48・小悪魔は天然の顔をしている

 翌朝、起きたらもう九時を過ぎていた。おそらく昨夜なかなか眠れなかったせいだろう。

 自分のやらかしたことに悶え、紗良が拒まなかったことにモヤモヤとした気持ちを抱え、密着した体の柔らかさを思い出しては悶々としてしまい、全然眠気が来てくれなかったのだ。

 しかも、そんな私を置き去りに隣では紗良が寝息をたてているのだから、落ち着けるわけもない。

 それにしても、あんなことがあったのに安眠している彼女を見ていると、いかに自分がそういう対象として見られていないかを実感してしまうわけで。怖がられるよりはマシだが、これだけやっても意識してもらえないのなら、もう可能性はないのだろう。

 友達でいようと誓いはしたが、こうも現実を突きつけられてしまえばやはり堪えた。


「はー、起きよ」


 ベッドは空だから、紗良は先に起きて下にいるはずだ。せっかく泊まりに来ているのに、私が寝坊するなんて申し訳ないことをしてしまった。


「おはよ……う?」


 一階に行くと、エプロン姿の紗良がキッチンに立っていた。いや、エプロン姿なら紗良の家で何度も見ているのだけど、自宅で見るのはまた別物と言うか。


「おはよう、詩織さん」

「お、おはよう、紗良」

「ちょうど良かった。今、朝ごはん出来たから起こしに行こうと思ってたんだ」


 まだ寝ておけば良かった!!!

 朝ごはん作って起こしに来てくれるって……何、その夢のシチュエーション。紗良は私の幼なじみなの? 妹なの? それともお嫁さんなの?

 お嫁さんでお願いします!

 あんなことがあった昨日の今日で何を考えているのかと自分でも思うけど、それはそれ! これはこれ!

 紗良のエプロン姿はもう見慣れて免疫ついたと思っていたが、全然そんなことはなかった。朝のキッチンでオムレツを載せたお皿を持ち、おはようと微笑む紗良の姿は今日も神作画だ。

 背景が築21年の我が家のキッチンだけど、そんなものはセルフぼかし処理をしてしまえばいい。


「ありがとう、お母さんは?」

「今日はお仕事だって。あ、ちゃんとキッチンと材料使っていいって許可貰ったからね」

「さすが紗良。しっかりしてるわね」

「でしょー? 詩織さんのお母さん、自分でパンでも焼いて食べさせればいいって言ってたけど、せっかくのお泊まりだしね!」


 天使だ! 我が家のキッチンに天使がいる!


「ありがとう。お礼に明日の朝ごはんは私が作るわ」

「やったぁ! あ、冷めちゃうから早く食べてね」


 プレーンオムレツの皿にはレタスとプチトマトが添えられ、ヨーグルトとミネラルウォーターが並べられた食卓に、胸がキュンと鳴った。

 どうしよう、食べるのがもったいない。でも、食べないのはもっともったいない。


「いただきます」


 スプーンを手に取り、オムレツを一口。

 美味しい。外はふんわり、中は少しだけトロトロに。私好みの焼き加減だ。

 オムレツは料理を教え始めてすぐくらいに教えて、最初は形が崩れていたり焼き過ぎだったりしたものだが、今食べているこれはとても美味しく出来ている。もちろん色も形もとても綺麗だ。


「すっごく美味しい!」


 食べているところをじっと見ていた紗良が、ほっとしたように笑った。


「ふわトロですごく美味しい! オムレツ、上手になったわね」

「あははっ、練習したんだよー。一時期、オムレツばっかり食べてたし」

「そんなに? まあ、最近の紗良は料理してても危なげないものね。私が教えなくても、レシピがあれば大体のものは作れちゃうでしょ?」

「うん、平日も出来るだけ自炊してるし、自分でも上達したなって思う。あ、でも日曜の料理は続けてほしいな。二人で作るの楽しいし」

「ええ、もちろん」


 最近は教えるというよりも一緒に作るようになってきたので、私のお手軽レシピだけでなく、ちょっと凝った料理を作ってみるのも楽しそうだ。パンやお菓子に挑戦するのも良いかもしれない。

 一人の時は作ろうなんて考えたこともなかったが、紗良とならきっと何を作っても楽しめる。

 そんなことを考えながらも箸を進めていたのだが、その様子をニコニコ顔の紗良がずっと見ているものだから、ちょっと落ち着かない。


「紗良、見過ぎじゃない?」

「え? あ、ごめん」


 無意識だったのか、照れたように目線を逸らした。


「なんか新婚さんっぽいなって思って」

「ごふっ……!!!」


 は……鼻の奥にヨーグルトが! 痛い! 鼻が痛い! ツーンとする!


「だ、大丈夫!?」

「無理……ぢょ、待っで……」


 鼻を押さえて涙目の私に、紗良が駆け寄る。あたふたする彼女にティッシュを取ってもらって鼻をかんでも、なかなか痛みが取れない。せめてヨーグルトを食べている時は外してほしかった。。

 というか、この子はどこまで……まさか、本当は私の気持ちに気づいての言動なのでは? と少し疑ってしまう。


「はぁ、もう大丈夫」

「良かった。あー、びっくりした」

「びっくりしたのはこっちよ」


 いや、まあヨーグルトにも驚かされたけど。

 それよりも、その前の紗良のアレだ。


「昨日は私もふざけ過ぎたけど、その冗談はないと思うわ……」

「あはは、ごめん。思ったことが、つい口からポロッと」


 尚更悪い、とは言えない。あまりにもしつこく食いつくと、変に思われそうだ。

 はぁ、私、こんな三枚目じゃなかったはずなのに。中身はともかく、外面だけは良かったはずなのに、紗良に恋をしていると自覚してからどんどんカッコ悪くなっている。

 さっきの私の醜態は、是非とも記憶から消しておいてほしい。


「まあ、今のは私が過剰反応だったのもあるわよね。あと、昨日は悪ふざけが過ぎたわ、ごめんなさい」

「ほんとだよー、びっくりしたんだからね!」

「そうなの? その割には、落ち着いてなかった?」

「びっくりして固まってただけだよー。詩織さんが色っぽ過ぎて目が離せなくなってたら、今度は胸の柔らかさにびっくりしてね! 何これ!? って!!」

「びっくりしたって、そこ……?」


 どこかズレてる紗良の返答に、がっくりと項垂れる。普通は、押し倒されたことにびっくりするものだけど、紗良の中でそこは大したことないのだろうか?

 あと、色っぽいとか胸が柔らかいとか言われてもどう反応していいのかわからなくて困るし、今更ながら恥ずかしくなってきた。


「大きい胸ってあんなに柔らかいんだね。こう、ムニュッていうか、ムギョンッていうか」

「何、その擬音語。人の胸を謎の生命体みたいな扱いしないでちょうだい」


 ついでに、さっきからチラチラと胸元を見るのをやめていただきたい。陽子にネタにされても何とも思わないが、紗良に見られると私の中がいろいろと大変だ。

 そっと腕でガードすると、ちょっぴり残念そうな顔をされた。


「私にとっては謎の生命体みたいなものだよ。同じもののはずなのに、全然別物だったもん」

「はいはい、その未知との遭遇で驚いて、目まで閉じちゃったの?」


 だとしたら、胸の効果が強すぎる。

 紗良がそんなに巨乳好きなら、私にもチャンスがあるだろうか。……いや、何か違うな。


「あはは、あれは私も後で反省したよ! ちょっと混乱しちゃってたんだけど、言い訳聞いてくれる?」

「ええ、どうぞ」

「混乱してたから反射的に目を閉じちゃったんだけどね、すぐにあれ? って気づいたんだよ。でも、この間クラスの子が女の子同士ならノーカンだって言ってたの思い出して、これは別にいいのかな? 恥ずかしがったら逆に恥ずかしいやつなのかな? って……」


 あああぁ、出た! 女の子同士はノーカン! それ百合的に言われたくない言葉ランキングの上位に入るやつー!! その変則的ルールのせいで、どれだけの女の子が二次元でも三次元でも胸を痛めてきたことか!

 でも、そうか。友達が何年もいなかった紗良は女友達との付き合い方がまだ未熟で、教えられたらそのまま吸収してしまうところがあるんだ。そんな彼女が友達からそんなことを言われたら、それがおかしいと思うよりも自分の方がおかしいと思ってしまったとしても無理はない。

 頼むから、この子にこれ以上変な知識を与えないでほしい。でないと、私の理性と心臓がもたないかもしれない。


「紗良、友達同士でキスをするのは、よっぽど仲が良くてスキンシップに抵抗がないタイプの子だけだから。しない子の方が多いから」

「そうだよね! やっぱり恥ずかしいよね!」

「ええ、だから今後もし女の子からキスされそうになっても、ノーカンとか考えずに断るなり抵抗するなりしてね」

「はーい」


 いいお返事が貰えたところで、この話は終わり。ずっとモヤモヤしていたキスを拒まなかった理由が聞けて、私としては少し残念なような安心したような複雑な気持ちだ。いや、「詩織さんとなら……」みたいな言葉が聞けるなんて期待はしていなかったけど、それにしたって理由が間抜けすぎて肩透かしをくらったというか。

 どちらにせよ、あの時自分に覆いかぶさっていた相手が友達の皮をかぶった狼で、唇を奪うか本気で悩んでいたなんて、絶対に知られるわけにはいかない。踏みとどまれて本当に良かった。

 こうして心の整理もついて、スッキリした気持ちでお皿を片付けようと立ち上がった私の背中に一言。


「あ、でも詩織さんとならキスしても良かったかな」


 小悪魔的なその言葉に、コップがひとつ尊い犠牲となった。

 本当の本当に、紗良のこういうところにはこれからも振り回されそうだ。


 ……やっぱりキスしておくべきだったかしら?

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