47・抵抗しないの?

 どうしてこんなことになっているのだろう。

 私の下、ベッドの真っ白なシーツに組み敷かれている紗良を見下ろしながら、頭の隅でそう思った。


「ねえ、紗良。私、言ったはずよ。貴女はとても魅力的で、男にも女にも好かれるんだって」


 紗良の目に浮かんでいるのは純粋な驚き。この状況で、まだ怯えを感じていなさそうなのはどうなのだろうか。両腕は私に掴まれ、体も押さえ込むようにのしかかられて、完全に自由が奪われているというのに。

 こうまでされて、未だ揺るがぬ自分への信頼に、私は頭が痛くなりそうな思いだった。



※  ※  ※  ※



 そもそもの始まりは、それぞれ交代でお風呂に入った後のことだ。

 夕食は帰宅したお父さんも交えて四人で和やかに食べた。いつもは三人の食卓に一人加わったことで随分と華やいだ空気で、両親も紗良も楽しんでくれていたように見える。来る前は面白いほど緊張していたのが嘘みたいだ。

 お風呂は先に紗良に入ってもらって、その後に私が入った。好きな子の後に入るお風呂というのは……まあ、いろいろ思うものはある。思春期男子のような気持ちを味わった。

 私は夏でものんびりと湯船に浸かる派なのだが、今日はもう浴室にいるだけで気持ちが落ち着かず、さっさとシャワーで済ませてしまった。紗良の家に泊まった時の、何も意識せずお風呂を借りれた自分が懐かしい。よく平気だったな、私。

 そんな思春期男子に女子高生の皮を被ったような状態の私が部屋に戻ったら、湯上りの想い人がベッドに腰掛けて待っていたわけで。

 薄着で、生足で、湯上がりのホカホカの状態で。

 一体、これは何の生殺しだろう。試されているんだろうか。いや、お泊まりに誘った時点で予想していなかったわけではないのだが、現実は予想を軽々と超えてくるわけで。これはもう、自分の見積もりの甘さを嘆くしかない。

 いつも使っているベッドで好きな人がくつろいでる光景の破壊力なんて、考えもしなかった!


「詩織さん、おかえりー」

「ただいま」


 このやりとりだけで、もう鼻血出そう。

 おかえりっていう言葉を考えた人、天才じゃないだろうか。


「まだ寝るには早いけど、先にお布団だけ持ってくるわね。お母さんが起きてるうちに取りにくるようにって言ってたし」


 あと、紗良の隣に腰掛ける度胸もないし。


「やっぱりお布団敷くの? 一緒でいいのに」

「だーめ。暑いし狭いし、抱き枕は勘弁よ」

「えー、クーラーつけてたら大丈夫だよ。くっついて寝ようよー」


 人の気も知らずに、この子は……! 何のために紗良の家ではなくうちでお泊まりすることにしたのか。

 さっきから私が抑え込んでる下心と思春期男子を、いたずらに刺激するのはやめていただきたい。危ないから! 貴女が!


「ね、一緒に寝よ?」


 立ちつくす私の手を取り、無邪気な笑顔が誘う。

 ――これは、だめだ。

 越えてはいけないラインを驚くほどの無防備さで突破してくる彼女に、私の中で弾けたのは下心でもなく思春期男子でもなく、静かな苛立ちだった。

 ここで良き友人、姉貴分としてやんわり諭して離れるのもありだろう。むしろ、それが正解だろう。頭ではよくわかっていたのだが、私の中に生まれた苛立ちはそれを許さなかった。


「貴女って人は……」


 繋がれた手を解き、そのまま紗良の肩をゆっくりと――しかし確かな力で押した。

 そのままの流れに乗って、何が起こったかわかっていない彼女の上にのしかかり、顔の横で両手を拘束する。ベッドの上に広がったキャラメル色の髪から、うちのシャンプーの香りがふわりと舞った。


「ねえ、紗良。私、言ったはずよ。貴女はとても魅力的で、男にも女にも好かれるんだって」

「う、うん……」

「警戒心がなさすぎると思うのよ。でないと、――こんなことになるわよ」


 体の動きを封じるように、上半身に体を密着させて押さえ込む。脚はベッドからはみ出してプラプラしてるので放置だ。

 布越しの柔らかさに、頭がクラクラする。この障害物を剥ぎ取り、その下に隠された柔肌を好きに出来たなら、どんなに幸せなことだろう。

 そして、そんな欲望を抱え込んだ私に組み敷かれているというのに、紗良の顔は未だにきょとんとしており、ただただ驚いているだけのものだった。何故。どんなに純粋培養だったとしても、今の状況がわからないほどアホではないだろう。しかも、恋愛で散々嫌な目にあってきた彼女だ。わからないはずがないのに。

 どこまで私を許すのだろうと、試してみたい気持ちにもなった。


「ねえ、……目、閉じて」


 顔を近づけながらそう言うと、慌てたようにぎゅっと目が閉じられた。

 えっ、それ、聞いちゃうの? 意味わかってる?

 今、それ言われるのってキスするっていう意味なんだけど、抵抗しないの?


 ――いいのだろうか。

 血色の良いプルプルの唇を見つめる。

 欲しいか欲しくないかで言えば、もちろん欲しい。すごく欲しい。今すぐ奪って味わい尽くしたい。だって、紗良は抵抗しないし。目も閉じてるし。いいってことよね?

 私はゆっくりと顔を落とし、距離を縮めた。

 そして――



 ゴンっ!!!



 距離はゼロになった。おでこの。


「いっったぁ〜〜〜!」

「痛いじゃないわよ、どこまで流されるのよ! あまりにも抵抗しないから、やめ時わからなくなったでしょ!」

「だってー!」


 渾身の頭突きをお見舞いした後、私はさっさと紗良の上から退いた。これ以上のあの体勢は危険だ。本当に止められなくなる。


「だってじゃない! 貴女、今ファーストキスどころか、いろいろと他の初めてを奪われてもおかしくない状態だったってわかってる!?」

「わかってるけど、詩織さんの色気が凄すぎて固まったっていうか、胸が柔らかくてびっくりしたっていうか……あと、詩織さんなら嫌がることしないだろうから大丈夫かなって」


 なにそれ、私への信頼が厚すぎる。

 っていうか、嫌がることしないって……目閉じてましたよね、貴女。どこまでが嫌じゃない許容範囲だったのか、是非ともお聞かせ願いたい。怖くて聞けないけど。


「嫌って言われること前提でしてたんだけど。本当に心配になってきたわ」

「大丈夫、他の人だったら突き飛ばすから!」

「私相手でもそうしてね。じゃあ、お布団取りに行くから、反省して待っててちょうだい」

「はーい」


 おでこをさする紗良に見送られ、部屋を出る。一人になったところで、己のやらかしたことと、紗良のあまりにもアレな反応にいたたまれず、頭を抱えた。

 危なかった。本当に危なかった! こんな調子で、二晩もつのだろうか、私は。

 完全に自爆した形になったさっきのやりとりを私こそが猛省しつつ、私はため息を吐きながら階段を降りていった。

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