第3話

 *


 アルメンダール王国。広大な西ユーレント大陸の七割を占める大国家で、内陸に多数分布している鉱山や油田といった資源を使い、名だたる工業国家としての地位を確立している。

 そして、あたしたちが住んでいる港町カーナは、そうした工業産品の取引をする貿易都市として発展しており、今日も眩しく照る朝日の中、目を引くほどの賑わいを見せていた。


「わーっ! マナ、見てー! 今日来てる貿易船、すっごく大きいよ! 採録終わったら見に行こうよ!」


 活気づく港の方に向かって、あたしは指先を伸ばす。

 孤児院はカーナの端にある小高い丘に建っており、港に停泊する貿易船がよく見える。いつもは中程度の貿易船が数隻並んでいる程度だが、今日は違っていた。滅多に見ることのない大型貿易船が中型の貿易船に混じって、二隻も停泊していた。

 こんな日は、珍しい舶来品が出回ることが多い。まだ見たことも行ったこともない異国で作られた調度品や雑貨、食べ物は実に魅力的だ。お小遣い程度しか持っていない今のあたしでは到底買うことはできないが、大人になって働いたお金で買うことを夢見るくらいは許されるだろう。そしていつか、お世話になっているマーサさんや、孤児院のちびっ子たち、そして可愛い妹のマナに、サプライズプレゼントとして何か贈りたいとも思っている。


「もう、ユナ。そんな遠くばっかり見て歩いてたら転んじゃうよ?」


 興奮するあたしとは違い、少し後ろを歩くマナは至って冷静に返事をしてきた。青と白を基調とした、落ち着いた外着を着ていることも相まって、マナは実にいつも通りに見えた。

 例え大きな貿易船が泊まっていても変わらない。おしとやかで、はしゃぐことなんてほとんどない大人っぽいマナ。

 でも、あたしは知っている。

 マナが手をもてあそんでいる時は、心が落ち着いていない時だ。


「大丈夫! それより、ほんと素直じゃないなあ~マナは!」

「え? な、なにが?」

「んふふふ~。なーんでもなーい!」


 きっとマナも、あたしと同じように心がウキウキフワフワしているんだろう。どちらかといえば控えめなマナは、自分の気持ちを素直に表現するのが苦手だ。だからこんな時は、お姉ちゃんらしくあたしがマナを引っ張っていく。そして、一緒に楽しんで、たくさん笑いたい。

 あたしは少し戻ってマナの隣に並ぶと、彼女の手をとった。ほんのりと温かくて、ふんわりしている。外ではしゃぎまわり、マメを作ってくることも多いあたしと違って、室内で静かに過ごすことの多いマナの手は幾分柔らかくて……


「あれ?」


 そこでふと、あたしはそのいつも通り心が落ち着いていない時のマナの手に、違和感を覚えた。


「ど、どうしたの?」

「いや……」


 気のせいだろうか。あたしが握ったその瞬間、微かに震えていたような気がしたのだ。けれど、今は特に震えているということはない。いつもの、いつも通りのマナの手だ。


「え、本当にどうしたの?」

「ん~いや、なんでもな~い!」


 今日は採録の日だ。それを思うと、震えていてもおかしくない。

 だからあたしは、大好きなマナの手を握り直して、前に後ろに振り回した。「なにするのー!」とマナは叫んでいたけれど、まんざらでもない様子だったのであたしは笑って振り続けた。


 **


 私は、朝からこれ以上なく緊張していた。

 突き抜けるような青空も、白く眩しい太陽も、海から吹き付けてくる風も、潮の匂いも、何もかもがいつも通り。

 ただ私の小さな心臓だけが、バクバクと情けない高鳴りを響かせていた。


「スーハー、スーハー……」


 朝起きた時。着替えた後。朝食の前。孤児院を出る時。とにかく時間を見つけては深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせた。でも、緊張はなかなかとれてくれない。

 正直、無理もないと思った。

 だって今日は、採録をする日。

 自分自身の行く末を決めてしまうかもしれない、大きな転換日だから。

 採録の日。それは、十二の歳の頃になると手に浮き出る、その者の才能を指し示すと言われる紋様を記録する日だ。紋様は淡く白い痣として手に現れ、教会で顕現の術をかけられることにより読み取れるようになる。その紋様は、運命紋と呼ばれていた。

 運命紋と呼ばれる理由は、大きく分けて二つある。

 一つは、運命紋は持ち主の才能を表すがゆえに、それによって多くの人がその先の未来、特に職業の方向性を決めてしまうからだ。事実、剣術の才を示す運命紋を持った者は戦士や騎士、冒険者に身を投じ、魔術の才を示す運命紋を持った者は魔法術師や魔術細工師、商術の才を示す運命紋を持った者は商売人や商人……といった具合に、運命紋が示す才能を活かせる職業に就く人が多い。それもそのはずで、成人である十六歳のやや手前――ちょうど未来を考え始める十二歳という時期に自身の才能が見えてしまえば、どうしても影響を受けざるを得ない。

 逆にいえば、才能を決め打ちされているので、これに逆らって生きていくことはすなわち、イバラの道だとわかっていて進むようなものなのだ。

 さらには、運命紋は持ち主の志向や性格にまで影響を及ぼすといわれており、どんなに気に入らなくとも、最終的には運命紋を活かした未来へと進んでいくのが現実だった。


「なるべく平和で……戦いとか危ないところに行かない運命紋になりますように……」


 運命紋次第では、双子の姉であるユナと別れてしまうかもしれない。両親を失い路頭に迷っている時から、ユナとはずっと協力し合い、助け合ってきた。多少運命紋の種類が違って、職業が分かれるくらいなら良いけれど、命が危険にさらされるような運命紋を持ってしまったら永遠に会えなくなってしまう可能性すらあるのだ。


「…………どうか、どうか……悪紋だけは……」


 そして。危険にさらされる運命紋よりもさらに、というか絶対に持ってはいけない運命紋――悪紋と呼ばれる紋様だけは、なんとしても避けなければならない。もし持ってしまえば、アルメンダール王国では罪になってしまうから。

 悪紋の罪。

 王国にとって危険と判断される運命紋を持ってしまった人は、採録の日を境に生活に規制を強いられる。良くて日常生活の監視、悪ければ国外追放や投獄だってありえると、前に孤児院に来た先生の授業で聞いた。

 多様な人種や民族が暮らす大国家の治安を守るためには仕方のないことだと思う反面、特定の運命紋を持っただけで罪になるというのはあんまりだ。それに、悪紋が浮き出るのは運命紋が出るまでに相当悪いことをしてきた子どもだけらしいが、万が一にでも自分がそんな運命紋を持ってしまったらと思うと震えが止まらなかった。

 それに私は……ユナとずっと一緒に生きていきたい。

 成長して、大人になって、働いて、それぞれの家庭を持ったとしても、ずっと笑い合って生きていきたい。

 だから、緊張するのは仕方ないし、当たり前のことだと思う。

 採録の日は、運命が決まる日だから。

 そしてそれは……さすがのユナも同じだと思っていた。


「見てー! これすっごく可愛い~! マナに似合うんじゃないっ⁉ ってか似合うにきまってる!」


 孤児院を出発して坂を下り、中央通りに差し掛かろうかという頃。

 瞳の色以外、私とそっくりな双子の姉は、赤と白を基調としたワンピースのスカートをはためかせ、雑貨屋の前で大はしゃぎしていた。


「ユナ。あんまりのんびりしてると時間に遅れちゃうよ? 採録する教会までまだあるし、遅刻厳禁なんだから早めに行かないと……」

「大丈夫だよ! 少しくらい!」


 やっぱりユナはユナだった。採録や運命紋の授業は何度もあるし、彼女も今日が大切な日だということはわきまえている……はずだ。というかそうであってほしい。

 けれど。目の前で瞳を輝かせて笑う姉は、運命紋のことなど全く気にしていないようだった。

 今を全力で楽しみ、後のことはどうにかなる。……いや、ユナならどうにか「する」が正しいかもしれない。


「ほんとに、もう……ふふっ」

「ほえ? どしたの?」

「んーん、なんでもないっ!」


 不思議そうに首を傾げるユナに、私はかぶりを振って答えた。私もユナに当てられたのか、もしくは手をここまで握ってくれたことで安心できたのか。今は、あまり緊張とか怖いといった感情はなかった。さすがはユナだ。


「そう? まあいいや。ねぇーマナ! ほら、見てこれ!」


 そんな頼もしい姉が指差す先には、小さな赤いラルラの花が印象的な耳飾りがかけられていた。

 ラルラは比較的どこにでも生えている多年生の植物で、非常に多彩な色の花をつける。茎や根は栄養価が高く、食糧として重宝されることに加え、魔術で加工し枯れにくくすればこうして装飾品にもなるので、とても人気のある植物だ。確か花言葉は「想い合い」だったかな、といつも読んでいるお気に入りの花図鑑を頭の中でめくる。


「ほんとだ。可愛い」

「でしょでしょ? これ絶対マナに似合う!」


 丈夫な蔓で編み込んだ下地に、二輪の花が笑うようにして咲いている耳飾り。確かに、ちょっと……いやかなりほしいかも。


「あっ! しかも割引しててすっごく安い! う~買いたいな~。お金あったかな……」

「え、ちょっと待って。ダメだよ。もったいないよ」

「いいのいいの。お姉ちゃんからの誕生日の贈り物なんだから」


 ユナは笑ってそれだけ言うと、「すみませーん!」とお店の中に入っていってしまった。


「ユナ~。それは、ズルいよ~……」


 そんなこと言われたら「買うな」なんて言えなくなってしまう。採録のことばかりに気をとられていたが、そういえば間もなく十二歳になるのだ。そしてそれはもちろん、私だけじゃない。


「すみませーん! その隣にある青いラルラの耳飾りもください!」


 私は姉に遅れまいと、意気込んで雑貨屋の中へ足を踏み入れた。

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