37・枯れ尾花

 七月も半ば。期末テストもとっくに終わり、梅雨も明け、みんなの気持ちが夏休みに向けて一直線になっている中、私は少しばかり焦っていた。


「文化祭の展示物、どうしようかしら」


 陽子と肩を並べて美術室に向かう途中、相談してもまともな答えが返ってこなさそうな相手に相談してしまう程度には焦っている。

 去年はとっくに描き始めていたのに、今年は生徒会の手伝いも含め、他のことに頭のキャパを割いていたためか、まったく案が浮かばない。


「芸術といえば、やはりヌード! ここはやっぱりヌードの自画像を……」

「却下」


 やっぱりまともな答えは返ってこなかった。というか、これ会長にチクってもいいだろうか。是非ともお灸を据えてやってほしい。

 そうこう話しているうちに美術室に着くと、もう数人が先に来ていて、その中には葵やこはるの姿もあった。


「あ、じゃあさ、紗良ちゃん! あの子ならいいモデルになるんじゃない?」

「……紗良を脱がせろって?」


 お灸どころか根性焼きが適切かと目が鋭くなったが、「違う違う、普通の肖像画だよー。もう、詩織のムッツリさん!」と言われ、刑は根性焼きから火炙りに変更した。

 本当にこの悪友は、口を開けばいらないことばかり言う。


「確かに紗良なら最高のモデルになるでしょうけど、残念ながら私に紗良の可愛さを表現できる画力が足りないのよね」

「言いたいことはわかるけど、相変わらずナチュラルに惚気るね」

「惚気じゃなくて、単なる事実よ。あーあ、私に画力があればなぁ。みんなはどんなの描いてるのかしら」


 かばんを置いて、部員がキャンバスをまとめて置いているところに行く。部員全員が絵を描いているわけではないが、やはり絵を選択する人は多く、水彩や油絵などの違いはあれど8割の部員が絵を描いていた。

 他の人達の作品を見ていくと、ほぼ描き終わっているものからまだ描き始めたばかりのものまで、進捗は様々だ。


「あ、この絵いいわね」

「ほんとだ、きれい。光の加減がすごくいい感じ」


 私達が目をとめたのは、一枚の水彩画。

 満開の桜を描いたその絵は、とても繊細で透明感のある、それでいて不思議と存在感のある絵だった。

 誰の絵だろうとひっくり返して名前を確認すると、少し癖のある字で『若島こはる』と書かれており、思わず「えっ、若島さん!?」と声をあげてしまった。


「呼びましたか?」


 すぐ近くで準備を進めていたこはるが、冷ややかな声で反応する。いや、呼んではないし何も悪いことはしてないけど、勝手に絵を見てしまってなんとなく気まずい。

 それにしても、この絵をこはるが描いたとは。意外な才能があったものだ。


「若島さんの絵、すごくきれいだからびっくりして。中学では美術部じゃなかったわよね?」

「はい、家政部でした」

「そうなの。この絵、本当にいいわね。春の優しい日差しとか、桜の美しいけど儚い雰囲気とかしっかり表現できてるし。桜がモチーフなんて、若島さんの名前にもぴったりね」


 真ん中に小さく描かれた後ろ姿の少女は、葵だろうか。桜を見上げ、舞い散る花びらを拾うように掌を上に向ける彼女こそが、もしかしたらこはるが一番描きたかったものなのかもしれない。


「ありがとう……ございます」


 まさか私から褒められると思わなかったのか、困惑したような表情でこはるがお礼を言った。


「本当、若島ちゃん上手だね! 才能あるよー」

「いえ、そんな……」

「謙遜しなくていいからいいから。ねっ、詩織」

「そうね、すごく素敵」


 陽子と私から交互に惚れられたこはるが、照れたような戸惑ったような、なんとも言えない微妙な反応でオロオロと視線を泳がせる。

 何、そのどうしたらいいかわかりませんって感じ。


「ほ、褒められ慣れてなくて、どうしたらいいか……」

「あははっ、素直に喜べばいいよ」

「そうね、ありがとうって笑えば良いわ」

「あ、ありがとうございます……」


 赤くなってお礼を言うこはるの、年相応の様子を微笑ましく眺めていると、いつの間にかこはるの後ろに来ていた葵が抱きつきながら、「もー、私はいつも褒めてるのにー」と、拗ねたように言った。


「あ、葵ちゃんは別だよぅ」

「えーっ」


 なかなか仲良さげじゃないかと、少し安心する。こはるも陽子も、葵が私にご執心だと言っていたが、こはるには是非とも長年の恋心を成就させてほしい。仲睦まじげなこの様子なら、可能性は十分にありそうだ。


「さっき先輩達が話してた紗良ちゃんって、もしかして杉村先輩がこの間一緒にいた子ですか?」


 と、訊いてきたのは葵。

 しまったな。少し距離があったとはいえ、葵やこはるがいる場所で紗良の名前を出すなんて、無用心だった。ヒヤリと、心臓に嫌な汗が流れる。


「ええ、そうよ」

「やっぱり。確かにきれいな子ですよね!」

「あれっ、紗良ちゃんに会ったんだ?」


 陽子が尋ねると、大きく首を縦に振って「はい、この間バッタリ」と答えた。


「でも、せっかく会ったんだから4人でランチでもって思ったのに、先輩さっさと行っちゃうし」

「えー、そりゃデートの邪魔しちゃだめだって。野暮ってやつだよ」

「えっ、デートだったんですか!? 彼女ですか!?」


 驚愕の表情を向ける葵に、「違うから。陽子がまた適当なこと言ってるだけ」と否定しておく。

 前にこはると話した時、もしかしたら葵も紗良との仲を誤解してるのではと思ったが、どうやら杞憂だったらしい。チラリとこはるを見ると、葵のハグにそれどころではないという顔をしていた。まあ、そうですよね。


「なーんだ、びっくりしたぁ。じゃあ、そのうち私ともデートしましょうね!」

「………………機会があればね」

「あははは、嫌そうな顔~! はい、じゃあその機会を楽しみにしてます!」


 嫌そうってわかってて、まだ楽しみにしてますって言えるそのメンタル! さすがポジティブモンスター、強いわ。

 いろいろ配慮しての「機会があれば」という返事だったけど、これなら普通にお断りしても何の問題もなかったかもしれない。


「あ、そうだ。先輩達、旧校舎の怪談って知ってますか?」


 がらりと話を変えて、葵が噂話について尋ねてきた。

 夏だし、一年生の間でもそろそろ学校の七不思議みたいな噂が広まってきているのだろう。旧校舎の怪談というのは、地下にある倉庫およびそこへ続く階段にまつわる噂だ。

 歴史が長い分、七不思議どころか二十不思議くらいまで増えているのだけど、なぜか旧校舎の怪談だけは種類が豊富だ。


「私、開かずの倉庫だって聞いた」

「降りても降りても、倉庫にたどり着けない階段とか」

「私、二人で入ったらキスしないと出られなくなるって聞いたよ」

「えー、何それ!」


 ひとつだけ違う噂話が混ざっていて、そばにいた他の部員達が、どっと笑った。

 私もそんな話は聞いたことがない。おそらく、SNSで流行った『◯◯しないと出られない部屋』をそのまま七不思議に流用したのだろう。

 こうやって時代と共に不思議が増えていくのかと思うと、なかなか面白くはある。


「あ、それね、違う違う。ちゃんと元ネタがあるんだよー」


 ここで待ったをかけたのが、情報通な陽子だった。


「何年か前に、両思いなのにモダモダしてる二人をくっつけるために、友達がお節介やいたらしいんだよ。倉庫の中に『告白するまで出られない部屋』って張り付けて、二人を閉じ込めたんだってさ」

「えーっ、それって二人とも女の子ですよね?」

「そうだよー。で、ちゃんと告白して想いを確かめ合ったのを外で聞いていた友達が、おめでとう! って扉を開けたらキスしてたらしくて、『キスしないと出られない部屋』って噂が流れたとかナントカ」

「あははは、気まずーい!」

「でも、噂の元ってそんなものなのかもね」


 怪談に隠されたまさかの百合話に、密かにテンションが上がる。なるほど、数年前にそんな百合ップルが! それは是非ともリアルタイムでお近づきになりたかったものだ。

 女子校だし、探せば他にもいそうな気はするけど、意外とオープンに付き合ってる子は見当たらない。前世の私の世代ならともかく、今の若い世代はもう少し開放的なのだとばかり思っていた。

 そもそも百合ゲーの世界なんだから、もう少し百合ップルに親切設計されてても良さそうなものだし。


「大体、あそこの倉庫には文化祭で使う備品も保管してるから、去年何度も入ったよ。生徒会の仕事で、あの階段を荷物運んで往復するの辛かったー!」

「え、じゃあ開かずの倉庫でもないじゃないですかー」

「そうだよ。むしろあの重労働こそが怖い話だよね」

「はーい、お後がよろしいようで。みんな、そろそろ雑談はやめて、各自活動始めてねー」


 パンパンと手を叩いて、部長が部活動を促す。

 きりが良かったので、集まっていたみんなは「はーい」と返事をしてそれぞれのキャンバスを持って行ったり、水を汲みに行ったりし始めた。

 そんな中、私だけがひっそりと今の話に青ざめていた。今の今まで知らなかったのだが、あの倉庫に文化祭の備品が入っていて、去年は陽子が何度も出入りしたということは、私も今年そうなるのではないか?

 重労働に関しては、まあいい。ジャージ姿で頑張らせていただきましょう。


 ただ、私は知っている。

 ゲームでこの噂が流れた時、葵とこはるが怪談の真相を確かめるべく、下校時刻後に現場に行って肝試しをするのだ。その肝試しイベントで二人は苦しそうな呻き声を聞き、悲鳴をあげて逃げ帰った。

 結局、その怪談の真相は謎のままだし、見どころといえば怖くて手を繋いで帰る二人という緩めのイベントだったのだが、それがあるので私は出来るだけあの場所には近づかないようにしている。怖いのは好きではない。


 そんな二人はといえば、準備をしながら「今度行ってみようよ」「えー」なんて、珍しくストーリーに沿った行動を計画しているようだ。あんな薄いイベントでも、少しは二人の関係を進める役目を果たしてくれるなら、是非とも行って絆を深めてほしい。


「ねえ、あの二人、肝試しするみたいだよ」


 ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべて、陽子が話しかけてきた。この顔、絶対ろくでもないこと考えてる。


「あの子たちが決行する日が分かったらさ、何か驚かせるもの用意しとかない?」

「驚かせるもの?」

「うん、お札を貼っておくとか、ICレコーダーで不気味な声を流すとか」


 楽しそうに指を折る陽子の提案に、頭の中で点と点が繋がった。そうか、そういうことだったのか!

 お前が犯人だったのか!!!

 正確には陽子と『詩織』なわけだが、あの声の正体はICレコーダー。ゲームの二人が逃げ帰らずにもう少し進んでいれば、お札も貼ってあったのかもしれない。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花。ゲームでは謎だった声の真実が、まさか今になってわかろうとは。



 翌週、大興奮で肝試しの話をする二人と、満足げに親指を立てる陽子の姿があった。

 さて、文化祭の展示物どうしようかなぁ。

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