36・願わくば……

「今日の昼休みは空いてるかな?」


 朝一番に教室にやってきた会長からお昼休みのお呼び出しを受け、私は今、生徒会室で会長と二人で向かい合っていた。改めてまた話を、と言っていたので、呼び出されることは薄々予想していたのだが、この状況は想定外だ。

 生徒会室の扉を閉めるなり、突然「すみませんでした」と会長が深々と頭を下げたのだ。謝罪の見本になりそうな、それはそれは綺麗なお辞儀で。


「あの、そういうのはやめましょう。謝罪は受け入れます。時間もあまりありませんし、話をしませんか?」

「ありがとう、確かに時間があまりないね。放課後に時間が取れたら良かったんだけど、放課後はここも人が集まるし、下校後は時間が遅いし。まとまった時間がとれるのが、昼休みしかなくてね……」

「大丈夫、わかってますよ。でも、もう陽子から大体の話は聞いたんですよね」

「ああ、そうか。……陽子はなんて?」


 ぐっと言葉に詰まる。まさか、ローション扱いだと泣いていたとは言えまい。陽子の恋心も伝わっているのかわからないし、何をどこまで聞いたと言えばいいのやら。


「関係を持つようになった経緯、とか?」

「ああ……」


 困ったように笑んで、会長がひとつ頷く。

 自分と彼氏の体の相性がきっかけだなんて、確かに他人には知られたくはないだろう。


「それを話してるなら、ほとんどのことは聞いてそうだね。……どう思った?」

「出来れば、会長がどういうつもりで陽子と関係を持ち続けていたのか、聞いてみたいと思いました」

「あー、そうきたか。でもまあ、そうなるか」


 今度は笑顔なしの本気で困った顔で、宙を睨んだ。陽子から話を聞いた時には、会長の仕打ちに腹が立ったりもしたが、こういったことは双方から聞いてみないとわからないものだ。

 会長との付き合いは短いが、おそらく悪い人ではない。何か誤解やすれ違いが生じている可能性だってあるのではないかと、まだ少しだけ期待していた。


「杉村さん、口は固い?」

「それなりに。言わないでと言われれば言いませんよ」

「じゃあ、言わないでね」


 あっさりとした約束を取り付けて、会長が足を組んで座り直す。いつだって折り目正しい会長様の、珍しい一面だった。

 ふぅ、と小さくため息を吐き、こちらを見ないままに彼女は静かに話し始めた。


「聞いてると思うけど、元々は私が彼氏と上手く寝れなかったから。秋に付き合い始めて、冬になっていざセックスしましょうってなった時、恥ずかしながら全然気持ちいいと思えなかったよ。なんでこんなものが世間で素晴らしいものみたいにもてはやされて、積極的にしたがる人がいるんだろうって本気で思った」

「……はあ」


 随分と赤裸々に語ってくれるが、これはどんな態度で聞けばいいものなのだろう。自分から聞きたいといったものの、ここまであけすけだと少し困る。


「でも、これが相手のプライドを傷つけてしまってね。このままではダメだと彼氏持ちの同級生にこっそり相談したら、偶然それを聞いてた陽子からお誘いがあったんだ。『エッチなんて実践ですよ! 試しに私と練習しましょう!』って」

「えっ、何ですか、そのノリ。軽っ!チャラ!」


 なんか聞いてたのと違う! いや、このあたりは詳しく聞いてなかったけど、陽子と話し方だともっと意を決して誘ったのだとばかり!

 これじゃ、「セフレになろうぜ☆」って軽ーいノリで誘ったみたいじゃない! 本気度ゼロ! まったく誠意が感じられない!


「そう、昔から陽子はそういう子だった。でもね、私はずっと、あの子のそういうところが好きだったよ」

「……ん? えっと、すみません。それはどういう意味の好きですか?」

「…………恋してる、という意味で好きだよ。現在進行形でね」

「えーっ!?」


 いやいや、陽子さん。貴女、両思いじゃないですか。ローションどころか本命じゃないですか。

 おめでとう、友よ。末長くお幸せに。全ての百合に幸あれ!

 ――って、あれ?会長、彼氏いるんだよね? 陽子のことが好きで、何度も抱かれてるくせに彼氏と付き合ったままってどういうこと?


「わけがわからないって、顔に書いてるね」

「あ、はい。陽子が好きなのに、なんで彼氏と今も付き合ってるんですか?」

「うーん、それなんだけどね。何て言ったらいいかな。彼氏とは、もうとっくに別れてるんだよ」

「えっ!?」


 なんだか、さっきからこんなのばかりだ。

 会長と陽子が両思いで、彼氏とは別れてるっていうなら、もう何も問題ないじゃないか。どちらかが告白してしまえば、サクッと結ばれてめでたしめでたし。百合ップルの誕生だ。

 なんておめでたい。ここにキマシタワーを建てよう。


「告白したりは……?」

「しないよ。もし陽子と両思いになれたとしても、私達が付き合うことはない」

「なんで!?」


 建てたばかりのキマシタワーが、一瞬で崩壊した。

 意味がわからない。好き同士なら付き合えばいいじゃないか。やることやっといて何言ってるんだろう、この人。

 咎めるような視線を受けても、会長の態度は変わらない。困ったような、諦めたような、年齢よりも随分大人びた表情。――ああ、わかった。諦めることに慣れてしまった大人の顔なんだ、これ。


「私はいわゆる旧家の一人娘ってやつでね。私が女性を愛したとしても、将来は婿をとらないといけない身なんだ。好きな相手と結ばれても、いつかは別れる。元彼と付き合ったのも、男の人に慣れておきたかったからなんだ。……高校生の間くらいは、って考えたこともあったけど、期限付きの恋愛なんて不毛でしょ?」

「それなら、最初から陽子の誘いに乗らなければ良かったのに」

「そうだね。……目の前にぶら下げられた人参に我慢できず、一口だけとかぶりついたらあまりにも美味しくて、一口では済まなくなった、って言えばわかるかな。あんなに元彼とのセックスが嫌だったのにね」

「そんなの当たり前じゃないですか、好きなんだから」


 本当にね、と小さく笑う会長の、大人びた顔が嫌だ。まだ高校生なのに、なんだその顔は。なんだその光のない眼は。

 仕方ない、こんなもんだ、そう上手くはいかない、無駄な抵抗、諦めるしかない。大人になるにつれ、経験とともに少しずつ積み重なっていくそれらを、なんでこんな十代の少女が纏っているのか。

 やるせない。認めたくない。私はハッピーエンドが大好きな百合オタなんだ!!


「何を中途半端なことしてるんですか。物わかりいいようなこと言って、結局陽子を巻き込んで、傷つけて、自分の都合で放り出して。自分勝手にも程がありますよ!」

「……そうだね」

「せめて! 彼氏と別れたなら、そう言えばよかったんですよ! それだけでも、陽子の気持ちは全然違ったはずなのに! 結局、会長は美味しいとこだけ欲しかったんでしょう!? 嘘をついて好きな人を傷つけても、欲しいものを欲しいってちゃんと言わずに、無責任なまま手に入れたかったんですよね!?」

「そうだよ! 私はっ、ずっと自分だけを安全な場所に置いて、陽子を傷つけてきた! あの子の尊厳を踏みにじってきた! 彼氏っていう言い訳がないともう抱いてもらえないと思って、嘘をつき続けてきたんだ!!」


 二人きりの生徒会室に、会長の叫びが響く。

 肩で息をする彼女の表情はまだ諦めの色が濃いものの、さっきよりはマシな面構えになってきていた。どうやら本音で話す気になってくれたらしい。


「時々、陽子も私を好きなんじゃないかって思う時があるんだ。その度、本心を打ち明けたくなる。でも、そのくせ『彼氏とのスパイスにどうぞ』とか言ってきわどい下着をプレゼントしてきたりするから、やっぱり違うのかなとも思うし……」


 おいコラ、陽子。下着の件は聞いていたけど、そんな余計な一言は知りませんでしたよ?陽子は陽子で本心を隠すためだったんだろうけど、それがまた二人の関係をややこしくするとは。


「……家のこととか、一般家庭の私にはわからないですけどね。将来どうするかなんて会長が決めることですし、私は何の責任も取れませんし」


 旧家なんて、前世でも今世でもまったくもってご縁がない。それこそ別世界だ。それでも、歴史あるその家の血の重さは相当なものなのだろう。

 それを絶やしてしまえなんて無責任なこと、私には言えない。会長が義務として受け入れているのなら、それもまた選択肢の一つだ。

 ――それでも、それを理由にして好きな人を悲しませるべきではない。これだけははっきり言えた。


「会長、傷つけあって終わりなんて、悲しすぎますよ。いつかは別れることになっても、せめて幸せな思い出にしてほしいです。その思い出があれば、将来辛いことがあっても頑張れるような」

「……考えたこともなかったな」

「じゃあ、これから考えてみて下さい。そこからどうするかは、会長にお任せします」


 あと少しで昼休みも終わる。なんとも濃い一時間だった。

 奇妙な達成感を抱いて生徒会室から出ると、扉のすぐ左手にうっすらと目を赤くした陽子がしゃがみ込んでいた。


「……よっ」


 右の手のひらを見せて照れくさそうな笑顔を向けてくるが、この様子だと結構しっかり聞いていたみたいだ。背後で会長が慌てているのが、振り向かなくてもわかった。


「盗み聞きするつもりはなかったんだけど、人に聞かれないように見張りをね? しようと思ったんだけど、二人とも結構声張ってたから……ね?」

「ね? じゃないわよ。何してくれてるのよ」

「ごめんって。あ、詩織。次の授業、私と会長は保健室行って休むって伝えといて」


 立ち上がり、ぽんっと私の肩を叩いて、入れ替わるようにして陽子が生徒会室に入っていく。その向こうに、かわいそうなくらい――いや、笑えるくらい動揺している会長の姿が見えた。


「はぁ、過剰なスキンシップは禁止よ?」

「わかってるよー。あとはよろしく」


 ひらひらと手を振る陽子によって、古くて重い扉がゆっくりと閉められる。

 さて、あとは若いお二人で。願わくば、彼女たちの出した結論が幸せな未来に繋がりますように。

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