居眠りと手紙

 何であんなところに置かれているのか。不思議に思った私はそれが何なのかを確かめずにはいられませんでした。まだ、私の年齢ならこんなことをしていても、変には思われないだろうけれど、それでも恥ずかしさを感じています。木に登るなんて子どもっぽいことをしてるんだから。

 背中にじんわりと汗をかいているのがわかります。ちょっと気持ち悪い。

 ズボンにしてよかった。スカートをはいていれば足にまとわりつくわ、下から見られるかもしれないわで大変なことになっていたかも。スカートをはいていても確かめたい気持ちには勝てずに登っていただろうな。

 登っているのは桜の樹。その桜の樹の上の方にはぽっかりと空いた穴があって、そこからは陽の光がさしこんできています。穴が空いているくらいなら気になんてならなかった。前からあるのは知っていたから。だけど、今日はいつもと違いました。そこには、白い何かが置かれてるのが見えたんです。

いったい何なのだろう。

そう思った時、私はいてもたってもいられず、気になってどうしようもなくなり、気づけば樹に抱き着いていました。

 セミの声が聞こえます。樹にしがみついて必死に鳴いているセミは私が近づくと、飛んで逃げていきます。勢いに任せて登り進んでいるので、びっくりしたのでしょう。

 やがて穴に手が届きそうなところまで来ました。めいっぱい手を伸ばし、穴の中になんとか指をひっかけることができました。指に力を込めて体を持ち上げ、足の位置も動かします。少しだけ樹の幹が落ちてきます。それを超えると念願の穴の中をのぞきこむことができました。

 そこには白い封筒が置かれていました。

 封筒はシンプルなもので、郵便番号の赤い枠があるくらいで、宛名は書かれていません。ただ、封筒の中身はあるようで、緩やかに膨らんでいました。

 私はさらに樹の上に登り、ゆっくりと座れる場所を見つけ腰を下ろします。運がいいことに手紙のあった穴には手が届いたので、落とさないように慎重に手紙を手にとります。封筒の裏もみましたがやっぱり何も書かれてはいませんでした。

「あれ?」

 封筒が閉じられていなかったことに気づき、思わず声をだしてしまいました。

 どういうことだろう。

 本当は勝手にみてはいけないということはわかっています。だけど、好奇心には勝てません。ここまで来たんです。私はダメだと思う気持ちとここまで登ったご褒美という気持ちに挟まれながらも、中身を確かめたいという気持ちを優先して中にそっと指をいれます。

「ごめんなさい」

 目をつぶり、小さく謝りながら、中身を指で挟んでゆっくりと引き抜きました。そこにはやはり手紙が入っていました。開くと中には細い線で書かれた文字が並んでいます。決して弱々しいものではなく、芯の通った感じのするきれいなバランスがとれた文字。書いた人を表しているんだと思います。

 手紙の中の文字をゆっくりと目で追っていきます。


『どうするべきなのか、ずっとなやんでいました。自分の心の中にある想いに気づいてもいましたし、あふれそうになっていることもわかっています。ですが、伝えてしまっても良いのか、めいわくではないのか、そんなことをずっと考えていました。

 考えに考えた結果、伝えないことよりも気持ちを伝えるだけ伝えてみようと思いました。なので、あなたに想いを伝えます。

 あなたが好きです。大好きです。

 本当はそばに行って話したいけれど、そんな勇気がでません。それでもあなたのことが大好きなんです。

 読んでくれてありがとうございます。勝手な想いをおしつけてしまってごめんなさい。

 無理に返事がほしいとは思っていないですが、よければ何か返事があればうれしいです』


 これは本気のラブレターっていうやつでした。今、私は恥ずかしさと勝手に開いて中を読んでしまってごめんなさいという気持ちでいっぱいです。誰にあてたのかわからないラブレターを、自分にあてられているのかと、これまた勝手に思い込んでしまっている自分が嫌になります。

 ちょっとドキドキしながら、少し震える手で静かに手紙を封筒の中にしまいます。折れ曲がったりしてないかな。そう祈りつつ封筒の中に戻し、そのまま何事もなかったかのように、元あった穴の中に片づけ、穴からラブレターが落ちないようにそっと木から下りました。

 ああ、なんでこんなことしちゃったのかな。地面に足がついているのに、どこかふわふわとした感覚に包まれています。私が悪いことをしたんだから、書いた人に怒られそうだけど。ごめんなさい。人の恋にどこか浮かれている私がいます。

 辺りを見渡しても誰かがいる様子はなく、手紙を読まれたのかを確認してくるような人もいません。近くの川べりで親子連れが遊んでいるのが見えますが関係はないでしょう。公園の隣に立つ教会からは人の気配もしていないです。ただのいたずらなのか、あるいは手紙の主がたまたま離れているだけなのか、それはわかりません。ですが、今はとりあえずここから離れることにします。

 勝手に読んで本当にごめんなさい。


 それから数日間は桜のある公園にはいきませんでした。いえ、いけなかったというのが正直なところです。行こうとは思うものの、夏が終わりに近づき、差し迫った宿題に追われていました。遊ぶだけ遊んでいただけに、結果、ぎりぎりになってやる羽目になっていたから行きたくても行けません。夏休みの最後の日に、心のどこかで引っかかっていた手紙を見に公園にやってきました。もちろんズボンをはいています。

 セミの声が今も聞こえてきます。それでも数日前に比べれば静かなものです。公園の隣にある教会からは大人の姿が何人も見えています。何かあるのでしょうか。着飾った女の人たちが目に入りました。そちらも気になったのですが、先に桜の樹を確認しに行こうと思います。

 アスファルトで舗装された道を進み、公園の中に入ると少し暑さがゆるんだ気がします。公園には木が植えられていて、影ができていることと、近くに川が流れているのが関係しているのかもしれません。それでも暑いことに変わりはなく、公園には誰の姿もありません。

 いえ、一人いました。

 桜の樹の木陰で、パッと見た時には見えにくい樹の根元に座っている人がいます。地毛なのかどうかはわかりませんが、やや黒みを帯びた茶色の短い髪が風に揺れています。顔は髪がかかっていてうつむいて座っているのどんな人かはわかりませんが。胸の辺りが規則正しく動いているのが見えます。それ以外に動きが見えません。どうやら眠っているようです。

 私は眠っている人を起こさないように静かに桜の樹に近づくことにしました。どうしても手紙が気になって仕方なかったからです。

 近づいてみるとそこで眠っていたのは男の子のようでした。

 何かのキャラクターが胸ポケットに描かれたシャツと膝丈くらいの半ズボンを履いています。そこからのぞく腕と足は白く感じました。

 眠る男の子の反対側に回り、樹を登っていきます。この間とは違うので勝手がわかりません。ちょっと登りにくいです。それでも、何とか手紙のあったところまで来れました。穴の中を覗き込んでみると、数日前にあった手紙はなくなっていました。誰かに持ち帰られたのか、風で飛ばされていったのか。それすらわかりません。

 私は仕方なく樹から下りることにしました。下で寝ている男の子がいつ起きるのかわからないし、寝ていたとしても、上にずっといると隣の教会にいる人たちにみられるのが恥ずかしかったからです。

「アンタ、そんなところで何やってんの?」

「えっ?」

 いきなり声をかけられ、びっくりした拍子に樹にひっかけていた足の力が抜けてしまいました。樹から落ちていく感覚と時間の流れがゆるやかになっていったように感じます。

「危ない!」

 その声が聞こえた時には何とか、樹の枝につかまることができました。ぶらさがったままですが。

 どこから声をかけられたのか。

 動かせる範囲で顔を動かしてみると、どうやら足元から声がかけられたようです。下を向くとそこには寝ていたはずの少年が起きていました。

「大丈夫か?」

 見上げる少年の黒い瞳が私をじっと見ています。細い腕で私を抱きとめようとしているのか、両腕はむかえるように広げられいつでも受けとめられるようにしています。

「大丈夫です」

 私は少年にむかって答える。だけど、余裕はないのでいいかたが冷たくなってしまいました。

 少年の口が少しとがったのを見逃しませんでした。彼は広げていた腕を半ズボンのポケットへといれ、木から数歩はなれていきます。それでも木陰からでることはありませんでした。よほど、日の光に当たりたくないのでしょうか。だったら家にいればいいのに。

「そうかい。ならよかった」

 私のほうを見ずに、川のほうをみながらつぶやいた彼の声は、さっきの声よりもあきらかに低いものになりました。それから私のほうをみあげてきます。

「あのさ。なにしてたのかわからないんだけど、おりてくれないかな。ねれないんだけど」

 とげのある言葉がなげかけられます。と、表情が変化します。ほんの少し顔が赤くなったようにも見えます。何を考えているのでしょうか。勝手に怒ったような話し方をされるし、顔が赤くなるし、意味がわかりません。

 私はというと握っていた枝から手をはなします。ふわりとした感覚につつまれましたが、トンッという軽い衝撃と一緒に、公園の地面に足がつきました。ぶら下がっていた所からはそれほど高さはありませんでした。

 私は少年へと近づきます。少年は少し後ずさりをしますが、それでもお構いなしに近づいていきます。

 近くでみると、その少年よりも私のほうが身長が大きく、見下ろすような形になります。さっきまでの強気な態度はすっかりとなりをひそめたようで、かろうじて見返してきていた黒い瞳も少し潤んでいるように見えます。ただ、顔はだんだん真っ赤になっていきます。

「な、なんだよ」

 精一杯の強がりかもしれません。もしかしたら、少年は身長差から自分が年下で、私のことが怖いと感じているかもしれないという考えが頭をよぎりました。ですが、私もあんなとげのある言い方をされたので、お姉さんをすることなんてできません。

「キミさ。落ちそうになってるんだから、大丈夫っていっても助けようとするのが男の子じゃないの? それを何? 何してるかわからないからおりてこい、って。しかも自分が寝たいからっていくらなんでも失礼じゃない?」

 私は感情のまま、少年にぶつけます。

「それに、いきなり話しかける? 樹の上にいるんだからびっくりして落ちたらケガするじゃない! そんなことになったら大変なことだってわかんない? ねえ、どうなの?」

 口からどんどん言葉が飛び出してきます。少年が口を挟む間もないほど、自分でも驚くほど大きな声を出していました。

 だけど、どこかで思います。なんでこんなに大きな声でいっているんだろう、と。

「……な」

 少年が真っ赤になりながら、小刻みに震え、小さく何かをいっているような気がします。どんどん頭に血がのぼってきていた私はその態度にさらにイライラが募ってきます。

「いいたいこ——」

「な、なんなんだよ! さっきから好きかっていいやがってッ!」

 私の声なんかかき消すほど大きな声が目の前から飛び出てきました。そのあまりにも大きな声に私は言いかけた言葉が止まってしまいます。

 そんなことに気づいているのかどうなのか。少年はさらに続けてきます。

「アンタが樹の上にいたから、何してるのか、ってきいたんだ! 落ちそうになってから、危ないって教えてあげたし、落ちるかもしれないから大丈夫かきいたら、なんだよッ! 大丈夫ですって怒りながらいいやがって! 助けようと思ってたのにそんなこと言われたらこっちだって、怒りたくもなる!」

「わ、わた——」

「なんだッ! 何か言いたいことでもあるのかッ?」

 少年の口から出てきた感情の数々に圧倒されてしまいました。今度は私が何か言おうにも少年の方がどんどん言葉を重ねてくるので、どうすることもできません。

 はぁはぁ、と少年が肩で息をしながら、私の方をにらんできます。黒い瞳の周りはすっかりと充血して真っ赤になっていました。白かったはずの肌も、どんどん赤くなって今は首元まで真っ赤です。

「あの……」

「なんだッ?」

 私がしゃべろうとすると、いまだに大きな声で話しかけてきます。私は小さく息を吐きだして、話します。

「私はさ、いきなり声をかけられて怖かった。落ちそうになった時、何も考えられなかった。何とか枝につかまれたからよかったけど、できなかったら、落ちて大ケガしてたかもしれない。それが怖かった」

 できるだけ。そう、できるだけ落ち着いて話すようにします。少年がまた怒ってこないように、とにかく落ち着いて、聞こえるようにゆっくり話しました。

「…………」

 少年は何も言いません。じっと、私の顔を見てきます。何か言いたいことがあるようにも見えますし、口を開く気がないようにも見えます。

「ききたいことがあるんだけど、きいてもいい?」

 小さくうなずく少年。

「あなたは私のことを心配してくれて声をかけてくれた、そういうことで間違いないのよね?」

「……ああ、そうだよ」

 今度は小さな声で答えてくれました。小さかったけれど、セミの声よりもしっかりと聞き取ることができました。

「わかった。ありがとう。それにごめんね、大きな声出して」

 私はそういって、立ち去ろうとします。きっと少年も私と一緒にいたくなかったと思ったので。

「な、なぁ」

 後ろから声がかかります。振り向くと少年がこちらを向いています。だけど、視線は下を向いています。

 足を止め、少年のほうを振り返ります。

「どうしたの?」

「この樹の上に穴があるだろ?」

 少年が樹を見上げます。私もつられてそこをみます。少し前には手紙が置かれていました。だけど、今日はありません。

「あの穴の中に何かあったはずなんだけど、今日はどうだった? 登ったんだからみたんだろ?」

 口調は変わっていませんが、話し方は大分やわらかくなっていました。

 それはそうと少年の身長であの穴の中が見えるのでしょうか。遠くから見えたのかもしれませんが。

「何もなかったけど……。それがどうしたの?」

「あの穴の中に何か置かれてからここに来たのって、あ、アンタだけなんだよね。あるんだったら何か教えてもらおうと思ったけど、ないんだったら誰か持って行ったのかなって。で、持って行ったとしたら、き、樹に登った、アンタかなと思って」

「ちょっ、そんなことしないよ。誰の物かもわからないのに」

 思わず声をあげてしまいました。そして、それが失敗だと気づいたときにはすでに遅かったのです。

「誰の物かもわからない? それってどういうこと? あそこにいったい何があったの?」

 少年は私のほうに近づきながらきいてきます。さっきまで弱気だったはずなのに、なぜか詰め寄るようにきいてきます。木陰から出ようとすらしなかったのに今はお構いなしです。勢いよく、木陰からとびだしてきます。日に当たるとなおのこと、肌が白いのがわかります。どれだけ、日に焼けていないのでしょうか。少し羨ましい。

 改めて並んでみると少年のほうが頭一つとまではいかなくても、その半分ちょっと身長が小さく、私は見下ろすような形で見ています。見上げる少年の目は、怒っているようにも、必死なようにもみえます。そのどこか必死な様子に思わず、のまれてしまいそうです。同時に、あの手紙となにか関係があるのかもしれません。そんなことを考えてしまいます。

「き、キミはあの樹の上にあったものが何か知っているの?」

「わ、わからないから聞いているんだ! 何もなかったならそれでいい!」

 真っ赤になりながら、私の目の前で叫ぶ少年。

「そこまで怒らなくても……わかったから」

 私はさらに一歩下がりながら答えます。ですが、少年は私が下がった分、進んできます。

「で? どうなの?」

「わかった! わかったから! 答えるから怒らないで」

 私は思わず声を荒げてしまいました。少年もその声にびっくりしたのか、やっととまってくれました。

「わ、悪かったよ。そ、それで? 何があったの?」

 答えるといってしまった手前、何も答えないわけにもいかず、かといっていまさら何もなかったなんていうのはいえるはずもなく。私はどうしようか困り果ててしまいました。少年のむけてくる真剣なまなざしに、私はどうすればいいのか困ってしまいます。

「し、白い封筒……」

 いってしまった。この少年の迫力に押されていってしまいました。誰のものかもわからないのに。それなのに、私はいってしまいました。あの手紙を書くためにどれだけ想っていたのかはわかりません。だけれども私のしてしまったことはその人への裏切りなんじゃないかと思ってしまいます。

 ああ、いわなきゃよかったかな。

「ふ、封筒? で、中身は?」

「な、なか、み?」

 少年が続けてきいてきます。

 中身って、封筒の、ということよね。ああ、そうか。封筒としかいってないから、中身がなんだったのか、この少年にはわからないんだ。

「な、中身は……」

「中身は……?」

「……み、み……みてない」

 今度はウソをつくことにしました。

 私の言葉で、少年が手紙ではなく、封筒と理解していること。それだったら、中に何がはいっていたのかわからないといってしまえば、手紙を書いた誰かのことを裏切ったことにはならないのではないか、と考えたからです。

「お、お……」

「お?」

「お、お前! バカなんじゃねえの?」

「はあ?」

 少年の突然の言葉に私は変な声を上げてしまいます。いくら何でも初対面の人にバカとはいわれたくありません。

 しかし、少年の言葉が続きます。

「考えてみろよ! そこに不自然に白い封筒があるんだろ? そんなもんみたら、誰だって中身が気になって見てみるだろうが!」

 少年が手紙が置かれていた場所を指さしながら叫び続けます。

「それを気にもせずにそのまま置いておくなんてことしねーよ! そうじゃない? 気になって開けるね! 絶対!」

 強くいってくる少年の言葉に、お腹の底のほうにふつふつとしたものが湧き上がってくる感覚を覚えました。なんだったら、少し痛みすらも感じてしまいます。

「それを開けもせずにそのままにするなんてバッ——」

「うるさいッ!」

 一度出した声は公園に響きました。お腹のそこから出したので、少しだけ痛みはあったけれど、声と一緒に出ていった感じがします。

「な、なんだ——」

「うるさいッ、うるさいッッ、うるさいッッッ! アンタの意見なんてきいてないッ! 私は見ちゃいけないと思ったから見なかっただけッ! アンタのいう、絶対見る、が全員に当てはまるなんて思わないでッ!」

 飛び出してきた言葉は止まりません。ダムが決壊したように次から次へと言葉が出てきます。止めることなんかできません。

「大体、さっき落ちそうになった時もそう。いきなり声なんてかけるから落ちそうになったの! 声をかけるタイミングってあるでしょう? 考えてから話しなさいよ!」

「そ、それはもう終わって——」

「終わらせたのは、アンタが面倒だったから! しかも、帰ろうとしたら呼び止めて、また私のことを怒らせて! いったい何がしたいの?」

 リーン、ゴーン。

 私が言い切ったタイミングで大きな音が鳴った。

「…………」

「…………」

 あまりにも大きな音だったため、話すことをやめて音の出どころを探してしまいます。

 それは公園の隣の教会から鳴っていました。教会の建物の上のほうにつけられている鐘が揺れています。揺れるたびに大きな音が鳴ります。

「わああぁぁぁぁッ!」

「おめでとうッ!!」

 鐘の音とともに聞こえてきた沢山の声。そのほとんどが誰かを祝福する声。その声の方に視線をむけると、カラフルなドレスを着た女性たちと黒いスーツを着た男性が並んでいます。彼らの間を白いドレスを着た人が歩いているのがみえます。その隣には白いドレスの人よりも大きな男性が、女性に合わせて歩いています。並んでいる人たちの横を通るたびに、彼らが持っている何かが空高くまで投げられ、二人に降り注いでいます。投げ終えた人たちは、拍手をしながら見送っています。

 白いドレスを着た女性が見えたのは、二人が並ぶ人たちの間を通りすぎた時でした。はっきりと姿をみることができた女性。白いドレスは居並ぶ人たちの中で一番美しく、輝いて見えます。遠目にみてもその女性はすごくキレイに見えます。

「……キレイ……」

 息をのむというのはこのことでしょう。私はこれ以外の言葉が出てきませんでした。

「そ、そうか?」

 その一言が私の中の何かにまた触れました。頭の中に血がのぼるというのはこんな時に起きるのでしょうか。

「アンタって!」

「い、いや。そうじゃなくて、あの人より——」

「こんなところにいた! 宿題は終わったの?」

 一人の女性が誰かに呼びかけながら公園へと入ってきます。少しだけ黒みを帯びている茶色の髪を後ろに束ねているようで、前髪や横の髪はある程度の長さがあるのに、襟足は髪が見えないのでそうしているのかなと思いました。それよりも、その女性の髪が少年のそれとすごく似ているように思えてなりません。

「やべっ。今帰るッ!」

 少年はその女性をみながら大きな声で答えます。

「じゃあなッ! デカ女! また!」

「えっ? ちょっと!」

 私は少年の言葉にムッとして思わず声をあらげます。その少年は私のほうに手を振りながら、女性のところへと走っていきます。表情も怒っているものではなく、何の緊張もない笑顔でした。

 少年は女性の横で止まります。そのまま、並んで歩いていきました。その間、私の方を見ることはなく、私が少年の背中をぼんやりと見送っていました。

「いったい何なのよ……。デカ女なんて」

 思い出したら怒りがこみ上げてきそうです。最後まで失礼な男でした。

 風がふきました。

 夏の陽射しのなか、頭の上に緑の葉を生い茂らせている桜が揺れます。まだ暑さが残っているはずなのに、その風は少しだけ涼しく感じました。もしかしたら、頭が熱くなった私を冷やすために少しだけ秋を連れてきてくれたのかもしれません。

「そういえば……何で、また、なんて言ってたんだろう? どこかで会ったことあったかな? それともこれから会う?」

 桜の樹を見あげます。やっぱりそこには置かれていた手紙はみえません。風に飛ばされたのか、あるいは誰かが持ち去ったのか。

 それに誰が誰に宛てて出したのか。

 私はそんなことが気になりながら、公園を後にします。ふと、教会の方をみると、結婚をした二人を祝福する中に一人だけ、肩を落としているように見える男の人がいました。ただ、私にはその人のことを気にするよりもあの手紙が何だったのか。それだけが強く気になっていました。


 月が変わっても陽射しの強さは何も変わってはいませんでした。さっきまで始業式をしていたはずの教室の中は、すべての窓が全開になっているのにもかかわらず、暑さが全く変わっていません。体育館にいた時もそうでしたが、今日は風がまったくふいていないようです。おかげでこちらは暑くてどうにかなりそうになっています。

 おまけにどうして校長先生というのはあんなに話が長いのでしょうか。体育館の中で全校生徒が集められ、長々と話を聞いていたら立っていても、座っていても暑さで倒れてしまいそうになります。

 私はあまりの暑さに水筒に入っていたお茶を飲みました。体の中に水分がしみ込んでいくのがわかります。助かった。

里奈リなッ! 大変だッ!」

「驚かないで聞いてね!」

 私の元に二人の女の子が、私の机を挟んで反対側に立って話しかけてきます。それも二人とも興奮しながらです。

「どうしたの? 二人とも」

 二人のあまりの勢いに驚きながらも何とかたずねます。それでも二人の興奮はおさまらないようです。私の視界にはメガネのショートカットと少しだけ日焼けした肌にポニーテールの後ろ毛だけがおさまっています。ポニーテールの子は手に持っていたスマホをスカートのポケットにねじ込んでいます。

「里奈ちゃんさ。隣のクラスにいた大嶋おおしま正樹まさきくんって知ってる?」

 メガネをかけた女の子、ひがし知美ともみがきいてきます。彼女のメガネの向こうにある瞳は、落ち着きを何とか保っている口調とは裏腹に興奮の色が見えます。

「えっと、おおしまくん?」

「ま、まさかとは思うけど、里奈、知らないとか? マジ?」

 私の名前を呼び捨てにしてきたのは、飛鳥井あすかい亜沙子あさこ。少しだけ日焼けをしているのは、きっとクラブの練習の時に外を走るからで、普段は室内で練習しているはず。確かバスケットボールだったかな。半袖からのぞいている二の腕は、私の腕よりもよほどキレイな腕をしています。

「えっと……」

「知美。これはマジのやつだ。マジで里奈、大嶋のことわかってない」

「里奈ちゃん。それはさすがにないと思うよ、私……」

 二人に挟まれながら、なぜかあきれられている私。おおしまという人を知らないと、なぜかひどい扱いを受けている気がするのは私だけでしょうか。

市川いちかわ里奈ちゃん」

「は、はい」

 フルネームで呼びながら真剣な顔で私を見てくる知美。さっきまでの興奮した瞳とは違って、すごくまっすぐな視線を私に送ってきます。

「よく聞いてね。大嶋正樹くんという男の子が隣のクラスにいました」

「えっと、それは、三組?」

 私は指で三組の方を指し示します。

「そう。三組です」

 いいながら知美はまっすぐに立ち、なぜか両手を広げ大仰な姿勢をとります。座っていた私からは彼女は少し高い位置にいるので、何だか演説でもはじまるのかなと思いました。が、それ以前に彼女の制服を押し上げているものがなぜか視界に入りました。ちょっぴり邪魔です。

「その三組にいた大嶋正樹くんはいろんな女子から結構人気がありました」

「実際、イケメンだと思うぜ。それに知美と違って頭もいいし」

「亜沙子ちゃん……ひどい……」

 知美がハンカチを取り出し、涙をぬぐうような仕草をする。ちょうど亜沙子からは見えないようだけれど、私からは舌を少しだけ出しているのが見えています。

「じょ、冗談だって! なぁ里奈? そうだよな?」

 亜沙子がおろおろとしながら、私に助けを求めてきます。これもひとつのコミュニケーションだと思い、私は亜沙子ちゃんに同意します。

「本当に?」

「あ、ああ、本当だよ。ただの、冗談、ってやつさ。はははッ」

 渇いた笑いをする亜沙子。ハンカチで目元を隠しながら、時々亜沙子の様子をうかがい、いたずらっ子のような表情をしている知美。

 見た目とは違って、したたかな知美ととっさの時には戸惑ってしまう亜沙子。これぐらいのバランスがちょうどいいのかもしれません。そんなことを考えていたら、いつのまにか口元が緩んでいました。

「あッ! なんだよ、里奈? 何で笑うんだよ?」

「ううん。何でもない」

 私はゆるんだ口元を何とか戻して平静を装いながらいいます。

「……亜沙子ちゃん。そろそろ話を戻そうか?」

「ううっ……。何だか二人が冷たい」

 冷たく言い放つ知美と泣き真似をする亜沙子。

「そんなことよりッ! 里奈ッ! 大嶋だ、お・お・し・まッ!」

 亜沙子が大声で言いながら、手の平で机を何度もたたいてきます。知美も亜沙子の動きに合わせて、私をのぞき込んできます。

「そ、その、おおしまくんがなに?」

 私は二人の勢いに圧倒されながらとりあえずたずねることをしてみました。

「いなくなったんだよッ!」

「あっ、勘違いしないでね。いなくなったのは間違いないけど、事件とかじゃなくてただ転校しただけだから」

 身を乗り出して話してくる亜沙子に対して、知美はさっと後ろに下がって、左手をひらひらとふる。そのまま腕を組み、振っていた左手は左の頬にあてられる。その仕草は流れるように行われ、洗練されていました。

「転校? そうなんだ。夏休み明けにいないのとか、きっと寂しいよね」

 私はごく普通に感じたことを二人に伝えます。知らない人とはいえ、今までいた人がいなくなるのは寂しいものだと思ったからです。

 だけど、それを聞いた二人は私とは違う反応でした。

「大嶋のことを知らないってのもあるから、そんな反応なのもわかるけどなぁ」

「実はね、里奈ちゃん。大嶋くんは女子からの人気がありながら、今まで誰かと付き合ったということはないのです」

 亜沙子が立ちあがります。私ほどではないが身長は大きい方で私の首に届くくらいの高さです。私より身長の大きい女子は他のクラスに二人しかいません。残念ながらこのクラスでは私が一番です。

 下から見ていると大きいかもと感じながらみています。亜沙子は立ちあがりながら頭の後ろに手をやり、ポニーテールの下辺りにあてています。ただ、視線は私から外しません。ほんの少し、にやりと笑っているようにも見えます。

 知美の方はというと説明をしながら、少しずつ私に視線の高さを合わせてきます。

「なぜかというとですね。大嶋くんには好きな人がいるという噂があったからです」

「知美……それ噂じゃなくて本当の話だ……」

 いつのまにか頭においていた手を下ろし、ポニーテールを根元から毛先まで何度もなでています。視線は私ではなく教室の外に向いていました。

「ま、まさか亜沙子ちゃん? 告白したの?」

「そ、そうなの? アサちゃん?」

 亜沙子の突然のカミングアウト発言に、知美は反応し詰め寄ります。私も立ちあがって、机に手をついて前のめりに亜沙子をみます。亜沙子の視線は教室の外に送られたままです。

「そんなことはしてない。もともとイケメンだなと思ってた程度だから。だけど、たまたま見ちゃったんだ」

「何を?」

「何を?」

 私と知美の声が重なります。

 その声に反応するように亜沙子はゆっくりと私と知美を見ていきます。そして、私たち二人に手招きをし、机に集まるように促してくる。息がかかるくらいに顔を近づかせ亜沙子が小さな声で話しだします。

「実はな……。大嶋が女の子に告白されているところ」

「ウソッ!」

「どこでみたの?」

 私と知美はそれぞれ別の反応をしますが、それを亜沙子は唇の前に指を立てて、しっ、と小さく言います。それを見て私たちは亜沙子の話を聞くことにします。

「夏休み前なんだけど、クラブが終わって帰ろうとした時なんだけど、一組の女の子が体育館の裏にいくのが見えたんだ。その女の子の名前は知らないけど見たことはあったんだよね。それで何でこんな時間にそんなところに行くんだろうって思って気づかれないように追いかけたんだ。そしたらさ……」

 亜沙子が一呼吸入れるように、一度言葉を切ります。ほんの少しだけおとずれた沈黙。ただ、その中にいるだけなのに私は熱さを感じました。知美と亜沙子の真剣な表情がそれを物語っているようにも感じます。

 ただ、もしかしたら、純粋に女子三人が密着に近い状況だから暑いのかもしません。まだ、夏休みが終わってすぐですから。

「そしたらさ、そこに大嶋がいたんだ」

 私は亜沙子の話に少しだけ違和感を感じました。

「ちょっとまって、亜沙子ちゃん。それって、大嶋君が待ってたってこと?」

「……うーん。そうなるのか?」

 暑くなったのか、私たちから離れる知美。首周りをいつのまにか取り出したハンカチでぬぐっています。

「亜沙子ちゃんだったらどうする? 告白しようって思って呼び出したら、先に待ってる? それとも相手よりも後に行く?」

「そりゃあ、知美。私だったら先に行って、あッ!」

「そうだよね。先に行くよね? だったら、その告白っていうのは?」

「トモちゃんがいうみたいに、おおしまくんがしたのかな?」

 私と知美の二人がそれぞれ同じ回答を導き出していました。亜沙子も私たちの言葉を聞いて固まってしまいます。それはそうでしょう。だって、亜沙子がみたものの前提がひっくり返っているのですから。

 亜沙子は頭を抱えながら、その時の場面を思い出そうとしています。

「いやいや。実際見てたけど、女の子のほうから告ってたぞ。大嶋が先回りしたんじゃないか? 早く着いたとか……」

「ふーん。そうなんだ。気になるけど……。それで? 女の子の告白に大嶋君はなんて返事したの?」

 知美の言葉に、亜沙子が視線を左上に送ります。なぜか、私もその視線を追います。教室の天井に設置されている蛍光灯が目に入るだけでした。

「確か、『ごめん。キミとお付き合いすることはできない』、だったかな。女の子が理由をきいたら、『好きな子がいるんだ、夏休みになったら話してみようと思ってる』、って言っていたな」

「あらら、かわいそうに。思いっきり振られているのね。呼びだした相手よりあとに着いて

て、振られるとかつらすぎるわね」

「女の子が振られたのはわかったけど、その話ってつまり、夏休みの間に誰かがおおしまくんから告白を受けているってこと?」

 視線を下ろしながらいうと、二人が私の方を見てニヤニヤとしていました。その表情に余計なことをいったかもという感覚に襲われます。それを見ていたのか、知美が私の顔をのぞき込んできます。

「そういうこと。で、ここからが本題なんだけど、里奈。大嶋君に告られてない?」

「はっ?」

「だから、大嶋君に告白されてませんか? 市川里奈さん?」

 知美の話の方向性が一気に変わりました。私にはそこにどうしてつながっていくのかが、さっぱりわかりません。

「えっ? あっ、はい?」

「里奈ッ! 今、はい、っていったな? いったよな?」

 私がわけのわからない返事を返すと、亜沙子がその言葉だけをとって詰め寄ってきます。

「い、いやいや、そうじゃなくてッ! よくわかんないんだけど……トモちゃんもアサちゃんも何いってるの?」

 首を勢いよく振りながら、私自身がよくわかっていないということを伝えます。ただでさえ暑いのに、汗まで噴き出してきそうです。そんな私をみながらニヤニヤとしている二人。

「本当にわかっていないんですか? 里奈ちゃん」

「そうだぜ、里奈。隠してたってためにはならねぇよ? さぁ、素直に吐いちゃいなよ」

 二人は刑事ドラマの尋問のように、私に何かを言わせようとしているのがわかります。だけど、知らないものは何も知らないし、わからないものはわからないのです。

「だから、いったい何のことを話してるの? だいたいどうしてそのおおしまくんが、私に告白してくるのよ?」

 イスから立ち上がった私は思わず大きな声で二人に言い放ちます。

 その私をポカンとした顔で見あげている知美と亜沙子。

 はぁはぁはぁ、という声が聞こえ、それが自分の声だということに気づくのに少し時間がかかりました。

 いつの間にか、知美が座ったまま、右手を何度も上から下に振っています。

 教室がシンと静まり返っています。教室にいるみんなが私を見ていました。女子の何人かは私と目が合うと、近くにいた他の女子とこそこそ話し始めています。男子たちも、何事、といった感じで見てきます。

 私はその視線に耐えられず、勢いよくさっきまで座っていたイスに座ります。そのまま頭を抱えてうずくまります。

「いきなり、大きな声出さなくても、いいじゃねぇか」

「ごめんね、里奈。ちょっとからかいすぎたかも……」

 どんな顔をすればいいのかわからず、ふせたままでいる私。暑いから顔をあげたいけれど、それよりも恥ずかしさのほうが勝ってしまっています。だから、顔をあげることもできません。

「なんだよ市川。大嶋になんか言われたのか?」

 男子の声が聞こえます。誰の声かはわからないけれど、聞こえてくるその声は私のことをからかっている様にしか聞こえてきません。もしかしたら、何か知っているのかもしれないけれど、今は顔をあげる気なんて起きません。

 私の頭と背中にふわりと温かいものがのってきました。重さはほとんど感じないが、暑いはずなのに心地いい感じがして、恥ずかしさに襲われている心がホッと安らいでいきます。

「うっさい、男子ッ! どっか行けッ!」

 伏せている私の近くで少しだけ風が起こりました。亜沙子が声をかけてきた男子を追い払っているのが聞こえてきます。わざわざ立ちあがって、男子にいいに行ってくれたのかもしれません。だけど、やっぱり私にはそのことを気にするような余裕はありませんでした。

「わ、わかったよ。ったく、飛鳥井は凶暴だな」

「何だとてめぇッ! もう一回いってみろッ!」

「亜沙子ちゃんッ! 落ち着いてッ! ね?」

 男子が最後の悪あがきでつっかかってきたが、それをさらに怒って追い返す亜沙子。見かねたのか、知美が声をかけて止めています。私の頭の上から知美の声が聞こえてきたので、今私に触れている温かなものはきっと知美なのだろうと思いました。

 ガタンっと誰かがイスに座った音が聞こえました。それもすごく近くから。

「悪いな里奈。からかっているつもりはなかったんだけどな。言い過ぎたよ」

「ごめんね、里奈ちゃん」

 二人が伏せる私の上から謝ってくれました。私は伏せたまま、うなずきます。

「里奈ちゃん。ありがとう」

「……里奈。何で、大嶋が里奈に告白したかもしれないって話だけど……」

「亜沙子ちゃんッ。いくらなんでも今は……」

 小さな声で話しかけてくる亜沙子に、注意をしようとする知美。恥ずかしい思いをしている今、そのことを聞きたいかといわれれば正直聞きたくはありません。ただ、一度、気になりだしたら話を聞きたくなってしまいます。

「アサちゃん……続けて」

 私は伏せたまま、聞こえるかどうかの声で伝えます。

「わ、わかった。大嶋は誰かに告白するつもりってのはさっきもいった通りなんだけどな。告白した女の子はもう一つ聞いていたんだ。大嶋の好きな子は誰なのか、って。そうしたら、大嶋は、『誰かは教えるつもりはない。あなたのクラスじゃない』って答えたんだ。自分の耳で聞いたから間違いない」

「……それだけで、どうして私だってわかるの?」

 私は体を起こさないまま、質問を投げかけます。だってそうでしょう。あくまで、告白した女の子は一組で、おおしまは三組。一組にいないといっただけで、二組や三組の他の子の可能性だってあります。そもそも、この学校にいないってことも十分あり得ます。

「聞いた話なんだけどね。大嶋くんの好きなタイプって、自分より背の高い人らしくて、めずらしいなってウワサになったんだよね」

「そうそう。あのときはビックリした。大嶋の好みの話なんて今まで一度もきいたことなかったし。それに他にもあって、男同士の何かの罰ゲームで好きな人は、二組にいるって言ってたらしい。そっちのウワサは夏休みに入ってから回ってきたけどな」

 二人がそれぞれ答えてくれます。

 私は頭の中でまとめたことをそのまま口にすることにしました。

「つまり、その二つのウワサとアサちゃんののぞきで私が告白されたってことになったの?」

「のぞきって里奈。ひでぇな」

「事実だけどね、亜沙子ちゃん。ダメなんだよそんなことしたら」

 私の言葉にすぐに返してきた亜沙子は、知美に言われたことに対して小さな声で、仕方ないだろ、とだけ返してきます。

 二人の変わらないやり取りに少しだけ温かなものを感じていました。やっぱり二人といると楽しいなと思いました。

 いつまでも伏せっていたらダメだよね。

 私はそう思って体を少しだけ動かします。多分上にいる知美がそれを察して体をよけてくれました。

 顔をあげると暗かった視界が明るくなります。

 知美と亜沙子の顔が見えました。二人とも笑顔なのに、ちょっぴり目が赤い。

「ごめんね、里奈ちゃん」

「ごめん里奈」

 二人が頭を下げてきます。でも、私は二人の肩を叩いて、二人が顔をあげたのを確認してからゆっくりと首を横にふり、一言だけいいます。

「大丈夫だよ」

 二人がにっこりと笑いながら、うん、といって首をたてにふってくれています。

 それからなぜか三人で抱きしめ合っていました。


「そういえばなんだけど……」

 夕方。私と知美と亜沙子の三人で下校の途中、ふと気になったことがあったのでたずねてみることにします。

「アサちゃん。おおしまくんの話だけど、ちょっと聞いていい?」

「どうした里奈?」

 亜沙子は首をかしげなら私を見てきます。

「おおしまくんは自分より身長の高い人が好きなんだよね? で、二組の人。私よりも背の高い人っていると思うんだけど。アサちゃんだって、私より小さいけれど、それでも大きい方だよ?」

「ああそっか、里奈は大嶋のこと知らないんだったな。大嶋はあたしより身長あるぞ」

 亜沙子が手を横にひらひらと振りながら答えてくれます。

「確かこれくらいだったかな」

 知美が手で私に教えてくれます。知美の身長は亜沙子よりも少し低いくらいだけど、大体私の胸辺りでしょうか。その知美が手で示したのは私の口元ほどの高さでした。そういえばそんな男の子に会った気がしないでもないかも。

「男の子にしてはちょっと低めかもしれないよね。里奈ちゃんが大きいって意味でもないけど、まだ成長途中ってところじゃないかなって思うよ。イケメンだし」

「一応、聞いてもいいかな? おおしまくんの特徴とか」

 私の中で何かがひっかかっていました。それを確認するために聞いているということはわかっています。

「特徴か……。えっと、髪の色が黒っぽい茶色だったかも。短めだけど顔にかからない程度の長さはあったかな。あと色白だね。亜沙子ちゃん、他にある?」

 言われた亜沙子が自分の右上を見ます。

「特徴、特徴ね。確かに色白だったな。それに腕が細いんだよな。その割に筋肉はあるみたいで、腕相撲してると結構いろんなやつに勝ってたりする」

「亜沙子ちゃん。意外とわかりにくい特徴だよ、それ」

「そうか?」

 知美に言われた亜沙子は視線を下ろしながら首をかしげます。亜沙子は立ち止まり、首を左右にかたけています。

「なんかあったような気がするんだよな……」

 動こうとしない亜沙子。私と知美は歩き続けているが、知美が振り返り、私も足を止めます。

「亜沙子ちゃん。何してんの? 帰ろう」

 知美が声をかけます。その言葉の前には小さなため息がついていました。

 亜沙子がその声を聞いて、駆けよってきます。

「ごめんごめん」

「亜沙子ちゃん。いったい何が気になってるの?」

 近づいてきたのにも関わらず、いまだに首をかしげている亜沙子。知美が私より先に亜沙子にたずねます。

「ああ。さっきの大嶋の話だけどさ、なんか忘れてる気がするんだよな。里奈もすぐにわかるような……」

「もしかして、亜沙子ちゃん。大嶋君の写真とか持ってたりしてない?」

 知美がふと思いついたかのように亜沙子にたずねます。それを聞いた亜沙子がすごい勢いで知美をみました。そして、指をつきつけながら叫びます。

「それだぁぁぁ!」

 亜沙子が自分のカバンを探し始めました。ペラペラに見えるバッグには中身があるとは思えず、ただずっと中を調べています。

「……ないなぁ」

 亜沙子が独り言をいいながら、探し続けています。見つからないようでバッグの底のほうまで手を突っ込んでいるようです。

「アサちゃん。何探してるの?」

「ああ、スマホだよ。そこに写真があったかも、ってこれは違う。どこやったんだよ?」

 よくわからない箱を取り出してはまた入れています。そんなことしたら、見つかりそうにもないのにと思いながら、必死に探している亜沙子を止めることはできませんでした。

 三人のうちで唯一スマホを持っているのは亜沙子だけでした。私も知美も親が許してはくれないからです。亜沙子はクラブに入っているので練習後に迎えにきてもらうために持っています。

 知美は亜沙子の方を見ながら、小さくため息をつきました。

「あのさ、亜沙子ちゃん。まさかとは思うけど、スカートのポケットとかに入ってたりしてないよね? 何となくかたそうなものが見えるんだけど……」

 知美が告げます。なぜか、その声は冷たく聞こえていて、もしかしたらずっと前から気づいていて亜沙子自身が気づくことを待っていたのかもしれません。仮にそうだったとしたら、結構冷たいのかもしれないと思わなくはないです。

 夏の名残のような風がふいてきます。

 熱をまとったそれが三人の間を通り抜けていきました。

 静かに、亜沙子が自分のスカートのポケットまで、少しだけ日焼けした指を滑らせていきます。彼女の指が何かに当たった音がしました。

「は、はははッ……ご、ごめん」

「亜沙子ちゃん。とりあえず、スマホか確認したらどうかな?」

 相変わらず冷たい言い方の知美。よほど何かあるのかもしれません。スマホを持っていることがうらやましいのでしょうか。私はうらやましく思っています。

「わ、わかった。いつとったかな。……覚えてないんだよな。とった気がするだけとかってことないよな……頼むぞ。ええっと……」

 亜沙子がスマホと格闘をはじめました。

 私も知美ものぞき込もうかと思って少しだけ近づきますが、亜沙子が一歩下がったので近づくことをやめます。亜沙子は無意識にそうしたのかもしれませんが、勝手にのぞかれて気分のいいものでもないでしょう。

 しばらくして、亜沙子が石像のように動かなくなります。よく見れば、スマホをさわる右手の指だけは動いています。

「……里奈、知美。これッ!」

 亜沙子が私たち二人にむかってスマホの画面を向けてきます。離れているからはっきりとは見えません。近づいていくと、そこには二人がいっていた特徴の男の子が写っていました。他にも人が見切れて写っていますが、彼だけが大きく写されています。

 そして、その男の子のことを私は知っていました。


 あれから、どれだけの時間が過ぎたでしょうか。

 私と知美と亜沙子は高校は違いましたが、大学は同じところを選んでいました。学部はまったく違い、亜沙子はスポーツ科学部、知美は法学部、私は自然学部。それぞれ別の道を歩んでいます。その学び舎も巣立とうとしています。

 亜沙子はインストラクターとコーチとして、知美は司法試験を越えて法についてより深く学び、私は減少している森林を守り、ある桜を見守るために。

 私は二人と別れてとある場所にやってきました。

 私にとって、思い出深い桜の樹があるあの公園に。ジャケットを羽織り、ジーンズのパンツを履いてきました。

 今、その桜は満開に咲き誇っています。樹齢を重ね、幼い頃よりもさらに大きく枝葉を伸ばしていますが、桜の樹にある穴はいまだにそのまま残っています。ただ、その高さは変わっていて、簡単には届かないところに見えています。

 春になったとはいえ、少し肌寒い気温のはずなのに今日は少し暖かな日でした。特にこの公園に入ってから、どうしてか体がポカポカとしてきます。

 そっと樹に触れてみます。

 樹の幹から温かさを感じます。それはこの桜の生命の脈動なのか、桜が私を温かく迎えてくれているからなのかはわかりません。ただ、私にはわかります。この桜の樹が見守るために今年も花を咲かせていることを。

 樹の根がはり、せりあがっているところがありました。そこでなら座ることができるかなと思った私は、少しだけ土を払ってそこに腰を下ろします。少しだけ目を閉じて背を樹に預けます。それからゆっくりと開くとそこには桜の花が咲き乱れ、その隙間をぬって陽射しがさしこんできていました。

「きれい……」

 私は少しだけ目を閉じ、桜の花と枝が揺れる音に耳を傾けることにします。背中からは樹の脈動が伝わってきます。その心地よさに私はゆっくりとした時間の流れを感じることにしました。


 目を開けると桜を通してさしこんでくる光の位置が変わっていました。少し眠ってしまったようです。ジャケットのポケットからスマホを探します。他のものに手が触れましたが、すぐにスマホに触れたので取り出します。時間をみると、一時間ちょっとすぎていました。そこには一つの通知がきています。

 私は立ちあがって、スマホをジャケットの別のポケットにしまい、おしりについた砂を払います。

「うーんっと」

 固まった体を伸ばし、ゆっくりと樹の方をみます。ちょうど樹の穴のところです。そこにはさっきはなかった白いものがありました。思わず口元がほころびます。

「いける、かなぁ」

 私はひとりごとをいってから、樹に手をかけ、少しずつのぼります。足をかけるところも変わらずあったので、すんなりと穴のところまでいくことができました。

 そこにあったのは、あの時と同じ白い封筒がありました。

 私はそれをそっと手に取り、確認するとその封筒は封がされていませんでした。

「ふふっ、ごめんなさい」

 言いながら、封筒を開けます。中には手紙が入っていました。


『どうするべきなのか、ずっとなやんでいました。自分の心の中にある想いに気づいてもいましたし、あふれそうになっていることもわかっています。ですが、伝えてしまっても良いのか、めいわくではないのか、そんなことをずっと考えていました。

 考えに考えた結果、伝えないことよりも気持ちを伝えるだけ伝えてみようと思いました。なので、あなたに想いを伝えます。

 あなたが好きです。大好きです。

 本当はそばに行って話したいけれど、そんな勇気がでません。それでもあなたのことが大好きなんです。

 読んでくれてありがとうございます。勝手な想いをおしつけてしまってごめんなさい。

 無理に返事がほしいとは思っていないですが、よければ何か返事があればうれしいです』


 あの時と同じ文面。違うのは字の力強さが変わっていることぐらい。差出人も誰宛てなのかもさっぱりわからない、そんな手紙。ラブレター。あの時と同じように私も樹の上で読んでいます。

「ここまでするとは、ね」

 ほんの少しだけ口元をゆるめながら、私はその手紙を今度は勝手にポケットに入れます。スマホの入っているジャケットのポケットに。それから反対側のポケットに手を入れて、入っていたものを取り出します。

「仕返し」

 ひとりごとをいいながら、私は入っていたものを樹の穴の中に置きます。光が当たってきっとわかるだろうなと思います。しばらく天気が崩れることはないので、手紙がなくなったり、読めなくなったりということはないでしょう。

 私はゆっくりと樹をおります。

 ポケットの中のスマホが揺れました。みるとそこには知美からの連絡と写真が添えられていました。

「ふふっ。ある意味お節介だよね。トモちゃん」

 そういいながら、私にとってはありがたい友達だ。わざわざ繋いでくれているわけだし。そのおかげで今、私はこの気持ちを持っているといってもいい。知美にしろ、亜沙子にしろ連絡が来れば嬉しいし、そこに添えられているものがあればなおのこと。

 ふと、私は桜の樹をみます。あの頃と何ら変わらず咲き続ける桜。

「私はあなたのことも知りたいと思っています。そのためにあなたを守るための勉強もしてきました。だけど……」

 私はそこでなぜか言葉が詰まります。それは私自身にとっての決意のようなものだったからかもしれません。

「だけど、あなたを知り、守るよりも前にあなたに見守ってもらいたいと思っています。あなたの力をお借りしたいと思っています」

 桜に手をつき、目を閉じて頭を下げます。手の平から桜が力をくれるのか、温かさが伝わってきます。それだけで、心が温かくなった感じもしました。

「おねえちゃん、なにしてるの?」

「えっ?」

 突然、声をかけられ、顔をあげて辺りを見回します。視線を少し下げたところに一人の女の子がいました。ブラウスにスカートを着ているショートカットのかわいらしい女の子。小学生になるかならないかといった感じでしょうか。どこかで会ったことがある気もします。

「ねぇ、なにしてるの?」

「えっと、お祈りしてたの?」

「おいのり? おいのりってなに?」

 たて続けに質問をしてくる女の子は、私にキラキラとした瞳を向けてきています。

「うーんと、お願いごと、かな。上手くいきますようにって」

「おねがいごと? じゃあ、あーちゃんもする」

 そういって私の真似をして、桜に手をつくあーちゃん。その行為自体がほほえましく思えてきます。

「あーちゃんはね、あーちゃんはね。みんななかよくしてほしいなっておもいます。きさんおねがいします。あーちゃんのおねがいきいてください」

「あーちゃん? どうしてみんな仲良くってお願いしたの?」

 あーちゃんが桜に手をつきながら私に答えてくれます。

「ママがねー、いろんなひととなかよくしなさいって。ママ、まえにここでなかよかったひとと、ちょっとだけなかわるくなったからなかよくしないと、あとでこまるかもしれないっておしえてくれたから」

「そうなんだね。あーちゃんのママはその人と仲良くなったのかな?」

「わかんない」

「あーちゃん? 何してるの?」

 あーちゃんにかけられた声。私とあーちゃんが声のほうをみると、一人の女性がこちらへと歩いてきます。

「ママ! あーちゃんね、このきにおねがいごとしてたの!」

 嬉しそうに話すあーちゃん。あーちゃんのママは抱き上げて話を聞いています。

「ありがとうございます。娘の話を聞いてくれて」

 そういって軽く頭を下げる女性はあーちゃんとそっくりでした。

「あなたもこの桜にお祈りを?」

「そう、ですね。そんなところです」

「そう……」

 女性は小さく答えながら、静かに桜を見上げます。その表情はなぜか少し寂しそうにみえました。

「……後悔は、しないでくださいね。この桜ならきっと叶えてくれます」

「ありがとうございます、あのどこかでお会いしたことありませんか?」

 なぜか、私の口からはその質問が飛び出していました。まるで何かのナンパか何かのようになってしまいます。

「それって、なんだかナンパみたいですね。お会いしたことはないと思いますよ」

「そうでしたか。見覚えがあった気がしましたので。失礼しました」

「いえいえ。大丈夫です」

 女性は首を横に振りながら答えてくれました。そして、桜の樹をみながらつぶやきます。

「私、もう何年も前にあの教会で結婚式を挙げたんです。といっても略式でしたけれど。その前日にちょっとした願掛けをこの桜にしていました。結局、叶いませんでしたが……」

 その言葉に女性が桜の樹ではなく、その向こうにある教会をみていたことがわかりました。

「……」

 女性の言葉を静かに聞きます。口を挟むことなどできませんでした。

「だから、ですかね。はじめて会ったあなたが桜に願いをかけているのであれば、失敗も後悔もしてほしくないなと思ってしまいました。出過ぎたことをいってごめんなさい」

 女性があーちゃんを抱えながら、頭を下げてきます。女性がどのような表情をしているのかはわかりませんが、なぜか背中からは、先ほどの表情と同様寂しさを感じました。

 顔をあげた女性はにっこりと微笑んでいます。

「あの、今、幸せですか?」

「はい。夫もいるし、あーちゃんも元気です。幸せ以外ありません」

 そう話した女性の顔は美しいと感じました。

「そうですか。それは良かったです」

「ありがとう。あなたも幸せになってね」

 女性は私にそういって、あーちゃんを下ろして手をつないで公園から出ていきます。なぜか私はその女性に頭を下げていました。

「私も帰ろうかな」

 家路に着くことにしました。

 公園を出る直前に振り返って桜の樹を見あげます。緩やかな風がふきぬけます。桜が手をふって見送っているようでした。


 翌日、再び私は公園へとやってきました。昨日とは気分を変えて、カーディガンにワンピースを合わせてみました。小さなショルダーバッグを肩から掛けています。

 昨日の今日なので桜に変化はありません。相変わらず、美しい花を咲かせています。

 一つだけ変化があるとするならば、それは公園の中にありました。樹の根元に誰かが座っています。黒みをおびた茶色の髪。顔は下を向き、長い脚は投げ出されています。黒いジャケットと白いシャツ、それから青のジーンズをはいています。

 私は眠っているその人物を起こさないように静かに桜の樹に近づきます。それから桜を見あげ、昨日置いた手紙がどうなっているのか見てみます。

「ふふっ、やっぱり」

 思った通り、桜にある穴の中に置いたはずの手紙はなくなっていました。少しだけ、樹の周りを見てみますが、落ちたということはなさそうです。

 寝ている人物を見てみるとジャケットのポケットから白いものが少しだけはみ出しているのがみえました。確認することもできないのでどうかはわかりませんが、それは確かに白い何かでした。

 強い風がふきました。私は思わず目を閉じて、顔を腕でかばいます。肩まで伸ばした髪が風で乱れていく感じがします。

 風が通り抜けた後、手ぐしで髪を整えながら眠っている人を見ると、その人物は私を見あげていました。

「アンタ、そんなところで何やってんの?」

 あの時と同じ言葉でした。

 だけど、あの時とは違って、その言葉にはとげのようなものは感じられず、柔らかな言葉に思えました。表情もにらむようなものではなく、少しだけ口角があげられているものでした。私もつられてほほが緩みます。

「桜の樹を見ていました」

「どうして?」

 その人物が私にたずねてきます。私はそれに答えるために指で樹の穴を指し示します。

「あの穴が見えますか? あそこに昨日白いものがあったと思ったので、今日もあるのかなと思って見に来ました」

「白いもの? そんなものがあったんだ」

 その人物はいいながら、立ちあがります。ジーンズについた土埃を払いながらです。そして、私の隣に並び同じように樹を見あげます。

「それで?」

「それで、というのは?」

「アンタ、いや、キミはその白いものを見たの?」

 隣に立つ人物がわざわざ私の呼び方を言い直します。隣をみるとその人物がこちらを見ていました。微笑んでいるようだけれど、どこか真剣な表情にもみえてきます。

「そうですね……。見ましたよ。宛名も送り主もわからない手紙、でした」

 なぜか、私は隣の人物から視線を逸らすことができませんでした。じっと見てしまいます。相手もまた同じように私をじっと見てきます。その表情はさっきの微笑んだ表情と違って、真剣なものでした。

「そうなんですね。その手紙に返事をされたんですか?」

 隣の人物の言葉に思わず、笑いが出てきます。反射的に口元を隠して笑いました。

「ふふっ、誰宛かわからないんですけどね。そう、ですね……もしかしたらですけど、そのお返事はあなたが持っているんじゃないですか? ほら、そのポケットの中に」

 私は黒いジャケットのポケットを指さします。ちょうど、白いものが飛び出ているところをです。

「これですか?」

 言いながら、ポケットから白いものを出してきます。

 私が昨日置いた封筒。封は外されています。

「中に一枚手紙が入っていました。これがあなたの返事ですか?」

 封筒から折りたたまれたままの手紙を取り出し、自分の口元くらいの高さまであげてきました。ちょうど、私の目の高さくらいです。

 片手で折り目をつけずに器用に手紙をひらいています。

「えっと、最初の印象はサイアク。二度と話したくないと思った。だけど、私の友達からあなたのことを聞いて、ちょっとずつ気になる存在になりました。今は……。で終わっていますね」

「そうですか。今は……で終わっていますか」

「はい」

 視線が手紙から私へとうつっています。

「里奈さん。今は?」

 突然、名前をしかも苗字ではなく下の名前で呼ばれ、私の心臓が跳ねたのがわかりました。そして、私はゆっくりと口を開きます。

「好きよ……あなたのことが……大嶋正樹くん」

 私は、ゆっくりと自分自身も確認できるように伝えます。桜が静かに揺れました。

「ありがとう、俺もだよ」

 隣の人物——大嶋が礼を伝えてくれました。そして、私と同じだと。だけれども……。

「しっかりと言って。私の名前もしっかり」

「どうして? 手紙に書いたじゃないか?」

 私の願いに疑問を持って返してくる大嶋。それもそうでしょう。今の私と大嶋の関係は通じ合っている状態といっていい。しかし、それでは足りません。この桜の前では。

「いいから、早く」

「……里奈さんがいうならしますけど、いったいなんでなんだ?」

 ひとりごとをいいながら、大嶋は私のほうへと向き直ります。それからしっかりと私の顔をみてきます。ほんの少しだけ頬が赤くなっているところがどこかかわいらしくも感じます。

「市川里奈さん。私はあなたのことが好きです。大好きです」

 大嶋が真正面から言葉を伝えてきてくれました。その言葉は私の心に響くものでした。

 再び、桜が揺れます。さっきよりもほんの少しだけ大きく。

                                    fin



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