3
「進捗はどうだ?」
白髪の老人は尋ねる。
豊かにたくわえた髭も、研究服も真っ白だが、深い皺と窪んだ眼窩から覗く黒々とした瞳には、年齢にそぐわない力強さが光っていた。
「はい、未だ一切の痕跡なしです」
「・・・ブランクか。わかった」
「あと、被検体に発砲を指示した将官は処断しました」
「当然だ。何を考えているんだ、全く」
「では失礼します」
「ああ、引き続き頼む」
全て、返答の分かり切っている質問だった。
これは単なる気休めだ。状況が動いていることを確認して僅かな安心を得たいだけ。
いわばプラセボだ。
扉が閉まるのを見届けてから、老人は一人天を仰いだ。
「・・・」
被検体が逃げ出したその日から数日、警戒態勢は日に日に厳格になってゆく。
捜索の手はついに電子統制の及んでいない下層にまで及ぼうとしていた。
それが意味することはつまり、例の被検体をシステムですら捉え切れていないということに他ならない。
「我ながら、なんてものを・・」
監視国家、エイゼル。
システムと呼ばれる電子支配機構は、この国の中枢を担う技術だ。
市井の人々の生活に入り込み、生命、社会活動の何もかもを管理、記録している。
監視カメラ、盗聴器、そして、身体に埋め込まれたミクロガジェット。
無数の見えざる目が、どこかで常に見張っている。
この国で本当の自由など在りはしない。
「・・・まるで監獄だ」
そう、まるで巨大な監獄。
いや、もっと正確に言うならば──。
「失礼します」
「!・・入れ」
木製のドアを開け、所員が入ってくる。
「被検体―Bの発見報告が上がりました」
「本当か・・!一体、どこで」
「中層、セントラルシティ居住区南部です」
「セントラル・・、奴ら、やはり上層へ行く気か」
「ご指示頂いていた通り、既に中層のターミナルに警備兵を向かわせています」
「よし、絶対に執行局の奴らより先に見つけ出せ」
「かしこまりました」
「・・・投薬を止めて、もう百時間は経つ。早くしなければ“統合”が始まってしまう」
「・・・そうなると確保は難しいですね」
「ああ、そうならないよう急ぐんだ」
「はい、迅速に展開させます」
「頼んだぞ」
再び、老人は部屋に一人残される。
机に肘をつき、頭を抱えるように顔を手で覆う。
「・・・せめて生きていてくれれば」
思わず零れた言葉を聞いていたのは、テレビに内蔵された盗聴器のマイクだけだった。
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