第15話

 *


 すぐそばを、風が駆け抜けた。金色の染液で染まったあたしの髪を巻き上げたかと思えば、それは瞬く間に遠ざかっていく。


「はあぁっ!」


 続いて聞こえたのは、普段の彼からは発せられることのない気合いの声。低くて、嫌味ったらしい声しか聞いたことがないあたしにとって、それはとても新鮮だった。

 その声を発した嫌味な恩人――ゼトムは、腰にはいた短剣を引き抜くと、目にも止まらぬ速さでヘルハウンドに近づき、先頭にいた一匹の額を切り付けた。


「グルオォッ⁉︎」


 ヘルハウンドは、驚いたような鳴き声をあげる。傷自体は浅いし、あくまでもかすり傷程度だ。でも注意を引くには、それだけで十分だった。


「こっちに来いよ。イヌッコロ」


 挑発するように、ゼトムは口の端を吊り上げる。一見すると笑っているかのように見えるが、その瞳の鋭さは変わらない。いやむしろ、より鋭利になった。


「ガルァァッ!」


 咆哮をあげ、三匹のヘルハウンドは一斉にゼトムに飛びかかった。振り上げられた前足、その先に閃く爪に鮮血を噴き上げ……ることはなく、ゼトムは難なく躱していく。


「甘い甘い。そんな大振りじゃ、百万回やったって当たらねーぞ」


 軽口をたたきながら、ゼトムは空いた左手をヘルハウンドたちに向けた。


「見学授業だからな。お前たちには、もう少し踊ってもらおうか」


 言い切るや否や、彼の親指、人差し指、中指の三指の先に小さな炎が渦巻き始めた。炎はやがて凝縮し、球となってそれぞれがヘルハウンドたちの方へ飛んでいく。弾丸のごとき勢いで放たれた三つの小さな火球は、獰猛な魔獣の眉間に命中し、破裂音とともに盛大に弾けた。


「ギャウッ⁉」


 炎が黒い毛に燃え移り、慌てて地面に擦り付けて消そうとするヘルハウンドたち。その大きすぎる隙をゼトムが逃すはずもなく、一気に距離を詰めると渾身の連撃を振り上げた。


「ガアァァ……」


 黒い喉元から鮮血が噴き出し、力ない悲鳴とともに狂犬たちは地に伏した。


「ありゃ? もう終わっちまったか。案外根性無いのな」


 退屈そうにつぶやくと、彼は短剣の刃に付いた血を振り払った。

 実に鮮やかで、お手本ともいうべき掃討劇に、あたしはただ茫然と見ているしかなかった。


「すごい……」


 そんな、ありきたりな言葉しか出てこない。きっとゼトムは、敢えて短剣を使ってヘルハウンドたちを倒したんだろう。あたしに、その使い方の一端を見せるために。

 あたしは……ここまで扱えるようになるんだろうか。

 ふと、一抹の不安が脳裏をよぎった。

 ゼトムは言っていた。超人的な身体能力と中途半端な技術では、危険が及ぶと。

 実際の戦闘を目にして、それはさらに実感を伴って心に落ちてきていた。短剣のリーチや強みを把握せず、力任せに振り回していたらどうなるだろう。しかもそれがひとりでの戦闘ではなく、マナとの共闘だったら? あたしがマナを……傷つけないとも限らない。


「がんばら、ないと……」


 あれが短剣の極地。あそこまではいかずとも、マナに怪我をさせない程度には使いこなせるようにならないといけない。

 自分自身へ言い聞かせるようにつぶやいているところへ、ゼトムが肩を回しながら歩いてきた。


「まあ、ざっとあんな感じだ。思った以上に早く戦闘が済んでしまったが、学べる部分はあっただろう。いずれ、あれくらいはできるようになってもらうからな?」

「へ?」


 間抜けな声が口から漏れた。今、あれくらいと言った?


「当たり前だろ。俺の技術はそれなりといった程度だ。とてもじゃないが熟練なんて呼べたものではない」

「はい?」

「お前たちにはいずれ俺を超えてもらう。それこそ、俺なんか足元にも及ばないくらいにな。せいぜい頑張れよ」


 聞き間違いかと思ってマナの方へ視線を向け……ちょうど目が合った。そんな彼女も、とてもじゃないが信じられないといった顔つきだった。

 これは……想像以上にやばいかも。

 まだ見ぬ先に待ち受ける地獄の訓練を想像し、あたしはがっくりと肩を落とした。


 **


「それで? どうするつもりなんだ?」


 青年の容体を再度確認し、解毒魔術もかけ終えたゼトムは私に聞いてきた。


「どうするって……」

「俺たちはなるべく早く先に進まないといけない。どこの誰とも知れないこいつの目が覚めるまで居てやるほど、俺たちに時間はない。わかるな?」


 実に合理的な言葉をゼトムは淡々と並べた。その口調は平坦で、本当にそう思っているのかはわからない。でも、さすがにそれはひどいように思えた。


「せめて……目を覚ますくらいまでは……」

「いつ目が覚めるかわからない。自分の立場、わかってるだろ?」

「でも……」

「お前の気持ちもわかる。だがな、こいつに構ってるような余裕は、今の俺たちにはない」


 ゼトムの強い口調に、私は口をつぐむ。

 その通りだった。私たちは今、国の追手から逃げている。いつ見つかって捕まるかわからないし、捕まれば間違いなく処刑される。そんな死と隣り合わせの状況で、見知らぬ赤の他人に手を差し伸べているような場合じゃ……


「――……でも。私は助けたい」


 でも、でも、それでも。私は、傷ついている人を見過ごせない。放っておけない。そんなの、私自身が嫌だから。理由がなんであれ、状況がどうであれ、一度見捨ててしまったら私はきっと自分を嫌いになる。ただでさえ今の自分を好きになれないのに……。


「本気で言ってるのか?」


 ゼトムの刺すような声に一瞬身が硬直するも、私は精一杯の気持ちでもって答えた。


「うん……!」

「あたしからもお願い! マナは、そういう子なの! それにあたしも、放っておくのは後味悪いし」


 私の返事に呼応するかのように、ユナもゼトムにお願いしてくれた。そんな私たちのわがままな態度に呆れたかのように、ゼトムは乱暴に頭を掻いた。


「ったく……。まぁ容体を見る限り、一日以内には目を覚ますはずだ。だから世話を焼くのは、こいつが目を覚ますまでだ。いいな?」

「あ、ありがとう!」

「さっすがゼトム!」


 なんだかんだ言って、ゼトムは本当に良い人だと思う。口は悪いし、厳しいことも言うけれど、厄介な運命紋を持つ私たちを助けてくれたばかりか、こんな無茶まで聞いてくれるなんて。本当にゼトムは……


「そういえば……」


 そこで再び、私の頭の中に疑問が浮上した。

 ゼトムって……何者なんだろう。

 ヘルハウンドが襲ってくる前の治療の時に浮かんだ疑問だ。明らかに素人とは思えない手際の良さで治療したかと思えば、巧みな剣術と魔術でヘルハウンドを圧倒した。敵の攻撃を避ける身のこなしも、常人のそれではなかった。

 基本的に、人は運命紋の種類によって職業を選ぶ。魔王だとか普通じゃない運命紋を持ってしまったからこんなことになっているが、普通なら運命紋で自分の得手を自覚し、それを活かせる職を探して就くのだ。気持ち的な抵抗がある場合も少なくはないが、大抵の人は自身が活躍できる職に就きたいから、許容範囲を探し出すなどなるべく運命紋に沿わせる。だから、何者かを訊くことと運命紋を訊くことは、ほぼ同義になる。

 訊いても……いいのかな。

 彼の運命紋もきっと、普通のものではない。あんなに治癒やら剣術やら魔術やらを使いこなせる運命紋なんて聞いたことがない。だからこそ、それに関わるようなことを……訊いてもいいのだろうか。気にして、いないだろうか……。


「ねぇ。そういえばゼトムって剣術も魔術もすごいけど、どんな運命紋持ってるの?」


 ユナがまったく気にしていない様子でそんな爆弾発言を投下したのは、私が心中腕組みしながら葛藤を繰り広げている最中だった。


「え、ちょっと、ユナ!」

「ほえ?」


 慌てる私とは対照的に、彼女は間の抜けた返事をした。何も考えていない、至って純真無垢な表情。なんだか私があれこれ考えていたのが馬鹿らしくなってくる。


「全く、ほんと相変わらずだな」


 そんな私たちの様子を見て、ゼトムは苦笑を浮かべた。そして少しの間考える素振りを見せてから、横たわっている青年の方に視線を向ける。


「まあまだ意識も戻っていないようだし、隠すようなことでもないから暇つぶしにはいいか」

 ポツリとそんな言葉をこぼしてから、ゼトムは徐に口を開いた。

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