決意

 目を覚ますと見知らぬ天井が目に入った。

 

 昔、施設のみんなと旅行をした時に泊まった旅館のような木造建築。仄かに畳の匂いがする。

 

 状況を確認したくて身体を起こそうとした。しかし全身が激痛に襲われ起き上がることはできなかった。

 

 諦めて身体の力を抜く。試しに指一本動かそうとしても激痛がした。

 

 ここがどこなのかも、どうしてこんなところにいるのかもわからない。思考に靄が掛かったかのように何もわからない。

 

 だからひたすら天井を眺めていた。

 

 そうしていると自身の身に起きた出来事が少しずつ思い出される。


 ……和樹。


 目に涙が浮かんだ。家族は自ら囮となり死んだのだ。

 

 あの瞬間、和樹は俺を逃すためだけに嘘をついた。いつも誠実で嘘なんて絶対につかなかった彼の初めての嘘。

 

 それすら俺は無駄にしてしまった。

 

 まるで悪夢だ。夢ならば早く醒めてくれと目を閉じるが再び開いても視界に入るのは見覚えのない天井。

 

 これは紛れもない現実だ。


「くっ……」


 何もできなかった自分が情けなくて悔しい。ギリギリと奥歯を噛み締め、涙が流れ落ちないように上を向いて堪える。

 

 誰も救えなかった自分に泣く資格なんて無いのだから。


「くそっ」


 思わず溢れた小さな声は誰にも届かずに消えていく。

 

 何者にも屈しない力が欲しい。今ほどそう思った事はない。

 

 家族は殺され友人、先生達も皆殺しにされた。記憶をなくした俺にやっとできた家族だったのに。再び一人になってしまった。


 ……でも……もう失うものはなにもない。


 ならばやるべき事は決まっている。

 

 胸に決意の焔が仄かに灯る。それは深淵よりもなお深く黒い憎悪の焔だ。

 

 無様にも生き残ってしまった命だ。使い方は決めた。

 

 その時、障子の開く音がした。


「おっ。起きてるな」


 部屋に入ってきたのは廃教会に現れた男だった。

 身体だけでも起こそうとしたが、男が手で制して止める。


「お前の身体の状態はわかってるから無理すんな」


 男の言う通り今もなお指一本動かせない。少しでも動かそうとすると激痛が全身を苛む。

 

 俺は男の言葉に従い身体の力を抜いた。

 

 せめて顔だけでもと少しだけ首を動かすと痛みがはしり顔を顰めた。

 

 その様子に男は苦笑して、隣に腰を降ろした。


「さて、オレの名前は鴉羽士道からすばしどう。お前は?」

「……刀至です。岩戸刀至」

「岩戸……あの施設から取ったのか」

「はい。俺には家族がいないので」


 天涯孤独の身だ。施設に拾われる前はどこで何をしていたのかすら分からない。


 俺には幼い頃の記憶がない。覚えていたのは「刀至」という名前だけ。

 

 雨の日に児童養護施設「岩戸」で倒れていたらしい。

 

 両親の顔さえ思い出せない。そもそも生きているのかもわからない。


「そして新しくできた家族も皆殺しか。報われないな」


 士道さんの言葉に奥歯を強く噛み締めた。他人から現実を突きつけられて胸に鋭い痛みが走った。


「…………みんなはどうなりましたか」

「ちゃんと埋葬したさ。葬儀も何もかもが全て終わっている」

「そう……ですか。ありがとうございます」


 葬儀に立ち会えなかった事が少しだけ心残りだが、いずれ墓参りに行こうと心に決めた。

 

 だがそんな内心なぞいざ知らず、士道さんは信じられない事を口にした。


「それと、お前も死んだ事になってるから」

「………………え?」


 口から呆けた声が出た。

 俺はこうして生きている。生き残ってしまった。なのに死んだ事になっている。ここは死後の世界だとでも言うのか。


「どういう……事ですか?」

「文字通りだよ。お前をこのまま元の生活に戻すわけにはいかないからな。自分の状況を正しく把握しているか?」


 痛まない程度に小さく首を振った。

 なにせ今まで眠っていたのだ。把握などできているはずがない。


「それはそうだろうな。まずあれから一ヶ月経ってる」

「……一ヶ月?」


 一ヶ月も眠っていたなんてとても考えられなかった。

 しかし言われてみるとたしかに身体が倦怠感に包まれている気がする。痛みでほとんどわからないが。


「ああ。一ヶ月だ。まあ無理もないだろ。あれだけの術式だ。後遺症がなかっただけ運がいい」

「……術式?」

「神降ろしの術式。正確には降ろしてるわけではないんだがな。それはともかく……刀至。まずお前に伝えておかなければいけない事がある」


 士道さんが姿勢を正して俺の目を見た。鋭い眼光に廃教会の時の士道さんを思い出して息を呑む。


「お前は人間ではなくなった」

「人間では……ない?」


 そう言われても実感が無かった。

 身体は痛むが、言ってしまえばそれだけしか変化はない。

 この痛みもそう時間はかからず無くなるだろう。


「正確に言うと、約半分は人間だ。しかし後の半分は神に近くなっている。割合で言うと神の部分の方が大きいぐらいだ」


 士道さんの言葉が理解できなかった。

 いきなり神になったと言われても信じられるはずがない。


 しかし士道さんが嘘を言っているようには見えなかった。


「証拠がその身体の痛みだ。それは無理矢理に神を憑依させるために肉体を作り替えたせいだ」

「肉体を作り替えた?」

「細かい説明は省くが、お前の肉体はもはや人間のそれではなくなっている。言うならば半神だな。さっき言った通り元の生活に戻せなくなったのはこの為だ」

「どういう事ですか?」

「神の身体は半分でも貴重なモノだ。悍ましいが、霊薬の素材になったりするからな。狙ってくる奴らも当然いる」


 そんな物は物語の中だけの話だと思っていた。どうやらこの世界はファンタジーだったようだ。


「そこでお前にはふたつの道が残されている」

「なんですか?」

「ここでオレに匿われながら一生を過ごす。或いは魔術師になるかだ」


 士道さんに匿われながら一生をここで過ごす。

 確かに不便はあるだろうが安全な事なのだろう。

 

 しかしそれではこの胸に灯った焔は行き場を失い、やがて消え去るだろう。

 

 そんな事は……それだけ許されない。この焔は決して消してはならない。消してしまったらいつか和樹と同じ場所に行った時に顔向けできない。

 

 だが二つ目の道を選ぶには問題がある。なにせ魔術の「マ」の字すら知らないのだ。そんな人間が魔術師になんてなれるものなのか。


「でも俺は……魔術なんて知りません」

「それはわかっている。誰か腕利きを紹介してやる」


 腕利き。問題はその腕利きが俺の目的を果たすのに足る人物なのかどうか。


「ひとつ聞いてもいいですか?」

「ああ構わない」

「……奴……ヒューはどのぐらい強いんですか?」

「どのぐらい……か。少なくともこの地球では最上位の強さだな」

「それは紹介して頂ける誰かよりもですか?」


 この質問は暗にヒューを超えると言っているのと同義だ。


 士道さんは俺の言わんとしていることを正しく理解し、薄らと笑みを浮かべた。


「面白い。お前アレを殺る気か?」


 友達がたくさん殺された。何も無かった自分によくしてくれた先生が殺された。そしてかけがえの無い家族が殺された。

 

 しかし奴は生きている。

 

 これではあまりにも不条理だ。到底許せることでは無い。ならばやるしかない。

 

 強くなって不条理を正す。奴は必ず殺す。

 

 その為にはヒューを軽くあしらった士道の力がいる。

 ただの腕利きでは駄目なのだ。圧倒的な強者でなくては。


「あれでもアイツは超越者だ。人の枠を超えた人外。並の魔術師では束になっても敵わない。そんな存在をこの前まで非魔術師だったお前が殺すと?」

「はい」

「できるとでも?」

「やるしかないんです」


 無意識のうちに掌を握りしめた。激痛が全身を襲ったがそんなこと気にしている場合ではない。

 

 痛みを無視して起き上がり士道に土下座をした。

 

 身体があちこちで悲鳴を上げている。しかしこんな事で弱音を吐いていてはヒューを殺せない。


「どんなに苦しくても絶対に挫けません」


 あの絶望的な状況で和樹は諦めなかった。だから自分も挫けるわけにはいかないのだ。


「俺は奴を殺さなければいけないんです。俺を弟子にして下さい」

「……俺は厳しいぞ? それこそ修行の途中でお前が死ぬかもしれない。それでもやるのか?」

「覚悟の上です」


 返答を聞いた士道は満足そうにニヤリと笑みを浮かべた。


「よろしい。じゃあまずはひとつ目の修行だ。身体を休めろ。話はそれからだ」


 着物を翻しながら士道は退出した。その足音が消えるまで俺は頭を下げ続けた。


「ありがとう……ございます」


 その言葉は胸に灯った焔をより強く、熱くした。

 これは復讐の道。決して褒められた道ではないだろう。和樹が聞いたら止めるかもしれない。しかし俺の覚悟は既に決まっている。

 必ずあの男、ヒュー・デア・アガルトを。


 ――――殺す。

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