第16話

 *


 ゼトムが持つ運命紋の名前は、「導き人」というものらしい。

 非常に数の少ない運命紋で、世界でも数十人程度しかいないとのことだ。ただ、数十人程度しか持たない運命紋自体はいくつかあり、非常に有能ながらも危険性はないとのことで監視や管理といった措置はされていない。ある種、特別な存在になりたい者にとっては、憧れられるような運命紋のようだった。


「だがな。俺はこの運命紋が嫌いだった。この上なく、な」


 苦々し気に彼は吐き捨てた。その口調からは、恨みや悔しさ、悲しみなどの負の感情を煮詰めたような悲痛さが見て取れる。

 曰く、彼が生まれたのは、カーナとは比べ物にならないくらい田舎の農村だった。どこの家も裕福ではなく、領主に納める分を差し引いた農作物を売っては生計を立てていたらしい。ゼトムの家も例外ではなく、小麦や野菜、飼料などを栽培しては売り、貧しいながらもどうにか生き抜いていた。ゼトムも幼い頃から家の手伝いをし、いつか両親を楽にさせてあげたいと思っていた。

 けれど。そんなささやかな想いは、彼が十二歳になる頃に終わりを告げた。

 ゼトムが住んでいた地域はそもそもの人口が少なく、十二歳になる者は領主の館がある小さな街の教会で採録を受けることになっていた。ゼトムも、遠路を歩いてどうにか街へと辿り着き、採録を受けて村に戻る予定だった。でもその採録で、事件は起こった。


『これは……導き人の運命紋! 世界でも数十しか例のない、非常に希少かつ素晴らしい運命紋ですぞ!』


 採録に立ち会った神父は、興奮した面持ちで語った。神父の嬉々とした表情に、思わずゼトム少年の顔にも笑顔が浮かんだ。でも、タイミングが悪かった。


『それは、私の指導者の運命紋よりも、か?』


 ゼトムの直前に紋様が発現した少年は、その地方一帯を治める領主の息子だった。指導者という、いかにも次期領主に相応しい、そしてそれなりに希少な運命紋が現れ、顔をほころばせていたのだが……。


『ああ、いえ……それは、まあ……』


 言い淀む神父の態度に、全てを察したのだろう。領主の息子は忌々し気に舌打ちをして、ゼトムを睨んだ。


『……フン、良かったな。希少な運命紋を持つことができて。お前の家族もさぞ、喜ぶことだろうなあ』


 古くから農業で発展してきたこの地方では、上下関係が他に比べて厳しかった。そしてそれは運命紋の優劣も例外ではなかった。地位が下の者の運命紋が、地位が上の者の運命紋よりも優秀だった場合、その場では適当な内容を口にして後でこっそりと教える暗黙の慣例があったのだ。しかしそれを、興奮した神父は失念してしまった。そしてその怒りの矛先は、自身よりも優秀な運命紋を持った下の地位の者……ゼトムへと向けられた。


『その……申し訳、ございません』


 その場の雰囲気で、子どもながらもゼトムは何か尋常ではない空気を感じ取り、思わず領主の息子に謝っていた。けれど、そんなゼトムの謝罪に機嫌を直すこともなく、領主の息子は足音うるさくその場を去った。……だけで終われば、まだ良かった。でも現実は、そうはならなかった。


「消えたんだよ、俺の家族は。採録から帰ったら、父も母も、その時家にいた兄たちもいなかった。そして……遠くへ外出していた妹たちも、結局帰ってこなかった」

「それって……」

「いや、わからない。あの領主のクソ息子が何かしたんだろうが、証拠はなかった。ただの夜逃げで片付けられたよ。でも……その調査の随行者の中にあのクソ息子のにやけ顔を見た時は、頭が爆発するかと思ったよ」


 乱雑に、彼は焚火の中へ薪を放り投げた。パチッと火花が弾けて彼の手に当たるも、彼は平然としてさらに二本、薪をくべていた。


「導き人って運命紋はな、この世に生きているあらゆる人を導けるよう、様々な技術や能力がそれなりまで上がりやすいって紋様なんだ。今いる他の導き人も、領主や各自治体の首長なんかにアドバイスしていたり、高名な教師なんかになっている人が多い。

 だけど、思ったよ。俺は、あんなクソ息子や家族を見捨てた村の首長を導きたくないってな。それからあちこち旅をしたが、ほんと領主やら首長なんてのはどうしようもない奴らばっかだった。俺の考えは間違ってないって思ったよ」


 ゼトムは諦めたように笑いながら、薪の位置を変え火力を調整する。だいぶ日も暮れてきたから、少し肌寒い。そんな気温の変化を感じ取ってのことなんだろう。


「それにさっきも言ったが、この運命紋で伸ばせるのはそれなりといった程度までだ。一流には到底及ばない。いわゆる器用貧乏ってやつだな。全く、どこまでも不便な運命紋だよ」

「ゼトム……」


 火ばさみを扱う彼は腕まくりをしていて、その右腕の肘付近には白色の紋様が輝いていた。二組の翼が正位置と逆位置で重なっており、その周囲を二重の円が囲っている。とても綺麗な運命紋だった。


「まっ、そんなわけで俺は今、各地を放浪しているただの無職ってわけだ。何者でもないし、いずれお前たちにとっても必要がなくなるようなしょうもない運命紋だ。買い被ってもらってるとこ悪いが、俺ごときはすぐに抜かしてもらわないと困るん――」

「「ゼトムっ!」」


 あたしはたまらなくなって、ゼトムに抱きついた。ツン、と汗臭い匂いが鼻先を衝く。でも、決して嫌な匂いではなかった。どこか優しくて、安心するような匂いだ。

 そして同じように、同じタイミングで、マナもまた彼に抱きついていた。


「お、お前ら……?」

「ゼトムってばもう、我慢しすぎだよ!」


 困惑したようなゼトムのつぶやきが耳に届くも、あたしはその声を遮って叫んだ。


「そうだよ! 家族が、それも兄妹までいなくなるなんて悲しすぎるよ!」


 隣でマナも、同じように声を震わせた。

 本当にそうだと思った。あたしにはマナがいたから、両親が死んでもどうにか生きてこれた。けれど、もしマナも死んでしまっていたら……。考えることすらしたくない。想像することすら恐ろしい。でも、ゼトムはそれを経験して、我慢して我慢して我慢して我慢して……今、ここにいる。


「孤児院のマーサさんも言ってたよ。我慢することも大切だけど、我慢せずに素直になることも大切だって。我慢しすぎると、心が正しく動かなくなって壊れちゃうって。ゼトムは絶対我慢しすぎ! 見た感じ四十歳くらいだから、三十年も我慢してることになるじゃん! これからは素直に生きないと!」

「そうだよ! 私たちを助けてくれるのは本当に嬉しいし、また我慢させてしまってるのかもしれないけれど……。でも、我慢と素直は同じくらいでないと心の元気がなくなっちゃうって聞いたから……その、だから、私たちの前では素直でいてね! ほら、私たちはまだ子どもなんだし!」

「お前ら……」


 抱きつく、というより最早しがみついているあたしたちをゼトムは見下ろした。かと思えば、すぐに顔を上げてわしゃわしゃと乱暴に頭を撫でてきた。


「ちょ、ちょっと〜⁉」

「わわっ!」

「ったく。子どもが一丁前に気ぃ遣ってんじゃねーよ」


 小さく悲鳴をあげるあたしたちの上で、そんな声が聞こえた。でもグリグリとさらに頭を回され、段々それどころじゃなくなっていく。だから……


「それに、俺は今日から三十だっつーの……。あーあ、くっそ……こいつらの前だと、口が軽くなっていけねーや」


 微かに鼻をすすりつつ、そんな言葉を吐いているなんて、今のあたしには知る由もなかった。

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