第12話

 **


 翌朝。

 陽が昇ったばかりの早朝にもかかわらず、森の中では力強い声が飛び交っていた。


「ユナ! 踏み込みが甘い!」

「っ! はぁっ!」


 小枝目掛けて、刃が横に振り切られる。刃こぼれのない鋭利な短剣の前に、細い小枝が耐え切れるはずもなく軽々と宙を舞……うことはなく、風を受けたかのようにゆらゆらと揺れていた。


「刃の角度が安定していない。だから切れない。毎日、空いた時間は短剣を振り回してろ。とにかく慣れだ」

「むぅ、難しい……」

「当たり前だ。短剣は持ち方によって捌きが異なるし、難易度も変わる。敵の動きやこちらの目的に応じて使いこなせなければ意味がない。そして、どの持ち方でも使いこなせるようになれ。話はそれからだ」

「わ、わかった!」


 息を切らせたユナの返事に、ゼトムは満足そうに頷いた。私は人差し指に触れる魔力の波を感じながら、そんな二人の様子を横目に見ている……と、パチッと魔力が弾けた。


「こら、マナ。集中力を切らせるな。大気に漂っている魔力を集められなければ魔術は扱えないぞ」

「う、うん……!」


 すごい。少し離れたところにいたのに、ゼトムは明確に私の動きを捉えている。いったいどんな目をしているのかな……なんて考え事をしていると、せっかく集めた魔力がまた霧散した。


「おい。言ったそばから何してる」

「ご、ごめんなさい!」


 ゼトムの口調は、数日前と比べてさらに遠慮のないものになっていた。意識を切り替えないとと思いつつも、どうしても嬉しさを感じずにはいられない。

 昨夜。私とユナは、ゼトムに助けを求めた。正直、十二歳になったばかりの子ども二人で国の追っ手から逃げられるとは思えないし、そもそも野垂れ死にせずに生き延びることすら難しい。

 そんな現実にぶち当たり、悩んだ末、私たちは図々しくもゼトムに頭を下げていた。

 厄介な運命紋を持っているにもかかわらず、ケガを治療し、食料や衣服を分け与え、あまつさえ逃亡の手助けまでしてもらっている。これだけでも頭が上がらないのに、その上その先の面倒まで見てほしいと言っているのだ。我ながら、なんて厚かましいお願いなんだろうと思う。

 ほとんど断られる覚悟で頭を下げたが、ゼトムは意外にもあっさり了承してくれた。


「……いいだろう。頼まれもしないのに助け続けてやるほど俺もお節介じゃないが、頼まれたなら助けてやる」

「え……?」

「ほ、ほんとに……?」


 思わず耳を疑ってしまう。私たちから頼んでおいて、本当になんなんだと思った。でもゼトムは特に気に留めることなく、言葉を続けた。


「ああ。お前ら二人の願いを叶えた方が、世界的にも平和になりそうだしな。ただし、力の扱い方は覚えてもらうぞ。自分の力に責任を持てないんじゃ話にならないからな」


 そんなこんなで今朝から、ゼトム先生による力の扱い方授業が始まっているわけだが。


「ユナ。もう一度短剣を握り直せ。今度は逆手で、刃は下だ。お前はその持ち方が一番苦手みたいだからな」

「うっ……わかった」

「短剣程度で根をあげるなよ? ゆくゆくは長剣や双剣、槍など適性のある武器は全て練習してもらうからな」

「お……鬼め……」

「なんか言ったか?」

「いえ! なんでもありません!」


 ユナが持つ勇者紋は、魔術もさることながら、身体能力が飛躍的に成長していく。そのほか、剣術や槍術、棒術、体術などにも適性があるらしく、将来を見据えると武器を使った立ち回りを得手としておくのが良いとのことだった。

 そして今はまだ身体も小柄なため、一番扱いやすい短剣の訓練中、というわけだ。

 対する私の魔王紋は、魔術への適性が桁違いらしい。身体能力もそれなりに向上するらしいが、とにかく魔術の扱い方、それも基礎である魔力の扱い方について覚えることが当面の目標だった。


「マナ。右手人差し指への魔力集中ができたら、次は右手人差し指と右手親指だ。お前にはひとまず、両手十指への魔力集中ができるようになってもらう。くれぐれも集中力を切らせるなよ」

「わ、わかった……!」


 私の最初の課題は、指先への魔力集中だ。

 前世とは違い、この世界では大気中に魔力と呼ばれるエネルギー素体が漂っている。この魔力を指先に集め、そして放つことで、人は魔術や魔道具を使用しているらしい。ゼトム曰く、体内にある魔臓と呼ばれる器官で作られた血中ホルモンを媒介にしているとのことだが、難しすぎて今の私には理解できなかった。

 ともかく、その魔力集中を両手の全ての指先で、同時にできるようにならなければならない。


「ちなみに言っておくが、常人は左右の人差し指と親指に集められれば上出来だ。魔術に適性のある運命紋の持ち主でも、十指同時にできるやつは数えるほどしかいない。だが、お前には最終的に、十指どころか全身のどの部位でも魔力集中ができるようになってもらう。せいぜい頑張るんだな」

「お……」


 鬼、と言おうとして、私は慌てて口をつぐんだ。


「なんか言ったか?」

「何も言ってないし、思ってないです……」


 私の言葉に、ゼトムは小さくため息をつく。


「あのな。俺は別に二人に意地悪して言ってるんじゃない。これにはちゃんとした理由がある」

「ほーう?」


 短剣を振り回していたユナが、興味深そうに振り返った。聞いてやろうじゃん、みたいな声の調子からも、さっき言われたことへの不満がありありと伝わってくる。


「まずユナ。お前は、常人を遥かに上回る身体能力と、あらゆる武器への適性を持つことが、自身や周囲にとってどれほど危険なことかわかってるのか?」

「自身や周囲に、とって……?」


 真っ直ぐ向けられた問いに、ユナは呆けたように聞き返した。


「そうだ。そんなやつは、使ったことのない武器でもある程度は操ることができるようになる。だがな、勝手を知り尽くしていない武器ほど危険なものはないんだ。しかもそれが、超人的な身体能力の持ち主となれば、万が一が起こった時の被害は計り知れない」


 ゼトムの言葉が心に重くのしかかってくる。直接言われているユナの心は、きっと私の比じゃない。

 でも、ゼトムの言う通りだ。もし物語にあるような、強大な魔王をも倒すほどの勇者が、使い慣れていない武器を振り回すなんて考えるとゾッとする。


「そうならないように、お前にはあらゆる武器を使いこなせるようになってもらう。知り尽くしていれば、その危険性は飛躍的に下がるからな。短剣は、その第一歩だ」

「…………わかった」


 ユナも納得したらしく、神妙な面持ちで頷いた。その反応にゼトムも満足したようで、ポンッとユナの頭を軽く撫でた。


「そして、マナ」

「はい……」


 手はそのままに、ゼトムは顔だけをこちらに向けた。緊張のあまり、心臓がひときわ大きく跳ねる。

 ただ、今のユナへの忠告を私に置き換えれば、自ずと私への指示の意図も想像できた。おそらくは……


「賢いお前なら今の話でおおよその予測はできるだろうが、敢えて言わせてもらう。お前が気をつけるべきは、魔術の暴発だ」


 ゼトムは、そんな私の考えすらもお見通しといったふうに語気を強めて言った。思わず、びくりと肩が震える。


「魔術を扱う基となる魔力集中は、理論上、外気と接する部分全てで行うことが可能だ。つまり、自身が使いこなせてない部分で非意図的に魔力集中が起こってしまった場合、魔術は暴発を起こす。それが魔王紋の持ち主ともなれば……わかるな?」


 彼の言葉は、概ね想像通りだった。

 考えてみれば当然のことで、魔王ほどの力を持った者の魔術が暴発すればただでは済まない。魔術によっては、それこそ世界の危機をもたらしてしまう危険性だってある。だからこそ、その基礎中の基礎である魔力集中を普通以上にマスターしておくことは重要なんだろう。

 しかし。私の中には、まだ氷解し切れていない疑問があった。


「うん……。でも、不慣れな場所で魔力集中が意図せずに起こって、魔術が発動するなんてことあるの?」


 魔術を発動させるには、まず魔力を集中させないといけない。大気中に漂っている魔力を感じ取り、その流れを堰き止めるイメージで集めるのだが、これが結構難しい。にもかかわらず、そんな無意識みたいに、しかも意図的に集中させたこともない場所へ集中させるなんて不可能に思えた。

 でもゼトムは、眉ひとつ動かさず言葉を続けた。


「ある。なにせ、数百年前に起こった勇者と魔王の戦いは、魔王が魔術を暴発させたことで始まったらしいからな」

「え……」


 採録の時、カルマスが話していたことを思い出す。史実として記されている、勇者紋を持つ者と魔王紋を持つ者の戦いのことだ。


「記録によると、戦いが起こったきっかけは魔王が怒りを爆発させ、左腕へ魔力を集中させてしまったことらしい。不慣れだったからか、魔王自身も抑え込めず、結局それで山がひとつ消し飛んだ」

「山が……」

「消し飛んだ……」


 衝撃の事実に、ユナも私も絶句していた。

 山を消し飛ばすほどの魔術なんて、それこそおとぎ話の世界だと思っていた。実際、魔王紋を持っても思考や能力に目立った変化はなく、まだどこか遠いことのように感じていた。

 でも、違う。それは現実に起こりうる脅威として、私の眼前にそびえ立っている。もしそんなことになれば、私は…………


「……まっ、そうならないための訓練だ。わかったらさっさと魔力集中を極めるんだな」

「うん……頑張ってできるようになる」

「よし」


 ゼトムらしくない穏やかな声とともに、彼はユナと同じように私の頭も撫でてきた。

 大きくてがっしりとした手に、頭が軽く振り回される。髪越しでも伝わるその温もりと、前世や今世でも感じられていなかった感覚に、思わず目頭が熱くなった。もしお父さんがいたとしたら、こんな感じだったのかな。


「さて。もう少し訓練したら発つぞ」

「りょーかいっ!」

「うん!」


 ゼトムの言葉に、私たちは力強く返事をした。

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