4・たい焼きとヒロイン

 紗良と連絡先を交換して、また明日と約束した私は彼女より二駅前で電車を降りた。推しの連絡先をゲットして浮足立つ気持ちと、それ以上の不安がずっしりとのしかかってきて、今からでもどうにかバス通学に誘導出来ないかと考えてみるが、上手い方法が思いつかない。せっかく彼女を安全圏に逃がせたと思っていたのに、何ということだ。


 いくらゲームで登場人物の主な行動を把握しているとはいえ、全てを知っているわけではない。今日の紗良の電車通学がいい例だ。葵たちの行動だって、今日は葵とこはるが一緒に遅刻してくるのは知っているけど、それ以前と以降の行動は部活見学まで飛んでしまう。それまでの間にどう過ごすのかは全然わからない。

 遅刻の理由については、隣の席の友達に「たい焼き好きな女の子をおうちに送り届けてたんだよ☆」なんて冗談を言って「その子、うぐぅって言ってた?」と笑われていたから、きっとシナリオライターは鍵っ子なのだろう。私もあの作品は大好きだけど、残念ながら百合要素がない。名作だが、それだけが本当に残念だ。

 まあ、遅刻するくらいだからこの時間に葵とこはるに会うことはないだろうと、学校までの道をまばらに歩く生徒に混じって進む。


 百合ノ宮女子高校は、最寄駅から徒歩10分、住宅街の中に佇む由緒ある女子校だ。由緒あると言ってもお嬢様学校というほどではなく、ちょっと歴史が古いだけ。毎年一流大学に大勢合格させているわけでもなければ全国大会常連になるような部活もない、偏差値はやや高めだけどのんびりした校風が売りの女子校だ。

 紗良が通う椿ヶ丘の方がよほど進学校で、きっと授業もかなりレベルが高いだろう。椿ヶ丘は一昨年まで男子校だったからまだ女子の人数は少ないらしいし、紗良ほど可愛ければさぞかしモテるに違いない。きっと、今頃は注目の的だ。百合オタとしての願望では、紗良には是非とも可愛い彼女を作ってほしいけれど、幸せになれるなら彼氏でもいい。とにかく、どうにかして破滅フラグを叩き折ってほしいと願っている。そのためにも、バス通学に切り替えてほしいんだけど。


「一緒に通学する約束しておいて、それはもう無理よねぇ」


 ため息を吐きたい気持ちで通学路を歩いていると、ふと住宅街の小さな公園で一人で立ち尽くすおさげの女の子がいるのに気がついた。年齢は、多分3歳くらい。保護者はどうしたのだろうとあたりを見渡すが、それらしき人物は見当たらない。

 茶色いぬいぐるみを抱きかかえてうつむく女の子に他の生徒達も気づいているようなのに、話しかけようとする子はいなかった。百合ゲーの世界なのに、なんとも世知辛い世の中だ。

 まあ、このまま無視して後で何か事件に巻き込まれたと聞くようなことがあっても気分が悪い。早めに登校したから時間はあるし、声をかけてみようと私は公園へと入っていった。


「ねえ、あなた……ひっ!!」


 女の子に近づいて声をかけたその時、私はようやく気づいた。彼女が大事そうにしっかり抱きかかえている茶色いぬいぐるみが、大きなたい焼きの形をしていたことに。そして瞬時に理解した。葵が遅刻した理由はライターのネタでも何でもなく、事実そのままだったのだと。


「た、たい焼き好きなの?」

「……しゅき」


 大きなたい焼きを抱きしめる腕にぎゅっと力をこめて、女の子が頷く。ああ、これはもう確定だろう。私が放っておいても、もう少ししたら葵とこはるが来て送り届けてくれたに違いない。

 でも、それがわかっていても、こんな心細そうな顔をした子供を放置するなんて私には無理だ。


「なんで、ひとりでいるの?」

「ママ、寝てたから」

「そっかぁ。ママ、疲れてるのかな」

「ママ、赤ちゃんと一緒にいるの。だからね、みおはひとりで遊ぶの」

「あー、そういうことか。……みおちゃんは、優しいいい子だね」


 彼女の前にしゃがみこんで、いい子いい子と頭を撫でてあげると、ちょっとだけ誇らしげに「うん」と笑顔を見せた。

 おそらくだが、みおちゃんの家には赤ちゃんがいるのだろう。まだ母親がそっちにつきっきりで、遊んでもらえる時間が減ってしまい寂しさを感じてはいるが、聡い子なのだろう。母親が疲れているのを理解して、起こさないようにそっと家を抜け出してきたのだ。

 残念ながら、そっちの方が後々騒ぎになることにまでは頭が回らなかったようだし、家の鍵を閉めて出かけてきたのかも怪しいところだが、3歳児でも心意気はなかなかのものだ。


「でもママが起きた時、みおちゃんがそばにいなかったら、ママ寂しいんじゃないかな?」

「……そうかなぁ?」

「うん、そうだと思うよ。だからね、お外でひとりで遊ぶのはやめて、ママの隣でお絵かきでもして、起きるのを待っててあげたらどうかな?」

「うーん、……わかった。じゃあ、おうち帰る」


 素直に帰ると言ってくれたことに、ほっと胸をなで下ろす。ひとりで帰れるか聞いてみたら、「おうち、あそこ」とすぐ近くの家を指差すので、そこなら大丈夫だろうと手を振って見送った。知らない人に家を教えるのは危険だと言いたかったが、3歳児にそれを説明するのは難しそうだ。今後の母親の教育に期待するしかない。


「さて、そろそろいい時間になったわね」


 ひと仕事終えた気分で腕時計を確認すると、もういつもの通学時間と同じくらいの時刻になっていた。通学路を歩く生徒も随分と増えていて、さっさとその流れに戻ろうと公園の入り口に向かったのだが、ちょうどそこを通りがかった二人の少女の存在に私の足が止まり、背筋がゾクリと粟立った。


――葵とこはるだ。


 毛先を遊ばせたショートヘアと好奇心に満ちた大きな瞳が特徴の葵、肩までのふんわりやわらかな髪に大きめのビジューがついたヘアピンで前髪を飾っているもう一人の少女がこはるだろう。仲良さそうに肩を並べて歩く彼女たちが、本当ならみおちゃんに声をかけて遅刻してしまうはずだったのだ。

 私が声をかけたことでまたシナリオが変わってしまったが、それがどう影響するのかはわからない。まだライターのネタだった可能性も高いので、今後に大きく響いてこないと信じたいが。

 『未完成ラプソディ』の主人公とメインヒロイン。私と紗良が接触しなければ、将来は結ばれるであろう二人。

 いつの間にか息を止めて見つめていた私に葵がちらりと視線を寄こし、うっすらと微笑んだような気がした。

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