第3話
アルバートは、きっと前の世界で会っている。
私は思い出せないけれど、彼は――多分、いいえ、きっと私を覚えている。
(彼は私と――どういう関係だったの?)
彼の視線はたまに狂気を含む。――仕方がない。私は『悪女』なのだから。多分、前の世界でもそうだったのだろう。
(親や兄弟の仇とか? もしくは、彼自身を私が陥れたのか……)
覚えていないから、分からない。
とにかく、この世界では殺されないように気をつけよう。まさか、スープに毒虫が混入していて、死ぬかもしれなかったなんて、思いもよらなかった。
(っていうか、虫など食べたくもないですけど! 毒を仕込むなら分からないような毒にしてほしいわ! ――あら? でも、私が見たスープには虫なんて入っていなかったと思うけど。一体、どの時点で混入したのかしら……?)
それにあの時、アルバートも側にいたのだ。私の嫌いなアレが浮かんでいるのを、きっと嬉しそうに見ていた。もしも毒虫が浮いていたなら、その時点でアルバートが下げていたはず。
――と、すると。アルバートが私を殺そうとしたのか? やっぱり、彼は私に深い怨みがあるに違いない。
前の世界からツイてくるほどの怨みだ。きっと、相当なことをしてしまったのだろう。
やはり『悪女』は『悪女』だったのか。
(死んでも治らないって、これだっけ? あれ? 違ったな。“馬鹿は死ななきゃ治らない”だったね。私はバカだったのかな? あ、死んだら治るのか。じゃあ、やっぱり私は、ただの『悪女』か――)
私は王城のガーデンパーティーに来ていた。
澄み渡る青空に、
ずっと使っていたお気に入りの赤い折り畳み傘。替えなきゃと思ってはいたが、なかなか手離せずにいた。
土砂降りの雨でついに傘は折れてしまった。いつ取り替えてもいいように入れていた新品の傘を使う日がやってきた。
新しいものを初めて使うとき、ドキドキしたり、ルンルンしたりするものだけれど、その日は違っていた。
とてもお気に入りの傘だったのだ。それが壊れてしまった。最後に何か役目をあげたくて、隣にいた身なりの整ったお兄さんに押し付けた。
私の手では、捨てられそうになかったから。私の知らない人に私の知らないところで、そっと捨てて欲しかった。
あの後の雨上がりの空。今日の空は、あの時の空に似ている。――違う世界なのに。不思議と空はどこも一緒で繋がっているようにさえ感じてしまう。
あの人は私に押し付けられたあの傘をどうしたのだろう。きっと――すぐに捨ててしまっただろう。折れた傘などに使い道はない。
「リリアナ様」
アルバートが耳元で囁く。良質な低音ボイスに、くらりとする。
ふらついた私をアルバートがすかさず支えた。
「ご体調が優れませんか?」
「大丈夫よ、心配ないわ」
「ご無理なさらずに」
「婚約者様にご挨拶しないと」
私はアルバートから離れて、ニッコリ微笑むと、彼からいつもの狂気を感じる。
背筋がぞくりとした。
「リリアナ。よく来てくれたね」
「ジオルド第一王子殿下。本日はご招待いただき、ありがとうございます」
「エスコートしよう」
「まぁ、嬉しいですわ」
婚約者の王子と微笑み合う。私の背中には、先程以上の殺気。
(アルバートよ……王族の前で、殺気を放つのはどうかと思うよ。君の命の方がよっぽど危ない)
ジオルド殿下は苦笑いを浮かべている。殿下は、確かアルバートと同じ年で、学友だったはずだ。
「アル。相変わらずだね」
「リリアナ様にあまり触れないでいただけますか。正式には、
殿下は、さらに苦笑いする。私は大きく溜め息を吐いた。
(なぜアルバートは殿下に喧嘩を売るのかしら? ――学生時代、二人の間に何かあったのかな?)
「アルはリリを溺愛しているからね」
「――は?」
王子に対して思わず不敬ともとれる声を出してしまった。婚約破棄どころか処刑されてしまう。――そうだ。まだ正式には婚約していなかったのだ。
アルバートと前の世界の話をしていて、もしも『悪役令嬢』であるなら、王子と婚約はしない方がいいという結論に達した。
婚約さえしなければ婚約破棄からの断罪も、国外追放もないのでは? という考えだ。安直だけど。
(ところで――溺愛って、なに? 誰が、誰を?)
私が首を傾げているといつの間にか機嫌が直ったアルバートが私に向かって微笑んでいる。
(その笑顔――これ以上詮索するなということか。分かってるわよ)
お茶会が始まると、和やかな空気が会場を包む。
しばらくすると、急に辺りが暗くなり、冷たい風が吹き始めた。それから一気に天候が悪化する。
本当にあっという間の出来事だった。
スコールのような土砂降りの雨。幸い、この世界では簡単な魔法が使える。
皆、各々の方法で、雨露を凌ぐ。
私の頭上には――赤い傘が浮いていた。
「え……か、さ?」
この世界に、『傘』はない。
雨を避けるのに、遮断の魔法で良いのだ。傘自体もなければ、その発想すらもない。
しかも、折り畳み式の『赤い傘』。
私は思い出した。百円玉を渡した彼の顔を。
王城の庭園で見事に咲き誇る花に、雨の雫が強く打ちつける。その音は大きく、私の鼓動をも隠す。
花や葉に当たる雨を、ただずっと見つめていた。宙に浮いた真っ赤な傘の下で。
「リリアナ様」
目の前で止まる黒い革靴に視線がいく。輝くほど綺麗に磨かれたそれは水滴を弾き、庭園の芝に流れ落ちていく。
私は視線をゆっくりと上げた。雨音に掻き消されてしまいそうなほどの呼び声。目の前には切なそうに揺れる茶色い瞳。
私は――この瞳を、知っている。
私の頬に一筋の雫が流れる。
雨水ではない、それは口の端に当たると、やがて唇全体に広がり、そして口の中に入る。
その雫は僅かに塩味を帯びていた。
「思い出したのですか」
アルバートが囁く。
私はゆっくりと頷いた。
「なぜ、飛び出したのです?」
胸が抑えられるほどに苦しい。
「貴方から逃げたかった」
「なぜです?」
「貴方が私にツイていたから」
「私が貴女にツイていたら、いけませんか?」
「だって……貴方は――」
私は、知ってしまった。
彼は――私にツイている幸運そのもの。
『四つ葉のクローバーを見つけるとね、幸せになれるんだよ』
クローバー畑で、四つ葉を必死で探した。
雨が降ってきているのにも気がつかずに。
差し出された赤い傘。
『濡れちゃうよ』
茶色い瞳の綺麗な顔立ちの少年。
『でも……四つ葉のクローバーが欲しいの』
『なんで?』
『……幸せになりたいの』
その少年は目を瞬かせた。
『なんで幸せになりたいの?』
『私は……ツイてないから』
『ツイてない?』
『そうなの……何でも悪く思われちゃうの。良い子にしてても、わがまま言わなくても、悪いこと何にもしていないのに、いつも「お前のせいだ」って、怒られちゃうの』
少年は考え込んだ。そして、微笑んで言った。
『僕が君だけのクローバーになってあげるよ』
『ダメよ! 四つ葉じゃないと幸せになれないの』
その少年は口に握った手を当ててクスリと笑う。
『僕は四つ葉のクローバーよりずっと長くいるよ』
『え?』
『四つ葉のクローバーより長く君と一緒にいるよ』
『……本当に?』
『うん。ずっと君にツイていてあげる』
少年は私の目に溜まった涙を親指で拭いながら、そう言った。幸運の少年は自分の幸運を私にくれたのだ。どこにいっても出会う彼に気がついた。
私がツイている理由も、私にツイている理由も。
彼は――あの少年だった。
私は彼から幸運と赤い傘を奪ったのだ。私がいなくなれば、彼に幸運が戻るのではないか。――そう考えた。あの一瞬で。消えて失くなろうと。
「なんでツイてきたの?」
「約束したでしょう? 貴女に――ずっとツイていると」
土砂降りの雨の中、大声で泣いた。
きっと、周りには聞こえていない。
赤い傘は、いつの間にか二人を覆うほどに大きくなり、隠すように包み込んでいた。
やがて、私の涙が止まると、雨も上がっていた。
澄み渡った青空に、あの日のような虹がかかる。
アルバートは私の涙をあの日のように親指で拭うと優しく抱き締めた。そして、私の耳元に魅惑的な声で囁いた。
『どこまでもツイて生きますよ、お嬢様』
その悪女は、ツイている。 夕綾るか @yuryo_ruka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます