2


 さらに一週間が過ぎた。現状、何も変化はない。

 継ぎはぎの男は相変わらず僕を仲間にしようとしてくるし、パンはすっかり乾きを受け入れているし、救助は来ない。

 ガッ、ガッ、と地面を蹴るような足音が聞こえる。朝飯の時間だ。


「よォォォォ、調子はどうだァ?生きてるかァ?」


 よくもまあ毎日こんな調子でと感心する程に変わらないテンションで、継ぎはぎの男は今日も現れた。うんざりとした顔で彼を見ると、楽しそうに手のひらでバンバンと壁を叩く。

 これもまた、いつも通りだ。

 そして、これからアクリル板の受け渡し口を開けて、こぶし大のパンを投げ込むのだ。


「!?」


 だが、この日は違った。


「お邪魔しまァァァす」


 受け渡し口ではなく、扉の方が開く。

 ぬうっ、と男が部屋の中に入ってくる。


「な、なんだよ急に!!お前、まさか!!」


「ハァァ・・ッ!!なんだテメェ、そんなに驚くこともねェだろうが」


 男は真っすぐ向かってくる。

 ほんの数メートルの距離だが、ひどくゆっくり時間が進んでいるように感じた。

 後ずさりをしたが、狭い部屋だ。逃げ場はなかった。すぐに壁と背中が衝突する。


「ちょ、ちょっと待て!!一旦落ち着いて、は、話し合おう!!」


「ハッハァ・・?まァまァ、そうかしこまるなよ。俺とお前の仲だろォ?」


 男が腰に手を回す。

 西部劇のガンマンのような慣れた手つきを見て、僕は今更になって愚かにも思い出した。

 僕が人質にされたセントラル銀行で、こいつは僕を盾にしながら何度も引き金を引いていた。

 笑いながら、狂笑いながら、爆笑いながら、人々を容赦なく惨殺していた。

 現場に駆け付けた治安部隊のサーチライト、キラリと飛び散る鮮血、耳を裂く炸裂音。

 記憶がフラッシュバックする。


―――ああ、そうだ。そうだった。こいつは犯罪者で、イカレ野郎で、人殺しだった。


 気付くと、目の前に大きな影が立っている。

 男は、腰から勢いよく腕を抜く。


「っ・・・!」


 僕は覚悟を決めて目を閉じる。


 その時を待った──。


「・・・・・・・・・」


 ふと、刺激臭が鼻を掠めた。

 恐る恐る、目を開く。


「・・・・ん?」


「ほら、食えよォ!」


 鼻先に突き付けられたのは、レッド・バーだった。


「・・・・・・」


 その時は、来なかったのだった。


「やっぱ美味ェじゃねえかァ!!悪いなァ!お前の分まで貰っちまってよォ!!」


「ああ、別にいいよ」


 ガツガツと美味そうに殺人級に不味い棒を喰らう、顔面継ぎはぎだらけの男。隣で体育座りで眺める僕。これは一体どういう状況なんだろうか。

 呆然と眺める僕を横目に、男は食事を終え満足そうにしていた。


「ッハァ!!食ったぜェェ!!最高だァァ!!!」


 大声で感想を述べた後、大の字で地面に寝転ぶ。

 仮にも人質の前だというのに。あまりに無防備な姿をさらしている。


「・・・抵抗されるかもとか、思わないのか?」


「ハァ?しねェだろ?オレァ、知ってんだ」


 あっけらかんと言われる。元よりそんなつもりはなかったが、こうもキッパリ言いきられると、あまのじゃくに動いてやろうという気も失せてしまう。

 狙ってやっているなら食えない奴だな、と思った。


「・・・なあ」


 だから、やはり聞かずにはいられなかった


「あァ?」


「なんでお前はあんなことをしたんだ?」


「あんなことって、どんなことだ」


「強盗をしたり、その・・、人を、殺したりしたことだ」


 この陽気な変わり者が、なぜ惨劇を引き起こすのか。

 会話だってできる。楽しさや喜びを知っている。狂人ではあるが獣ではない。

 そんな彼が他人の命を奪う理由、それが知りたかった。


「どうしてお前は罪を犯す?」


「理由なんかあるか。気分だよ、気分」


 即答だった。

 それは、求めていた答えではなかった。


「気分って・・。それで人を殺したって言うのか?そんな理由で?」


「あァ、そうだ。ムカついたから、むしゃくしゃしたから。それで十分だろォ?」


「そんな訳ないだろ。この世界で、そんな理不尽な暴力がまかり通るわけがない」


 僕の言葉に、男はハッ、とバカにしたように笑って続ける。


「理不尽ねェ?オレからすれば理不尽も不条理も、むしろこの世の規範だと思うがなァ。取り立てて騒ぐようなことじゃねェだろ」


 彼はおもむろに立ち上がり服のジッパーを下げる。

 そして絵本を開くように上半身を露出させた。


「これは・・!」


 ──剥き出しの心臓に肋骨が目に飛び込んでくる。


 てらてらと生光りした臓器からは数本のチューブが伸び、まるでツタのように身体へ絡みついている。変色した皮膚は腐った魚のようで、ゾンビを自称するにふさわしい外観を形作っていた。


「どうだァ?イカすだろ?」


 何も言えなかった。何かを言わなければと思ったが、喉からは何の音も出なかった。

 頭の中を無数の文字が駆け巡ったが、それらは形にならずにただ消えていった。


「オレァ別にこうなりたくてなったわけじゃねェ。ある日病気んなって手術受けて、目が覚めたらこうなってたんだァ。理不尽な話だろ?笑えるよなァ?」


「・・・・」


「この身体になってから味覚も嗅覚もバグって、痛みも感じなくなった。生を感じる身体の機能は殆どなくなっちまったァ」


 男はジッパーを閉めると、またどっかりと座り込む。


「・・・でもよォ、きっとそういうもんだろ、世界ってやつはよォ?オレはたまたま食われちまった。そんだけ。それ以上でもそれ以下でもねェ。食われて、死んで、生き返ったのさ」


 突然、ビッ、と指を指される。


「んで、今回はオレが食って、お前が食われたんだ」


「そ、そんな──」


 ドオオン。


 振動と炸裂音。

 焦げた火薬の匂い。

 僕の言葉は、尋常でない爆音によって遮られた。


「な、なんだ!?なにが起きた!?」


 壁にもたれながら立ち上がる。男は辺りを見回しながらケタケタと笑った。


「ハハァ・・!!こりゃァ、面白ェことになってきたぜェェ・・!!治安部隊の奴ら、オレをぶっ殺すために突入してきやがった!!」


「ま、マジかよ・・!!」


 いくつもの足音が押し寄せてくる。

 それは街を飲み込む濁流を思わせた。

 程なくして武装した部隊員が五人、僕たちの前に現れる。


──ターゲット補足。繰り返す。ターゲット補足。


 隊員の一人が無線に話しかける。

 ズラリと向けられた銃口は、僕の口にぶち込まれたソレとは全く別物だった。

 制圧と掃討だけを目的とした武力は、有無を言わせぬ威圧感に満ち満ちていた。


──ポイントΔ7、識別番号27863。


 僕は両手を挙げて降伏のポーズを取る。

 色々とややこしいこともあったが。

 狂人と心を通わせかけたりもしたが。


・・・とりあえずはこれで全部解決だ。


 このまま継ぎはぎのイカレ野郎が捕まって、僕が助かれば満場一致、ハッピーエンドの大団円だ。


──セーフティ解除を申請。・・・承認。制圧準備完了。


 隊長格らしき人物の無線を皮切りに隊員たちが身構える。


「・・あぁ、お願いします!早く助け──」


 声を出した瞬間、五つの銃口が一斉に僕に向けられた。

 隊員たちの統率の取れた動きはまるで、僕を脅威と見做しているようで。

 あれ、何か、様子がおかしい。


──制圧対象、テロリスト二名。


「・・・え?」


 耳を疑った。

 ニメイ?二名だって?


──繰り返す。テロリスト二名。


「ハハァ・・」


「嘘だろ・・?」


──制圧開始。


 連絡無線は歪なノイズ音を立てて、ブツリと切れた。

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