第10話

 **


 ユナが目覚めた日の夜。

 私たちは暗闇に紛れやすい黒の外套に身を包み、木々の間を足早に進んでいた。


「まさか、採録から二日も経過してたなんて……」


 隣で、ユナがポツリと呟いた。その声にいつもの力はない。どうやら、二日間眠っていたことに対して、少し落ち込んでいるみたいだった。


「ユナ……」

「あたし、マナを守るって決めたの。魔王紋とか、勇者紋とか関係ない。あたしは、マナと一緒にいたい。なのに……そんなあたしが眠りこけてるなんて、笑えないよね」

「し、仕方ないよ。ユナは……ケガ、してたんだし……」


 自嘲気味に笑うユナを励ましたくて声を出すも、脳裏にあの時のイメージが浮かんできて尻すぼみになってしまう。

 こうなったのは、私のせいだ。

 私の手に、魔王紋なんて浮かんでしまったから……。だから、ユナは私を守ろうとして、ケガをした。ユナにケガを負わせたのは……私だ。


「ユナ……ごめんね」

「え……あっ、違う! そうじゃないよ⁉ あたし、そんなつもりで言ったんじゃなくて……」

「うん、わかってる。ユナは、そんなふうに思ったりしない。でも……私の手に浮かんだ魔王紋が原因で、ユナがケガをしたのは事実だから……。だから、ごめんなさい……」

「マナ……」


 ユナの口から漏れた声は弱々しくて、私の胸をキュッと締め上げる。違う。そんなこと言いたいんじゃない。こんなこと言ったら、ユナがさらに落ち込んじゃうって、わかってるのに……。ほんと、何やってるんだろう……私。

 自分で言った言葉にさらに落ち込んでいると、唐突に隣からパンッと乾いた音が響いた。

 驚いて見ると、ユナが自分の頬を挟むようにして叩いていた。


「もうっ。しっかりしろ! あたし!」

「ユ、ユナ……?」

「マナ。確かにあたしは、マナの手に浮かんだ魔王紋がきっかけでケガをしたかもしれない。でもね、それはマナを守ろうとした、あたしの行動の結果なの。つまり、あたしが望んだことなの。だから、少なくともマナのせいじゃないし、マナには自分のことを責めて欲しくない。てか、魔王紋だって勝手に浮かんできただけだし。マナが気にすることなんて全然ない!」


 ユナはひと息にそう言うと、今度は私の両頬を手で挟んできた。頬が凹み、唇が中央に寄る。力は少し強くて、若干痛い。でも、ユナの温もりも伝わってきて、とても心地良い。


「あたしは、マナを守るって決めたのに、自分の力と体力のなさに落ち込んでたの。もっともっと強くなって、あの髭面騎士を小指であしらえるくらいになってやるんだから!」

「小指って……」


 それはさすがに無理だと思う、なんて言いたくなったが、もしかするとユナならやりかねない。いつか、「この前はよくもやってくれたね!」なんて叫んで、小指でデコピンくらいしてそうだ。


「だから、約束して。きっとこれから先、あたしは多少なりケガをするだろうし、もしかすると一時的に意識を失うこともあるかもしれない。でも、絶対マナの隣に戻ってきて、また笑うから。だからマナも、もう自分のことを責めたりしないで。魔王紋なんて、あたしと一緒に乗り越えてやろう!」


 何度となく見てきた碧い眼が、私を見据える。綺麗だ、と思った。心が軽くなる。ほんのりと熱を帯びる。熱い……ううん、温かい。温かいの……。


「グスッ……うん……っ!」


 また、私はユナに救われた――。

 やっぱりユナはすごくて、私の自慢の姉で、心の支えだ。


「……おい。取り込み中のところ悪いが、そろそろ森を抜けるぞ」


 少し先から、低い声が聞こえた。見ると、いつの間にか立ち止まっていた私たちを見つめる影がひとつ。


「あ、ごめんなさい! ゼトムさん……じゃなかった、ゼトム」

「いや〜めんごめんご〜」


 私とユナは小走りで駆け寄った。同じ黒い外套を着込み、フードを被った長身のシルエットは、それだけでなかなかの迫力がある。中身がゼトムだと知らなければ、正直逃げ出したいくらいだ。


「……マナは許そう。ユナ、お前にはまた傷口にクユリの塗り薬を塗ってやる」

「なっ⁉︎ ひどっ! この人でなし! あれめっちゃしみるし痛かったんだから!」

「だからこそ効くんだ。我慢しろ」

「ぐぬぬ……っ」


 ユナの全力拒否反応に、出かける前の一悶着を思い出す。

 出立前。ユナの傷の具合を見たいからとゼトムが服を脱ぐよう言った。これに対しユナは、「なっ、変態! なんで他人の男の人の前で服を脱がないといけないの!」と抵抗した。しかし、「傷の具合を見たいからと言っただろうが。それに、誰がお前みたいなガキの裸で発情するか」と一喝され、ユナは渋々聞き入れた。

 この変な空気だけで終わればまだ御の字だったのだが、この後、傷によく効くが超しみると噂の薬草クユリを練り込んだ塗り薬を塗られ、ユナはさらに吠えていた。


「まあまあ、二人とも。それよりゼトム、森を抜けたら、次はどっちに行くの?」


 ここで言い合いをしていても始まらないので、私はユナを宥めつつゼトムに聞いた。


「東だ。まだ夜の陽が明るいうちに、進めるだけ進んでおきたい」


 ゼトムは、相変わらずの平坦な調子でそう答えると空を見上げた。視線の先には、夜の陽と呼ばれる黄色い天体が、薄らと大地を照らしている。その形は、前世でよく見上げていた月に似ているが、月とは違って出ている時間がかなり短い。せいぜい夜の四分の一程度といったところだ。


「ふーん。てか、なんで夜なの? 危ないと思うけど」


 少し落ち着いた様子のユナが、今度は口を開いた。それが意外だったのか、ゼトムは若干驚いたようにユナを見た。


「お前にしては珍しく良い質問だな。平時ならその通りだ。夜の森なんかには入らない方がいい。だが、今のお前らにとっては違う。既に追手が出ているこの状況では、多少危険でもなるべく先に進んでおきたい。目立たない夜なら尚更な。冒険者やら行商人やらとすれ違う機会も少なくなるし、気づかれるリスクも減るというものだ」

「なるほど……てか、あたしにしてはって何なの⁉」

「そのままの意味だ」

「ま、まあまあ……」


 なんか、宥めてばっかりだな、私。

 夜の森に小さくこだます言い合いに呆れたかのように、どこか遠くで夜鳥の間の抜けた鳴き声が響いていた。

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