Zombie
Goat
1
初めて、銃口の味を知った。
黒々とした塊が、容赦なく口の中で暴れている。手足はきつく椅子に縛られていて、一切の抵抗ができない。湿気た火薬と、冷たい鉄の味がする。
「Do or dieだ。選ぶ権利くらいはくれてやる」
男は僕を見下ろしている。くすんだランタンの光が揺れて、男の顔をぼんやりと虚空に浮かび上がらせている。耳まで裂けた頬が三日月のように歪み、切れ長の目は細く閉じて、それはつまり男が笑っていることを意味していた。継ぎはぎだらけの男の声のない爆笑は、善良な一市民である僕の口に、銃をぶち込むという、この異常な状況に奇妙な説得力を与えていた。
「――――!!」
叫びは明瞭な形を成さない。当たり前だ。今、僕の舌にそんな余裕はない。喉奥に侵入しようとする異物を抑えることに精一杯で、言葉を紡ぐことなんざ出来そうもない。
第一、 喋れたとして、僕は何を言えばいい?
なぜこうなっているのかもわからないのに!
「あァ?何だってェ??はっきり喋りやがれ!!!テメェ・・、言葉知らねえのかァ?知ってるよなァ・・?知らねぇはずねえよなァ・・?ハアアアアアッ!!!だったらッ!!意思のッ!!疎通をッ!!しやがれッ!!アホがッ!!!」
僕の体内のさらに深いところへ、暴力が入り込んでくる。
狂った笑いと怒号のリズムに合わせて、奥へ。奥へと。
「――っ!お、えぇぇっ」
コルクの栓のように勢いよく口から銃が引き抜かれる。
生理的反射と不快感が一斉に僕を襲い、胃の中身が逆流して噴き出してくる。
結果として、僕は嘔吐した。
辺りに酸っぱい匂いが漂う。自分の出したブツに塗れる僕を見て、笑い声は一段階ギアが上がる。
肩で息をしながら、首だけを曲げて俯く。まるで
濡れた地面と汚れた大腿部を見ていると、胃酸だけでなく怒りも、腹の底から昇ってくるのを感じた。
目立たず、外れずを信条に、慎ましく生きてきた僕がどうしてこんな目に合わなきゃいけないんだ!!
「―――っ!!」
万感の憤怒を込めて、顔を上げる。
――よくもやってくれたなこの野郎。絶対に許さないからな。クソが。
だが、急ごしらえの殺意は、「本物」の前で情けないほど簡単に霧散した。
額に、押し当てられる。銃口を。
「お前は一体誰だ?何者で、何になる者だァ?」
曖昧な問いだ。何を聞きたいんだ、こいつは。
男は、笑っていなかった。
真っすぐ、鋭く、僕を見ていた。
「お、お前こそ、何者だ・・ッ!い、一体、何のつもりなんだッ!!」
気圧されながらも問いに答えず、逆に聞き返す。この行動には自分でも驚いた。
他人に生死を握られている状況において、どう考えても好ましくない一手だとわかっていた。
だが、聞き返した。
怒りもあったが、それと同じくらい、興味もあったのだ。
他者を脅迫し、強奪し、実に楽しそうに笑う。その嗜好は全くもって理解できない。
なればこそ、このイカれた継ぎはぎの男にもしかしたら僕は、惹かれているのかもしれなかった。
男は、少し驚いたような、意外そうな表情をした。
そして、狂おしく微笑んだ。
「あァ、そうだな。オレは、屍だよ。死んで生きてる怪物。有り体に言うならアレだ、アレ」
引き金に指をかける。
死が、僕の前に立っている。
「ゾンビってやつだよ、リトルサム」
ガチン、と撃鉄が落とされた。
いつもと何ら変わらない日常だった。
起き、出社し、退勤し、寝る。
四部構成の繰り返しは面白みこそないが、それで構わなかった。
出生時から管理されたバイタルサイン、初等学校での潜在意識テスト、汎適正診断・・。
あらゆるテストによって僕たちは項目でカテゴライズされて、一元管理可能な数字の羅列になる。
効率的に生きるために最適化された社会では、不安や
思考なんてしなくても、小指に埋め込まれたミクロガジェットが取るべき行動を提示してくれる。
モノトーンな日々のリフレインこそが、安定と安心の象徴だった。
曇り空の火曜日、その日もいつものようにタスクが与えられた。網膜にテキストが投影される。
”Go to the bank(銀行へ向かえ)”
管理システムによって自動分配された仕事をこなすため、僕は満員電車に乗りこんだ。
「おうおう、どうだァ?生きてるかァ?」
男の声が薄汚い地下室に反響する。
土壁づくりの凡そ時代錯誤なこの穴倉は、きっと百年前に造られたシェルターだろう。区画整理で全て改修、解体されたと思っていたがまだ残っていたとは。
男は部屋を仕切るアクリル越しにパンを投げ入れてくる。軽い音とともに埃が舞う。
土と埃を払ってから、僕はその乾いたスポンジのようなものに
全然美味しくない。けど、食べるしかない。
「おおッ!!いいィィィィィ食いっぷりだなァ!!!生きてる生きてるねェ!!」
動物園に来た子供のように、継ぎはぎ男は顔と両手を顔と両手をカエルのようにアクリル板に押し付けて興奮していた。透明な壁に潰されて、男の顔がべちゃりと歪んでいるのが見える。
バンバンと壁を叩く音は煩わしいが、流石に慣れてしまった。
──銀行に向かった日、僕は銀行強盗に巻き込まれた。
電子統制法による管理が進んだ昨今、犯罪の発生率は極めて低下したものの、未だゼロには至っていない。そのため、運悪く事件に出くわすこともある。
たまたま向かった先で、たまたま強盗に巻き込まれ、たまたま人質にされ、たまたまアジトに連れられる可能性だって、なくはないのだ。
簡素な食事を終え、小指を軽くなぞる。
ガジェットは起動こそするものの“NO SIGNAL“の文字を網膜に投影するだけだった。
「なァァァ、いい加減仲間になろうぜェ・・?もっといい飯食いてェだろォ・・?」
軟禁されてから一週間、つまり銃で嘔吐したあの日から、継ぎはぎ男はずっと僕を仲間に勧誘してきている。
どうしてこんなことをするのか、その真意はわからない。というかそもそも強盗の後、成人男性を監禁して喜んでいる狂人の行動に意味を求めるのが間違いなのかもしれない。
「いい飯?どうせまた配給のレッド・バーのことだろ。お前、ホントにあんな犬の餌を喜んで食べてんのかよ」
レッド・バーは政府から支給される棒状の栄養食品だ。
薬品を砂糖で固めたようなひどい味がするため、好き好んで食べる奴はいない。
害虫や害獣避け以外の用途で使われているのを僕は知らない。
「な、犬の餌だァ!?あれ美味ェだろがッ!!あ、さてはオメェ、バカ舌だなァ!?」
「バカはどっちだ!おい嘘だろ・・?あんなもの好んで食べる奴がいるなんて・・。ああ、そういやなんかゾンビとか言ってたな?自分のこと。舌まで腐ってるみたいだが大丈夫か?」
「ほォォォ、言うじゃねェか、リィィトゥルサァァァム・・・」
食事、見回りで顔を合わせる度にこうした会話が十分ほど続く。
毎回、男から絡んでくるので、僕が適当にあしらう感じだ。
最初こそ警戒はしたが、こう時間を重ねていくと相手に敵意がないことくらいはセンサーなしでもわかる。人質として重宝されているからなのか、殺されないだけ今はありがたい。
ちなみに男は僕のことをリトルサムと呼ぶ。
別に僕は
「さァて、そろそろ仲間になる気になったかァ?」
「なるかよ。犯罪者と同類なんて、ごめんだ」
ケッ、と吐き捨てるような笑いを置いて、男はどこかへ消えた。
しばらく足音が響いていたが、遠のき、やがて沈黙が部屋に満ちる。
「・・・・」
手慰みでまた、小指を撫でる。軽快な電子音、そして変わらない“NO SIGNAL“。
まだ当分助けは来ないだろう。
そう思うと、わずかにため息が漏れた。
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