魔術

 弥栄学園の地下には修練場と呼ばれる巨大施設がある。

 地下三階分を丸ごとくり抜いた修練場は各棟に四つずつ存在する

 合計十二階層分の修練場だ。

 それに加えて地下十三階にあたる部分から五階層は学園の敷地内全てを使った大修練場になっている。

 この大修練場は小等部、中等部、高等部のどの棟からでも入ることはできるが普段は立ち入り禁止になっている。   

 立ち入ることができるのは主に学園のイベントや実技試験時のみ。


 修練場は階層ごとに役割が定められており第一、第二修練場は対人戦専用の修練場。第三、第四修練場は対魔物戦を想定したシミュレーションを行える修練場となっている。


「ってことでこれから向かうのは対魔物戦用の修練場だ」


 乗り込んだエレベーターがポーンと電子音を鳴らして扉を開ける。

 到着したのは大修練場を除くと最下層の第四修練場。その待機場とも言える小さな部屋だ。しかし今は人の気配もなく部屋全体が薄暗い。


「いくよ」


 智琉が先導しエレベータを降りる。すると電気が付き、薄暗かった部屋を照らし出した。

 部屋は質素で数個のベンチがあるのみ。正面の壁には分厚い鋼鉄の扉があった。智琉が扉の脇に備え付けられている機械を操作し、生徒手帳を翳す。


「刀至もここに生徒手帳を翳してくれ」


 頷くと端末の前に立つ。端末には液晶画面が付いていてカードを表す記号と「TOUCH」の文字が表示されている。

 案内に従い生徒手帳を翳すと電子音がなり、画面に「ACCEPT」と表示された。

 続いて颯斗と天音さんも生徒手帳を翳した。


「ここで使用者を記録しているんだ。出る時も同じ事をしないとダメだから忘れずに。ちなみにこのデータを利用して端末から修練場の使用状況も確認できるよ」


 注意事項を口にしながら智琉が電子機器を操作するとピピっと電子音が二回鳴り、重厚な扉がスライドし開いていく。

 

「……これは…………すごいな」


 目の前に広がっていたのは広大な空間。その広さは縦横一キロメートルにも及ぶ。

 三階層吹き抜けになっているだけあり、天井もかなり高い。

 壁の色は白。汚れ一つない白だ。それ以前にわずかな繋ぎ目すらも見当たらない。これほど大きな岩を加工するのは多大な労力がいるため、おそらく魔術で作り出したものなのだろう。

 少しでも魔術や剣撃が当たったら傷がつきそうなものだが、しっかりと結界の気配がする。気配からしてだいぶ強力な結界だ。地下にあるだけあって随分と丈夫に作られているようだ。


……他にも何かあるな。


 結界の気配とは別に修練場全体に違和感を感じた。

 おそらくなんらかの魔術がかけられているのだろう事は確実だ。しかしその正体までは分からなかった。


「へぇ。高等部のはこんなに広いんだな」


 遅れて修練場に入ってきた颯斗がぐるりと全体を見回しながら言う。


「颯斗も初めて来たのか?」

「中等部の修練場なら行ったけど高等部は初めてだな」

「中等部の修練場とは違うのか?」

「全然違う。あそこはここまで大きくなかったな。……てかサイズおかしくないかこれ? 明らかに校舎よりデカイだろ」


 今の今まで気付かなかったが言われてみるとそうだ。

 横幅がどう考えても校舎より大きい。このサイズの修練場――中等部はこれほど大きくなくても――が三つあれば修練場同士が衝突しそうなものだ。


「高等部の修練場は特別製らしいよ」


 最後に修練場に入ってきた智琉が颯斗の疑問に答えた。


「特別製?」


 聞き返した颯斗に智琉が呆れたような視線を向ける。

 

「……颯斗。これはみんな知ってる事だよ。刀至が聞くならともかく……」

「あーあーあー。わかったわかった」


 颯斗は両手を上げて降参の意を示した。


「まったく……。高等部のこれは空間湾曲魔術が使われているんだよ。だからこれだけ広くても外から見たら校舎と同じサイズなんだって」


 どうやら感じた違和感は勘違いではなかったらしい。

 気配の元も辿ってみると確かに修練場全体に違和感がある。殊更に中央の天井付近でその気配が強い。おそらく智琉の言った空間湾曲魔術の起点になっているのだろう。


「それにしても魔術ってのはこんなこともできるんだな」


 率直に思ったことを口にした。しかし智琉は首を振った。


「そうでもないよ。今の魔術師に空間湾曲なんて高度な魔術は使えない」

「……なんでだ?」


 魔術は魔力を持つ魔術師ならば誰でも扱える。それが非魔術師である俺の認識だ。だから目の前で、尚且つ現在進行形で影響を及ぼしている魔術が使えないと聞いてもいまいちピンとこない。

 

「魔術って言うのは万能じゃないんだ。できることには限りがあるし大きな事象を引き起こそうとすればそれだけ魔術式は長くなる。魔術式が長くなれば当然使う魔力も膨大なものになる」

「空間湾曲の魔術を使うには魔術師一人だと魔力が足りないって事か?」

「それ以前の問題だね。刀至は魔術がどうやって発動するかわかる?」


 首を横に振る。師匠に魔術の才無しと判断されてから今の今までひたすらに刀を振るってきた。

 剣技なら一流。しかし魔術師としてなら基礎すらできておらず、非魔術師と何ら変わらない。

 

「魔術の才能は皆無って師匠に言われてたからな。教えてもらってない」


 魔術にかまけている時間があるのならばひたすらに刀を振り続けろ。師匠にはそう言われ続けていた。

 これから魔術の勉強をするよりは刀を振り続けていた方が性に合っていたのは事実だが。

 

「ずいぶんはっきり言う師匠だね」


 智琉と颯斗が苦笑いを浮かべた。


「じゃあ簡単に教えておくよ。いつか役に立つだろうし」


 智琉が教師のように眼鏡の位置を直した。


「まずこの世界には不変の絶対法則である魔術定数という物がある。例えば火、生成、射出の魔術定数を書くと……颯斗」

「おう!」


 颯斗が手のひらを虚空へ向けるとうっすらと赤く光る粒子のような物が生まれ三つの文字を記述していく。

 やがて完成したのはキラキラと輝きながら浮遊する奇怪な文字。触れようとしても実体はなく煙のようにすり抜ける。


「これの一つ一つが魔術定数なんだ。それで定数が組み合わされると式……魔術式になる。颯斗頼む」


 颯斗が魔術式へと魔力を注ぎ込む。すると魔術式が発光し消失。式に従い颯斗の手中に火の玉が生まれた。

 そこで終わりではない。式にはまだ射出が残っている。

 予想通り、火の玉はとてつもない速度で壁に突っ込んだ。


「こうやって魔術式の通りに魔術が発動する。魔術式の中身を変えれば魔術も変わる。これが魔術の仕組みだ」

「なるほど。でもそう聞くと空間湾曲も可能なんじゃないか? 魔術定数を組み合わせるだけだろ?」


 智琉の言葉通りなら組み合わせる魔術定数によってはなんでもできそうな気がした。


「そのとおり。理論上はね」

「理論上?」

「刀至は空間湾曲をするためにどの魔術定数が必要なのかわかる?」

「いや。わからないな」


 俺は首を横に振る。魔術の仕組みすら今知ったのだ。颯斗が見せた火を射出する魔術式でさえ奇怪な文字すぎて覚えられていない。

 今書き写せと言われても無理だろう。

 

「問題はそこだよ。空間湾曲の魔術式に何の魔術定数が必要ではたしてどれだけの魔力がいるのか誰にもわからないんだ。これが理論上って意味だよ。だから空間湾曲魔術は誰にも使えない」


 答えが目の前にあっても式を理解していなければ自分では使えない。そして理解する為の式は存在しない。ならば実現不可能といえるのだろう。


「じゃあこれは誰が作ったんだ?」

「わからない。でも始祖じゃないかって言われてるよ」

「それって困ったら始祖がやったって言えば良くなってないか?」

 

 半眼で睨むと智琉が苦笑した。

 

「……まあ確かに。そういう節はあるね」

「だろ? まあ要するによくわからないって事か」

「そういう事だね」

「なるほどね。ありがとう。でも魔術師はみんな魔術定数を暗記してるのか?」


 颯斗が使った火を射出する魔術でさえ三つの魔術定数が必要だった。あれはおそらく簡単な魔術だ。

 高度な魔術になれば一体どれほどの魔術定数が必要なのか見当もつかない。

 それに魔術師と言うからには何十もの魔術を駆使して戦うはずだ。そのような芸当は膨大な魔術定数、膨大な組み合わせを覚えてなくてはならない。

 俺にはできる気がしなかった。

 

「流石に全部は覚えきれないけど自分と相性のいい系統の組み合わせは覚えてるよ」

「ちなみに何個ぐらい?」

「僕で三十個ぐらいかな」

「さん……じゅう……?」


 魔術の才能がなくてよかったとしみじみ思った。

 魔術で三十。定数に至ってはその何倍か。まるで覚えられる気がしない。それならば刀を振っていた方が良い。

 呆然としていると智琉が苦笑を浮かべた。


「これでも一流の魔術師と比べると少ない方だよ。彼らは相性の悪い魔術でも使えると思ったら全て覚えるからね」

「さっきも言ってたけど相性って?」

「魔力は生まれつき属性を持っているんだ。基本属性の地水火風。特殊属性の光闇無。この中のどれかだね。ちなみに颯斗なら火属性。僕と小夜は光だ。魔術を使う時、自分の魔力属性と相性のいい魔術だと使う魔力が少なくなったり威力が上がったりするんだ」

「なるほど。……じゃあ属性を二つ以上持つことはあるのか?」


 昔遊んだファンタジーゲームでは二属性魔術とかが普通にあった。ならばと思ったが智琉は曖昧に笑った。

 

「無いわけじゃない。でも可能性はゼロに近いよ。零級魔術師ですら二属性はいないからね。今の日本にはいないんじゃないかな?」

「そんなに珍しいのか。ちなみに属性ってどうやったらわかるんだ?」

「そうか。刀至は自分の属性すら知らないのか。ちょっと手を貸して」

「ん? ああ」


 言われた通り手を出した。智琉がそれを握って目を閉じる。意識を集中させているようだが俺には何も感じられない。


「こうやって相手に自分の魔力を……ん?」


 智琉が眉をひそめる。


「刀至何か感じる?」

「いやなにも感じないぞ」

「ちょっと待って。もう少し深く……」

 

 瞬間、智琉は弾かれたように手を離した。額からは滝のように汗が流れている。


「どうした?」

「こんなことって……」


 心ここに在らずと言った様子で智琉は自身の手を見つめていた。


「俺もやって良いか?」


 颯斗も興味が湧いたのか俺の手を握ろうとする。すると普段は落ち着いている智琉からは考えられないような大声で制止した。

 颯斗は驚いて手を引っ込める。


「なんだ? 何があった?」

「ダメだ颯斗。多分、君じゃ呑まれる」

「呑まれる?」

「わからない。でもそうとしか言いようがない。僕が無事なのは多分属性が反属性の光だからだ」

「って事は……」

「刀至の属性は闇だ。でもなにかおかしい……光でもある? いやでも二重属性って感じじゃ……」


 智琉は俯いて後半は独り言のように呟いていたが、やがて諦めたように顔を上げた。


「考えてもわからないな。いいか刀至。これと同じ行為はしないよう気をつけてくれ。下手すれば死人が出る」

「それほどか……」


 颯斗も神妙な表情を浮かべる。俺も只事ではないと感じ頷いた。


「わかった。気をつけるよ」

「よし! じゃあ気を取り直してそろそろ本題に行こうか」


 話が逸れていたが、ここは第四修練場。対魔物戦用の修練場だ。


「刀至とは初めてだからまずは僕達の連携を見せるよ」

「了解。なら俺は下がっとくな」

「よろしく。颯斗、小夜。準備はいい?」


 修練場の脇へと移動する。智琉はそれを確認すると端末を取り出して操作を始めた。

 

「おう! いつでもいいぜ!」

「私も大丈夫!」


 颯斗が拳を構えて、天音さんがどこからともなく杖と浮遊する本を取り出した。

 天音さんの持つ杖はワンドと呼ばれる指揮棒のような小さな杖だった。杖は言わずと知れた増幅器。魔力効率を最適化し、魔術の威力。引き上げる効果がある。

 本は魔導書と呼ばれる魔術式が記された本だ。魔導書があれば膨大な量の魔術を記憶する必要がない。なにせ一ページにつき一個の魔術を記録しておける便利な代物だ。


「じゃあいくよ」

 

 智琉が頷くと端末を操作し甲高い音が響いた。

 すると修練場の中央に数字の「2」が表示され、その下に黒いキューブが出現した。


「魔物はランダム。等級は二だ」


 智琉の宣言に颯斗が獰猛な笑みを浮かべる。

 

「いいね! ギリギリだ! 智琉! 小夜! 気ぃ抜くなよ!」

「う、うん!」

 

 黒いキューブの周りにキューブが生まれ、急激に増殖を繰り返す。像が鮮明になって行き魔物が現れた。

 端的に表すと巨大な犬だ。漆黒の体毛を持ち、身体は見上げる程に大きい。腕は丸太のように太く、全身に筋肉の鎧を纏っている。加えてその魔物には首が三つもあった。

 地獄の番犬ケルベロス。

 二級の魔物の中でも特に厄介とされる魔物だ。


「グォオオオオオオ!!!」


 轟く咆哮が空気を揺らし、戦闘が始まった。

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