78・【番外編】紗良視点⑦

 例えば、自分の周りの人たちを『家族』『友達』『知人』等のカテゴリーで分類したとして、詩織さんは何になるんだろうと考えてみた。一番近いのは『友達』だけど、もはやそこには収まらなくなってきている。

 詩織さんをあえて分類するなら、『詩織さん』っていうカテゴリーを作るのがしっくりくる。作った上で、私の心の一番高くて目立つ場所に飾っておきたい。

 それくらい詩織さんは私の中で特別で、唯一無二で、他の何かと混ぜて分類できるような存在ではないということが、最近になってようやくわかった。


「って、これじゃ何も解決してないよ……」


 夏休みになって一週間。最初の三日間は随分と濃密な時間を過ごしたけれど、その後は特に問題なく、家事と宿題をこなす平和な毎日を送っていた。

 唯一の不満は、毎朝詩織さんに会えなくなったことくらいか。週末は変わらず来てくれるけれど、会う頻度が減ってやっぱり寂しい。お泊まりに行っていた間は、朝だけでなくずっと一緒だったから、余計に贅沢になってしまっているのかもしれない。

 と、気づけばこんなふうに詩織さんのことを考えている。

 いつもなら通学中の時間は時計を眺めながら詩織さんを思い、料理を作れば詩織さんに教わった時のことを思い出し、宿題を解いている時は詩織さんの柔らかな声が頭の中で解説してくれる。昨日なんて、夢にまで出てきた。

 いつの間に、私はこんなに彼女のことばかり考えるようになっていたのだろう。

 これはやっぱり、詩織さんのことを好きってことなのだろうか。恋愛的な意味で。


「詩織さんが……好き?」


 口にしたとたん、心臓が壊れたのかってくらいバクバク鳴り出して、あまりの羞恥に体が震えた。

 え、何これ。誰も聞いてないのに、すっごく恥ずかしい! いや、独り言でこんなこと言ってるから余計に恥ずかしいの!? どっちにしろ、死ぬほど恥ずかしい。今こうして、ソファで悶えてる自分の姿を含め、とんでもなく恥ずかしい! もう一生言わない!

 まだ恋だと決まったわけじゃない。恋かもしれないってだけなのに、たった一言で精神的ダメージは甚大だ。

 こんなに好きなのに、恋だと確信できる決め手がないのが歯痒い。もう少し。あとほんの少しで、届きそうなのに。誰か私に教えてほしい。これが恋なのかどうか。どうすれば、このドキドキが落ち着くのか。

 こればっかりは、詩織さんに聞くわけにはいかないから。



※  ※  ※  ※



 今日はクラスの友達に誘われボウリングに来たのだけど、小学校の時に家族で来て以来だった私のスコアは散々だ。最初はガーターばかりだったが、後半になってようやく何本か倒せるようになってきた。たくさん倒せるようになると、ちょっと楽しい。

 詩織さんは球技が苦手だって言ってたけど、ボウリングも苦手なのかな。まっすぐ転がらないボールに悔しがる姿を想像すると可愛くて、自然と口元が緩む。そのうち、一緒に来てみたい。


「なーにニヤニヤしてるの? やーらしー」


 想像の中の詩織さんに意識を飛ばしていた私に、ボールを投げ終わったばかりのミハルちゃんが声をかけてきて隣に座った。


「ほら、吐け吐け。どうせまた好きな人のことでも考えてたんでしょ?」

「う、うん……」

「だと思った!」


 少し前まで、詩織さんは『仮想・好きな人』だったから平気だったのが、今となっては『好きな人(多分)』になったものだから、フリだった恋バナが本物になってしまって気恥ずかしい。

 今までどんな顔して話してたっけ? 全然覚えてない。


「それで? 何を思い出してニヤニヤしてたのか、ちょっと話してごらんよ」

「べ、別にそんな大したことじゃないよ。ただ、球技は苦手だって言ってたから、ボウリングも苦手なのかなって。ガーターになって悔しがるとこ想像したら、可愛いなって……」

「えー、やっだー、想像でニヤニヤしてたの? 紗良っち、ムッツリだー」

「ムッツリ……!?」


 そんなの初めて言われた!

 密かにショックを受けていると、他の子達も「え、なになにー?」「なんか面白そうな話が聞こえたぞー?」と話に参加してきて、話の流れを聞いたみんなに「ムッツリだね」と満場一致で認定された。

 なんで! 絶対、みんな想像でニヤニヤくらいしてるくせに!


 でも、恋バナが始まったのは、もしかしたらチャンスなのでは?

 今のこの中途半端な気持ちを相談してみたい。特に、彼氏のいるナツキちゃんや絶賛片思い中のアキホちゃんには、是非とも恋愛感情について聞きたい。

 そう思い立ち、最近の胸のモヤモヤを少し誤魔化しながら話してみると、最後の方はなんだか微笑ましいものを見る目が四人分注がれていた。


「えっと、つまり? 前は憧れに近かったのが、最近になってより恋愛っぽい気持ちになって戸惑ってると。でも、これが恋愛感情なのか人として好きなのかはっきりわからない、ってこと?」

「大体そんな感じ、かな? なので、みんなはどうやって自分の気持ちが恋愛感情だってわかるのか、聞いてみたいなって……」


 お願いしてはみたものの、アキホちゃんによる要約を聞いたら、これは自分でもどうかと思った。

 恋愛感情なんて、早ければ幼稚園児でも理解するっていうのに、16にもなってこんなことを聞くのは情けないって思うけど! みんなが小さな子供を見るような目で見てくる気持ちもわかるけど!


「ピュアかよ……」

「あれだけ告白されといて、なんでここまで汚れずに生きてこれたの、この子……」


 いやいや、恋愛のイヤな部分はたっぷり見てきたから、十分汚れてると思うよ。ピュアなままではいられなかったよ、さすがに。

 降りかかる火の粉を払うのに必死で、自分の恋愛に目を向ける余裕がなかった分、今こうして困ってるってだけで。


「でもさ、こういうのは感覚だから説明するのは難しいよ」

「だよね。付き合いたいとか、キスしたいとか?」

「相手のために何かしてあげたくなるとか?」

「気づいたらその人のことばかり考えてるとか?」

「欠点も可愛く見えるとか?」


 みんながそれぞれ意見を出してくれるけど、どうしよう。ほとんど当てはまる。

 詩織さんのためなら何でもしたいし、最近は詩織さんのことばかり考えてる。すぐ照れちゃうとこも不器用なとこも、可愛くて仕方ない。

 キスとか付き合うとかは……ダメだ。恥ずかしすぎて、脳が想像するのを拒否してる。


「あ、紗良っちがムッツリの顔になってる」

「キスとかそれ以上のこととか想像しちゃった?」

「やーん、ムッツリー」

「それ以上っ、は、想像してない……無理ぃ」


 耐えきれずに両手で顔を覆って隠したら、周りから手が伸びてきてわしゃわしゃと頭を撫でられたけど、絶対みんなして子供扱いしてるよね。あと、今更だけどボウリング中断してていいのかな。


「逆パターンもあるよね。自分がその人とどうなりたいかじゃなくて、その人に彼女ができてほしくないとか、自分より仲のいい女の子がいたらいやだとか」

「あるある。良くないとは思うんだけど、妬いちゃったりねー」


 ああー、心当たりがありすぎて、もう穴があったら飛び込みたい。みんなの言うこと全部が当てはまってるじゃないか。

 まだ実感がないのに、「それは恋ですよ」ってどんどん外堀が埋められていく。頭と気持ちのテンポが合ってなくて、まるでウサギとカメの二人三脚みたいだ。


「……ありがとう、参考になった」

「どういたしまして。ま、その感じだと、ほっといても近いうちに自覚してただろうけどさ」


 はい、そう思います。ただ、いつかは自力で答えに辿り着けるとしても、やっぱり気になるし他の人の意見も聞いてみたかったから。

 それにしても、こんな子供がするような質問にちゃんと一緒になって考えてくれるなんて、この子達ってすごく優しい。こんなふうに友達と夏休みに遊んだり恋愛相談したりなんて、春までは考えられなかった。まさか私にも恋愛相談をする日が来るなんて……今、すごく幸せだ。


「あ、紗良っちがまたニヤニヤしてる」


 マフユちゃんが、「今度は何?」って言いながら顔を覗き込んできた。無意識に緩んでいた口元に手を当てて隠したら、「白状しろー」ってミハルちゃんがぐいぐい体重をかけてくる。


「もう、別に変なこと考えてないよ。みんなと友達になれて良かったなーって思っただけ」


 数秒後、みんなから髪がボサボサになってしまうくらいもみくちゃにされてしまったけど、そんなのどうでもいいくらい楽しくて、五人で大笑いした。

 これも詩織さんに報告したいなって思ったけど、こうなった理由が言えないから秘密にしないといけないのが残念だ。きっと自分のことみたいに喜んでくれるのに。


 いつか、さっきの相談事も話せる日が来たなら、その時は──



※  ※  ※  ※



 ボウリングの後はスターダックスで少しお茶してから帰ることになった。

 スタダの期間限定メニューのハニーレモンフラペチーノがもうすぐ始まるってレジ横に書いてたから、近いうちにまた飲みに来たい。詩織さんを誘ったら、一緒に来てくれるかな……って、また詩織さんのこと考えてる。もう癖になってるなぁ。


 スタダを出て、駅までしゃべりながら歩いていると、少し前を歩いていたナツキちゃんが何かに気づいたらしく、手をあげて「久しぶりー!」と誰かに駆け寄って行った。


「卒業式ぶりだねー! 元気だった?」

「元気だよー! ナツキこそ、どうしてた? 今日は遊びの帰り?」

「うん、高校の友達と。──あ、ごめんね。この子、中学の友達なんだ」


 こっちを振り向いたナツキちゃんが、謝りながらその子を紹介してくれたが、その相手には見覚えがあった。向こうも覚えてるのだろう。人懐っこそうな目が、他の三人ではなく私へとまっすぐ向けられている。


「はじめまして、ナツキと同じ中学だった島本葵です!」


 快活そうな笑顔。感じの良い挨拶。健康的で爽やかないで立ち。どれを取っても好感が持てるはずなのに、どうしてだろう。

 初めて会った時から、私はこの子が怖くて仕方なかった。

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