第6話

 *


 突如として響き渡った悲鳴に、あたしは何がなんだかわからなかった。


「ま、魔王……」

「紅の紋様……うそ、だろ……ひ、ひぃぃぃぃっ!」

「た、助けてーーーーっ!」


 逃げ惑う聖職者と子どもたち。

 剣を構える騎士たち。

 その誰もがあたし……の後ろ――マナを、睨みつけていた。


「……よもや。こんなことが起ころうとはな」


 先ほどまでの興奮した口調は鳴りを潜め、今度は冷徹なまでの低い声でカルマスは呟いた――刹那。


「マナッ!」

「きゃあぁぁっ⁉」


 反射的に、あたしはマナを抱き締め、後ろに飛んだ。咄嗟の動きに受け身も取れず、身廊に引かれた絨毯の上を激しく転がる。

 しかし。この動きが功を奏した。

 つい先ほどまでマナがいた場所に、カルマスは強烈な突きを放っていた。


「魔王を庇うとは……何の真似だ?」


 殺気をはらんだ言葉が身体を射抜く。痺れるような圧に四肢が強張り、嫌な汗が背中を伝った。

 これが、治安維持を預かる隊長の気……。

 でも。あたしも負けていられなかった。


「……何って、妹を守っただけだよ。姉として、当然の行動だと思うけど?」


 震える足を叱咤し、あたしはなんとか立ち上がる。ここで座り込んでいたら、間違いなく次はやられる。


「ふむ。確かに、姉妹を守るというのは当然の行為だな。だが……そいつの手に浮かんでいる運命紋は間違いなく魔王紋、つまりは魔王だぞ?」


 カルマスは剣を構え直すと、切っ先をあたしの後ろへと向けた。もちろん、その先にいるのは最愛の妹。お腹の辺りが、沸々と熱くなるのがわかった。


「…………だから?」

「……」


 カルマスの瞳の鋭さが増した。次は外さないという気迫と、強烈な殺気が溢れ出している。


「ユ、ユナ……」


 服の袖に、微かな感触があった。

 尻目に声の方を見ると、マナが涙を溜めて握っていた。その左手の甲では、運命紋が不気味な赤い光を煌々と放っている。


「……っ! 逃げるよ! マナ!」


 あたしは、腰の袋に詰めていた買ったばかりの木の実をひと掴みすると、思い切り地面に叩きつけた。

 パシッと乾いた音がして砕けたかと思えば、目にしみるような煙がたちまち充満し始めた。


「ぬうっ⁉︎」

「うわっ、なんだこれっ⁉︎」

「くっ、目が……!」


 想定外の攻撃に、カルマスを含めた騎士たちがひるんだ。その隙をついて、あたしはマナの左手を引っ張り、一目散に後ろへと駆け出した。


「チッ! お前ら、絶対に逃すなぁぁっ!」


 痛烈な怒号が轟いた。

 しかし、ビビっている場合ではない。この機会を逃せば、確実に殺される。

 もつれそうになる足を必死で動かし、前へと進む。

 目指すは、後方にある正面扉。配置されていた騎士は、先ほどあたしの手をひきずって中央へ移動したまま戻っていない。つまり、今は誰もいないのだ。


「逃げられるものかっ! お前ら、囲んで引っ捕らえろ!」

「なっ⁉︎」


 勢いよく扉を開け放って走り出ると、そこは既に騎士たちが教会前広場を取り囲んでいた。その数、およそ二十。


「これは……やばいね……」


 勇者の運命紋を持ったといえど、すぐに強くなるわけじゃない。今の力では、騎士一人すら倒せないだろう。でも……


「ユ、ユナ……わ、私……」


 マナは震えていた。立っているのがやっとのようで、顔も涙でぐしゃぐしゃにしていた。


「大丈夫、大丈夫だから。あたしが、マナを守るからね!」


 そうだ。あたしは諦めない。


「マナ、こっち!」


 後ろから迫ってくる圧に押されるように、左方へとあたしたちは走り出した。

 目の前には、騎士が三人。そしてその後ろにあるのは……カーナを中央に横切る大きな河川だ。


「マナ! あたしが合図したら、足を止めずに目を閉じて!」

「う、うん……!」


 空いた左手を腰に回し、あたしは目当ての木の実を持てるだけ掴む。

 あと五歩……三歩……一歩、


「――いま!」


 掛け声とともに、木の実を思い切り騎士に向かって投げつける。と同時に、あたしもキュッと目を瞑った。

 暗くなった視界の先で、一瞬、閃光が弾けた。


「うわっ⁉︎」

「な、なんだっ⁉︎」

「くそっ、視界が!」


 ヒカリの実。その名の通り、衝撃を与えると発光する木の実だ。範囲は狭く、光るのもほんの一瞬だが、それでも至近距離で破裂すれば数秒は視界を奪える。

 あたしは、マナにも促しつつ再び目を開けると、固まった騎士たちの間をすり抜け、川めがけてスピードを早めた。


「マナ、今度は飛ぶよ!」

「え、えぇっ⁉︎」

「ほらっ! いち、にーの、さんっ!」


 マナと呼吸を合わせて、木製の柵を思いっきり蹴る。

 空を、飛んでいた。

 マナと手を繋いで。

 青くて広い、空と川に向かって――。


「貴様らぁぁ! このまま逃げ切れると思うなよぉぉぉっ!」


 後ろで、何やら喚き散らす声が聞こえた気がしたが関係ない。

 あたしは、今度こそ守るのだ。

 今度こそ…………妹を――。

 水面が近づいたかと思う間も無く、水飛沫をあげて、あたしたちは川の中へと飛び込んだ。

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