第22話

 *


 パキッ、と遥か後方で枝の折れる音が聞こえた……気がした。

 後ろを振り返るも、何もいない。か細い木漏れ日に照らされ、薄暗がりの中で木々が揺れるばかり。得体の知れないものが後ろをつけていたり、透けた何かの姿が揺らめいていたりはしない。

 な、何も出ないよね……?

 そんな不安が幾度も湧く。けれど、その度にあたしは左手に感じる温もりを頼りに、不安をかき消した。

 それに、暗いといっても昼間だ。深い森といっても入り口付近だ。さらには自分たちより二つも下のフィーが度々ひとりで来ているような場所だ。慣れないからといって、必要以上に怖がる必要はない。……たぶん。

 何とも言えないモヤモヤを心に抱きつつ歩を進めること暫し。何度潜ったかわからない茂みの先に、それは広がった。


「わあぁぁぁぁっ!」


 突如として眼前に広がって光景に、あたしは思わず歓声をあげていた。

 厚くて深い木々の中に、ポッカリと空いた空き地。上を見上げれば青空と太陽が顔を出しており、大地に淡い陽の光を注いでいる。そしてその光の先には、赤や黄、紫、青、白など、色とりどりの花々が一面に咲き誇っていた。


「ね、ね! どう? すごいでしょっ!」


 テンション高く飛び跳ねているのは、あたしの心臓だけじゃない。何度も来たことがあると言っていた青髪の少女もまた然りだ。


「うん! これはすごいっ!」

「ほんと……綺麗」


 マナもうっとりとして花畑を見つめている。まるで物語に出てくるお城の花園みたいだし、きっと彼女の頭の中にはどこかの物語の風景と重なっているんだろう。

 惚けているマナの横をするりと抜け、あたしはフィーの傍へと駆け寄った。


「ねね、この花はなんていうの?」

「これはね、ヒカリってお花! 少し強めに揺らしたり、踏んだりすると光るんだよ! あとこっちはアネドラって言って、いろんな色があって綺麗なの! そしてあれがコトで、こっちが……――」


 嬉しそうに笑いながら、フィーは咲いている花の名前を一つ一つ教えてくれる。その中には、あたしとユナが身につけているラルラもあった。


「フィーすごい! とっても物知り!」

「えへへ〜。何回かここに通っているうちにね、この花なんて名前だろうって思うようになって。それで覚えたんだ!」

「へぇー! 将来は花屋さんとかなれそう!」

「うん! 麦もいいけど、フィーも花を育てていろんな人を笑顔にしたいって思ってる!」

「いいねいいね〜!」


 いろんな人を笑顔にしたい。なんて素敵な夢なんだろう。

 途中、空想から現実の世界に戻ってきたマナも交え、あたしたちはさらにお喋りを続けた。

 花を使った遊びの話になり、咲き誇っている花を摘んで冠を作った。基本、あたしは手先を使う細かい作業はあまり好きではない。孤児院にいた時、マナが作っているのを何度か見ていたこともあったが、実際に作ってみたことはなかった。

 けれど、実際に作ってみると思った以上に嫌いじゃなかった。むしろ、楽しかった。

 マナとフィーに作り方を教えてもらい、好きな花を組み合わせ、編み込んでいく。


「はいっ! これで花冠の完成だよ~!」

「わぁぁ! 可愛い!」

「我ながら会心の出来! まさかあたしに花冠づくりの才能が……」

「ちょっと! これはフィーちゃんのおかげでしょ!」

「うっ、はい! まさしく! フィー様様です!」

「アハハッ! そんなことないと思うけど、でもありがと~!」


 和気あいあいと花冠を作り終えると、あたしたちは適当な場所を見繕って腰をかけた。

 あたしが持っていたクッキーの残りを食べ、マナとフィーが持ってきた水を分け合って飲む。ちなみに、あたしの水は麦畑沿いで遊んでいた時にすっかり無くなっていた。さすがにクッキーを食べると喉が渇いて渇いて……


「ユナ。クッキー食べ過ぎだよ?」

「うっ……」


 水をもらう際、痛いところを突かれて言葉に詰まる。そんなあたしの反応にマナたちは笑い、気づけばあたしも笑い返していた。

 こんなに笑ったのは……なんだか久しぶりのような気がした。

 彩り豊かな花々に囲まれ、お喋りにも花を咲かせていると、いつの間にか太陽は随分と傾いていた。


「あっ、もうそろそろ戻らないと」


 マナの声に、あたしもふと思う。そういえば、あたしは「大人の話が終わるまで」と言って外に出てきたんだった。大人の話は長いけれど、さすがに日が暮れるまでは話さないだろう。


「もしかしてまずいんじゃ……」

「これは、ゼトムに怒られるかもね」

「えーっ! それはピンチ!」


 冗談じゃない。ゼトムはあんな目つきをしているだけあって、当然ながら怒っても怖いのだ。


「もう遅いよ~。でもみんなで謝ればきっと大丈夫! さっ、片付けよっか」


 マナは諦めたように笑うと、広げていたシートを畳み始めようとして……手を止めた。


「フィーちゃん? どうしたの?」


 彼女のこれまでとは違う声色に、あたしもその視線の先へと目を向ける。そこでは、さっきまであれほど楽しそうにはしゃいでいたフィーが悲しそうな表情で俯いていた。


「……帰りたくない」

「え?」


 本当に小さく聞こえた呟きに、あたしは思わず聞き返した。


「帰りたくないっ!」


 今度は強く叫んだ。澄んだ青い瞳から、ぽろぽろと涙が零れ出す。


「フィ、フィーちゃんっ⁉︎」


 マナは畳みかけのシートを放り捨てると、フィーの傍に駆け寄った。あたしもその反対側に腰を下ろし、一呼吸おいてからゆっくりと口を開く。


「フィー、どうして帰りたくないの?」


 努めて優しく、寄り添うように訊く。

 なんとなく、ただ事ではないような気がした。

 単純にもっと遊びたいから――とか、そんな理由じゃない。

 もっと――


「だって、帰ったら……またみんな、いなくなっちゃってるかもしれないから……」


 想像の斜め上。

 いや、それ以上の角度から落とされ、絞り出された言葉に、あたしは何も返せなかった。

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