79.【番外編】紗良視点⑧
「へー、美術部入ったんだ」
「うん。今日も映画観るついでに、画材屋さん行ってきたんだ」
「相変わらず、映画好きだねー」
後ろで、ナツキちゃんと島本さんが話す声がする。二人が会うのは久しぶりだし、どうせ駅まで行くところだったからってことで、他の三人と私が前を、ナツキちゃんと島本さんは後ろで話しながら歩いてた。
島本葵さん、詩織さんの部活の後輩だということ以外は何も知らないけど、彼女と初めて会った時のことはよく覚えている。
ショッピングモールで声をかけられた詩織さんが、見たことないくらいに警戒していた。すぐに私をあの子から守るように立ち位置を変え、別れ際、足早に立ち去りながら私の手をぎゅっと掴む詩織さんは、少しだけ震えていた気がする。
なんであんなに怯えていたのか、私を守らないといけないような理由があったのか。あの後、何事もなかったように振る舞う詩織さんに何も聞かなかったことを、今は少し後悔している。
だって、あの時も今日も、島本さんから伝わってくる感情は私にとって馴染みのあるものだ。
嫉妬。敵意。値踏み。
可愛い後輩の顔で詩織さんに話しかけ、私を美人だと褒めながら敵意を向ける。もしかしたら、私に話を振ることで踏み台にしようとしたのかもしれない。そういう人は中学時代にも何人もいたから。
島本さんは詩織さんを好きなのかな。あの時は仲良くなりたい先輩のそばにいる私に対するライバル心のようなものだと思ったけど、今は恋愛感情からのものじゃないかと思えてきた。
……詩織さん、私の知らないところであんまりモテないでよ。
何も悪くない詩織さんへの八つ当たりのような恨めしい気持ちで、小さくため息を吐く。好きかどうかわからないなんて、悠長に言ってる場合じゃないのかもしれない。急がないと、結論が出る前に他の誰かに掻っ攫われそうだ。
あはは、と背後から楽しげな笑い声が聞こえる。少なくとも、この声の主はライバルだと思って警戒した方が良いだろう。
もっとも、今後私と彼女が関わる機会なんて、きっともうないけど。
──なんて、思っていた私が甘かった。
駅のホームで島本さんと二人並んで電車を待っているこの状況は、ちょっと気まずい。他の四人が逆方向なんだから、よく考えれば可能性に気づけたはずなのに。
だからといって、今更離れるのも露骨すぎて、それはそれで行動に移しにくい状況だ。
「ねえ、名前なんていうの? あ、同い年だしタメ口でいいよね?」
私と違い、物怖じしない様子で島本さんが聞く。そういえば名乗っていなかったと、今更ながら気づいた。
「藤岡紗良」
「へー、じゃあ紗良ちゃんって呼んでいい?」
質問というよりも、答えがわかっていることへの確認のようなその聞き方に、嫌だとは言いにくい。どうぞと答えると、島本さんは満足げににっこりと笑った。
「紗良ちゃん、前に一回、私と会ったこと覚えてる?」
「……覚えてる」
「良かったー! 実は電車でも朝に何度か見かけてたんだ。杉村先輩と仲良さそうでいいなー」
「あ、そうなんだ」
見られていたのには気づかなかった。あの時間は制服姿の女の子が多いから、あの中のどこかにいたのだろう。
あ、もしかして私とこうして面識ができてしまったことで、二学期からは話しかけてくるようになるのかな。朝のあの時間に、他の誰かが入ってくるのは……やだな。
「あのさ、紗良ちゃんはどうやって杉村先輩と仲良くなったの?」
「え、どうって……」
「杉村先輩、部活では後輩と距離を置くタイプみたいでさ。私はもっと仲良くなりたいんだけど、なかなかねー」
そうなんだと相槌を打ちながら、気持ちが顔に出ないよう口のまわりの筋肉を引き締めた。ごめんね。島本さんには申し訳ないけど、ちょっと嬉しい。
島本さんが口にする詩織さんは、私が知るよりもクールで、笑顔は微笑む程度。穏やかで人当たりはいいけど、知的で人を寄せ付けない雰囲気があるとか……誰それ?
「紗良ちゃんは杉村先輩と仲良さそうだし、よかったら協力してくれない?」
「え、協力……?」
島本さんの言葉にハッとして顔を上げると、期待に満ちた瞳と目があった。
「うん、私と杉村先輩が仲良くなれるように協力してほしいんだ。お願い!」
一見無邪気そうなそのお願いに、不快感で頭がぐにゃりと歪むような感覚に襲われた。
詩織さんを取られたくないという理由だけじゃない。その『協力して』が、一体どれだけ無神経なお願いなのか、この子はわかって言っているのだろうか。
『ね、藤岡さん、お願い。いいでしょ?』
中学生の頃の、いやな記憶が脳裏をよぎる。話したことなんてほとんどなかったのに、さも仲のいいクラスメイトにお願いするような甘い声と、保身のために従った私の罪の記憶だ。
同じクラスに、私を好きな男の子と、その人を好きな女の子がいた。彼女は私に協力させることで、遠回しに男の子を失恋させたのだけど、そんなことをした彼女が好かれるわけがない。結果、彼女も失恋したし、私は逆恨みされて風当たりが更に強くなった。
あの時もきっぱり断れば良かったけど、私は怖かったんだ。断ることで、私も彼を好きなんだと誤解されることや、彼女の怒りの矛先がこちらに向けられることが。
我が身可愛さに、自分に想いを寄せる同級生を切り捨て、傷つけた私は立派な加害者だった。
あれと同じことを詩織さんにしろって? ──それこそ、まさかだ。
「ごめん、協力はしない」
はっきりと断った私に、島本さんは心底驚いたという顔で「なんで!?」と言った。その表情に怒りや嫌悪は感じられなくて、ただ純粋に驚いてるように見えた。
「色々と理由はあるけど、一番はあなたのことを全然知らないから。詩織さんは大事な友達だし、知らない人に協力できない」
「それは……うん、そうだよね」
お、怒らずにちゃんと引いた。ここで納得して引いてくれるのなら、深く考えていなかっただけで悪気はなかったのだろう。
反省した様子の島本さんに一瞬ほっとしたのだけど、残念ながらそう簡単には終わらなかった。
「じゃあさ、これから仲良くなって、私のことを知ってもらえばいいよね!」
さっきの反省した感じは何だったんだと言いたくなる笑顔を向けられ、一気に脱力する。
せっかく思ったより悪い子じゃないと思ったのに。いや、悪い子ではないのかもしれないけど、私とはちょっと感覚が合わない。
多分、これまで順風満帆な人生を送ってきたタイプなんだろう。自分の希望が叶わないなんて、考えてもいなさそうだ。
「ねえ、今、私にすごく失礼なこと言ってるってわかってる?」
「え?」
「それってさ、詩織さんと仲良くなるために私と仲良くなる必要があるから、別に私個人に興味はないけど仲良くしましょうって言ってるよね?」
「えっ、そんなこと言ってないよ!?」
でも、結局はそういうことだ。
詩織さんという目的がなければ、私と仲良くなろうなんてしなかったでしょ? 私を踏み台にしたかったんでしょ?
私がそんな人と仲良くする必要も、もっとよく知る必要もないよね? 更に言えば、そう言う人を大事な友達に近づけたくないよね?
そういった内容を淡々と告げたところ、島本さんは驚きを通り越してポカンとしたまま固まってしまった。こういう姿を見ていると、本当に悪気はなかったんだろうなと理解はするのだけど、それはまた別問題だ。
「えっと、ごめん。本当にそんなつもりじゃなかったんだけど、そう受け取られても仕方ないよね」
自分の言葉の意味がようやく飲み込めたらしい島本さんが、しょんぼりしながら謝った。
「私もちょっと言いすぎたかも。ごめんね」
「ううん、今のは私が悪かった。協力は諦めるよ」
「うん」
少し気まずい空気にはなってしまったけど、穏便に諦めてもらえて良かった。一応、ナツキちゃんの友達だし、詩織さんの後輩だからしこりは残したくない。
「あと、こういうのって間に他人が入るとややこしくなるから。仲良くなりたいなら、詩織さんに直接言った方がいいと思う」
「そっか。そうだよね! ありがとう、頑張るよ!」
「……うん」
頑張ってね、とは言えなかった。
だって、この子は詩織さんを好きかもしれないんだ。もし本当に仲良くなったら、そこから進展して付き合う可能性だってあるじゃないか。
──いやだ。
何が? 詩織さんに恋人ができるのが??
それもある。でも、そうじゃない。
私、詩織さんが『私以外の』恋人になるのがいやなんだ。誰にも渡したくないんだ。
詩織さんの心も、あの柔らかそうな唇も、他の誰かのものになる想像をするだけで涙が出そうになる。
やっとわかった。私、やっぱり詩織さんが好きなんだ。
なんで今までわからなかったんだろう。こんなの恋に決まってるのに。
一緒にいれば幸せで、名前を呼ばれるだけで嬉しくて。でも、その気持ちが他の人に向けられるかもしれないってだけで、嫉妬と独占欲で胸がいっぱいになってしまう。
恋って本当に厄介だ。詩織さんと恋人同士になったら、このドロドロとした不安も消えてくれるのだろうか。
そうだ、のんびりしてる場合じゃない。そうとわかれば、早く告白しよう。詩織さんだって私のことを好きなんだから、きっと喜んで…………あれ?
詩織さん、私のこと好きなのかな?
いつも大事にしてくれるのも、詩織さんが優しいだけかもしれない。押し倒された時の熱っぽい目も、私の願望がそう見せていただけなのかも。
勝手に好かれてると思ってたけど、告白されたわけじゃない。どうしよう、さっきまで確信していたはずなのに、好きって自覚したとたんに自信が砂の城のようにポロポロと崩れていく。
もし勘違いだったら?
ふいに浮かんだ疑惑に心臓が強く鳴り、耳の奥でザクザクとうるさく響く。震える指先からは、スゥッと温度が抜けていく。
急に足場が消えたような喪失感に、私は身動きが取れなくなってしまった。
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