6・推しとのデート 前編

「詩織さんって、昔からこの辺りに住んでるの?」


 学校が始まって、早くも一週間。朝の通学電車に揺られながら雑談をしていると、唐突に紗良が尋ねた。

 あの宣言通り、翌日からは電車を二本遅らせて乗ってくるようになった紗良とは毎朝一緒に通学している。ヤンデレヒロインのせいで、楽しいはずの部活動が恐怖と緊張の時間になってしまった私にとって、彼女と過ごす朝の二十分はまさに心のオアシスとなっていた。

 呼び方も『杉村さん』から『詩織さん』に変わって、私も彼女を『紗良』と呼ぶようになり、それだけで随分と距離が縮まったように感じる。


「ええ、子供のころからずっとここよ。なんで?」

「実は私、中学までは別の土地に住んでたから、この辺りはよくわからなくて。だから、詩織さんが詳しいなら教えてほしいなって……」


 遠慮がちな性格の彼女らしく、綺麗な形の眉が申し訳なさそうに下がる。薄く緑がかった瞳を潤ませたおねだりは、いとも簡単に私の胸を貫いた。だって、なんといっても顔がいい。この一言に尽きる。

 残念ながら身長は紗良の方が高いのだけれど、もし私の方が高身長だったなら上目遣いでおねだりされていたのだろうか。何それ、やばい。そんなことされたら、萌えの過剰摂取で吐血しそう。

 そして、そんなアホな考えは一切顔に出さず、「もちろん、いいわよ」と答える。


「といっても、紗良がどういう場所を知りたいかにもよるけど……」


 普通の高校生の活動範囲なんて、そう広くはない。ショッピングモールを除けば、流行りの服や雑貨の店が並ぶ通りや雰囲気のいい穴場のカフェが数軒くらいだ。

 ああ、生活に必要という意味では、評判のいい内科や歯医者なんかも教えておいた方がいいだろう。前世で一人暮らしを始めた時、病院探しはかなり困ったものだ。高熱で頭が朦朧とする中、スマホで近所の病院の評判を調べるのがどれほど億劫だったか。


 ただ、紗良からはまだ一人暮らしをしていることを聞かされていない。

 女子高生が一人暮らしをしているのは珍しいし、防犯的にもあまり周囲に知らせない方がいいからだろう。ゲームでは確か、父親の海外転勤のためだと言っていたはずだが、こんな可愛い娘を日本に一人残していくのは、親御さんもさぞかし心配だったに違いない。

 もっとも、紗良本人はゲーム内で「一人暮らしって気楽で楽しい。葵とも二人になりやすいし」なんて言って存分にイチャついており、私はそれを楽しんでいたんだけど。


「特に欲しいものがあるわけじゃないんだけど……詩織さんって、普段はどこで服買ってるの?」

「んー、私は初めて紗良と会った駅前のファッションビルが多いかな。定期券内だし、結構安くて可愛いの買えるし。あ、紗良はどんな服が好みなの?」


 ゲーム内では甘めなカジュアル系だったけど、なんだかゲームでの紗良と実際の紗良ってちょっと違うとこがあるし、実はゴスロリが好きなの! とか言われたら、多分あそこだと対応出来ないし、私も店を知らない。


「特にこだわりはないけど、カジュアルな服が多いかも。でも、服選びって苦手だから、店員さんに薦められるやつをそのまま買っちゃうことが多いよ」

「あはは、店員さんも紗良みたいな綺麗な子だと選んでて楽しいでしょうね。私も選びたいくらい」


 おそらくどんな服でも着こなしちゃいそうだけど、顔がお嬢さんっぽいからきれいめ系やお姉さん系も似合うだろうな。いや、意外とボーイッシュ系もいけそう。原宿系やギャル系は……似合うけど何か違う。ああ、想像するだけで楽しい。私に前世の頃の収入があれば、今は買えない大人な薄い本の代わりに服やアクセサリーを紗良に貢ぎまくるのに。はっ、バイト始めようかしら!?

 ちなみに、今の私はきれいめ系だ。残念ながら、前世でよく着ていたようなカジュアル系はびっくりするほど似合わない。


「じゃあ、詩織さんが選んでよ」

「え?」


 都合のいい幻聴かしらと紗良の顔を見つめたら、「服、詩織さんが選んでくれる?」ともう一度言われた。


「いいの!?」

「いいも何も、こっちこそ選んでもらえると助かるよ。友達に選んでもらったことなんてないし、ちょっと楽しみ」

「あー、中学生だと友達同士ではあんまり服買ったりしないわよね。任せて、絶対に似合うの探すから!」


 今週末に行こうと約束したところで私が降りる駅に着いたので話はそこで終わったが、教室に着いてスマホを確認すると『デート楽しみにしてるね!』と追い討ちのLAINが来ていて、週末を迎える前に萌え殺されるかと思った。しかも、デートって! デートの相手が私じゃなければ、百合認定してスカイツリーより高いキマシタワー建設してたわ!

 でも、それより何より、推しに自分の選んだ服を着てもらえるなんて! 最高!!



※ ※ ※ ※



 約束の週末は、春らしく暖かい日だった。

 百合ゲーの設定のおかげか、今の私の家は結構裕福だ。とんでもないお嬢様ではないけれど、一般的にはいわゆる『いいとこのお嬢さん』に含まれる。百合オタ的にわかりやすく例えるなら紅薔薇のツインテールな主人公をイメージしてもらえるといいだろう。

 そのおかげでお小遣いは多めだし、服を買いに行きたいと言えば臨時のお小遣いも貰えてしまう。前世では百合につぎ込むため節約生活をしていた私にとって、これはありがたくもあり申し訳なくもあり、受け取ったお札を手に貰いすぎではないかと固まる。神妙な顔をしてお礼を言う娘に、母親は変な顔をしていた。


 約束の時間は11時。約束の10分前に待ち合わせ場所に行くと、紗良はもう先に来ていた。


「お待たせ」

「あ、詩織さん、おはよう。全然待ってないよ」


 スマホを触っていた彼女が、パッと顔を上げる。平日とは違い薄く化粧をしているらしく、なんだかいつもより大人っぽい。普段まっすぐ下ろしている髪はゆるく巻かれ、カジュアルが多いと聞いていた服装も今日はどちらかというときれいめだ。ミントグリーンのシャツに白のパンツを併せていて、すごく春らしい。

 こんな春の妖精みたいな女の子が、よくナンパもされずに待っていられたものだ。次に待ち合わせることがあれば、もっと早く来るようにしよう。


「紗良の私服姿、とっても素敵ね」

「ありがとう、今日は詩織さんと一緒だから少し寄せてみたの。前に見た時、大人っぽかったから」

「前……ああ、初めて会った日ね」


 つい先日のことなのに、随分と昔のように感じられる。出会って、まだ一ヶ月も経っていないのが嘘みたいだ。

 前世の知識で以前から紗良を知っていたせいか、毎日のように会って話しているせいか。おそらく両方だろう。今では学校のどの友達よりも近い存在になっていた。


「先にランチにする? それとも、もう服見に行く? ランチなら、近くにパンケーキの人気店があるわよ」

「ランチで!」

「はーい、じゃあ行きましょう」


 事前に調べておいたお店に行ってみると、さすが人気店。並ばずに座ることは出来たが、店内はすでにほぼ満員だった。まだお昼には少し早いのに。

 だが、その人気もメニューを見れば納得で、載っている写真はどれも美味しそうだ。種類も豊富で、どれを注文するか選べないほど。これで味も良いなら、きっとリピーターも多いのだろう。


「詩織さん、もう決まった?」

「待って。まだ季節のフレッシュフルーツパンケーキと苺づくしのふわとろパンケーキタワーで迷ってる」


 二層に重ねられた分厚いパンケーキの周りに、イチゴやバナナ、ブルーベリーなどのフルーツがたっぷりと飾られ、バニラアイスも添えられている季節のフレッシュフルーツパンケーキ。

 高く積まれた三層のパンケーキの上から柔かそうな生クリームがとろりとかけられ、これでもかとお皿に載せられた苺とストロベリーアイス、苺ソースもお好みでかけれる苺づくしのふわとろパンケーキタワー。

 どっちも絶対美味しいし、どっちも食べたい。


「わかるー! その二つ、特に美味しそうで私も迷った!」

「そうよね! 紗良はどっちにしたの?」

「私は季節のフレッシュフルーツパンケーキ。……詩織さん、良かったらシェアしない?」

「いいの? むしろ、私がお願いしようと思ってたとこなんだけど」

「こちらこそお願いします」


 大真面目な顔で提案してくる紗良と顔を見合わせ、無言で一つ頷きあう。

 注文したパンケーキはどちらも大変美味しくて、夢中になって食べていたらあっという間にお皿から消え去ってしまった。かなりのボリュームだったのに、こんな短時間で一体どこに消えてしまったのか。いや、私たちのお腹の中なのはわかっているのだけど、出来れば認めたくない。カロリー的な意味で。

 でも、仕方ないじゃないか。パンケーキは口の中でとろけるくらいやわらかく、フルーツはみずみずしくて、甘い生クリームとイチゴのソースの酸味のバランスだって最高だったのだから。

 空になったお皿を名残惜しそうに見つめる紗良に「また来ましょうね」と言うと、まるでチューリップが咲いたような可憐な表情で「うん!」と嬉しそうに笑った。

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