第9話

「――よう。起きたか」


 低い声が室内に響く。声の主の方へ目を向けると、四十歳くらいの男が、目つきの悪い顔でこちらを睨んでいた。


「だ、誰っ⁉」


 今あたしたちが置かれている状況も相まって、つい反射的に身構えてしまう。しかし、そこへマナが慌てて割り込んできた。


「あ、ユナ! この人は大丈夫だよ! 私たちのことを助けてくれた、とっても良い人だから!」

「良い人?」


 マナの言葉に、改めて男を見やる。

 鋭い目つき。日に焼けた肌。肩ほどまで伸びた髪は黒く、後ろで一本にまとめられている。動きやすそうな黒っぽい長袖の服に身を包み、肩や胸周りは鍛えられた筋肉で僅かに隆起しているが、筋骨隆々というほどではない。むしろ、身長が高いためか細く見えるくらいだ。

 良い人……なのか?

 疑念が再燃する。正直にいえば微妙だ。いや、というか睨んでいるところからしてむしろ怖い。でもマナがこう言ってるし……。

 内から湧き上がる不信感と葛藤している傍ら、男はたいしてあたしの反応を気にした様子もなく、手に持った麻袋を床に置くと歩み寄ってきた。


「こっちの娘には挨拶したが、改めて。俺の名はゼトムという。別に取って食ったりしないからそう睨むな」

「……睨んでるのはそっちだと思うんですが?」

「元からこういう目つきなんだよ」


 ゼトムと名乗った男は淡々と受け答えした。そこには、敵意や悪意といったものは感じられない。


「……そうですか。助けてくれたみたいで、ありがとうございます。あたしはユナっていいます」

「ユナ、か。それで、そっちはマナだったな。全く、見た目だけでなく名前もややこしい」

「はぁ?」


 ゼトムの言葉に、あたしは語気を強めて聞き返した。なんなんだ、こいつは。


「まあまあ、落ち着いてユナ。ゼトムさん、口も目も悪いけど、本当に良い人だから」

「……マナがそう言うなら」

「良い人かどうかはどうでもいい。あと、俺のことはゼトムでいい。敬語もいらん。堅苦しいのは嫌いだ」


 ゼトムは腰に手を当て、素っ気なく言い放つ。いちいちちょっと威圧的なのがムカつくが、確かに悪い人ではなさそうだ。

 でも、懸念要素はまだあった。


「じゃあ、ゼトム。ひとつ聞くけど、ゼトムはあたしたちのこと、どこまで知ってるの?」


 ベッドで上半身だけ起こしたまま、あたしはゼトムを見上げた。

 喫緊の問題。それは、紛れもなくあたしとマナの運命紋だ。

 あたしに、魔王を倒す使命を負った勇者の運命紋が発現したのには驚いた。けれどそれ以上に、その魔王とやらが持つ運命紋の発現者がマナだったことは……ショックだった。

 マナはとっても優しくて、良い子だ。彼女がそんな、絵本で読んだような残虐非道の魔王だなんて有り得ない。有り得なさすぎる。天地がひっくり変える確率の方が高い。というか、マナに発現したのは、実は全く別の運命紋なんじゃないか。もしくは、絵本が間違っているんじゃないのか。じゃないとおかしい。絶対におかしい。

 そんな疑念や不満はあとからあとから湧いてくるが、問題は他にもある。この運命紋のせいで、今やこの国のほぼ全員が敵……ということだ。

 今目の前にいるゼトムも、もしこの事実を知っていない場合は、もしかしたら……。


「ああ。お前の持つ勇者紋に、こっちのマナが持つ魔王紋のことなら知っている。治療の時に、直接見たからな」


 しかし。ゼトムは軽い調子で、淡々とあたしの懸念を潰してきた。


「え?」

「聞こえなかったのか? お前らの持つ運命紋のことなら知っている。ついでに言うと、お前らが採録から逃走したってこともな」


 予想外の返答に、あたしは思わずポカンと口を開けた。

 どうやら、この男は全てをわかっているみたいだった。内容が内容なだけに、説明がいらないというのはありがたいが、それなら当然別の疑問が降ってくる。


「……じゃあどうして、あたしたちを助けたの?」


 真っ直ぐ、彼の目を見つめる。

 騎士たちの反応を見る限り、危険な運命紋を持つ者はただでは済まない。ましてや、最大級の危険性を誇る魔王紋なら尚更だ。マナのことを知らず、魔王紋のことだけ知っているなら、ほぼ確実に王国に突き出すか、逃げ出すか、殺すかするはずだ。この理由がはっきりしない限り、あたしはこの男を信用することはできない。

 そんな決死の気持ちでゼトムを見据えていると、彼は相変わらず日常会話をするみたいに答えた。


「怪我をしている子どもや、困って泣いている子どもを助けるのは当たり前だ。勇者紋とか魔王紋とか関係ない。俺は、あんなしみったれた騎士どもとは違う」

「ふぇ?」


 噛んだ。強く身構えていただけに、「え?」という単純な聞き返しすらできなかった。


「ああ? また聞こえなかったのか? お前、子どものクセしてもう耳が遠くなったのか?」


 そんなあたしの心境なんぞどこ吹く風。ゼトムはまたその口の悪さを惜しみなく発揮してきた。だからつい、あたしもムキになって叫んだ。


「ちっがーーう! んなわけないじゃん!」

「だったらいちいち聞き返してくるな。説明が面倒なんだよ」

「まあまあ、二人とも」


 ずっと黙っていたマナが仲裁に入る。争いをけしかけるどころか、むしろ止めるのがマナだ。なーにが危ない魔王だ、あの髭面騎士め。

 あたしはフンッと鼻を鳴らし、ゼトムから顔を背けた。半分は八つ当たり。残りの半分は口の悪いゼトムへのせめてもの抵抗。けれど、先ほどのゼトムの言葉だけで、あたしは十分だった。


「まっ、俺のことが信用できないならそれで構わん。傷が治ったら勝手にしてくれて結構だ」

「傷が治ったらって……なんだかんだ、やっぱりゼトムさんは優しいよね」

「うるさい。それから、さんはいらんと言っただろ。お前もいい加減覚えろ」

「はいはーい」


 今度は何やらマナとゼトムで何か始まりそう……と思ったが、そうはならなかった。さすがはマナ。口の悪いゼトムを軽くいなしている。あたしだったら、絶対また言い返してただろうな。


「ったく調子が狂うな……まあいい。とりあえずお前ら、勝手をする前に着替えろ。この場所を棄てる」

「え?」

「ふぇ?」


 いきなりの出立指示に、マナとあたしは同時に聞き返した。そしてまた、あたしは噛んだ。

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