第4話

 *


 採録後にしようと言っていた港町周遊を先取りし、雑貨屋や食べ物屋などを少しだけ見て回ってから教会に着くと、集合時刻ギリギリだった。


「ま、間に合った……」


 あたしは肩で息をしつつ、額に浮かんだ汗を拭う。

 正直に言うと、時間を忘れて楽しみすぎた。見たこともない置物や生活用品、魔術細工などはいつまで見ていても飽きない。

 それに、孤児院のちびっ子たちと遊ぶのに使えそうな、珍しい木の実を見つけられたのは嬉しい。なんでも、衝撃を与えて割ると臭いにおいが充満したり、破裂音がしたり、光ったりと種類に寄っていろんな効果があるらしい。


「んふふふ〜」


 腰に付けた小分け袋を撫でつつ愉悦に浸る。

 やっぱり貿易船が来る日は最高だ。

 採録後にまた行こうね、とマナに言おうとして振り返ると、彼女はへたり込んでいた。


「ユ、ユナ……少し休憩を……」

「あー、その……マナ、ごめんね?」


 外遊びが主のあたしと、室内遊びが主のマナでは体力が違う。あたし自身の足の速さや体力で計算して遊び回ったのは失敗だった。あたしの方がお姉ちゃんなのに……これは反省だ……。


「ハー、ハー……う、ううん。いいの。その、私も楽しかったから」


 柔らかく笑ったマナの左耳で、赤いラルラの花が光る。それが嬉しくて、あたしもつい右耳に手を伸ばす。そしてその先にある耳飾りの感触に、また嬉しくなって……。


「そっか。良かったー! また後で行こうね!」

「もう、ユナったらー。あ、そろそろ始まるみたいだね」


 マナを助け起こしたところで、教会の前方に鎧を身にまとった騎士が三人現れた。


「ようこそ! アルメンダールの若者たち! お主たちは近日、めでたく十二の歳を迎えるわけだ。まずはその誕生を、心から祝福する!」


 中央にいる、少し偉そうな男が声を張り上げた。両脇にいる騎士は兜で顔が見えないが、中央の男は兜を外していてその素顔が露わになっている。


「わぁ、リュド・カルマスだぁ」

「本物だー!」

「かっこいいー!」


 あたしたちと同じように採録を受けにきた子どもたちが歓声をあげる。あたしは全く知らないが、結構有名な人らしい。


「ねぇ、マナ。あのおっさん知ってる?」


 どうしても気になって、隣にいるマナに小声で話しかけた。


「え、たまに孤児院に来る先生から教えてもらったじゃん。ほら、国家治安維持第三部隊の隊長をしていて、採録の見届け人のひとりで一番初めに会うことが多い偉い騎士さんだって」


 マナは少し驚きつつも丁寧に説明してくれた。

 改めて見ると、確かにちょっと凄そうではある。釣り上がった目と、口元に蓄えられた髭はいかにも怖そうだし、何より顔の中央、斜めに走った大きな傷跡はかなり印象的だ。背も高く、あたしの倍はあるんじゃないだろうか。それになんだかすごい肩書きもあるみたいだし、ここは大人しくしていた方が良さそうだなーなんて思った。


「さて。それでは早速で申し訳ないが、時間もないので採録に移らせていただく。司祭!」


「はっ!」


 カルマスの呼びかけに応じて、後ろに控えていた法衣の男が前に進み出る。そして両手を前にかざすと、何事かを唱えた。

 すると、教会内に淡い光が白雪のように舞い散り始めた。


「これが顕現の術だ。今、ここにいるお主らの手には白い痣があるだろう。その白い痣は白影と言ってな、運命紋の影のようなものなのだ。それをこの顕現の術によって確かな紋様として浮かび上がらせ、記録するわけだ。紋様が浮かんだ者はすぐに前まで来るように!」


 冒頭の時よりも一層強く、カルマスは叫んだ。ビリビリと辺りの空気が振動し、覇気が離れた入り口付近にまで伝わってくる。


「もう。さすがにうるさいなー」

「こ、こら! ユナ、そんなこと言っちゃ、ダメだよ……!」


 マナは小声で叱ってくれているが、あたしの袖の辺りを掴んで震えていた。マナを怖がらせているという事実が、余計にあたしの感情をモヤモヤさせる。

 一方で、あの騎士のおっさんが凄まなければならないのもわかる。

 運命紋というのは特別だ。あのおっさんのことを知らないあたしでさえ、この採録にはそれなりの覚悟を持って来ている。運命紋次第で、あたしとマナの未来までもが決まってしまうかもしれないから――。


「あ! 出た!」


 その時、教会の身廊中央辺りにいた少年が声をあげた。見ると、少年の右腕に複雑な紋様が浮き出ていた。


「よし。まずはお主から、前へ来い」

「う、うん……!」


 少年は緊張した様子で、ゆっくりとカルマスに近づいて行った。まだ紋様が出ていないあたしですら、変な汗が噴き出してくる。


「ふむ、お主の紋様はどうやら槍術らしい。良かったな。これからはしっかり稽古に励め」

「は、はい!」


 どうやら、少年はそれなりに良い運命紋だったようだ。カルマスの横にいる騎士は、何かを厚めの本に書き記すと、少年を出口へと導いた。


「け、結構、呆気なく終わるみたいだね」

「うん。そうみたいねー」


 覚悟を決めてきただけに、肩透かしを食らったような気分だ。しかし、そうこうしているうちにも、教会内にいる子どもたちは次々と声をあげ始めた。


「やったー! 商術だー! これで父ちゃんのお店が継げるぞー!」

「えー。魔術かー。剣術とかが良かったのに〜」

「昇降術って……何に使うんだろう?」


 思い思いの感想が教会内に飛び交っている。ザッと見渡して、今日採録に来た子どもは十五人くらい。そのうちの半数以上は、既に紋様が出ていて、身廊に列を成している。


「私たち、まだ出ないね」

「まぁ時間差があるみたいだし、そのうち出るでしょー」


 今出ても採録まで時間がかかりそうだなーなんて思っていると、突如としてあたしの右手の甲にあった白痣が青く光り始めた。


「こ、これは……っ⁉︎」


 すぐ後ろ。入ってきた正面扉の前にいた騎士が、驚いたように叫んだ。


「どうしたっ⁉︎」

「カルマス隊長! これを!」

「わっ⁉︎ 待って、離せ! 痛いって!」


 突然腕を掴まれたかと思えば、強引に引っ張られた。物凄い力に、あたしは為す術もなく引きずられる。若干涙目になりながら後ろを振り返ると、マナが心配そうに追い縋って来ていた。


「これです! この右手の甲に浮き出ている紋様は……」

「まさか……碧の紋様だと⁉︎」


 野太い大きな声が頭上から降ってきた。あれだけ離れていてうるさいのだから、至近距離で叫ばれてはたまったものではない。


「っつ〜〜! 痛いしうるさいし離せってーー!」


 あたしは我慢できずに、持たれていない左手で騎士の腕に掴みかかった。そのままぶら下がると、両足を持ち上げて籠手に足裏を付けた。ちょうど、騎士の腕に逆さまにぶら下がっているような格好になる。


「へ?」


 間の抜けたような声が聞こえた。その一瞬、僅かにあたしの右手を掴む力が弱まった。


「だから、離せーーっ!」


 その隙を狙って、あたしは思いっきり籠手を蹴った。スポッと抜けて自由になった右手と、離した左手で地面に着地し、その勢いのまま二転してマナの隣まで戻る。


「ユナーー!」


 ふう、とひと息ついたその直後、マナが飛びついてきた。そのまま、脇腹に彼女の小さな頭が追突。「ぐえっ!」という声とともに腕の痛みは消し飛び、今度は脇腹がジンジンと痛んだ。


「あの身のこなし……間違いないな」

「えぇ……。ですが、その……手を離してしまい、申し訳ございません!」

「まあ良い。勇者なら、仕方あるまい」


 脇腹で泣き喚くマナの頭を撫でていると、今度は聞き慣れた言葉が飛び込んできた。


「へ? 勇者?」


 しかし、その言葉をいつも聞いているのは孤児院。それもちびっ子たちや読み聞かせをしているマナの口からだけだ。こんな場所で、しかも偉そうな騎士のおっさんの口から出ると違和感がすごい。


「そうだ。手荒なことをして申し訳ない。我々も初めて目にし、つい興奮してしまったのだ。お主……いや、あなたは……我々が長年求めてきた勇者だ!」


 カルマスのひと声を皮切りに、静かだった教会内に歓声がこだました。


「おぉ……! 神よ! 感謝を! 感謝をぉぉ!」

「やった! ついに! これで魔獣被害の元凶を絶てる!」

「うぅ……良かった……本当に、良かった……ううっ」


 傍に控えていた聖職者や騎士が次々と喜びの言葉を口にしている。取り残されているのは、採録を待つ子どもたちとマナ、そして当事者らしいあたしだけだ。


「えっと……状況が飲み込めないんだけど」

「おや、昔話くらいは聞いたことがあるだろう。勇者と、魔王の物語を――」


 カルマスは口元の髭に手を当てると、聞き慣れた話を聞き慣れない声で、朗々と語り始めた。

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