5・主人公とメインヒロインと私。

 百合ノ宮の特徴の一つに、校舎の多さがある。旧校舎、新校舎、円形校舎、そして部活棟。生徒数が特別多いわけでもないのに、なぜか校舎の数が多い。旧校舎は職員室や図書室、準備室や保健室として使われており、新校舎は学生の教室が主になっている。円形校舎の最上階には礼拝堂があり、他にも音楽室や多目的教室、美術室が。部活棟はそのまま部室で、体育館のすぐ隣に配置されている。

 こうして挙げてみると、それぞれの校舎の役割があって良さそうに聞こえるが、実際のところは教室を移動する時間が長くて移動教室の時にかなり急ぐことになるので、生徒からの評判はすこぶる悪い。

 私も一年生の時はなんでこんなに各教室が分散されているのかと疑問だったのだけど、前世の知識のおかげでわかってしまった。この不便さは、すべてゲーム内でのご都合主義が原因なのだと。


 美術室、礼拝堂、部室棟、保健室。全部、イベントで出てきたわよね……肌色なやつで。ええ、なぜか保健医がいない保健室って鉄板ですものね。結局、自然と二人きりになるシーンを作り出すためだけに作られた設定なのだと、今ならよくわかる。まったく、なんて腹立たしい。私の休憩時間を返せ!

 新校舎の前に張り出されたクラス替えを確認して自分の教室に向かっていると、着く前に廊下で友達に声をかけられた。


「おはよ、詩織。また同じクラスだったね!」


 一年生の時からのクラスメイトで、同じ美術部でもある陽子。生徒会にも入っているから美術部にはあまり顔を出さないけど、名前の通り陽気でいつもにぎやかな友人だ。ゲーム内で名前は出てこなかったけど、『詩織』の友人役や美術部の先輩のモブとして登場していたのは、もしかしたら彼女かもしれない。


「ええ、また一年よろしく」

「こちらこそよろしく。昨日は生徒会で入学式にも出てたんだけど、可愛い子いっぱいいたよー。今日の放課後から部活見学が始まるし、美術部も可愛い子がいっぱい入るといいなぁ」

「そうね。顔はともかく、可愛げのある性格の後輩は欲しいわ」


 ゲームのシナリオによれば、今年美術部の新入部員は三人だ。葵と、あとモブが二人。ゲームでの描写がほとんどなかったから、どんな子かはわからないけれど、モブに徹することが出来る程度には問題ない子が入ってくれるのだろう。社交的な性格の葵は放っておいても他の先輩と仲良くなるだろうし、私はそちらの後輩たちを可愛がるつもりだ。

 ちなみに、こはるは料理部に入る。部活見学には来るが、葵に美味しい料理を作ってあげたいという理由で一緒には入らない――という設定だが、こはるまで美術部に入ったらサブヒロインの『詩織』がキャラ立ちしないという理由だろう。でないと、あの葵ストーカー疑惑のあるこはるが他の部活を選ぶはずがない。もっとも、その設定のおかげで私はとても助かるのだが。


「そんなこと言うけど、顔は大事だよ」

「知ってる。陽子が私に声をかけたのも、顔が気に入ったからなんでしょ?」


 それを言われた時のことを思い出し肩をすくめると、「そうそう、筋金入りのメンクイなの、私」と悪びれずに言った。ここまで断言されると、いっそ清々しい。


「そ・れ・で、美少女と言えば〜、今朝電車で一緒だった椿ヶ丘の子。めちゃくちゃ美少女だったよね!」

「……見てたのね」

「見てた! むしろ、美少女と美少女のツーショットから目が離せなかったね! 盗撮しようかと思った!」

「やめなさい」


 さすがにそれはしないと信じたいが、陽子のこのテンションならやりそうで怖い。

 というか、春休み前まではまったく気にならなかったのだが、装備したばかりの百合オタフィルターを通して彼女の行動を見てみると、美少女大好き! と公言するこの友人は百合キャラなのだろうか。ノンケだからこそこうして堂々と口に出来ている可能性もあるわけだけど、なんといってもここは百合ゲーの世界。ヒロイン以外にも隠れ百合キャラはいるんじゃないかと期待しまっている私がいる。


「ちぇーっ、だめか」

「だめよ。もう、今日からは先輩なんだし、少しはちゃんとしなさいよね。仮にも生徒会役員なんだし」

「おおっ、詩織が大人なこと言ってる! そういえば、なんだか春休みの間に大人っぽくなったような気がするけど……もしかして、大人の階段上っちゃった?」

「なっ……、上ってないし上る予定もないわよ!」


 ちょうど到着した教室のドアを開けながら、思わず大声を出してしまったせいで、教室中の視線が私たちに集まる。意味が分かった人は微笑ましそうな目で見てくるし、わからない人は小首を傾げているが、どうかそのままわからないでいてほしい。

 羞恥で固まっている私の耳元で「初日からオトメ宣言なんて、詩織ってばダイターン」などとニヤニヤ笑いながら囁いてきた陽子には、足の小指に私の全体重をのせてグリグリするという罰を与えておいた。



※ ※ ※ ※



 放課後になり、陽子と連れ立って美術室に向かうと、そこにはもう数人の新入生と部員が来ていた。無意識のうちに葵とこはるの姿を探したが、二人はまだ来ていないらしくてホッとする。会わずに済むことはないだろうけど、会う時は心構えをしておきたい。

 今日の美術室は、美術部らしく『入学おめでとうございます』の文字と桜の黒板アートが描かれていて、新入生は「すごーい!」とスマホで写真を撮っていた。つかみは上々だ。


「それでは、一年生の皆さん。今日は見学に来てくれてありがとうございます。この後は美術部の簡単な説明を聞いてもらって、一年生にも参加してもらって少しだけでも部活の雰囲気を感じてもらおうと思っています」


 三時半になったところで部長が部活見学の説明を始めたので、部員も新入生も話をやめて注目する。


「まず、美術部の活動日は基本的に火曜と木曜。でも、出たければ他の日に来てもいいし、絶対活動日に来ないとダメってわけでもないので、みんな自由にやっています。ノルマは文化祭の展示物を一点提出するくらいですね。去年の文化祭では……」


 部長が話を続けようとしたところで、美術室の重い扉がガタガタと少しだけ開かれ、二人の女の子が隙間から覗き込むように中を窺っていた。彼女たちの顔を見て、心臓が氷水をかけられたように一気に冷える。

 間違えようもなく、葵とこはるだった。


「遅くなってすみません。今からでも見学できますか?」

「ええ、始まったばかりだから大丈夫ですよ」


 部長に招き入れられた二人は急いで中に入ってきて合流した……のはいいのだけれど、なぜ私の隣に来る? いや、私が扉側に立っていたせいもあるのだが、他にもいい場所はいっぱいあっただろうに。うう、逃げたい。移動したい。でも、説明の途中だし……。

 部長の話が終わったらすぐにこの場を離れようとソワソワしながら待っていたのだが、説明の最後に「じゃあ、わからないことがあれば近くの先輩に気軽に聞いて下さいね」の一言が余計だった。すぐそばにいた葵が、即座にキラッキラの笑顔を向けてきたのだ。ばっちり目が合ってしまって、気づかないふりも出来やしない。逃げるタイミングを完全に失ってしまった。


「あのっ、私、島本葵っていいます。この子は若島こはる。よろしくお願いします!」


 人の気も知らず、葵が元気よく挨拶してきて、その後ろではこはるもぺこりと頭を下げた。ああ、何も知らなかった頃なら『しっかり挨拶してくれる可愛い一年生可愛い』と思えたのに。実際にいい子達なのはよく知っているのだが、あのバッドエンドのせいで彼女たちが私や紗良を破滅に追い込む存在にしか思えなくなっている。

 特にこはる。葵の後ろで黙ってにこにこ微笑んでいるけど、目が全然笑っていない。えええ、今の段階でそれ? もうすでにヤンデレ化が始まってますか!?


「わ、私は二年の杉村詩織。……よろしくね」


 本当はよろしくしたくないけど! ヤンデレ怖い! それにまったく気づいてない天然も怖い!

 背後から漂う重くどす黒い空気をよそに、葵が子犬のような無邪気さで話し続けているが、そんなのまったく頭に入ってこない。こはるから目を離したら、その瞬間に食われるんじゃないかってくらいに殺気を放ってるんだけど、なんで誰も気づかないの? これが百合ゲー世界のご都合主義ってやつ?


「えーっと、若島さんは美術部ではどんなことをしたいのかな?」


 これ以上葵と話してたら、確実にヘイトが溜まっていくと危機感を覚えて、無理やりこはるに話を振る。あ、葵が振り向いたとたん黒いのが消えた。すごい、あれって出し入れ自由なんだ。簡単収納?


「私は葵ちゃんの付き添いのつもりだったんですけど、なんだか楽しそうですね。先輩は何を作ってるんですか?」

「えっと、私は絵かな。去年の文化祭ではトリックアートを描いて展示したの」

「えー! トリックアート、面白そう! 写真とかないんですか?」


 こはると話していたのに、葵の反応が良すぎた。目を輝かせ、私の手をガシっと握って「見せて下さい!」とおねだりしてくる。あと、葵がこっち向いた途端にこはるの目からハイライトが消えた。怖い!

 どうして私がこんな目に……! 誰か助けてと周りを見渡してみるが、みんな和気藹々と楽しそうに話したり作品を見せたりしている。当然、人を殺しそうな目をしている子なんていない。私の目の前以外には。

 慌てて葵から手を離し、スマホに入っていた去年の文化祭の写真を見せる。当然、こはるにも葵と一緒に見てもらう。こうすることでこはるはただの可愛い女の子になるので、私のHPの激減も止まった。


 こうして第三者として二人を見ていると、『未完成ラプソディ』が完全に葵目線でのゲームだったことがよくわかる。葵の隣にいる時のこはるは本当にただ可愛いだけの女の子だし、こうして部活の説明をしている私も、葵の目にはにこやかに部活説明をしてくれる先輩に映っているだろう。二人とも内心はとんでもない状態なのに、知らないって幸せだ。


「わー、トリックアートすごいね、こはる! あ、こっちダンボールでロボット作ってる。こんなのも楽しそう! 美術部入ったら、私もこんなの作れるようになるかなぁ」

「それは努力次第かな。でも、先生や先輩もサポートしてくれるから、やりたいことがあればどんどん挑戦すればいいわ」

「そうなんですね! じゃあ、入部しちゃおうかな! こはるはどうする?」

「え、私は……」


 料理部ですよね、知ってます。見学の段階から二人と接点が出来てしまったのは予定外だったけど、葵が美術部に入るのはわかっていたことだ。葵の入部後、可能な限り逃げ回っていればこはるに睨まれることもないだろう。もちろん気は抜けないが、私の胃が痛くなるような時間ももうすぐ終わ「私も入部します」……らない? え?


「見学だけのつもりだったけど、想像以上に面白そうなので。先輩もみんな優しそうですし、葵ちゃんも一緒だし」


 絶対、最後のが一番重要ですよね!? って、いや、待って。なんで貴女まで入部するの? 料理部は? 私の平和な部活動は? ねえっ!?

 人の気も知らず、葵はこはるが一緒に入ると喜んでいるし、新入部員が決定したと聞きつけて他の部員も集まってくるし、どうしてこうなった!? とパニックになっている私を置き去りに、周囲の空気は一気に盛り上がった。

 よくやったと部長に褒められ愛想笑いを返す私に、こはるが近づいてくる。そして、にっこりと極上の笑顔を向けた。


「これからよろしくお願いします、杉村先輩」

「よ、よろしく……」


 ヘビに睨まれたカエルって、きっとこんな気持ちだ。

 本当にどこでどう間違ってしまったのか……今すぐおうちのベッドに潜って泣き出したい気持ちになりながら、私はキリキリと痛み始めた胃をそっと撫でた。誰か、胃薬下さい。

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