっ、壁ドーン」
とりあえず冗談めかしてみたけれど、一瞬だけチラッと私を見た詩織さんがパッ顔を逸らす。
私の見間違いでなければ、その時の顔は──
「からのー、顎クイ!」
ちゃんと顔が見たくて、やっぱり冗談めかしたまま、無理やりこっちを向かせたら、思った通りだ。詩織さん、すごく可愛い顔になってた。真っ赤になって狼狽して、恥ずかしそうな、不意打ちで感情が隠せていない、詩織さんの素の表情。
『元々の好感度が高ければ、ときめくのかもしれないけどね、壁ドン』
ねえ、やっぱり私のこと好きなんじゃないの? そんなに目を潤ませて、首まで赤く染めて、これで私のことをなんとも思ってないなんてことある?
ああもう、このままキスしてしまいたい! 少女漫画の俺様男子の気持ち、今ちょっとわかったよ。好きな子がこんな可愛い顔してたら、キスしたくなるよね。今の私、めちゃくちゃ我慢してるもん!
「あははっ、詩織さん真っ赤!」
「あ、赤くもなるわよ、こんなの……」
「ねえねえ、ときめいた? ドキッとした?」
「…………した。から、そろそろ勘弁してください」
ああああ、可愛すぎる……っ!
ねえ、今ときめいたって認めたよね? ドキッとしたんだよね?
嬉しい。嬉しい嬉しい嬉しい! さっきまでの最低な気分から一転、最高にハッピーだ。
今なら告白できる。今が最大のチャンスだ! でも、もう少しこの可愛い詩織さんを見ていたい。
「照れた詩織さん、可愛いんだもん。もう少し堪能したいなー」
「……可愛くないってば」
この人は自分の可愛さをもう少し自覚するべきだろう。容姿がセクシー系なのは認めるけれど、表情や仕草はとびっきり愛らしいのに。今まさに、顎クイの羞恥にじっと耐えてる姿なんて身悶えしそうなほどいじらしく、こうして少し意地悪してしまうほどだ。
しかし、嬉しさのあまり調子に乗りすぎたかもしれない。顔は真っ赤なままだけど、キュッと眉を吊り上げた詩織さんは、ちょっと怒った口調で言った。
「……あのね、紗良。私、言ったわよね」
「何を?」
「貴女は魅力的で、男にも女にも好かれるんだって。警戒心を持ちなさいって」
「あぁ~……」
はい、言っていました。
今となっては、詩織さんからそれを言われるのはくすぐったい気持ちなんだけど、確かに言いました。
「こういうことすると、煽られたって勘違いされて、逆襲されるかもしれないんだから。危ないでしょ、こんな……私達二人しかいない部屋で」
勘違いでも何でもなく、煽ってるんだけどな。
いや、煽るまでのつもりはなくても、詩織さんとなら何かあっても良いと思ってるからやってるわけで、さすがに他の人にこんなことはしない。そもそも詩織さん以外を部屋に入れるつもりはない。
「だって、詩織さんなら大丈夫でしょ?」
「あら、私だってここまでされれば、唇の一つでも奪おうかって考えてるかもしれないわよ?」
「えぇー?」
またそんなこと言って……絶対しないでしょ、そんなの。それを実行に移してくれるような人なら、私だって苦労しない。
大体、以前から詩織さんはこういう冗談をよく口にするのだ。出会ってまだ半月くらいの頃にも「誘われたい?」なんてからかわれたし、今日の「恋人になってみる?」も同じノリで言ったのだろう。
その冗談が現実になったことは勿論なくて、私ばかりがいつも振り回されている。
「ああ、もう。そこまで煽るなら、期待に応えましょうか?」
そう口にした詩織さんは、さっきまでの恥ずかしがり屋の可愛い彼女ではなく、艶然とした大人の女性の顔をしていて、私が反応するよりも早く、白い両腕が首の後ろにするりと回された。
予想外の反撃と突然与えられたぬくもりに、頭のてっぺんから足先までが一瞬で熱をもった。当然、顔なんて耳がチリチリするくらい熱くなってる。
私の動揺を見てとって、満足そうに「照れた紗良も可愛いわよ」なんて、詩織さんのそういうとこ、ほんっっっとにタチが悪い。
「……照れてないもん」
「そう? じゃあ、もう少し大丈夫かしら?」
「え、詩織さん待っ……あっ」
もう少しって何? と、聞く間もなかった。
回された腕にぐっと引き寄せられる。あまりの展開に頭がついていかず、されるがままになっていると、動揺のせいか足元がふらつく。
あ、と思った時にはもう視界いっぱいに詩織さんがいて、避けられるはずもない。ドアについていた左腕なんて、何の役にもたたなかった。
唇に触れたのは、ほんの一瞬。それでも、その柔らかさとぬくもりを知るには十分な時間だ。
──キスしちゃった!!!
左手はドアにつき、右手で詩織さんを支えたバランスの悪い姿勢のまま、私の頭の中はそれだけでいっぱいになっていた。
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