第一章 実地任務編
師弟
動くだけでも激痛が走る状態がしばらく続いた。
師匠によると初日に無理矢理身体を動かして土下座したのが効いているとの事だった。しかし後悔はしていない。
覚悟を決めた矢先に寝ている事しかできなくてもどかしかったが、師匠に言われた通りただひたすらに身体を休めた。
そうして一週間が経ったある日、ようやく無理なく身体を動かせるまでに回復した。
朝、目が覚めた俺はまず身体の調子を確認した。
腕を回し、首を回し、思い当たる限りのストレッチを行っていく。
一ヶ月と少し。ほとんど寝たきり状態だったため、少し身体が硬いような気がしたが、もう痛みはほとんど残っていなかった。
これなら動けると判断して与えられた部屋を出た。
「よぉ。起きたか」
居間に行くと師匠がお茶を飲んでいた。
この家は思った通り、和風建築らしく居間も畳が敷き詰められた和室だった。
真ん中に一つだけある机には座椅子が四方に並んでおり、師匠は一番奥に胡座をかいて座っていた。
「はい。まずは助けて頂いてありがとうございました」
敷居を跨いですぐに頭を下げた。
あのまま師匠が来なければ確実に死んでいた。たとえ生きていたとしてもまともな扱いはされていなかっただろう。ヒューの言葉、態度からそれは明白だ。あれは決して人に向けるものではなく、道具に向けるものだった。
故に師匠はまさしく命の恩人。感謝してもしきれない。
この恩は人生を賭けて返そうと心に決めている。
「おう。あのまま見捨てたんじゃ寝覚めが悪いしな。……それにお前には才能がある」
「才能……ですか?」
ヒューもそんな事を言っていた気がするが、まったく心当たりがない。
「普通あんな術式を受けたら、身体が壊れて死ぬ。もって数秒だな。なんとか生き残ったとしても自我なんて崩壊して廃人になるところだ」
その言葉には肝が冷えた。そうなる可能性があった事にゾッとする。しかしあの激痛を思えば納得もできる。
「刀至。はっきり言ってお前は異常だ」
「……ヤツにも言われましたね。……天才だって」
復讐対象に言われても嬉しくはないが、そのおかげで生き残れたのだと思うと自分をこの身体で産んでくれた両親に感謝の念すら湧いてくる。顔も覚えていないのが残念で仕方ない。
「……天才か。確かにそうかもしれないな」
「そんなに異常なんですか?」
自分の身体のことだ。異常と言われたら気になる。
「大国に一人いるかどうか。小国なら数カ国に一人だろうな」
あまりの少なさに声が出なかった。師匠はそのまま続ける。
「それにこういう体質は魔術師には発現しない。だから必然的に非魔術師の一般人になるんだが……」
「一般人はそもそも見つからない?」
「その通りだ。魔術は秘匿されているから非魔術師、もとい一般人には縁なんてないからな。だからもっと少ないかもしれない。俺が知っている中だとお前一人だ」
それだけ少ないならば天才と称された事にも納得できる。
「まあそれはいいんだ。お前は今日からオレの弟子って事でいいんだよな?」
「はい。よろしくお願いします」
背筋を伸ばして頭を下げる。
「じゃあまずは座れ」
師匠が指でトントンと机を叩いた。言われた通りに対面の座椅子に腰を下ろす。
師匠は新しい湯呑みを取り出し、急須からお茶を注ぎながら口を開いた。
「最終目標は奇術師……ヒュー・デル・アガルトを殺す事で合ってるな?」
「はい」
決然と頷いた。目覚めた時に決意した事は忘れてはいない。あの時、胸の内に灯った焔は今もなお絶えずに燃え盛っている。
「じゃあまずは目標を正しく認識する為にアイツの情報を伝えておく。……その前に、喉乾いてるだろ。ほらお茶」
師匠が注ぎ終わった湯呑みを目の前に置いた。お礼を言って茶を受け取る。
早速、口を付けると渋いが芳醇な香りが口の中に広がった。
「美味しいですね」
「だろ。この辺はお茶の名産地だからな。美味くて当然だ。っと話が逸れたな」
師匠は話を戻し、ヒューの情報を淡々と話し始めた。
「名前はヒュー・デル・アガルト。少し昔……大体二百年前に欧州で活躍していた魔術師だ」
「え? 二百年??」
その情報に我が耳を疑った。
人の最高齢は百歳と少しと聞いたことがある。だが師匠の言葉が本当ならばヒューはその約二倍は生きている事になる。
しかしだ。ヒューの見た目はとても若々しかった。
二十代半ばと言われても信じるられる容姿だ。とても二百歳の老人には見えなかった。
そんな事があり得るのだろうか。しかしヒューは魔術師だと名乗った。ならばそこに秘密がありそうだ。
「魔術を知らないヤツの反応はそうだろうな。だが安心しろ魔術師が全員長生きなわけじゃない。ヤツは例外だ」
「例外ですか?」
「そうだ。ヤツは魔術師の中では超越者と呼ばれている」
超越者。聞き覚えがあった。目覚めたばかりの頃、師匠が口にした言葉だ。
「この前言ってましたね。たしか『人の枠を超えた人外』でしたっけ?」
「よく覚えていたな。その通りだ。なんらかの要因でヒトという種族から進化した存在だ。その影響で寿命によって死ぬ事はないし、衰えることもない」
死せず衰えず。ならば世界有数の強さと言われても納得できる。超越者に至れると言う事はそれだけ研鑽を積んできたという事だろう。そんな存在が寿命という制限から解き放たれれば、それこそ青天井に強くなる。
ヒュー・デル・アガルトは少なくとも二百年の研鑽を積んでいるのだ。
正真正銘のバケモノ。そんな奴に挑もうとしているという実感が湧いてきて無意識に唾を飲み込んだ。
「だが安心しろ。ヤツらは不死ってわけじゃない。当然殺せば死ぬ」
「殺せば死ぬって……」
当たり前のことだが、それがどれだけ困難な事かは魔術師ですらない俺でも想像に難くない。
二百年と言う時間はそれだけ重い。だがそれ以前に聞き捨てならない言葉を聞いた気がした。
「ヤツら?」
「ん? ……ああ。超越者はヒューだけじゃない。世界に五人いる」
世界に五人。
それを少ないと取るか多いと取るかは人それぞれだろうが俺は少ないと感じた。
故に脅威だ。それだけで超越者と呼ばれる者たちがバケモノであるという証明に他ならない。
しかしそれでは師匠とヒューのやりとりに違和感があった。
「では師匠も同じ超越者なんですか?」
超越者であるヒューよりも強いと豪語した師匠。
二人の戦闘――あれを戦闘と呼べるのかは怪しいが――からもそれは事実に基づいた言葉なのは明白だ。
だから同じ超越者なのだろうと思ったのだが、師匠は首を振った。
「正確には違うな。まあいま話してもお前には理解できないだろうからまた機会があったら教えてやるよ」
「わかりました」
すこしだけ気になったが、魔術的な事は聞いてもわからない。師匠もそう言っているのだから大人しく気にしないことにした。
「それで続きだが、奴の得意魔術は魔力糸と言って、魔力で編んだ糸を操る魔術だ。訓練すれば誰でもできるようになる魔術だがヤツのは別格だ。極細の糸でほとんど肉眼では見えないのにも関わらず結界魔術も併用して強度をあげている」
師匠の言葉で事件の光景がフラッシュバックした。部屋から逃げようとして細切れにされた友人。
あの時は全く理解できない現象だったが、師匠の説明で納得がいった。それならばあの惨状を作り出す事は可能であると。
しかしそれだけでは説明のつかない事もあった。
「あの師匠。ヒューは……その……人の頭を破裂させたんですがそれも魔力糸の能力ですか?」
あの時、初めに先生たちの頭が弾け飛んだ。今の師匠の説明だと魔力糸は切断に特化した魔術のように感じる。
殺すだけならば首を落とせば済む話だから。わざわざ破裂させる必要はない。
ヒューのことだからそっちの方が面白いからと言う理由でやりそうだとも感じるが。
「破裂? まあできない事もないが、やるメリットは……」
師匠は考えるように顎に手を当て、目を細めた。
「いや……あるな。……お前の心を折る事だ」
そう言って師匠は俺を指差す。
「魔術的な観点で言うと感情っていうのは重要な要素なんだ。鍛冶場の馬鹿力なんていうだろ? 時として追い詰められた魔術師は己の分を超えた力を発揮することがある。心を折っておけば抵抗されずに事を運べる。だからそういう不確定要素を取り除きたかったんだろうな」
「……そう……ですか」
口から掠れた声が出た。それだけの為に先生達や友人、親友は殺されたのかと思うとやるせない気持ちが湧いてくる。
知らずのうちに拳を握りしめていた。
「破裂させたんならおそらく先に糸を通してから頭の中で結界を膨張させたんだろう」
想像しただけで吐き気がする。そんな悍ましい行為を眉一つ動かさずにやってのけた事に。
ヒューという存在がどれほど凶悪なのかを再認識した。
「だがそれ以外も考慮するべきだな」
「それ以外と言うと?」
「オレの情報にはないが、炎属性の魔術も一流の可能性がある。そう考えるべきだ。いいか刀至。初めの授業だ」
その言葉に背筋が伸びる。師匠は教師のように人差し指を立てた。
「強力な魔術師と戦うのならば全ての可能性を考えろ。『それはないだろう』という先入観は捨てろ。想定外の出来事は死に直結するからな。起きうる出来事。その全てを想定しろ」
「でもそんなこと……」
可能なのだろうか。幾重にも知恵を張り巡らせたところで人である以上、完璧はない。
「それぐらいやらないとただの魔術師が超越者に勝つのは不可能だ。お前がやろうとしている事はそれぐらい大事だと正しく認識しろ。……それとも諦めるか?」
師匠は挑発するようにニヤリと笑った。
「あり得ないです」
俺は即答した。それしか方法がないのであればやる。ヒューを殺す為ならなんだってすると誓ったのだ。こんな所で諦めるなんて早すぎる。
「俺はヒューを殺す。その為ならなんだってします」
俺の言葉に師匠は不敵な笑みを浮かべた。
「いい返事だ。ならばこれから修行を行う。ついて来い」
師匠は和装を翻し部屋から出て行った。俺も急いでその後に続いた。
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