85・【番外編】紗良視点⑭ + α
「でも私、詩織のそういうとこ嫌いなんだよね」
思いがけない言葉に、数瞬耳を疑った。
え、今なんて? 嫌い?
いやいや、そんな。まさかでしょ。さっき、あれだけ詩織さんについて熱弁して、可愛いなんて言っておきながら、嫌いなわけないし。
きっと聞き間違い……
「可愛いとは思うけどさ、嫌いなものは嫌い」
じゃなかった!!!
どう返事をしていいか困ってしまって、スマホを握りしめたまま固まっていると、耳元でプッと吹き出し、「ショーゲキの告白ってやつ?」なんてからかうような口調で言ってくるものだから、カチンときた。
「そうですよ、衝撃の告白でしたよ! 陽子さん、変な人だけど詩織さんのことは大切にしてるって信じてたのに! しかも、なんで私にそういうこと言うんですか! 陽子さんが詩織さんを嫌ってても、私は絶対に詩織さん派ですからね! 絶対の絶対ですから!!」
一気に言い切って、毛を逆立てた猫みたいになりながら息を乱していると、今度こそ抑えきれないとばかりに、怒られたはずの当人は声を上げて笑い始めた。
こっちは本気で怒ってるのに! ムカつく!
「あっはは、いや、ごめん。微笑ましくて、つい。ぷっ、ふはっ、絶対の絶対とか、小学生ぶりに聞いたもんだから。可愛いなぁ、もう」
「ピックアップするのはそこじゃないと思うんですけど」
「ああ、うん、ごめんごめん。紗良ちゃんの詩織愛はよーくわかった。話を戻すけど、嫌いなのは詩織本人じゃなくて夢見がちなとこ」
「……要するに悪口じゃないですか」
悪口は絶対言わないなんて、聖人みたいなことは言わない。でも、詩織さんのことだけは悪く言いたくない。
断固拒否の姿勢の私に、「そういう意味じゃなくて……うーん」と陽子さんが言葉に詰まる。
嫌いなんて言っておきながら、悪口以外の何だというのだ。心の中でファイティングポーズをとりながら次の言葉を待っていると、うーんともう一つ唸ってから、陽子さんが訊いてきた。
「紗良ちゃんはさ、夢って何だと思う?」
詩織さんの話をしていたはずなのに、なんだか随分と抽象的な質問が飛び出してきた。誤魔化すつもりにしては真面目な声。話の流れ的に、寝ている時に見る夢の話をしているわけではないのだろう。
少し考えてから「楽しい空想とか未来への願望……でしょうか?」と答えると「うん、そうだね、そんな感じ」と満足げな声が返ってきた。
「夢の意味なんて聞いて、何が言いたいんですか?」
「うん、まあ聞いてよ。紗良ちゃんの言うように、私も夢って空想や願望だと思うんだよ。でもさぁ、それってつまり──自力で叶えるつもりのない目標なんじゃない?」
いつもと変わらない、陽気な軽い口調。話してる相手の笑った顔さえ思い浮かべられる。
なのになぜだろう、その声の温度だけが違う気がして背筋がゾクゾクする。
なんでこんな話をしているんだろう。陽子さんと会長さんの告白の話を聞いていたはずなのに、気づけば詩織さんの話になって、こんな禅問答みたいな話になって。
「会長との一件で、私も学んだんだよ。願ってるだけじゃ、欲しいものは手に入らない。ちゃんと自分の足で近づいて、手を伸ばして掴み取らないとダメなんだって」
「それは……はい、そうかもしれません」
私の高校生活だってそうだったから、言いたいことはわかる。幸運にも手の内に転がり込んでくることだってあるけど、ほとんどの場合それでは手に入らない。
そういえば、聖書にもそんな一節があったっけ。確か、『求めよさらば与えられん』だったかな。時代や土地が違っても、人が考えることは似たようなものらしい。
でも、この話の流れだと、詩織さんが欲しいもののために努力しない人みたいじゃないか。それは違うと思う。
「詩織は出来がいいからさ、わざわざ動かなくても、ちょっと腕を伸ばすだけで大抵のものは手に入っちゃうんだよね。例えば、学年首席の学力とか」
まるで私の考えを読んだみたいな言葉。そんな簡単なものじゃないだろうけど、言いたいことはわかる。詩織さんは優秀だ。
「でも、簡単に手に入らないものもあるでしょ? そういうものをがむしゃらに掴み取りに行かず、怖がって足踏みばかりしてるんだよ。本人は無自覚みたいだけど」
「そうなんですか?」
「うん、言い訳ばっかりでさぁ。なまじ頭がいいから、『行動に移さない正当な理由』をポンポン思いつくんじゃないかな。無自覚だから、自分が動かないのはそれが理由だって本気で思ってるとこがタチ悪いよね」
大袈裟にうんざりした声で「逃げ口上を聞くのも、そろそろ飽きたよ」なんて、そんなわざとらしい言い訳をしなくても良いのに。
「さっき詩織は現実がよく見えてるって言ったけど、あれは半分本当で半分ウソ。あの子、自分に都合のいい現実は全然見えてないんだもん」
都合の悪い現実を警戒するばかりで、都合のいい現実は『夢』扱いなのだと、腹立たしそうに陽子さんは言う。
「そんな子だから、もし好きな人が出来てもめちゃくちゃ不器用に立ち回って、自滅しそうな感じするよね。もう、お姉さんは心配で心配で!」
「あはは……」
詩織さんが聞いたら「誰がお姉さんよ!」って怒りそうだな。陽子さんなら、それも込みで楽しみそうだけど。この人もなかなかメンタルが強い。
そんなことより、さっきから陽子さんはヒントを出しすぎだし、私はそんなにバカじゃない。
人間関係や恋愛が絡むと夢見がちになるって話をしてからのこれだ。しかも、確信してる口ぶりで。それってつまり、詩織さんの欲しいものを知ってるってことでしょう? 動かない言い訳も、直接聞いたんでしょう?
わざわざそれを私に聞かせる理由なんて、少し考えれば限られてくる。だって、陽子さんはいつだって詩織さんのために動く人だから。
「陽子さんもまだまだですね。詩織さんは、そういうとこも含めて可愛いのに」
「ははーん、言ってくれるねぇ! ま、私はほら、詩織並みに面倒でタチ悪い会長の可愛さをよく知ってるからいいの」
「ごちそうさまです、機会があれば会わせてくださいね。あっ、そういえば告白の話がまだ途中でした」
詩織さんの話に夢中になって忘れていたけど、元々はその話をしていたんだった。こっちはこっちで聞いておきたい。
「覚えてたかぁ。どこまで話したかな……あ、詩織が妥協案出したとこだ。えーっと、生徒会室から出てきた二人に私が見つかって、そのまま会長だけ残ってもらって話をしたんだよ」
「わあ、ついに告白ですね!」
「うん、まあ、そうなんだけど。で、会長に『私のこと好きって本当ですか?』って聞いたら、そうだって言うから『私も好きです』って言ったんだけど……ねえ、これってどっちが告白したことになると思う?」
…………えっと、どっちが告白したとかっていうより、私はその陽子さんの告白の仕方にびっくりですよ。そこは確認してからじゃなく、ビシッとキメてほしかった。
人の告白にダメ出しするのが失礼なのはわかっていても、自分を棚上げしてでも、思わずにはいられない。なんでわざわざ確認して保険かけちゃうの? 陽子さんのヘタレ!
「先に好きって言った会長さんの勝ちです」
「え、なんで勝ち負けの話になってるの?」
「なんでもです!」
私は絶対、そんなヘタレた告白しない!
もう散々お膳立てしてもらった後だけど、せめて告白の時くらいはかっこよくキメて、一生忘れられないくらいときめいてもらいたい。両思いだったなら、もっと好きになってもらえるような最高の告白をしよう。
そして明後日、詩織さんがこの部屋を出る時には、きっと私たちは恋人同士になってる。いや、なってみせる!
※ ※ ※ ※
「じゃあ、これから考えてみて下さい。そこからどうするかは、会長にお任せします」
生徒会室前の廊下にしゃがみ込みながら、よくぞ今まで会長との情事がバレずにいたものだと、陽子は冷や汗をかいていた。普通の声なら問題ないが、大きな声は廊下でも結構しっかり聞き取れている。
幸運なのは彼女か会長か、それとも両方ともか。見つけたのが詩織だったのも、二人にとっては大きな幸運だっただろう。中から漏れ聞こえる会長の本音は、詩織でないと聞けなかったものだから。
話し合いが終わり、部屋から出ようとしたところを会長だけ引き留め、すでに逃げ腰で後退し始めている彼女から目を逸らさず、陽子は後ろ手で扉を閉めた。
建て付けの悪い扉が閉まるガタンという音で、絶望的な顔になる会長を見て、これから何を言われると思っているのやらと小さく笑った。
陽子が一歩踏み出すたびに、少しずつ後ずさる会長。しかし、残念ながらこの部屋はそんなに広くない。すぐに窓際に追い詰められた彼女は、焦ったように周りを見渡し、ゆっくりと近づく後輩を見て、観念したように項垂れた。
「会長」
呼びかけても、力なく首を振るだけ。さっき詩織に言われたことを実行する覚悟は、まだ出来ていないらしい。
手を伸ばそうとしたところで、このままだと窓の外から丸見えだと気づいた陽子が、淡い黄色のカーテンを閉める。
「……会長」
もう一度、今度は出来るだけ優しく呼びかけると、返事の代わりに大粒の涙がほたほたと床に落ちた。
なんてどうしようもない人なんだろうと、陽子は思う。嘘をついてまで関係を続けて、バレて、それなのにまだ観念せずに黙って泣いて。
言いたいことも聞きたいことも、文句だって山ほどある。それでも、どうしようもなく愚かで、どうしようもなく愛おしいこの人から、今すぐ聞きたい言葉はひとつだけだ。
「私のこと、好きって本当ですか?」
びくりと、会長の肩が跳ね上がった。
責められていると勘違いしたのだろう。震える声で「ごめん」と小さく謝罪するけれど、陽子が聞きたいのはそんな言葉じゃない。
たまらず引き寄せ、ぎゅうっと抱きしめたら、腕の中で「ひょっ!?」と間抜けな声が上がった。何、その声。可愛いんだけど。焦り声なら情事の最中に何度も聞いたけど、こんなの初めて聞いた。
張り詰めていた気持ちがへにゃりと弛む。気持ちが解けると余裕が生まれるもので、少しだけ冷静になれた。思えば、こんなふうに抱きしめたのも初めてだ。
いつも『抱く』ことが目的で、気持ちを通わせるために抱きしめることなんてなかった。それをしてしまうと、自分の気持ちがバレてしまいそうで怖かったのだ。
「好きって聞きたいんです。会長から直接」
自分から言えばいいのはわかってるし、こんなの半分告白してるようなものだけど、これはもう陽子自身にもよくわからない意地みたいなものだ。
好きだと言ってほしい、切実に。ずっと酷い嘘をついていたこの人に、自分より先に言わせたい。たったそれだけで、全部許せる気がするから。
「…………好き」
祈るような気持ちでじっと待って、ようやく会長が口にした、ずっと欲しくて仕方のなかった言葉。口からこぼれた瞬間、そのまま空気に溶けていきそうなくらい小さな声だったけど、確かに聞こえた。
いつもの陽子なら、おちゃらけて「え、なんて?」なんて言って、もう一度言わせるところだけど、嬉しすぎてそんな場合じゃない。
「私も好きです。ずっと前から貴女のことが好きでした」
飲み込み続けてきた言葉を伝えた途端、まるで何か重いものが抜け落ちたような爽快感が、陽子の身体中を駆け抜けていった。
中学二年生から、もう三年近い片思いだ。三年分の想いを詰め込んだ告白は、これ以上ないくらい平凡な言葉だったけど、案外そんなものなのかもしれないと思う。カッコイイ言い回しなんて、全然考えつかなかった。
「好きです、本当に……めちゃくちゃ好きなんです」
「そんなの言ってもらえる資格、私には……」
「私は貴女が好きで、貴女も私を好きってこと以上に、何か大事なことってあります?」
息を呑んだ会長が、ぐっと押し黙る。しばらく葛藤するように小さく唸っていたけれど、やがて諦めたのか「はぁ」とため息をついて、陽子の背にそっと手を回した。
「趣味悪い」
「そっちこそ」
陽子は思う。自分達は順番を間違えたのだと。自分を守りすぎて、怯えて、傷つけあって、随分と遠回りしてしまった。
でも、ちゃんと辿り着いたから。ようやく心が通じ合ったからには、今度はもう間違わない。詩織の言うような良い思い出で終わらせるつもりなんて更々ないけれど、陽子が今それを言えばこの人は困るだろうから黙っているだけだ。
「詩織に大きな借りが出来ちゃったなぁ」
「そうだね。でも、早速ほかの女の子の話?」
「あれっ、嫉妬ですか?」
「うん、実は結構嫉妬深いよ、私」
意外な本音に、自分の恋人は本当にどうしようもないと、陽子の口から笑いがこぼれた。おそらく、自分が何度も彼女の顔やスタイルを褒めていたのが原因だろうとわかったから、これはしっかりご機嫌を取らなければと気合を入れる。
友人であり恩人でもある彼女には、最大限の感謝を。何らかの形で恩を返していくつもりだが、何をどう返せばいいものか陽子には見当もつかない。紗良の件で貸しを作ったつもりだったのに、結構な利子がついて返ってきたものだ。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。窓の外、グラウンドからは体育の授業の生徒たちの賑やかな声も聞こえてきた。
急げばまだ午後の授業に間に合うけれど、陽子も会長も戻ろうとは言わなかった。とはいえ、やはり自他共に認める優等生である生徒会長様は落ち着かないのか、どことなくソワソワし始めたのを陽子は感じていた。
だから、腕の中から会長がそっと抜け出した時も、もう教室に戻るのだろうと少し寂しく思ったのだけど、どうやら違ったらしい。ぎゅっと唇を引き結んだ彼女は陽子の手を握り、言った。
「好きだよ、陽子。私の彼女になって」
なんだ、これを言おうとしていたのか。
答えなんて、とっくに決まってる。ずっと、この瞬間を夢に見てきたのだ。叶わぬ夢だと何度諦めても、どうしても捨てきれなかった望み。それが今、陽子の手の中にある。
ぎゅっと握り返した手は温かく、泣き笑いの二人の表情は幸せに満ちていた。
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